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59、夏の総体

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梅雨明け後。

夏になったばかりの太陽とは思えない、殺人的な日差しの照りつけ。

その日差しを存分に受け、触れば火傷しそうな黒いアスファルト。

その上をアップのために、ひた走る。

靴を履いていても足の下から、ちょっとやばそうな熱気を感じた。

行った事はないが、エジプトの砂漠と、気温35度(百葉箱しらべ)の芝のグラウンドでは、どちらが暑いだろう。

汗すら蒸発しそうな地面の上じゃ座って休む気にも全くなれず、ひた走り。



高校総体の3回戦目。

このまま勝ち進めば、上位2チームが県大会へと上がれる。

無論、こんなところでグズってる場合ではない。

が、この大会が最後の先輩達もいる。

高校サッカーの登竜門、全国サッカー選手権大会が冬に待ち構えているが、この夏の総体が終れば、部活を引退して、受験のために勉強に専念する3年生もいるのだ。




まだ引退するには早い。

監督(ゴンゾーさん)の一言が、3年生の胸にズシリと響く。

「後悔なんて何度でもしたらええ。その後悔が、次の動きに繋がる。何をすべきか。どこを見るべきだったか。何を間違えたのか。自分を責めろ。その痛みを、絶対に忘れたらいかん。もっと、自分を傷つけろ。自分に刻め。考える事をやめたら、それが負けや」

立ち止まるな。けれど、振り返れ。

そして、絶対、諦めるな。

最後の1秒まで上陵高校のサッカー部員だという事を誇りに持って、走れ。



厳しい顔で、語るゴンゾーさんの説教を聞くのもこれで最後・・


そう思わない奴がいるかわからないけれど、オレにしてみたら、毎度、クッセーー事言ってんじゃねえよ・・って感じ。

ホント、恥ずかしくなるよな。
そもそも、オレが真面目に部活なんかやってる事自体が、笑っちゃう訳だけど。


そう自嘲気味に、視線をゴンゾーさんから逸らしたアキタが口元を歪めると、「聞いとんのか!アキターー!」と渇が飛ぶ。


「ハイ!!聞いてます!聞いてます!!」


「この場面で、でっかい欠伸しおってからに・・お前のいいとこは、ホンマ度胸だけやな・・」
と、苦々しく舌打ちするゴンゾーさん。


このやり取りも、3年生にとったら毎度お馴染み・・で、見慣れた光景。

そんな恒例のやり取りに、思わず緊張の解れる3年も多い訳で、なんだか皆が皆、自分がやけに深刻な気持ちなっているのがバカバカしくなってしまうのだ。

いつもと何ら変わらない景色に、『最後』なんてこない気がしてしまうのだ。



こんな風に、バカ騒ぎしながら、明日も明後日もずっと部活がある・・みたいな気になってしまう。


それが、今だけ限定の自己暗示だったとしても、誰もそれをバカだと責めたりしない。
むしろ、選手達は、これから試合だというのに、これだけ体が解れた状態にしてくれたことを二人に感謝したいくらいで。


仮に、ふと、頭の隅が冷えて、これが最後なんだと気づいたとしても、視線を上げて、こう思えばいいだけの話。

最後にしたくないなら、勝てばいいんじゃん。


明日も明後日も、こんな風に、ゴンゾーさんに首を締められそうになっているアキタの姿を見たかったら、試合に勝てばいい。


なんだかそう思うと、試合に勝つ事が目的というよりか、ゴンゾーさんにいつかシメ落とされるアキタが見たくて、頑張っているような気分に思えないでもない。

とにかく。
気分は上々。

「よし、行こうぜ」

ワタヌキの掛け声に、選手達は「オウ!」と応え、一見ダルそうに、けれど、その目には自信と闘志を漲らせ、軽いステップでフィールドへと駆け出した。








今日の上陵高校の対戦相手は、公立高校ではあったが、県のベスト16には必ず食い込んでくる強豪校の一つだ。

アンダー18の日本代表招集リスト生3人を擁する我がチームとは言え、試合は楽勝とは言い難かった。

サッカーというのは、チームでプレイしているように見えて、その実、個人の力に頼る所が大きい。

1x1で対峙した時の相性によっては、試合はぶち壊しになる事もザラ。
要所要所で、完全に抑え込まれ、パスもカットもさせて貰えず、捩じ伏せられてしまうと、精神面だけで闘うには個人の負荷が掛かり過ぎる。

そんな時、ゴンゾーさんはスパッと選手を切り替える。

が、その交代の選手に選ばれたのがモリヤだと気づいたアキタは、自分の目を覆いたくなった。



あんの・・クソジジイ!!
余計なマネを・・・ッ!!



