僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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エピローグ

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 山間の小さな村にも、ようやく陽の温もりが戻ってきた。
 冬のあいだ雪に埋もれていた畑には、若い芽が顔を出し、家の裏手では山肌を覆うように薬草の葉が風に揺れている。
 干し棚からは、苦さの中にかすかな甘みが混ざった、この土地特有の薬草の香りが漂っていた。
 王都から遠く離れたこの村では、季節が人の歩みに合わせてゆっくり過ぎていく。

 ここに来て、もう二年が経つ。あの森を出たのは、まだ雪が残る早春の頃だった。
 僕が、もう一度、人と関わってみたいと切り出したとき、レオが北の国境沿いにあるこの村を見つけてくれた。
 薬草の群生地として知られるこの土地には、勇者も魔王も、もう噂でしか届かない。
 そんな辺境の静けさが、僕たちにはちょうどよかった。

 初めて訪れたとき、村人たちはしばらく様子をうかがっていた。
 よそ者がほとんど来ないこの村では、素性の知れない男二人が突然現れたのだから、警戒されて当然だった。
 けれど日が経つにつれ、レオは壊れた柵や屋根の修繕を手伝い、僕は薬草の見分け方を教えるようになった。
 そうして少しずつ声をかけられることが増え、いつのまにか村の一員として迎えられるようになっていた。

「本当に助かりました。また何かあったら、よろしくお願いします!」

 隣町から来た青年が、満面の笑みで頭を下げる。その腕には、僕が煎じて渡した薬草の包みを抱えていた。
 このところ、薬がよく効くと評判になっているらしく、村の外から訪ねてくる人が少しずつ増えている。

「遠いところを、わざわざありがとうございました。苦味を少し抑えてみたのですが……」
「いえ、あの苦さも、僕は好きです。……あの、また来てもいいですか?」
「ええ、もちろん。必要なら、いつでも」
「……よかった。また、会いに来ます」

 青年は、照れくさそうに頭を掻きながら笑った。その仕草がどこか落ち着かず、僕はただ軽く会釈を返す。
 いつものように送り出し、その背中を見送ってから、そっと扉を閉めた。

 家の中には、薬草を煎じた苦い匂いがまだ残っていた。
 棚の上では今朝干したばかりの葉が陽に透けている。奥の作業台には村の老人に頼まれた湿布薬が並んでいた。
 この穏やかな暮らしが、僕の日常になっていた。

 ――不意に、背後から抱きしめられた。

「……っ、びっくりした……子どもたちに剣を教えてたんじゃ」
「終わりました。……で、あんなに笑顔を振りまく必要、ありましたか?」

 耳元に落ちる低い声に、思わず肩が跳ねる。
 振り向くと、そこには不機嫌を隠しきれていないレオの顔があった。
 ついさっきまで村の広場で、子どもたちに剣術を教えていたはずなのに、今はその手が、僕の腰にまわって離れない。

「ただ、挨拶を返しただけですよ」
「だって、あいつ、この前も来てましたよね? 絶対、薬じゃなくて千景さん目当てですよ。あんなに顔を赤くして……いやらしい目で見てました」
「まさか。……気にしすぎですよ」

 苦笑しながら否定しても、抱き寄せる腕はますます強くなる。

「……レオ?」
「やっぱり、だめです……千景さんのそういう顔、他の人には見せてほしくない」

 そのまま口づけられた。

「んっ……」

 思わず息が漏れた。肩を押す指先に力が入らない。
 ためらいなく舌が絡めとられ、息が混じり合う。

「……っ、レオ……今朝も、したばかりなのに……」

 ようやく唇を離し、苦しい呼吸の合間に抗議する。
 レオはしばらく僕を見つめてから、耳元で囁いた。

「それでも……今すぐ、千景さんを抱きたくなってしまったんです」

 腕に力がこもり、壁際まで押しやられる。腰が支えられ、脚が浮かされる。
 息をつく間もなく、再び唇が重なる。
 熱い舌の感触に、理性がじわじわと溶かされていく。

「……ま、待って。今日、役場に……開業届、出す約束……っ」
「ええ。でも千景さん、このままの身体で、外に出られます?」

 意地の悪い視線が、下腹部へと滑る。
 触れられなくても、すでに疼いていることを自覚してしまう。

「……レオの、ばか」

 机の上には、書きかけの開業届がある。
 ――店主:天城千景
 ――副店主:天城レオニス

 庭の薬草畑を揺らす風が、春の匂いを運んでくる。少し開けた窓の向こうから、人々の笑い声が聞こえた。
 あの森の静けさも恋しいけれど、今はこの音が好きだ。
 誰かに与えられたのではなく、自分で選んだ世界の音だから。

「じゃあ……1回だけしましょう? で、そのあと急いで役場に行って……今夜は、薬屋“天城堂”の開店祝い、しましょうか」
「そんな名前、いつ決めたんですか……?」
「さっきです!」

 笑い合う声が、春の光に溶けていく。
 窓の外で、花びらが空へと舞い上がった。
 その行方を見送りながら、二人なら――どこまでも歩いていけると思った。

***
【作者コメント】
 ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。『僕は勇者に救われたくない』――これにて完結です。

 千景とレオの物語を最後まで見届けてくださったこと、心から感謝しています。
 この作品が少しでも、記憶に残るものになれていたら嬉しいです。

 本作は第13回BL大賞に参加しています。
 もしよかったと思っていただけたら、投票で応援していただけると励みになります。
***
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