僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

天城レオニス視点:II. 誰よりも優しい人

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 村の広場の片隅。夕暮れの陽が斜めに差し、冷たい風が石畳をかすめていく。
 冬の初め。エルダーフレイムに正式配属されて、まだ日も浅い頃だった。
 入隊して一年間の訓練と同行試験を経て、やっと授けられたエルダーフレイムの隊章。その最初の任務が、この辺境地での魔力異常調査だった。
 各地で報告される精霊不在の原因はまだ分からない。記録を集めても、核心には届かず、隊の足取りは重いままだ。
「……この村も、例外じゃないってことか」
 近くの商人たちが囁く声が耳に入る。
「森に入った家畜が戻らない」
「“魔王の残滓”の噂まで出始めた」
「百年前に討たれたはずだろ」

 百年ほど前に討たれたはずの存在――魔王。
 負の感情や魔力を糧に誕生し、人間の魂を喰らい尽くしたと伝わる、闇の王。
 討伐されたあとも、断片のような魔力や意識が世界のどこかに漂い、触れた者の心を蝕むといわれている。
 実際に見た者はいない。だが、精霊の不在や魔力の異常が続けば、誰もがその影を疑うのも無理はない。
 俺だって、半分は噂話だと思っている。けれど、ここ最近の異常の多さは、単なる偶然とは思えなかった。

 千景さんは、少し離れた場所で村の様子を見ていた。その視線の先――集会所の前で、少女が母親に叱られている。
「また弟にひどいことしたでしょ! どうしてそんな子になっちゃったの!」
 少女は唇を噛み、足元を見つめて動かない。握りしめた拳は赤く、肩は震えていた。
 母親の声が遠ざかると、小さな背中だけが取り残された。
 声をかけようと一歩踏み出しかけたとき、千景さんが先に歩き出していた。少女の前にしゃがみ込む。
「……手、見せてくれる?」
 穏やかな声。それでも少女は頑なに拳を閉ざしている。
「大丈夫だよ」
 そっと手を包み、一本ずつ指をほどく。
 爪が手のひらに食い込み、血がにじんでいた。
「……こんなになるまで、我慢したんだね」
 その手の上に千景さんの手が重なった瞬間、空気がわずかに震えた。
 冬のはずなのに、そこだけ春の陽だまりのように温かい。
 ――治癒魔法?
 いや、それだけじゃない。肌の奥に、説明できないざわめきが走る。
 何かを流し込むような……今まで見たどの魔法とも違う。
「誰もわかってくれない、って思うよね」
 少女の肩がわずかに揺れた。
「……でもね、君のことが大切だって思う人は、ちゃんといる。少なくとも、僕はそう思ってる」
 少女の足元に、雫が落ちた。
「君の手は、優しい手だよ。今度は、その優しさを……家族や、君自身に向けてほしい」
 頭を優しく撫で、千景さんは立ち上がる。
「――ばいばい」
 少女が小さく返し、母親のもとへ歩き出す。
 千景さんが手を振り返した先には、母親の姿があった。
 ためらいながらも、少女は手を伸ばし、母親がそれを握り返す。母娘の影が、夕暮れの広場を並んで歩いていく。

 鼓動が波打っていた。この胸の痛みは何だ。自分でも、まだわからない。
 けれど、ひとつだけはっきりと思った。
 もし、この人が本当は泣きたいときに我慢して笑っていたなら、俺が手をつないで、その悲しみから連れ出してあげたい。
 まだ名前のない想いが、静かに沈んでいった。

***
【作者コメント】
 次話では、任務の失敗をきっかけに千景が自責の念に囚われる一方、明るい天城との間に温度差が生まれます。
 そして、千景の無自覚な優しさが天城の心をさらに惹きつけ、二人が静かにすれ違っていきます。
***
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