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本編
41. 遠ざかる背中
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王城の大広間は、燭台と魔石の光に満ちていた。
天蓋に織られた金糸がきらめき、深紅の絨毯が華やかに輝いている。
杯の触れ合う音、祝福の声、笑い声の波の全てが、勇者誕生の宴にふさわしい熱を帯びていた。
その視線のすべてを受け止める場所に、天城レオニスは立っていた。
白銀の紋章を刻んだ礼装が、彼の凛とした輪郭を際立たせる。
かつての幼さを残した琥珀の瞳は、今や希望の象徴として眩い光を宿していた。
一年ぶりに見るその姿に、思わず目を奪われる。
呆けたように見つめていると、こちらに気づいた彼が、人々の間を抜けて真っ直ぐに歩み寄ってきた。
けれど、あと数歩というところで、その足が止まる。
「……千景さん」
「……レオ」
以前とは明らかに違う距離でお互いの名前を呼んだ。
彼は何かを言いかけて口を開き、しかし沈黙のまま身を引いた。
「体調は? 神罰の儀は……」
「問題ありません」
かすかに響いた声。だが、それ以上は続かず、彼は礼を残して背を向けようとした。
思わず、その衣の裾を指先で掴んだ。足が止まり、期待が胸にせり上がる。
しかし、次の瞬間、裾は静かに振り払われた。
「……失礼します。式の進行がありますので」
強い力ではなかったが、その沈黙こそが答えに思えた。
――拒まれたのか。
息の仕方がわからなくなる。
あの無邪気に笑っていた青年は、もう、僕の手の届かないところにいる。
変わらず取り残された僕と、光を纏って進む彼は、もはや別の世界の存在だった。
視線を落とした杯の中で揺れる金色の液体が、震える指先に合わせて細かく波打つ。
――やはり、こんな自分を信じてくれる者など、どこにもいないのかもしれない。
思考を断ち切るように、壇上から王の声が響いた。
「新たなる勇者、天城レオニスに祝福あれ!」
割れるような拍手と歓声が一斉に湧き起こる。
高く掲げられた杯が光を反射し、その中心で、琥珀の瞳は誰よりもまぶしく輝いていた。
「勇者様、我が軍も次の遠征に加えていただければ!」
「心強いお言葉をありがとうございます。共に戦える日を楽しみにしています」
「勇者様、もしご縁談をお受けいただけるなら……」
「俺にはもったいないお話ですね。けれど光栄に存じます」
言葉の一つひとつに笑みを添え、人々の心を包んでいく。
そのやり取りに、広間の熱はさらに高まり、彼の周囲だけがまるで光を帯びているかのように見えた。
――先ほどの姿は、幻だったのか。
そう錯覚しそうになるほど、目の前の彼は明るく、人を惹きつけてやまなかった。
不意に扉が乱暴に開かれる音が響き、ざわめきが途切れる。
「報告! 城下にて魔力暴走が発生!」
伝令の切迫した声が会場を貫いた。
祝宴の熱気が一瞬で凍りつき、無数の視線が勇者に集まる。
レオは静かに杯を置き、短く頷くと、侍従に囲まれて足早に広間を後にした。
その背を追う声はなく、ただ緊張の気配が会場を包んでいた。
――行かなくては。
衝動に駆られ一歩を踏み出す。だがすぐに、鋭い声がその足を縫い止めた。
「エルダーフレイム副隊長、どこへ行くつもりだ」
「現場です。鎮圧に向かいます」
「君はここに残れ」
「……っ! なぜですか!」
「君が一番よくわかっているのでは?」
師団長の瞳に宿る、あからさまな疑念――疑われている。
魔王反応の感知が通達された日から囁かれていた噂――魔力暴走を裏で操る“内通者”がいる。
笑い声に紛れて囁かれた言葉、視線を逸らされた瞬間に、疑いの矛先が自分に向いていることなど、とうに気づいていた。
やがて伝令の指示で、貴族や軍人たちが次々と席を立ち始める。
兵士たちが駆け出し、賑わいは潮が引くように消えていった。
――その静けさを破るように、気配が近づく。
「……随分、冷たい扱いを受けているね」
