僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

文字の大きさ
47 / 68
本編

40. 選んだ孤独

しおりを挟む
 鏡の中に映った自分を見た瞬間、吐き気が込み上げた。見慣れたはずの顔が、まるで他人のようだった。
 首筋、鎖骨、肩口、制服の下に隠したはずの場所にまで、赤黒い痕が無数に散っている。
 昨日つけられたものか、もっと前のものか、記憶は曖昧で、ただ身体が重い。
 指でなぞると、皮膚の奥にかすかな熱が残っている。
 唇の端は赤く腫れ、舌先にはまだあの独特の味が残っている。喉の奥に熱を押し込まれた感触が抜けず、呼吸のたびに疼きが蘇った。
 鏡から目を逸らしても、その感覚は肌から剥がれず、まるで罪のようにこびりついている。

 ――魔王の核を匿っていることを、暴露できる。
 そう囁かれるたび、選択肢など残されていないのだと思い知らされた。
 命じられるままに身体を差し出し、触れたくもないのに、指を伸ばす。
 拒めば、喉を塞がれ、呼吸すら許されない。
 唇でなぞり、舌で仕えるたび、頭上から嗤うような吐息が降ってきた。

 背後から指を深く差し込まれ、腹の奥のある一点を押し上げられた瞬間、腰が勝手に跳ねた。
 何度も擦られると、身体は勝手に熱を帯び、声を殺しても喉が震えた。
 嫌悪と屈辱に満ちた心をよそに、身体は裏切るように、震える快感を内側に刻んでいく。
 今では、僅かな刺激にも痙攣するほど敏感に反応するようになってしまった。
 ――違う、こんなはずじゃない。
 どんなに声を殺しても、背骨を駆け上がる熱は消えず、最後にはそれを受け入れてしまう自分自身が、何よりも許せなかった。

 倉庫の陰に押し込まれ、その日も身体を弄ばれていた。
 あえて人目につきかねない場所を選ぶのは、彼のやり方だった。僕が拒めば拒むほど、彼は悦んだ。
 壁に片手をつかされ、後ろを嬲られていたときだった。
「……やめろ」
 振り返れば、薄闇に溶け込むように蘇芳が立っていた。
 瞳に赤紫の光が差し、怒りとも悲しみともつかぬ感情が、静かに揺れている。
「千景から離れろ」
 低く、安心する声だった。けれど僕は、彼を見ないまま口を開いた。
「来ないで……! ここで貴方の存在まで知られたら……終わりだ。お願いです……放っておいて」
 沈黙の後、空気の温度がわずかに変わった。
 蘇芳の押し殺した息が、吐息のように宙に混じった。
「……そうか」
 その一言だけを残して、彼の気配は煙のようにかき消えた。
 残されたのは、僕の荒い呼吸と、リュカの冷ややかな笑みだけだった。

 ◇

 そしてその時は、あまりにもあっけなく訪れた。
 訓練場の裏手にある用具置き場。いつものように無理やり口づけられ、制服の奥に指を這わされていたそのとき、短い声が空気を裂いた。
「あっ……」
 振り向いた先に、エルダーフレイムの若い隊員が立ちつくしていた。
 見開かれた瞳が、僕とリュカを交互に見ている。数秒の静寂の後、足音が逃げるように遠ざかっていった。
 背筋が氷で撫でられたように冷たくなり、全身が強ばる。
 ――終わった。そう直感した。

 噂は、すぐに広まった。
「やっぱり身体を使って副隊長になったんだ」
「隊長との告発は痴話喧嘩だったんでしょ」
「用具置き場で抱き合ってたらしいよ」
 断片的な声が、廊下から、食堂から、任務の現場からさえ、容赦なく押し寄せてくる。視線が刺さり、囁きが耳元にまとわりつく。
 一度貼られた嘲笑の色は、どんなに声を上げても剥がれない。
 否定すればするほど、それは彼らの“真実”に変わるだけだと、もうわかっていた。

