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本編
22. 甘い鎖
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「千景」
振り返れば、リュカ隊長が歩み寄ってくる。
その姿を見たレオは、一瞬だけ僕の前に出るように立ち、琥珀色の瞳を細めた。
「……隊長、おはようございます」
レオのあいさつに一瞥をくれて、リュカ隊長は淡々と告げた。
「天城か、おはよう。千景、復帰が正式に決まった。次の任務から君も同行してくれ」
「……承知しました」
努めて淡々と返したが、沈黙が重くのしかかる。
レオはまだ僕の前から退こうとせず、隊長もまた視線を外さない。
気まずさに耐えきれず、思わず口を開いた。
「……あの、まだ……何かご用でしょうか」
自分でも驚くほど硬い声だった。
早くこの場を終わらせたい。それだけの意図だったのに、言葉が落ちた瞬間、空気がさらに張り詰めるのを感じた。
「いや……少し、話したいことがあったんだ」
彼は視線を落とし、低く囁いた。
「――あの夜のこと、このまま話しても私は構わないが……」
隊長の目が、わざとらしくレオへと流れる。
その視線の意味を察した瞬間、背筋が凍った。――まさか、この場であの夜のことを話すつもりか。
「……天城。君は先に行ってくれ」
思わず強い口調になっていた。レオが驚いたように目を見開き、すぐに険しい色を帯びる。
「でも……」
「いいから」
遮るように言葉を重ねる。喉が乾き、声が掠れた。
「これは……隊長と私の話だ」
自分でも驚くほど切羽詰まった声だった。
レオは口を開きかけたが、やがて木剣を握り直し、唇を噛んで下がる。
「……わかりました。失礼します」
足音を響かせて去っていくレオの背を見送り、再び廊下に静けさが戻った。
静寂を破るように、リュカ隊長が低く笑う。
「……君は相変わらずだな。必死に冷静を装っている」
薄い笑みを浮かべたまま、ゆるやかに歩み寄ってくる。
逃げ場を塞がれるような気配に、思わず背筋が硬直した。
「覚えていないふりをするつもりか?」
彼の声は、耳にまとわりつくように湿り気を帯びていた。
思い出すまいと封じていた熱が、脈と一緒にこみ上げる。
「それとも、覚えているが口にできないのか」
「……任務に関係のない話は控えてください」
努めて平静を装い、視線を逸らす。だが言葉は乾ききり、思うように響かない。
「任務、か。君らしい言い訳だ」
彼は小さく息を吐き、わざと間を置いてから囁いた。
「無理に迫ったように思っているのかもしれないが……違う。私はただ、君を癒したかった」
「……癒し?」
思わず反射で問い返してしまう。
「そうだ。君は酷く疲れていて、傷ついていた。そして私は……千景という一人の人間に惹かれていたから、あんな真似をした」
「……そんな、はずは……」
声は掠れ、否定の言葉は最後まで形にならなかった。
「君はあの夜、自分の弱さを見せた。泣きもしない、怒りもしない君が、あのときだけは……私を求めた」
「違います!」
「違う? なら、なぜ目を閉じた。なぜ逃げなかった」
「っ……!」
「君は、あの夜を“間違い”だと思いたいだけだ。だが、あれは君自身の選択だった。私に惹かれたからこそ、拒めなかった。違うか?」
喉の奥に言葉が貼りつき、息が乱れる。蒸し返されたくない記憶が胸裏に滲み、声を奪った。
「君の頬に触れたときの熱、まだ覚えている。あれほど素直な顔を見たのは初めてだった」
「っ……!」
言葉を失い、視線を逸らす。頬の内側が勝手に熱を帯びるのを自覚した。
――そのとき、足音が割り込んだ。
「リュカさん、探しましたよ」
現れたのは部下のクロウリーだった。
彼は僕には目もくれず、当然のようにリュカ隊長の隣に立つ。
「こちらにいらしたんですね。昨日の夜も、遅くまで……本当にありがとうございました。あれほど丁寧に見ていただけるなんて、光栄です」
妙に含みのある言い方をし、わざと僕の方に視線を流す。すぐにまた隊長へと視線を戻し、肩を寄せて笑みを浮かべた。
隊長は否も肯もせず、わずかに口角を上げただけ。
その光景が胸をざらつかせ、喉の奥に苦いものが込み上げた。
堪えきれず、舌打ちが漏れた。
「……私は邪魔のようなので。失礼します」
吐き捨てるように短く言い残し、踵を返す。
普段の自分なら絶対に許さない不躾な態度。けれど、止められなかった。
踵を返した瞬間、背中に熱が走る。
怒りか、羞恥か、自分でもわからなかった。
ただ、これ以上ここにいたら、理性を保てない気がした。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、千景に託されたひとつの願いが、ささくれ立った心を静かに癒していきます。