はっとして振り向くと、そこにリュカがいた。
いつもと変わらぬ整った笑みを浮かべながら、瞳の奥には昏い光が潜んでいる。
「……あなたの仕業ですか」
「ああ、そうだとも」
リュカの唇が、緩やかに弧を描く。
「なぜ……なぜこんなことを続けるんですか! どれだけの命を奪えば気が済むんです! あなたは……狂っている!」
叫びは広間に虚しく響いた。
リュカは一瞬だけ目を瞬かせ、それから静かに首を振った。
「狂っている? 違うよ、千景」
近づいてくる。指先が頬に触れ、ぞっとする冷たさに思わず身が強張った。
「狂っているのは、この世界だ。魔王? 勇者? 恐怖を前にすれば、人は真実よりも“都合のいい物語”を欲しがる」
「……違う。そんなことは……」
影がじりじりと距離を詰め、吐息が耳に触れるほどに近づく。
「違う? ……なら教えてほしい。“狂っている”私は信じられ、君だけが疑われているんだろうね――ふふ」
リュカの手が頬から首筋へと滑り、衣の上から鎖骨に触れる。ぞわりと痺れる感覚が走り、身体が勝手に震えた。
拒絶したいのに、身体はそれを覚えている。ただ触れられただけで、裏切るように熱を帯びていく。
「来い、千景」
耳元に絡みつく声は、甘やかで、毒々しかった。
「私と共に――魔王を復活させよう」
「……何を、馬鹿な……」
かろうじて絞り出した声に、リュカは笑みを深めた。
「このままでは、勇者に奪われるぞ。君が守ろうとしてきた“大切な存在”までも、な」
蘇芳の面影が脳裏をよぎり、心臓を鷲掴みにされたように息が詰まった。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、勇者として称えられるレオと、疑念と孤独に揺れる千景の距離が、決定的に開いていきます。
その隙間に忍び寄る影が、彼の心にどんな囁きを落とすのか。
ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。
※昨日、一時的に数話先のシーンを誤って公開してしまいました。
もし先に目にされた方がいらっしゃったら、申し訳ありませんでした。
***
天蓋に織られた金糸がきらめき、深紅の絨毯が華やかに輝いている。
杯の触れ合う音、祝福の声、笑い声の波の全てが、勇者誕生の宴にふさわしい熱を帯びていた。
その視線のすべてを受け止める場所に、天城レオニスは立っていた。
白銀の紋章を刻んだ礼装が、彼の凛とした輪郭を際立たせる。
かつての幼さを残した琥珀の瞳は、今や希望の象徴として眩い光を宿していた。
一年ぶりに見るその姿に、思わず目を奪われる。
呆けたように見つめていると、こちらに気づいた彼が、人々の間を抜けて真っ直ぐに歩み寄ってきた。
けれど、あと数歩というところで、その足が止まる。
「……千景さん」
「……レオ」
以前とは明らかに違う距離でお互いの名前を呼んだ。
彼は何かを言いかけて口を開き、しかし沈黙のまま身を引いた。
「体調は? 神罰の儀は……」
「問題ありません」
かすかに響いた声。だが、それ以上は続かず、彼は礼を残して背を向けようとした。
思わず、その衣の裾を指先で掴んだ。足が止まり、期待が胸にせり上がる。
しかし、次の瞬間、裾は静かに振り払われた。
「……失礼します。式の進行がありますので」
強い力ではなかったが、その沈黙こそが答えに思えた。
――拒まれたのか。
息の仕方がわからなくなる。
あの無邪気に笑っていた青年は、もう、僕の手の届かないところにいる。
変わらず取り残された僕と、光を纏って進む彼は、もはや別の世界の存在だった。
視線を落とした杯の中で揺れる金色の液体が、震える指先に合わせて細かく波打つ。
――やはり、こんな自分を信じてくれる者など、どこにもいないのかもしれない。
思考を断ち切るように、壇上から王の声が響いた。
「新たなる勇者、天城レオニスに祝福あれ!」
割れるような拍手と歓声が一斉に湧き起こる。
高く掲げられた杯が光を反射し、その中心で、琥珀の瞳は誰よりもまぶしく輝いていた。
