僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

18. 光に焦がれて

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 医務室を出てからの数日、僕は任務に戻ることもなく、静養を命じられていた。
 傷は思ったよりも深く、数針縫われていたが、回復の兆しは早かった。歩くたびにまだ鈍い痛みが走るものの、日常の動作に支障はない。
 肩の傷以上に、唇に残った感覚の方がよほど始末に困っていた。あの白布の天蓋の下で、リュカ隊長に――思い出すたびに、息が詰まる。
 身体は癒えていくのに、あの夜の記憶だけが、いつまでも熱を帯びたままだった。

 広場の訓練場では、兵士たちが模擬戦を繰り広げていた。僕は壁際でその様子を見守りながら、手にした記録板へと視線を落とした。
 そのとき、不意にどさりと音が響き、若い声が慌てて響いた。
「す、すみません!」
 転倒したのはレオだった。陽の光を受けた金髪が、一瞬だけ土の上できらめいた。
 相手に押されて体勢を崩し、尻もちをついた彼は、即座に起き上がり、相手に頭を下げている。

「俺の足運びが悪かったです。もう一度お願いします!」
 仕切っていた先輩隊員が声を張った。
「おい、天城。今のはお前のせいじゃない。相手の踏み込みが速すぎただけだ」
「いえ、俺がもっと上手く受け止めていれば倒れませんでした。……次はちゃんとやれます!」
 額に汗を浮かべながら、泥のついた手を拭いもせず、ひたむきに立ち上がろうとする。
 周囲の兵士たちから小さな笑いが漏れた。けれど彼は怯むどころか、笑って頭を下げ、次の瞬間にはもう立ち直っている。
 彼のそういう無邪気さに、周囲の隊員もつられて笑みを返していた。

 ――その姿が、眩しく映った。
 僕にとって“間違い”とは、居場所を失うことそのものだった。
 完璧でなければ、認めてもらえない。役に立たなければ、必要としてもらえない。
 一度でも道を踏み外せば、地面が抜け落ちるように孤独へ突き落とされると、そう思い込んでいた。
 だから、失敗はただの失敗ではなく、足場を奪う恐怖そのものだった。
 だが彼は違う。間違えても素直に謝り、また立ち上がる。その軽やかさが羨ましくて、少し悲しかった。

 模擬戦が終わると、仲間たちがレオに声をかける。
「今のよかったぞ!」
「成長したな、天城」

 ひとしきり会話が終わると、レオがまっすぐこちらへ走ってきた。
「千景さん! 大丈夫ですか、まだ傷が痛むんじゃ……」
 息を弾ませながら心配そうに覗き込む。
「もうだいぶ良くなりましたから、大丈夫ですよ」
「でも、俺のせいで怪我したんですから……少しでも近くにいたくて」
 不意に言葉を止め、彼は顔を赤くして視線を逸らす。
「すみません、変なこと言いました」
「レオ?」
 急に黙り込んでしまったレオを、今度は僕が覗き込む。

 そのとき、訓練場の端から声が飛んだ。
「おい、レオ! これから皆で飲みに行くぞ!」
 レオは返事をしかけて、ふと口を閉ざす。ちらりと僕の顔を見て、困ったように眉を寄せた。
 普段なら二つ返事で駆け出していくはずの彼が、言葉をのみ込んでいる。
「千景さんも、一緒にどうですか。……もしよければ」
「えっ、いや、私は遠慮しておきます。私がいれば皆も楽しめないでしょう」
「そんなことありません! みんな、千景さんと一緒に行けたら喜びます。俺だって……千景さんが来てくれたら、すごく嬉しいです」
 真っ直ぐに告げられ、呼吸がわずかに乱れた。
 その素直さが眩しくて――けれど、手を伸ばすのが怖い。

「あっ、でも……千景さん、まだ怪我も治りきってないですし……無理にとはいいません。また今度でも」
「……そうですね。なので、君だけでも行ってきてください」
 苦笑を添えて促すと、レオははっとしたように目を見開く。
「えっ……? 千景さんが行かないのなら、俺も行きません」
「そんな……他の隊員と親交を深めるいい機会でしょう?」
「でも……千景さんがいないなら、俺、行っても楽しくないです」
 言葉を絞り出すように告げ、視線を落とした彼の拳が、わずかに震えていた。
「みんなと飲むより、千景さんと話していたいです」
 一瞬、時間が止まったようだった。
「え……?」
 レオははっと顔を上げ、耳まで赤くして慌てて言葉を濁した。
「い、いえ、その……千景さんと一緒だと、安心するというか……」
 言いながら自分でも照れたのか、頬をかき、視線を泳がせる。

 ……どうして、そこまで僕にこだわるのか。
 問いかける代わりに、小さく息を吐いた。
「……わかりました。それでは私も少しだけ顔を出します」
「本当ですか!」
 そういってレオは子どものように顔を輝かせた。
 遠いと思っていた光景が琥珀の瞳を透かして、少しだけ自分にも見えた気がした。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、酔いとともに、千景の心にも小さな灯がともる夜が訪れます。
***
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