僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

14. 触れてはならない熱

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 夏の盛り。作戦室へと続く石造りの廊下には、熱がまだこもっていた。 肌にじんわりと汗がにじみ、制服の襟元が肌に張り付く。

「報告書の記録が曖昧すぎます。特に、先日の暴走地点。氷の痕跡が明らかに残っていたのに、備考欄は空白のまま。……氷属性に詳しい者を優先して派遣すべきです」
 声は低く抑えたが、熱が滲んでいた。手にした資料を強く握り込む。

「君は――」
 リュカ隊長の返答は落ち着き払っていた。
「冷静に観察している。それは評価しているよ。ただ、すべての提案を取り入れれば、現場は混乱する。優先順位をつけねばならない。氷の痕跡も、確かに無視はできないが……その他にも着目すべき点はある」
 正論に聞こえるが、どこか腑に落ちない。
 苛立ちが胸に渦を巻き、僕は視線を逸らさず、言葉を強めた。
「……私の意見は、取るに足らないということですか」
 反抗的に響くとわかっていても、言葉がこぼれた。
 空気が張りつめ、廊下に沈黙が落ちる。

 彼は怒りを見せなかった。ただ、少しだけ首を傾げる。
「――最近、少し距離を感じる。私に対して」
 唐突に、職務上の議論が個人的な領域にすり替えられる。
 首筋に冷たい汗が滲んだ。
「そんなこと……ありません」
 かろうじて声を絞り出すが説得力はなく、自分でも虚しいと思った。
 リュカ隊長は一歩近づいた。
「君のように痛みに触れられる者を、私は他に知らない。だからこそ……君が壊れてしまわぬよう、時に距離を置かざるをえない。――その苦しさを、わかってほしい」

 もっともらしい理由。否定でありながら、そこに“君を思っている”という色をまとわせる。
 甘い響きが脳を痺れさせてしまったかのようで、言葉に詰まった。
 彼の指先が頬に触れ、そこから熱が流れ込む。耳をかすめる声が吐息と混ざり、境界を曖昧にしていく。

「各地で君が魔力の中和を行っているのも知っている。……その度に体調を崩していることも。わかってほしい。千景が大切なんだ」
 呼吸が重なった。
 慰めのはずの言葉が、熱と疼きに変わり、内側を揺さぶる。
 彼の指が顎をとらえ、僅かに上を向かされた。
「何をーー」
 熱のこもった息が頬をかすめ、呼吸が重なりそうになった、そのとき――

「千景さん!」
 勢いよく呼びかけられて心臓が跳ね、あわてて顔をそむけた。
 流れに身を任せかけた己を恥じると同時に、職務上の議論を軽く扱われたような気がして隊長への苛立ちが胸を焼いた。
 僕の名前を呼んだのは、レオだった。
「隊長! 千景さん! ……緊急の報告です!」
 振り向いた先に立つレオは、肩で息をつきながら報告書を握りしめていた。
「王都近郊で、魔力暴走が確認されました!」

 廊下の空気が凍りついた。辺境に限られていたはずの異常が、ついに王都の目前に迫ったのだ。
 僕が言葉を探すよりも早く、リュカ隊長が小さく息をつき口を開いた。
「……そうか。ついに、ここまで来たか」
 彼はすぐに僕へと向き直り、低い声で告げる。
「千景。すぐに現場へ向かう。――君も来てほしい」
 肩に触れられる。
 彼は、言葉が出ない僕をそのまま導くように歩を進めた。

「俺も行きます!」
 背後から、レオの声が響く。だが隊長は振り返らず、淡々と告げた。
「今回は、私と千景だけで行く」
 短く言い切る声に、否応なく従うしかない圧があった。
 僕は引かれるままに歩きながら、視線を落とす。今はリュカ隊長の顔を見たくなかった。

 しばらくは宿舎の廊下の石畳を踏みしめる足音だけが並ぶ。
 その途中、不意に隊長が身を傾け、耳元に囁いた。
「……天城とは、いつから“千景さん”と呼ばれるほど打ち解けたんだ?」
 吐息が触れ、耳の奥で震えが走った。
「――少し嫉妬してしまいそうだ」
 笑みを含ませた声音に、血の気が一気に頬へ上がった。咄嗟に首を振り、視線を逸らす。
「……親しいわけでは、ありません」
 否定の声は、意図せず熱を帯びて震えた。
 隊長はそれを逃さず、口元にさらに深い笑みを刻んだ。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、任務の疲労で限界を迎えた千景を、闇の中から現れた“彼”が抱きとめます。
***
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