僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

53. ひとりの夜

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 “頭を冷やしてくる”と言って出ていってから、レオは夜が更けても戻らなかった。
 この小さな家には、寝室が一つしかない。
 隣に並んだ寝台から、いつもなら彼の安らかな寝息が聞こえる。けれど今夜は、静寂に包まれていた。
 僕は一人、冷えた寝具に身を沈め、そのまま眠ってしまっていた。

 ふと目を覚ますと、窓の外では雲間に月が浮かんでいた。
 隣から微かな寝息が聞こえる。顔を向けると、レオの姿があった。
 ――戻ってきてくれた。
 安らかな呼吸。穏やかな寝顔。
 安堵すると同時に、こんなに近くにいるのに届かない気がして、胸が苦しい。

 彼の寝顔が、枕元の灯火に淡く照らされていた。
 薄く開いた唇に、無意識に視線が釘付けになる。
 皮膚の内側が静かに疼いていく。唇に触れた熱は、もう消えているはずなのに。
 息を潜めても、鼓動の音が耳の奥で暴れ、息苦しさに寝返りを打った。
 粗い布の感触が肌に触れ、それだけで身体の奥に熱が走る。
「……ぁっ」
 自分の身体なのに、思うように鎮められない。
 こんな疼き方は、知らなかった。
 リュカの手は、ただ強引に熱を引きずり出すだけだった。
 蘇芳の手は、波に揺蕩うような、静かな心地よさがあった。
 けれど今は、自分でも知らない身体の奥が、どうしようもなく疼いている。

 僕は、指を握りしめた。
 抑えようとしても、熱は引かない。
 目を閉じても、彼の笑顔が浮かんだ。
 あの手の温もり、重なった唇、触れた舌先――もう、やめろ。
 頭でそう言い聞かせても、身体は従わない。
 喉が乾いて仕方なかった。

 毛布の下に、そっと汗ばむ手を入れた。
「……っ」
 触れた瞬間、吐息が漏れた。
 快楽とも痛みともつかぬ熱が、腰の奥から波のように広がる。
 あの頃、痛みを紛らわすように、蘇芳に導かれていた夜を思い出し、身体を鎮めようとする。
 けれど、うまくいかなかった。何かが違う。

 呼吸が浅くなる。
 灯火に照らされた彼の寝顔が霞む。
 触れられた時の熱が、また蘇る。
「……レオっ」
 掠れた声が思わず漏れる。
 目を閉じてその名を呼んだ瞬間、身体が震えた。
 濡れた想いが、指先からこぼれていく。
 息を押し殺しても、震えは止まらなかった。
 ――どうして。こんなにも、彼のことばかり。

「……千景さん?」
 突然、声がして、世界が止まった。
 背筋に汗が走り、思考が凍りつく。
 反射的に目を開けると、レオが寝台の上で身を起こしていた。
 太陽のような琥珀色の瞳が、こちらを見ている。

 「……大丈夫ですか? 苦しそうにしていたから」
 頭が真っ白になった。
 自分が何をしていたのか気づかれるのが怖くて、毛布の中で固まったまま、乱れた呼吸を必死に押し殺した。

 レオが寝台を降りる気配がした。
 近づいてくる気配に、僕は思わず身をすくめる。
 ……お願い、見ないで。
 声にできないまま震えていると、彼が立ち止まった。
 息を呑んだような気配が伝わる。
 恐る恐る顔を上げると、レオがこちらを見ていた。
 「……す、すみません! 俺、ちょっと外の空気を……!」
 慌てたように視線を逸らし、レオは寝室を飛び出していった。

 ――きっと気づかれてしまった。最も見られたくなかった自分の姿を。
 彼の前で、こんなにも醜く、浅ましい想いをさらしてしまった。
 ……最低だ。
 胸が詰まり、顔を覆っても、涙は止まらなかった。
 彼を汚してしまった気がして、苦しくて、悲しくて、もう、消えてしまいたかった。

 ◇

 翌朝、レオはいつものように声をかけてくれた。
 けれど、一度も目を合わせてはくれなかった。 
 いつもなら手を貸してくれるはずの場面でも、僕が拒むより先に、一歩引いた。

 「入浴は……一人でします」
 彼の表情が少しだけ歪み、それでも何も言わず、ただ頷いた。

 湯に浸かりながら、僕は目を閉じた。
 湯気の向こうに、彼の声が、まだ漂っている気がした。

 レオが、どんどん遠くなっていく。
 その距離を自分で作ったのだと思うと、また涙がこぼれた。
 ――涙なんてもう枯れたはずなのに、止まらなかった。
 もう、レオに触れてはいけない気がした。
 きっと嫌われてしまったから。

***
【作者コメント】
 次話では、千景が初めて“自分の願い”を言葉にします。
 ずっと受け身で生きてきた彼が、
 初めて自らの意志で踏み出す一歩をどうか見届けてください。
 明日11/1は、12時台と23時台に更新予定です。
***
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