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本編
40. 選んだ孤独
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鏡の中に映った自分を見た瞬間、吐き気が込み上げた。見慣れたはずの顔が、まるで他人のようだった。
首筋、鎖骨、肩口、制服の下に隠したはずの場所にまで、赤黒い痕が無数に散っている。
昨日つけられたものか、もっと前のものか、記憶は曖昧で、ただ身体が重い。
指でなぞると、皮膚の奥にかすかな熱が残っている。
唇の端は赤く腫れ、舌先にはまだあの独特の味が残っている。喉の奥に熱を押し込まれた感触が抜けず、呼吸のたびに疼きが蘇った。
鏡から目を逸らしても、その感覚は肌から剥がれず、まるで罪のようにこびりついている。
――魔王の核を匿っていることを、暴露できる。
そう囁かれるたび、選択肢など残されていないのだと思い知らされた。
命じられるままに身体を差し出し、触れたくもないのに、指を伸ばす。
拒めば、喉を塞がれ、呼吸すら許されない。
唇でなぞり、舌で仕えるたび、頭上から嗤うような吐息が降ってきた。
背後から指を深く差し込まれ、腹の奥のある一点を押し上げられた瞬間、腰が勝手に跳ねた。
何度も擦られると、身体は勝手に熱を帯び、声を殺しても喉が震えた。
嫌悪と屈辱に満ちた心をよそに、身体は裏切るように、震える快感を内側に刻んでいく。
今では、僅かな刺激にも痙攣するほど敏感に反応するようになってしまった。
――違う、こんなはずじゃない。
どんなに声を殺しても、背骨を駆け上がる熱は消えず、最後にはそれを受け入れてしまう自分自身が、何よりも許せなかった。
倉庫の陰に押し込まれ、その日も身体を弄ばれていた。
あえて人目につきかねない場所を選ぶのは、彼のやり方だった。僕が拒めば拒むほど、彼は悦んだ。
壁に片手をつかされ、後ろを嬲られていたときだった。
「……やめろ」
振り返れば、薄闇に溶け込むように蘇芳が立っていた。
瞳に赤紫の光が差し、怒りとも悲しみともつかぬ感情が、静かに揺れている。
「千景から離れろ」
低く、安心する声だった。けれど僕は、彼を見ないまま口を開いた。
「来ないで……! ここで貴方の存在まで知られたら……終わりだ。お願いです……放っておいて」
沈黙の後、空気の温度がわずかに変わった。
蘇芳の押し殺した息が、吐息のように宙に混じった。
「……そうか」
その一言だけを残して、彼の気配は煙のようにかき消えた。
残されたのは、僕の荒い呼吸と、リュカの冷ややかな笑みだけだった。
◇
そしてその時は、あまりにもあっけなく訪れた。
訓練場の裏手にある用具置き場。いつものように無理やり口づけられ、制服の奥に指を這わされていたそのとき、短い声が空気を裂いた。
「あっ……」
振り向いた先に、エルダーフレイムの若い隊員が立ちつくしていた。
見開かれた瞳が、僕とリュカを交互に見ている。数秒の静寂の後、足音が逃げるように遠ざかっていった。
背筋が氷で撫でられたように冷たくなり、全身が強ばる。
――終わった。そう直感した。
噂は、すぐに広まった。
「やっぱり身体を使って副隊長になったんだ」
「隊長との告発は痴話喧嘩だったんでしょ」
「用具置き場で抱き合ってたらしいよ」
断片的な声が、廊下から、食堂から、任務の現場からさえ、容赦なく押し寄せてくる。視線が刺さり、囁きが耳元にまとわりつく。
一度貼られた嘲笑の色は、どんなに声を上げても剥がれない。
否定すればするほど、それは彼らの“真実”に変わるだけだと、もうわかっていた。
――誰にも、救いは求められない。
蘇芳に“放っておいて”と言ったとき、いや、もしかするとそのずっと前から、この結末を、僕は選択してしまったのかもしれない。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、勇者誕生の宴を描きます。