 ――誰にも、救いは求められない。
 蘇芳に“放っておいて”と言ったとき、いや、もしかするとそのずっと前から、この結末を、僕は選択してしまったのかもしれない。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、勇者誕生の宴を描きます。
 遠ざかる光と、忍び寄る影。
 その狭間で、千景は何を選ぶのでしょうか。
***
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イバラの鎖

コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
たまにはシリアスでドロついた物語を❣️ 辺境伯の後継であるシモンと、再婚で義兄弟になった可愛い弟のアンドレの絡みついた運命の鎖の物語。 逞しさを尊重される辺境の地で、成長するに従って貴公子と特別視される美少年に成長したアンドレは、敬愛する兄が王都に行ってしまってから寂しさと疎外感を感じていた。たまに帰って来る兄上は、以前のように時間をとって話もしてくれない。 変わってしまった兄上の真意を盗み聞きしてしまったアンドレは絶望と悲嘆を味わってしまう。 一方美しいアンドレは、その成長で周囲の人間を惹きつけて離さない。 その欲望の渦巻く思惑に引き込まれてしまう美しいアンドレは、辺境を離れて兄シモンと王都で再会する。意図して離れていた兄シモンがアンドレの痴態を知った時、二人の関係は複雑に絡まったまま走り出してしまう。 二人が紡ぐのは禁断の愛なのか、欲望の果てなのか。

死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!

時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」 すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。 王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。 発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。 国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。 後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。 ――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか? 容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。 怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手? 今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。 急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…? 過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。 ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!? 負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。 ------------------------------------------------------------------- 主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

数百年ぶりに目覚めた魔術師は年下ワンコ騎士の愛から逃れられない

桃瀬さら
BL
誰かに呼ばれた気がしたーー  数百年ぶりに目覚めた魔法使いイシス。 目の前にいたのは、涙で顔を濡らす美しすぎる年下騎士シリウス。 彼は何年も前からイシスを探していたらしい。 魔法が廃れた時代、居場所を失ったイシスにシリウスは一緒に暮らそうと持ちかけるが……。 迷惑をかけたくないイシスと離したくないシリウスの攻防戦。 年上魔術師×年下騎士

ずっと好きだった幼馴染の結婚式に出席する話

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

カルピスサワー

ふうか
BL
 ──三年前の今日、俺はここで告白された。 イケメン部下✕おじさん上司。年の差20歳。 臆病なおじさんと、片想い部下による、甘い夏の恋です。

冷徹勇猛な竜将アルファは純粋無垢な王子オメガに甘えたいのだ! ~だけど殿下は僕に、癒ししか求めてくれないのかな……~

大波小波
BL
 フェリックス・エディン・ラヴィゲールは、ネイトステフ王国の第三王子だ。  端正だが、どこか猛禽類の鋭さを思わせる面立ち。  鋭い長剣を振るう、引き締まった体。  第二性がアルファだからというだけではない、自らを鍛え抜いた武人だった。  彼は『竜将』と呼ばれる称号と共に、内戦に苦しむ隣国へと派遣されていた。  軍閥のクーデターにより内戦の起きた、テミスアーリン王国。  そこでは、国王の第二夫人が亡命の準備を急いでいた。  王は戦闘で命を落とし、彼の正妻である王妃は早々と我が子を連れて逃げている。  仮王として指揮をとる第二夫人の長男は、近隣諸国へ支援を求めて欲しいと、彼女に亡命を勧めた。  仮王の弟である、アルネ・エドゥアルド・クラルは、兄の力になれない歯がゆさを感じていた。  瑞々しい、均整の取れた体。  絹のような栗色の髪に、白い肌。  美しい面立ちだが、茶目っ気も覗くつぶらな瞳。  第二性はオメガだが、彼は利発で優しい少年だった。  そんなアルネは兄から聞いた、隣国の支援部隊を指揮する『竜将』の名を呟く。 「フェリックス・エディン・ラヴィゲール殿下……」  不思議と、勇気が湧いてくる。 「長い、お名前。まるで、呪文みたい」  その名が、恋の呪文となる日が近いことを、アルネはまだ知らなかった。

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

処理中です...