***
振り返れば、リュカ隊長が歩み寄ってくる。
その姿を見たレオは、一瞬だけ僕の前に出るように立ち、琥珀色の瞳を細めた。
「……隊長、おはようございます」
レオのあいさつに一瞥をくれて、リュカ隊長は淡々と告げた。
「天城か、おはよう。千景、復帰が正式に決まった。次の任務から君も同行してくれ」
「……承知しました」
努めて淡々と返したが、沈黙が重くのしかかる。
レオはまだ僕の前から退こうとせず、隊長もまた視線を外さない。
気まずさに耐えきれず、思わず口を開いた。
「……あの、まだ……何かご用でしょうか」
自分でも驚くほど硬い声だった。
早くこの場を終わらせたい。それだけの意図だったのに、言葉が落ちた瞬間、空気がさらに張り詰めるのを感じた。
「いや……少し、話したいことがあったんだ」
彼は視線を落とし、低く囁いた。
「――あの夜のこと、このまま話しても私は構わないが……」
隊長の目が、わざとらしくレオへと流れる。
その視線の意味を察した瞬間、背筋が凍った。――まさか、この場であの夜のことを話すつもりか。
「……天城。君は先に行ってくれ」
思わず強い口調になっていた。レオが驚いたように目を見開き、すぐに険しい色を帯びる。
「でも……」
「いいから」
遮るように言葉を重ねる。喉が乾き、声が掠れた。
「これは……隊長と私の話だ」
自分でも驚くほど切羽詰まった声だった。
レオは口を開きかけたが、やがて木剣を握り直し、唇を噛んで下がる。
「……わかりました。失礼します」
足音を響かせて去っていくレオの背を見送り、再び廊下に静けさが戻った。
静寂を破るように、リュカ隊長が低く笑う。
「……君は相変わらずだな。必死に冷静を装っている」
薄い笑みを浮かべたまま、ゆるやかに歩み寄ってくる。
逃げ場を塞がれるような気配に、思わず背筋が硬直した。
「覚えていないふりをするつもりか?」
彼の声は、耳にまとわりつくように湿り気を帯びていた。
思い出すまいと封じていた熱が、脈と一緒にこみ上げる。
「それとも、覚えているが口にできないのか」
「……任務に関係のない話は控えてください」
努めて平静を装い、視線を逸らす。だが言葉は乾ききり、思うように響かない。
「任務、か。君らしい言い訳だ」
彼は小さく息を吐き、わざと間を置いてから囁いた。
「無理に迫ったように思っているのかもしれないが……違う。私はただ、君を癒したかった」
「……癒し?」
思わず反射で問い返してしまう。
「そうだ。君は酷く疲れていて、傷ついていた。そして私は……千景という一人の人間に惹かれていたから、あんな真似をした」
「……そんな、はずは……」
声は掠れ、否定の言葉は最後まで形にならなかった。
「君はあの夜、自分の弱さを見せた。泣きもしない、怒りもしない君が、あのときだけは……私を求めた」
「違います!」
「違う? なら、なぜ目を閉じた。なぜ逃げなかった」
「っ……!」
「君は、あの夜を“間違い”だと思いたいだけだ。だが、あれは君自身の選択だった。私に惹かれたからこそ、拒めなかった。違うか?」
喉の奥に言葉が貼りつき、息が乱れる。蒸し返されたくない記憶が胸裏に滲み、声を奪った。
「君の頬に触れたときの熱、まだ覚えている。あれほど素直な顔を見たのは初めてだった」
「っ……!」
言葉を失い、視線を逸らす。頬の内側が勝手に熱を帯びるのを自覚した。
――そのとき、足音が割り込んだ。
「リュカさん、探しましたよ」
現れたのは部下のクロウリーだった。
彼は僕には目もくれず、当然のようにリュカ隊長の隣に立つ。
「こちらにいらしたんですね。昨日の夜も、遅くまで……本当にありがとうございました。あれほど丁寧に見ていただけるなんて、光栄です」
妙に含みのある言い方をし、わざと僕の方に視線を流す。すぐにまた隊長へと視線を戻し、肩を寄せて笑みを浮かべた。
隊長は否も肯もせず、わずかに口角を上げただけ。
その光景が胸をざらつかせ、喉の奥に苦いものが込み上げた。
堪えきれず、舌打ちが漏れた。
「……私は邪魔のようなので。失礼します」
吐き捨てるように短く言い残し、踵を返す。
普段の自分なら絶対に許さない不躾な態度。けれど、止められなかった。
踵を返した瞬間、背中に熱が走る。
怒りか、羞恥か、自分でもわからなかった。
ただ、これ以上ここにいたら、理性を保てない気がした。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、千景に託されたひとつの願いが、ささくれ立った心を静かに癒していきます。
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