「勇者様、我が軍も次の遠征に加えていただければ!」
「心強いお言葉をありがとうございます。共に戦える日を楽しみにしています」
「勇者様、もしご縁談をお受けいただけるなら……」
「俺にはもったいないお話ですね。けれど光栄に存じます」
言葉の一つひとつに笑みを添え、人々の心を包んでいく。
そのやり取りに、広間の熱はさらに高まり、彼の周囲だけがまるで光を帯びているかのように見えた。
――先ほどの姿は、幻だったのか。
そう錯覚しそうになるほど、目の前の彼は明るく、人を惹きつけてやまなかった。
不意に扉が乱暴に開かれる音が響き、ざわめきが途切れる。
「報告! 城下にて魔力暴走が発生!」
伝令の切迫した声が会場を貫いた。
祝宴の熱気が一瞬で凍りつき、無数の視線が勇者に集まる。
レオは静かに杯を置き、短く頷くと、侍従に囲まれて足早に広間を後にした。
その背を追う声はなく、ただ緊張の気配が会場を包んでいた。
――行かなくては。
衝動に駆られ一歩を踏み出す。だがすぐに、鋭い声がその足を縫い止めた。
「エルダーフレイム副隊長、どこへ行くつもりだ」
「現場です。鎮圧に向かいます」
「君はここに残れ」
「……っ! なぜですか!」
「君が一番よくわかっているのでは?」
師団長の瞳に宿る、あからさまな疑念――疑われている。
魔王反応の感知が通達された日から囁かれていた噂――魔力暴走を裏で操る“内通者”がいる。
笑い声に紛れて囁かれた言葉、視線を逸らされた瞬間に、疑いの矛先が自分に向いていることなど、とうに気づいていた。
やがて伝令の指示で、貴族や軍人たちが次々と席を立ち始める。
兵士たちが駆け出し、賑わいは潮が引くように消えていった。
――その静けさを破るように、気配が近づく。
「……随分、冷たい扱いを受けているね」
はっとして振り向くと、そこにリュカがいた。
いつもと変わらぬ整った笑みを浮かべながら、瞳の奥には昏い光が潜んでいる。
「……あなたの仕業ですか」
「ああ、そうだとも」
リュカの唇が、緩やかに弧を描く。
「なぜ……なぜこんなことを続けるんですか! どれだけの命を奪えば気が済むんです! あなたは……狂っている!」
叫びは広間に虚しく響いた。
リュカは一瞬だけ目を瞬かせ、それから静かに首を振った。
「狂っている? 違うよ、千景」
近づいてくる。指先が頬に触れ、ぞっとする冷たさに思わず身が強張った。
「狂っているのは、この世界だ。魔王? 勇者? 恐怖を前にすれば、人は真実よりも“都合のいい物語”を欲しがる」
「……違う。そんなことは……」
影がじりじりと距離を詰め、吐息が耳に触れるほどに近づく。
「違う? ……なら教えてほしい。“狂っている”私は信じられ、君だけが疑われているんだろうね――ふふ」
リュカの手が頬から首筋へと滑り、衣の上から鎖骨に触れる。ぞわりと痺れる感覚が走り、身体が勝手に震えた。
拒絶したいのに、身体はそれを覚えている。ただ触れられただけで、裏切るように熱を帯びていく。
「来い、千景」
耳元に絡みつく声は、甘やかで、毒々しかった。
「私と共に――魔王を復活させよう」
「……何を、馬鹿な……」
かろうじて絞り出した声に、リュカは笑みを深めた。
「このままでは、勇者に奪われるぞ。君が守ろうとしてきた“大切な存在”までも、な」
蘇芳の面影が脳裏をよぎり、心臓を鷲掴みにされたように息が詰まった。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、勇者として称えられるレオと、疑念と孤独に揺れる千景の距離が、決定的に開いていきます。
その隙間に忍び寄る影が、彼の心にどんな囁きを落とすのか。
ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。
※昨日、一時的に数話先のシーンを誤って公開してしまいました。
もし先に目にされた方がいらっしゃったら、申し訳ありませんでした。
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