思わず口から出かけた文句を、アキタは寸でのところで飲み込んだ。


確かに。
モリヤは根性ある。
あのワタヌキに鍛えられてるだけあって、瞬発力もピカ1だ。
その気になれば、それなりにやりあえる。
その実力は、ある。


でも、それは『アイツ』に余裕がある時だけ・・、モリヤを見守る余裕がある時にしか許されないオーダーだ。


マジで勝ちたい試合の時に、モリヤを出してくるなんて・・・!


これが、ただの自殺行為だという事を、ゴンゾーさんは、まるでわかっていない。

いや、わかる訳がないのだ。

普段の練習を見ているだけの他人に。

アイツがモリヤに対して、どんな激情を持っているかなんて、1mmだって、それこそ微塵も、わかる筈がないのだ。





灼熱の炎天下。
人口芝のフィールドに走ってきたモリヤに、皆の視線が集まる。

それこそ、グラウンドに立つ選手達から次の獲物ばりに、全身を舐めるような視線を注がれ、モリヤは居心地の悪そうな顔で、それでも、顔を前に向け、口元をしっかりと引き結ぶ。


その中でも、ワタヌキの瞳の色が、一際凶悪なものに変わったのが、アキタにはわかった。


もし・・何か、モリヤにあったら・・・


それを考えただけでも、ゾッとする。



爆弾すぎる・・



こんな殺気立った試合に、猟犬の群れに子鹿を放すようなマネをした監督に、アキタは、本気で嘆息した。



オレの仕事を、増やしやがって・・!!



これで、『お守り』どころか、アキタは体を張って、今にも凶獣に化けかねないワタヌキを止めに入らなければいけなくなった。



これで、勝てたら・・逆にすげえぞ・・。



背中を伝う汗が、嫌に冷たく感じた。

嫌な予感しかしない。





それでも、笛が鳴れば、試合はスタートする。
どんなにイヤだと思っても、それは時間を止める事が出来ないのと一緒だった。

肚を据えて、前を睨む。

全神経を研ぎ澄まし、背中にも目を開く。



誰が、堕とすかよ・・
絶対、ヤらせねえ・・



アキタのイヤな予感は、100%当たった。



モリヤがマッチアップした相手は、ボディコンタクトの上手い奴だった。
審判から見えないように、蹴って、掴んで、押す。

いくらワタヌキとタメ張るくらいに体幹を鍛えられているモリヤだって、躱し切れるものではない。

それも、ダミーに使えというゴンゾーさんの思惑は『当たり』なのだが、必死で相対しているモリヤの姿を見ると、納得のいく内容ではない。


マークを惹き付けさせる餌、・・のモリヤは、自分がワタヌキの2人マークを外させるためのダミーだと相手に感じさせない走りっぷりで、相手ディフェンダー達を引っ掻き回した。


その動きの良さは、隙あらば・・点を狙うつもり満々で、フォローに回ったアキタも苦笑する。


ただで起きる気はないモリヤのプレーを見せられて、アキタは内心、『こりゃ、ゴンゾーさんが思ってたより、役者が勝ってたんじゃねえの』・・と、ほくそ笑む程。



が、そのメンタルが永遠に続かないのが高校生なのだ。

いい時は、いい。

けれど、流れというものは、大きく、上に下に、たゆたうもの。



ほんの、あるきっかけで。

ちょっとした、些細なアクシデントで。

編み掛けの毛糸が一気にほつれてしまうように、事態は逆転してしまう。




精神的にも肉体的にも、フィールド上の全員がギリギリのところまできていた。

あと、1点。

それが取れれば・・!
それを守れば・・!

