僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

文字の大きさ
11 / 68
本編

08. 名を呼ぶ距離

しおりを挟む
 宿舎に着くころには、夕暮れが雪雲の端を朱に染めていた。冷えた指で記録具と報告書の下書きを机に広げると、背後に気配が立つ。
「今日はよく動いたな」
 影の主が肩に触れ、冷えを溶かすように魔力を流し込む。その温もりは、骨まで染みる。
「最近入った天城という男……あれに、かまいすぎではないか?」
「新人のフォローは副隊長の務めです」
「かまいすぎといえば、リュカ=ヴァレリウス。あれには近づくな」
「何のことです?」
 軽く返すと、彼はただ静かに、しかし真剣な目で僕を見つめていた。その瞳の奥に、懐かしさにも似た痛みと、深く澱む警戒――そんな気配が一瞬、揺らいだ気がした。
 けれど、次の瞬間にはそれも消え、いつもの穏やかな微笑みに戻っていた。

 そこに、扉を叩く音がした。影がそっと気配を消す。
「東雲副隊長、天城レオニスです。お疲れのところすみません、今少しお時間よろしいですか」
 こんな時間に何の用だろう――そう思いながら扉を開けた。
「……天城君。何か御用でしょうか」
 訪ねながら彼の顔を見ると、頬がわずかに赤い。
「いえ、その……」
 言葉を探しているのがわかる。扉の隙間から、冷気がふわりと流れ込んだ。
「立ち話では冷えます。中に入ってください」
 そう告げると、天城の肩がわずかに揺れた。驚いたように瞬きをし、視線を落とす。
「……へ、部屋に……入ってもよろしいんですか」
 その一言が少し掠れていたのを、聞き逃さなかった。
「問題ありません。このままでは二人とも風邪をひきます」
「あっ……」
 らしくなくまごつく様子を意外に思いながらも、彼の手首を軽く引き部屋へ招き入れる。
「そちらの椅子をお使いください」
 着席を促し、薬草茶を用意する。苦味のある香りがゆっくりと部屋に広がっていった。
「これは……?」
「薬草茶です。体調がよくないように見えたので、どうぞ」
「ありがとうございます。……いただきます」
 木椅子に腰を下ろした天城は、湯気の向こうでほっと息をつく。両手で茶器を包み、恐る恐る口をつけ――
「……げほっ。に、苦い……!」
「薬草茶ですから、苦いのは当然です」
 むせる背に軽く手を添えると、彼の身体がわずかに跳ねた。
「天城君?」
「す、すみません……少し驚いてしまって」
「疲れているのでしょう。あまり無理はしないように」
「……はい。あの……ありがとうございます。今日はたくさん助けていただいて」
 視線はカップに落としたまま。指先が、わずかに震えていた。その言葉で、やっと礼を言いに来たのだと気づく。
「気にする必要はありません。副隊長として当然のことをしたまでです」
 口ではそう答えながらも、真正面から感謝を伝えられる彼の素直さを好ましく思った。
「それでも……戦闘中に助けていただいたのも、帰路で体調不良に気づいてくださったのも、東雲副隊長でした。だから……本当にありがとうございました。次はもっと訓練して、隊の足を引っ張らないよう努力します」
 静かな声に滲む熱は、茶の湯気よりもはっきりと伝わってきた。

 茶の湯気が、ふわりと二人のあいだを流れていく。天城は湯気の向こうから、ためらいがちに口を開いた。
「失礼ですが、副隊長はおいくつなんですか」
「二十五歳です」
「えっ……二十五、ですか?」
 思いがけない反応に、僕は首を傾げる。
「はい、そうですが……何か問題でも?」
「いえ、その……あまりにも落ち着いているので。もっと上かと」
「老けていると思いましたか?」
「い、いえ! 決して悪い意味ではなくて……!」
 慌てて両手を振る様子が、年相応で少しおかしい。思わず口元が緩む。
「口調もすごく落ち着いていて……あ、そういえば副隊長は任務の最中と普段とで、話し方が違いますね」
「確かにそうですね。任務中はどうしても指示をはっきり出す必要がありますから。おかしいでしょうか」
「いえ、すごく……かっこいいです」
 不意に向けられた言葉に、返す声がわずかに掠れた。湯気の熱のせいか、頬が少し火照る。
「そ、そうでしょうか……」
 天城は視線を伏せたまま、茶器を指先でなぞる。沈黙が落ち、部屋の外で風が鳴った。
 やがて、彼が息を整えるように小さく囁いた。
「……あの、副隊長は、年下の男って……どう思いますか」
「年下の……? 特に何も。仲間の年齢は気にしていません」
「そ、そういう意味じゃなくて……年下の男に、魅力を感じますか」
 問いの響きが、やけに真っ直ぐだった。意味を測りかねて、僕は言葉を失う。
 天城は顔を上げないまま、茶の湯気に隠れるように小さく笑った。その笑みは照れとも焦りともつかず、けれど確かに熱を帯びていた。