遠ざかる光と、忍び寄る影。
その狭間で、千景は何を選ぶのでしょうか。
***
首筋、鎖骨、肩口、制服の下に隠したはずの場所にまで、赤黒い痕が無数に散っている。
昨日つけられたものか、もっと前のものか、記憶は曖昧で、ただ身体が重い。
指でなぞると、皮膚の奥にかすかな熱が残っている。
唇の端は赤く腫れ、舌先にはまだあの独特の味が残っている。喉の奥に熱を押し込まれた感触が抜けず、呼吸のたびに疼きが蘇った。
鏡から目を逸らしても、その感覚は肌から剥がれず、まるで罪のようにこびりついている。
――魔王の核を匿っていることを、暴露できる。
そう囁かれるたび、選択肢など残されていないのだと思い知らされた。
命じられるままに身体を差し出し、触れたくもないのに、指を伸ばす。
拒めば、喉を塞がれ、呼吸すら許されない。
唇でなぞり、舌で仕えるたび、頭上から嗤うような吐息が降ってきた。
背後から指を深く差し込まれ、腹の奥のある一点を押し上げられた瞬間、腰が勝手に跳ねた。
何度も擦られると、身体は勝手に熱を帯び、声を殺しても喉が震えた。
嫌悪と屈辱に満ちた心をよそに、身体は裏切るように、震える快感を内側に刻んでいく。
今では、僅かな刺激にも痙攣するほど敏感に反応するようになってしまった。
――違う、こんなはずじゃない。
どんなに声を殺しても、背骨を駆け上がる熱は消えず、最後にはそれを受け入れてしまう自分自身が、何よりも許せなかった。
倉庫の陰に押し込まれ、その日も身体を弄ばれていた。
あえて人目につきかねない場所を選ぶのは、彼のやり方だった。僕が拒めば拒むほど、彼は悦んだ。
壁に片手をつかされ、後ろを嬲られていたときだった。
「……やめろ」
振り返れば、薄闇に溶け込むように蘇芳が立っていた。
瞳に赤紫の光が差し、怒りとも悲しみともつかぬ感情が、静かに揺れている。
「千景から離れろ」
低く、安心する声だった。けれど僕は、彼を見ないまま口を開いた。
「来ないで……! ここで貴方の存在まで知られたら……終わりだ。お願いです……放っておいて」
沈黙の後、空気の温度がわずかに変わった。
蘇芳の押し殺した息が、吐息のように宙に混じった。
「……そうか」
その一言だけを残して、彼の気配は煙のようにかき消えた。
残されたのは、僕の荒い呼吸と、リュカの冷ややかな笑みだけだった。
◇
そしてその時は、あまりにもあっけなく訪れた。
訓練場の裏手にある用具置き場。いつものように無理やり口づけられ、制服の奥に指を這わされていたそのとき、短い声が空気を裂いた。
「あっ……」
振り向いた先に、エルダーフレイムの若い隊員が立ちつくしていた。
見開かれた瞳が、僕とリュカを交互に見ている。数秒の静寂の後、足音が逃げるように遠ざかっていった。
背筋が氷で撫でられたように冷たくなり、全身が強ばる。
――終わった。そう直感した。
噂は、すぐに広まった。
「やっぱり身体を使って副隊長になったんだ」
「隊長との告発は痴話喧嘩だったんでしょ」
「用具置き場で抱き合ってたらしいよ」
断片的な声が、廊下から、食堂から、任務の現場からさえ、容赦なく押し寄せてくる。視線が刺さり、囁きが耳元にまとわりつく。
一度貼られた嘲笑の色は、どんなに声を上げても剥がれない。
否定すればするほど、それは彼らの“真実”に変わるだけだと、もうわかっていた。
――誰にも、救いは求められない。
蘇芳に“放っておいて”と言ったとき、いや、もしかするとそのずっと前から、この結末を、僕は選択してしまったのかもしれない。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、勇者誕生の宴を描きます。
遠ざかる光と、忍び寄る影。
その狭間で、千景は何を選ぶのでしょうか。
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