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取引き
しおりを挟む睡蓮は、死神二人が去った後の大雨を、ベランダから眺めていた。
あの二人は再びここへ来る。
次は自分もただでは済まないし、リュウトが無事で済むかもわからない。
もし、自分が消滅させられたら、リュウトは死神の便利な道具として使われてしまうだろう。
不安と緊張が押し寄せ、睡蓮は暫くそこから動けずにいた。
その部屋の中で、リュウトは事の一部始終を、窓の横の壁に寄り掛かって聞いていた。
死神の突然の訪問に、リュウトは不安で握っていたカーテンを離し、布団の中へと潜り込んだ。
雨の音を聞きながら、布団の中でリュウトは体を小さく丸め、睡蓮が戻って来るのを待った。
徐々に雨の音が小さくなり、辺りが明るくなってくる。
一枚の壁を挟み、睡蓮とリュウトは同じ不安と恐怖にただ目を閉じて耐えていた。
が、
「睡蓮・・」
と、思わず口にしたリュウトの呼び声に、睡蓮は慌てて部屋の中へ戻ると、布団の中で小さく丸まったリュウトをその背から抱き締めた。
「リュウト・・目が覚めていたんですね」
「うん」
「大丈夫です。私がリュウトを絶対に護ります」
その一言に、リュウトの目頭が熱くなる。
睡蓮はリュウトを抱き締める腕に力を込めた。
「絶対です」
どんな夜にも朝は来る。
昨夜の極地的豪雨が嘘のような、清々しく晴れた空。
思い悩んだ夜が嘘のように、リュウトの頭の中はスッキリとしていた。
と、言うのも。
パチっと目が覚めた瞬間。
目の前にある超絶美形の青年がスヤスヤと寝息を立てて寝ているのを見たからだ。
精霊って・・・寝るんだ!!
精霊を、幽霊やモンスターのようなものと勘違いしていたリュウトにとって、それは驚愕の事実だった。
か、かわいいっ・・睡蓮の寝顔だ~・・!
その美形にしてあどけない表情に、リュウトの心臓はドクドクと高鳴り熱くなった。
オレ・・・頑張れちゃうかも知んない・・。
この寝顔を、この先もこうやって見れるなら・・オレ・・。
もし、また死神が来て・・睡蓮が「刈られる」くらいなら、オレ、死神の言う通りにしてもいい気がする。
なぜなら。
誰かもわからない相手(神)と『する』事と、死神相手に『する』事は、リュウトにとって何ら変わりのない事だと思えたからだ。
そして、もう一つ。
体に大してダメージが無い。
睡蓮の目の前で行われる儀式なのが、死にたくなるくらい恥ずかしいが、最中もその後も、自分の体に何が起きたのかわからない程度の感覚だった。
ただ行為自体に感じる、凄まじい嫌悪感に苛まれるのさえ我慢出来れば・・
大した事じゃない。
そう。睡蓮が居なくなるのに比べたら・・
なんでもない。
「ダメです」
いきなり睡蓮が目を開いた。
「ダメです。リュウトが私の犠牲になってはいけません」
「もう・・睡蓮っ」
自分が説明しなくても、触れれば考えている事の全てが、睡蓮にはわかってしまう。
「あなたは、神に選ばれた特別な人間です。それこそ、百や二百歳の若い神などより、よっぽどあなたの方が地位が高い。神と接すれば接する程、あなたの魂は易々と触れられるものでは無くなっていくでしょう。そう、たかが死神程度の小間使いの用事など聞いてやる義理など、あなたには無い」
透き通る水色の瞳が強く光る。
遠くまで見渡せる水面のように澄んでいて、透明な水色。
それが怒りによって濃く染まる。
睡蓮は、今正に、どこか遠くにいる死神の姿を見つけて、それを睨みつけているようだった。
こんな激しい睡蓮を初めて見た。
自分を守ろうとするがため、睡蓮は怒り、死神と対立してしまった。
よくわからないけれど、どうやら、同じ神でも、普通の『神』と『死神』のスタンスは違うらしい。
それに、昨夜の不穏な雰囲気は、確かに異常だった。
ピリピリと感電しそうに張り詰めた空気。
自分を利用しようとする死神に対して、怒りを露わにする睡蓮の態度は、声だけ聞いていても寒気がする程迫力があった。
あの時降ってきた凄まじい雨も、睡蓮の怒りが影響したものなのかも知れない。
ただ優しいだけじゃない。睡蓮は自分を護るためなら、きっと力を惜しまない。
その力は、きっと弱くはない。
だけど。と、思う。
