白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第二章 不死の魔女

第18話 偉大なる試み

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「不始末を詫びにきたのなら、もっと時間を選ぶべきだな」

 そう言って、ベラナは眉間に深い皺を刻んだ。
 執務室にある振り子時計の短針は、六を僅かに過ぎた辺りを指していた。
 老人の不機嫌は、もっともなことだ。
 常識的な時間とは、ほど遠い。

「早朝の訪問はお詫びします。ですが、危急の用件なのです」

 アルヴィンは、珍しく殊勝な顔で詫びた。 
 この時間にもかかわらず、老人は祭服姿だった。
 幸いなことに、既に執務中であったらしい。

「その用件とやらが取るに足らぬ物だったなら、私の失望は並々ならぬものとなるだろうな」

 だからと言って、早朝の訪問を容赦する気は、微塵もなさそうだが……
 アルヴィンは緊張した面持ちで、用件を切り出した。

「不死の魔女が、あなたの名を口にしました」

 ほんの僅かな感情の変化も見逃さないよう、老人の顔を注視する。

「何か、心当たりは?」
「私を審問するつもりかね?」

 目の前に座る老人は、このアルビオ教区で絶大な影響力を持つ上級審問官だ。
 静かな不快感の表明に、同席した双子の顔に緊張が走る。 

「魔女を駆逐するために、必要な情報です。ご協力を」
「知らぬな」 

 返答はすげなく、短いものだ。
 その表情からは、一切の感情を読み取ることはできない。

「では研究所、とは?」

 次は、長い沈黙が落ちた。
 アルヴィンは、ベラナの瞳が僅かに揺れるのを見逃さなかった。
 苦悩にも似た色が、よぎったように見える。

「……それを、不死の魔女が口にしたのかね?」
「そうです。何かご存じなのですか?」
「いや、知らぬ」

 練達の上級審問官が口にするにしては、それはお粗末な噓だった。
 言葉とは裏腹に、何かを秘めていることは明らかだ。 
 だが正面から追及したところで……本心を、明かすまい。

 アルヴィンは嘆息すると、執務机の前に進み出た。
 ベラナの協力が得られないからといって、手がかりが途絶えたわけではない。
 心当たりは、もう一つあった。 
 少々、悪辣な手段にはなるが── 
 彼は昨日購入した、新聞を机上に置く。

「これは?」
「今夜、この場所に不死の魔女が現れます」

 そう言って、ある記事を指さす。
 
 そこには、”── 明晩、公会堂で仮面舞踏会を開催”とある。

「同じ記事の切り抜きを、不死の魔女が所持していました。奴は不死の代償として、他者の命を喰らう。夜、二百人以上が会する舞踏会は、絶好の狩り場となるでしょう」
「主催者に勧告して、すぐに中止させましょう!」 

 会話に割って入ったのはアリシアだ。
 それは、審問官として当然の判断だ。
 魔女の襲撃を知りながら、見て見ぬ振りをした── そんな醜聞が漏れれば、教会の威光は地に落ちるだろう。 
 だが、アルヴィンは首を横に振った。

「中止にはしません。舞踏会で待ち伏せて駆逐するよう、審問官リベリオに進言するつもりです。よろしいですね?」

 一歩間違えれば、惨事となりかねない作戦だ。
 確認したところで馬鹿げた案だと、ベラナは一蹴することだろう。
  
 老人は重々しく、口を開く。

「面白い。許可してやろう」

 張りつめた緊張に包まれた執務室に、軽薄そのものの声が響いた。
 それを発したのは……もちろん、ベラナではない。

 ── いつから、そこにいたのか。
 アルヴィンは、背筋が寒気立つのを感じた。
 彼の、背後。振り返った先に、リベリオが壁にもたれかかっていたのだ。
 仮面の審問官は、腕を組みながら嘯く。

「俺は早く聖都に戻りたい。奴を誘き出して、さっさと駆逐してしまえばいい」

 微塵も気配を感じさせなかった立ち居に、アルヴィンは驚きを隠せない。
 アリシアとエルシアは、嫌悪感のこもった目を向ける。
 否、双子だけではない。
 ベラナも刺すような、鋭い視線を放った。