 返す言葉を探していると、扉を叩く音がした。
「千景、私だ」
 低く穏やかな声。ヴァレリウス隊長だ。
 扉を開けると、いつものようにためらいもなく距離を詰めてきて、肩や髪に指先が触れる。
「今回もご苦労だったな。長時間の馬移動は久しぶりだろう、身体は疲れていないか」
「……お気遣いなく」
 視界の端に、椅子に座る天城の姿が映る。その存在を意識し、腰に伸びてきた隊長の手をそっと避けた。
「今回の報告書だが、途中までで構わない。私が提出しよう」
「ですが――」
 言いかけた言葉を、やわらかな笑みが遮る。
「今回の報告書は新人に任せてみようと思う。君もその分少し休め――千景、隈が酷いな」
 頬をなぞる指先に、一瞬、熱が集まる。
「……ヴァレリウス隊長、それなら俺が」
 背後から声がして、天城が立ち上がる。
 その瞬間、隊長の視線が初めて彼をとらえ、わずかに細められた。僕と天城を一度見比べ、それから探るように口を開く。
「……天城か。なぜ副隊長の部屋に?」
「それは……」
「任務についての指導をしていました。こちらは報告書の下書きです」
 なぜか隊長には知られたくなくて、とっさに嘘をついた。
「指導、か……今日はもう遅いので二人とも早く休むように。天城、今回は別の新人に任せるが、次は頼む」
 報告書を受け取り、視線を一度だけ僕に戻し、隊長は去っていった。

 静けさが戻ると、天城は小さく息をつき、茶を飲み干した。
「……すみません、さきほどは出しゃばってしまって」
「気にすることはないです」
 首を振ると、彼は少し間を置き、探るように視線を向けてきた。
「東雲副隊長は……ヴァレリウス隊長と仲がいいんですか?」
 思わぬ問いに、言葉が止まる。
「……仲が悪いということはないと思います。一緒に任務をするようになって、もう五年になるので」
「隊長は、副隊長のことを“千景”って呼び捨てにしてましたし、副隊長もこの前“リュカ隊長”と呼んでいました」
「長い付き合いなので。特に呼び方に深い意味はないです。それに、任務中はちゃんと“ヴァレリウス隊長”と呼んでいます」
「でも、隊長は任務中でも"千景"と呼んでいましたよ」
 否定しかけて、口をつぐむ。確かに、そういうこともあった。
 天城はさらに一歩、間合いを詰める。
「……特に深い意味はないのなら、俺も呼んでいいですか。“千景さん”って」
 心臓がひとつ、大きく跳ねる。
「……任務中以外なら、好きに呼んでもらって構いません」
 許可を出すと、彼は間髪入れずに重ねてきた。
「じゃあ、俺のこともファーストネームで呼んでください」
「……わかりました。任務以外では“レオニス君”と呼びましょう」
 彼の表情がわずかに不満を帯びる。
「レオニス君……じゃ、まだちょっと距離があります。“レオ”って呼んでください」
 その声は、頼みというより要求に近かった。
「……こだわるんですね」
「はい。大事なんです」
 真っ直ぐな視線が、目を逸らす隙を与えてくれない。
「……わかりました。任務以外では“レオ”と呼びます」
 返した途端、彼の口元が緩み、光が差したように明るくなる。
「ありがとうございます! 約束ですからね! それでは、俺もそろそろ失礼します。今日は、本当にお世話になりました。お茶もご馳走様でした」
 深く会釈し、レオが背を向ける。