精霊と死神。
どちらが強いのだろう。
昨夜、死神が簡単に手を引いたのは、余裕があったからではないか。
『いつだって刈れる』
そう暗に言い渡された気分になり、リュウトは頭が重くなった。
そんなリュウトを励ますように、睡蓮が明るい声を掛けてくる。
「さあ、起きて、顔を洗って!お母さんのご飯を食べて、学校へ行く用意をしましょう」
先にベッドから起き上がった睡蓮が、クローゼットを開け、小間使いのようにリュウトのYシャツや靴下を取り出す。
着替え一式をベッドの上に並べられ、「はい、バンザーイ」と睡蓮にTシャツを脱がされて、固く閉じていたリュウトの口元は自然と緩んでいった。
結局。
こんな風に笑えるしあわせのためなら、やっぱり自分に出来る最大限を頑張りたい・・と、リュウトの心は決まってしまった。
死神からコンタクトがあったのは、それから3日経った金曜の事だった。
一時間目の授業中、英語の教科書の間から出てきた一枚のメモ。
英語で「トイレで待つ」とだけ書かれた文字に、リュウトはドキリとした。
自分が書いた覚えのないメモ。
それにその字から、なんとなくだが不思議なオーラを感じる。
リュウトはその授業の後の休み時間に、睡蓮を教室へ待たせたままトイレへ向かった。
学校のタイムテーブルに沿った生活というものを理解した睡蓮は、リュウトが一人でトイレに行くのにも慣れた。
ゆえに、それを特別不思議に思わずに、行かせてしまった事を睡蓮は後に激しく後悔する事になる。
トイレのドアを開けると、中は仕切られた個室が3つと対面に小便用の便器が5つ並んでいる。
緊張しながら個室3つのドアを順番に開けていき、誰も居ない事を確認すると、リュウトの肩から力が抜けた。
誰も居ないじゃんかよ!
すごい緊張したっつーの!
そういえば、メモに時間が書いてなかったっけ・・。
暫く、どうしたらいいいのかと迷った挙げ句、ここに居ても仕方無い、とトイレから出ようとした時だった。
「おい」
掛け声に驚いて振り返ると、暮(黒髪短髪でキリっとした顔立ちの男)が窓の外からリュウトを手招きしていた。
勿論、死神御用達の黒いスーツ姿だ。
リュウトは緊張しながら、この喪服の男、暮が手招きする窓へと近づいた。
「ここ・・・3階」
「詳しい話は後だ。オレが誰だかわかるか?」
「し、しにがみ」
「OK」
暮に窓から体を引っぱり出されて、その高さに思わず恐くなりリュウトは暮の首に必死にしがみつく。
そんなリュウトの反応に暮は笑い、リュウトを片腕に抱き上げると、2階上にあるフロアへと飛び上がった。
「わ、わっ」
「シーー・・っ」
思わず叫びそうになったリュウトに、暮が人差し指を口の前に立てる。
ゴクリと声を飲み込み、窓から廊下へ着地した二人は、『資料室』と書かれた教室の前に居た。
「憂火さん、連れて来ました」
軽くノックをして中に入った暮の後に付いて、リュウトも入る。
壁の両サイドにダンボールが高く積み上げられた、狭い部屋。
正面にある窓には黄色い厚手のカーテンが掛けられていて、それで黄みがかった色に染まった薄暗い部屋の真ん中には、会議用の長机が2つ並んでいた。
その机の端に寄り掛かるように男が座っている。
勿論、男が着ているのは、言うまでも無く、黒いスーツだ。
暮に背中を押され、リュウトは室内へと足を踏み入れた。
一歩、二歩、と足を進み入れ、部屋の暗さに目が慣れてくると、憂火の輪郭が見えてくる。
短く立った髪には白髪が混じり、口の回りや目尻にも皺がある。
幅の大きな二重に、つぶらな眼、その顔の中心を高い鼻梁が貫き、その終点には攻撃的な大きな口。
一見、やる気のなさそうな気怠気な雰囲気に見えるが、見た目以上に、その体には得体の知れないエネルギーが宿っている。
顔が見える位置まで近づくと、陰を差した憂火の口元がニヤリと歪んだ。
「よお。お前が、リュウトか」
一言ずつ、ゆっくり間を開けて話す嗄れた憂火の声に「はい」と返事をしたリュウトは、引き付けられるように憂火の目を見上げた。
冷たい目だった。
冷たい、炎。
冷めているのに、瞳の中心は炎が燃えているように熱く揺らいでいる。
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