「何を企んでいる? 審問官リベリオ」

 リベリオは肩をすくめると、気だるげに答える。

「企むなど、人聞きが悪い。俺はアルヴィンの案が駆逐への最短路だと言っただけだ。それとも上級審問官殿は、不死の魔女の駆逐に、何か不都合でも?」

 リベリオは薄く嘲笑を浮かべる。
 仮面の奥の目が、爬虫類に似た酷薄な光を放った。
 明らかな挑発に、ベラナの声が遠雷にも似た危うい響きを帯びる。 

「この事件に、君も裏で関与しているのではないのかね? 少しは恥を知ったらどうだ」
「自分だけが潔白のような口ぶりには反吐が出るね。ひとつ、忠告してやる。いつまでも、その席にしがみついておれると思わんことだ」

 辛辣な言葉の応酬に、執務室が張りつめた空気で満たされた。
 二人が何を言わんとしているのか、アルヴィンには全く窺い知ることができない。
 だが……ベラナと処刑人の間に、ただならぬ因縁があることだけは、理解できる。

「不死の魔女の駆逐は、枢機卿会直々の指令だ。あんたに口出す権限はない。アルヴィンの案のとおり、やらせてもらうぞ」
「……勝手にしろ」

 苦り切った顔で、ベラナは吐き捨てる。
 そして厳しい視線を二人に送ったのだ。 

「ただし、市民に犠牲が出ることは許さん。一人でも死者が出れば、その時は君らの首で償ってもらう。覚悟して臨むことだな」



「審問官リベリオ!」

 聖堂へと続く、長い渡り廊下の途中。
 そこで、アルヴィンは仮面の審問官を呼び止めた。 
 険悪な空気が渦巻く執務室を辞したリベリオを、走って追いかけたのだ。
 軽く肩で息を切らしながら、礼を述べる。 

「僕の案を採用していただいて、ありがとうございます」

 頭を下げたアルヴィンに、リベリオは満足げな笑みを浮かべた。
 ベラナではなく自分に媚びへつらう、忠実な手下だとでも思ったのかもしれない。

「当然のことだ。お前は実に優秀だ。あの老人を指導官にしておくのが、勿体ないくらいにな」
「審問官リベリオこそ、人を見る目だけでなく、魔女への見識もお深い。見習いの僕からすれば、敬服するばかりです」

 勿論、ご機嫌を取りにきたのではない。
 確認すべきことがあったのだ。
 アルヴィンは肩を並べて歩きながら、水を向ける。

「不死の魔女、とは一体何者なのでしょうか? そもそも不死の魔法なのか、呪いなのか……審問官リベリオは、ご存じありませんか?」

 これまでの口ぶりからして、この男が核心にあたる何かを知っていることは、疑いようがない。
 警戒心を呼び起こしたのか……リベリオは打って変わって、鋭い眼光を放つ。

「口を慎め、アルヴィン。軽はずみな詮索は関心せんぞ」

 だが、言葉とは裏腹に、リベリオの口調は完全に浮ついたものだった。  
 ……どうやら、最初に自尊心をくすぐった効果があったらしい。
 口許をにやつかせながら、男は続けた。

「……お前は、俺の見込んだ男だ。どうしてもと言うのなら、特別に教えてやらなくはない」
「是非お願いします」

 神妙な顔をしたアルヴィンに、男はささやく。

「聖都では、偉大な試みが行われているのだ」 
「偉大な試み、ですか……?」

 それが何であったにせよ、この男が口にすると不吉さを増す。

「そうだ。奴は、その失敗作なのさ」

 そう言って、処刑人は不気味な笑みをこぼした。 
 言い知れぬ不安に、アルヴィンの心がざわめく。
 メアリーが口にした研究所。
 そして、偉大なる試みと、失敗作。

 果たして不死の魔女メアリーは、駆逐すべき悪しき魔女なのか── 

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