僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

15. 滲みゆく境界

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 現場に到着した頃には、すでに日は落ちていた。
 暴走の残滓はなお地表を漂い、焦げたような魔力の匂いが鼻を刺す。
 隊員たちは交代で結界を維持し、僕は指揮を執りながら応急の中和を施していた。
 魔力中和とは、周囲の属性を一度自分の内へ取り込み、乱れを整えて再び外へ戻す術だ。偏った属性を均し、魔力暴走を防ぐ。けれど、そのぶん自分が少しずつ削られていく――そんな術だった。
 何度も詠唱を繰り返し、魔力の制御に細心の注意を払う。ほんのわずかな感情の揺れでも、崩壊しかねないほどの不安定な現場だった。

 焦燥も疲労も、ただ任務の外に押しやった。脳裏に残るリュカ隊長の言葉の余韻さえ、今はただの雑音に変わっていく。
 氷の痕跡――。
 それだけを頼りに、僕は無心で魔力を流し続けた。

 やっとの思いで沈静化が完了したとき、視界が揺れた。体温は奪われ、喉の奥がひりつく。発熱の兆候だ。
 誰にも悟られてはならない――。
 それだけを支えに、冷え切った身体を引きずって報告を済ませた。

 一人きりになれそうな幕の隅に身を横たえると、全身の緊張が一気にほどけていく。
 ――もう少しだけ休んでから任務に戻ろう。
 そう自分に言い聞かせ、瞼を閉じかけたそのとき、暗がりの奥から、気配が寄せてきた。
 影が揺らぎ、静かな腕が僕を抱きとめる。

「また無理をしている」
 耳に落ちた声は、焔を溶かしたように温かく柔らかかった。
 肩に触れる掌が、熱に苛まれる身体を内側から癒すようにじんわりと広がっていく。
 奪われる痛みがない。魔力が混ざり合いながら循環していく。ここが、一方的に魔力が削られる魔力中和と違う。
 属性の偏りを整えることには変わらないのに、混ざり合った魔力はまた互いの身体に還っていく。

「……放っておいてもよかったんですよ」
「できない。お前は、いつも誰にも頼らない」
「薬草茶を飲めば、なんとかなります」
「あんな苦い茶をまだ飲んでいるのか。あれよりは、私のほうがましだろう」
「……慣れると、美味しいものですよ」
「正気の沙汰ではない」
 思わず口元がゆるみ、小さな笑いが零れた。だが、その先の言葉を紡ぐ力はもう残っていなかった。

 会話は途切れたが、彼が気にする素振りはない。
 力が入らない僕の身体をさらに抱き寄せ、うなじに触れてそのまま深く魔力を流し込んでくる。
 静かな流れはやがて脈動に変わり、身体の奥で疼いていた痛みを少しずつ和らげていった。
 魔力が馴染んでいく。重なる体温に安堵が広がり、息がこぼれた。

 魔力が体内で混ざり合うたび、奥底に甘い疼きが生まれ、意識をかすめていく。
「苦しいときは、隠さなくていい。……ここでは、誰も見ていない」
 その囁きに、抑えていた感情が解かれていく。思わず瞼を閉じ、額を広い胸にあずけた。

 ――どうして。
 あの人に触れられた時はいつも羞恥と抵抗が強いのに、この存在に触れられるとなぜこんなにも安らぐのか。

 呼吸がかさなり、耳元に低い囁きが落ちる。
「……ヴァレリウスには、近づくな」
 短く、抑揚を欠いた声音。
 なのに、そこには何か、大切な意味が隠されているように思えた。

 瞼が重く落ちていく。
 ――貴方は、いったい何者なのだろう。
 精霊にしてはあまりに人めいて、名すら持たぬのかと問いたくなる。
 けれど、熱に沈む身体はもう限界で、言葉は喉に届かぬまま意識が遠のいていった。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、レオの視点で物語が進みます。
 千景が、リュカや名もなき影へと向けるささやかな表情や仕草が、
 彼の心に、わずかな影を落としていきます。
***
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