双方、なり振り構わないところまで、追詰められ、その土壇場でーーー


強烈な甲高い笛の音に、全員が振り返った。

ボールが足から離れた場所でのファール。

折り重なるように倒れている選手の元へ、皆が集まる。

その中でも、どこにそんな体力が残っているのか、一目散にダッシュする親友の背中をアキタは慌てて追いかけた。


・・ったく!
マジで走るなっつーの・・!!


「ワタヌキ・・っ!」

とてもワタヌキの足に追いつけなかったアキタは、モリヤの上に倒れ、覆い被さっている相手選手の腕を掴んで持ち上げようとしているワタヌキの名前を叫んだ。


ヤメろ・・!!


ワタヌキの瞳孔の開いた目で見下ろされた相手選手が、傍から見ても、ビクリと竦んだのがわかった。

そして。

超高校級と呼ばれる足で、蹴りはしなかったが、そいつを自分の前に立たせると、その胸ぐらを掴んだ。

「とめろ!!」
と、アキタが叫んだと同時に、一気に両校の選手達が、ワタヌキともう一人に飛びつき、もみくちゃになった。
誰が誰だか、何をしてるのかわからないような状態になったのは不幸中の幸い・・

混乱に乗じて、ワタヌキは胸ぐらを掴んだ選手の首を、掴んだユニフォームで締め上げていたのだから・・一発退場モノ・・!

それを、アキタが羽交い締めにして、ワタヌキを止める。
「バカヤロウ!!離せ!!」

散々、そいつにモリヤを捏ねくり回されて、ワタヌキはいつぶちギレてもおかしくない精神状態だった。

最後の最後の、トドメ。

足の重くなったモリヤのユニを掴み、振り回し、足を掛けた。
そして、故意か過失か、転んだモリヤの体の上にそいつが覆い被さったのだ。


終った・・・!


ワタヌキの背中に追いつけなかった自分に、全てが、これでぶち壊しになったと覚悟した。

こうなる事はわかっていたのに、それを止められなかった。
二人を取り囲む人だかりを見回し、アキタは心底自分が情けなくなった。


こんな後味の悪い試合で・・こいつらを引退させんのか・・・?


それだけは、ナシだろう、と気を張っていたのに、結局自分にはどうする事も出来なかったのだーーー



と、いきなり羽交い締めにしていたワタヌキの体の向きが変わる。
途端に人垣が崩れ、視線の先には、倒れたまま審判のシャツを掴んで息を喘がせるモリヤの姿。

「イタ・・痛い・・っ痛い・・っ」
「どこだ!?胸か!?ゆっくり息しろ!!救護班、こっち!!」

オレ達がごちゃごちゃとモメてた間、モリヤは審判にワタヌキの凶行を見せまいと必死に自分の方へ注意を引きつけていたのだ。

人間に戻った(自分を取り戻した)ワタヌキが、モリヤの隣に膝を突き、心配そうにモリヤの顔を覗き込む。


「センパイ・・」


弱々しく掠れた声で呼ばれたワタヌキは、その瞬間、抜け殻と化し、まだ試合時間が数分残っているのに、担架に乗せられてグラウンドの外へと運ばれていくモリヤの後を追いかけようとする。

「コラ!どこ行く気だ、このヤロウ!!」

アキタに止められ、立ち止まったワタヌキの顔は、置き去りにされた子犬のような、寂しそうな顔で、それをまともに見てしまったモリヤは、思わず噴き出してしまった。

「あはは・・あいてて・・っセンパイ、もう1点、取って来て・・」

そう簡単に、しかも楽しそうに笑うモリヤに手を振られ、ワタヌキは自分の腕を掴んで引き留めているアキタの方を振り返った。

「もう1点取って来いってよ・・」
「アイツ・・鬼だな」
「意外とな・・」


その後、試合は再開。
残り時間アディショナルを含め6分間で、ワタヌキは先の乱闘により戦意喪失した相手から1点をもぎ取り、上陵高校は順当に予選を勝ち進んだのだった。
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