 扉が閉まると、部屋の隅で影が揺れ、赤紫の瞳を持つ彼が姿を現す。
「……”レオ”か、やはりずいぶんとお前に懐いているな」
「新人が上官と早く馴染もうとするのは、珍しいことではありません」
 彼はそれ以上何も言わず、ただこちらをじっと見ていた。

***
【作者コメント】
 次話では、屈託のない笑顔に凍てついた心が少しずつ解けていき、
 それが何かは知らぬまま、千景は静かに決意を固めます。
***
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イバラの鎖

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
たまにはシリアスでドロついた物語を❣️ 辺境伯の後継であるシモンと、再婚で義兄弟になった可愛い弟のアンドレの絡みついた運命の鎖の物語。 逞しさを尊重される辺境の地で、成長するに従って貴公子と特別視される美少年に成長したアンドレは、敬愛する兄が王都に行ってしまってから寂しさと疎外感を感じていた。たまに帰って来る兄上は、以前のように時間をとって話もしてくれない。 変わってしまった兄上の真意を盗み聞きしてしまったアンドレは絶望と悲嘆を味わってしまう。 一方美しいアンドレは、その成長で周囲の人間を惹きつけて離さない。 その欲望の渦巻く思惑に引き込まれてしまう美しいアンドレは、辺境を離れて兄シモンと王都で再会する。意図して離れていた兄シモンがアンドレの痴態を知った時、二人の関係は複雑に絡まったまま走り出してしまう。 二人が紡ぐのは禁断の愛なのか、欲望の果てなのか。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

数百年ぶりに目覚めた魔術師は年下ワンコ騎士の愛から逃れられない

桃瀬さら
BL
誰かに呼ばれた気がしたーー  数百年ぶりに目覚めた魔法使いイシス。 目の前にいたのは、涙で顔を濡らす美しすぎる年下騎士シリウス。 彼は何年も前からイシスを探していたらしい。 魔法が廃れた時代、居場所を失ったイシスにシリウスは一緒に暮らそうと持ちかけるが……。 迷惑をかけたくないイシスと離したくないシリウスの攻防戦。 年上魔術師×年下騎士

ずっと好きだった幼馴染の結婚式に出席する話

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

カルピスサワー

ふうか
BL
 ──三年前の今日、俺はここで告白された。 イケメン部下✕おじさん上司。年の差20歳。 臆病なおじさんと、片想い部下による、甘い夏の恋です。

冷徹勇猛な竜将アルファは純粋無垢な王子オメガに甘えたいのだ! ~だけど殿下は僕に、癒ししか求めてくれないのかな……~

大波小波
BL
 フェリックス・エディン・ラヴィゲールは、ネイトステフ王国の第三王子だ。  端正だが、どこか猛禽類の鋭さを思わせる面立ち。  鋭い長剣を振るう、引き締まった体。  第二性がアルファだからというだけではない、自らを鍛え抜いた武人だった。  彼は『竜将』と呼ばれる称号と共に、内戦に苦しむ隣国へと派遣されていた。  軍閥のクーデターにより内戦の起きた、テミスアーリン王国。  そこでは、国王の第二夫人が亡命の準備を急いでいた。  王は戦闘で命を落とし、彼の正妻である王妃は早々と我が子を連れて逃げている。  仮王として指揮をとる第二夫人の長男は、近隣諸国へ支援を求めて欲しいと、彼女に亡命を勧めた。  仮王の弟である、アルネ・エドゥアルド・クラルは、兄の力になれない歯がゆさを感じていた。  瑞々しい、均整の取れた体。  絹のような栗色の髪に、白い肌。  美しい面立ちだが、茶目っ気も覗くつぶらな瞳。  第二性はオメガだが、彼は利発で優しい少年だった。  そんなアルネは兄から聞いた、隣国の支援部隊を指揮する『竜将』の名を呟く。 「フェリックス・エディン・ラヴィゲール殿下……」  不思議と、勇気が湧いてくる。 「長い、お名前。まるで、呪文みたい」  その名が、恋の呪文となる日が近いことを、アルネはまだ知らなかった。

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

処理中です...