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第三章 凶音の魔女
第31話 負けざる者たち
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──選択をせよ、と。
老人の声は重々しく響いた。
ベラナの部屋は、アルヴィンの自室と変わらない殺風景なものだった。調度品は最低限で、ベッドと書き物机、あとは応接ソファーくらいだ。
おおよそ上級審問官という位階に、似つかわしくない質素さがある。ただし、広さだけは数倍はあった。
それ故に、殺風景さがより際立つが……
三人は、応接ソファーに腰掛けた。アルヴィンの隣にエルシア、向かいにベラナが座る。
「選択、とは、どういう意味でしょうか」
処刑人に気取られないように、アルヴィンは声を低くして尋ねた。
手前の老人は、昨日こそ疲労が色濃かったが、目には獅子を思わせる力強さが戻っている。
「教会は、二つの派閥に割れておる」
そう言うと、ベラナは自虐的な笑みを浮かべる。
「もっとも、圧倒的多数派と少数派を、同列として良ければ、の話だがな」
「……多数派、とは枢機卿会、のことですか?」
アルヴィンは、記憶の糸を手繰り寄せながら問う。
枢機卿会とは、七人の枢機卿で構成される、教皇の顧問団だ。
教皇ミスル・ミレイが眠りの呪いを受け、公の場から姿を消して久しい。今や彼らは、教会の実質的な支配者であると言っても過言ではない。
「枢機卿会は教会法をないがしろにし、不死を求めておる。処刑人を擁する彼らに諫言できる者はほとんどおらず、思うがままというわけだ」
「それに異を唱え、暗闘してきたのが教皇派なのです」
エルシアが、真剣な声音で言い添える。
枢機卿会と教皇派、二つの勢力が対立している。アルヴィンにとって、それは初めて耳にする話だ。そしてベラナとエルシアは……言うまでもなく、少数派に属するのだろう。
自嘲気味に、老人は続けた。
「実際は、とても対抗できておる状況ではないがな。頼みの綱の教皇は、眠りの呪いを受け意識すらない。この十年で、多くの同志を失った」
老人の声に、愁いの影が差した。
いや──罪悪感、か。
ベラナの心の底にある感情を、容易に読み取ることはできない。だがアルヴィンは、ほんの僅かな機微を感じ取る。
「審問官見習いアルヴィン。君は、どちらにつくかね?」
──枢機卿側につくか、教皇派側につくか。
アルヴィンにとって、それは問われるまでもないことだ。
「初めてお目にかかった時のことをお忘れですか。僕の指導官は、あなた以外にはないと言ったはずです」
「処刑人に睨まれれば、無事ではおられぬぞ」
「ご心配には及びません。もう十分に睨まれておりますので」
アルヴィンはしれっとした顔で答える。この期に及んで処刑人に味方したとしても、リベリオが許すまい。
「意思は、変わらぬかね?」
「変わりません」
「……強情は、あやつと同じだな」
意外なことに、常に不機嫌をまとっているかのようなベラナが、一瞬、笑みを浮かべたように見えた。
「あやつ……誰ですか?」
問いかけに答えず、老人は身を乗り出す。そして、アルヴィンの目を見据える。
「時間がない。託しておくことがある」
「託しておくこと……?」
「一つ、手を打った。枢機卿の中にも、悪癖に染まらぬ気概のある男がおる。クセの強い奴ではあるが──」
そこで、ベラナは急に口をつぐんだ。
鍵束が擦れるような、金属音が響いたのだ。部屋の外からである。
続いて、鍵が差し込まれる。
──処刑人が、部屋に入ろうとしている。
そう気づいて、アルヴィンは顔色を変えた。
「アルヴィン」
咄嗟に立ち上がった彼を、老人は冷静な眼差しのまま見上げる。
「あの娘の、墓参は済ませたか?」
「……? いいえ」
あの娘とは、不死の魔女であったメアリーを指すのだろう。
今にも処刑人が飛び込んでくるタイミングで、なぜそれを持ち出すのか……。
「戻りますわよ!」
エルシアに腕を引っ張られ、その意味を確認する間はない。
扉の、ノブが廻る。
「早く行くがいい」
その言葉が、アルヴィンの耳に届いたかは怪しい。
次の瞬間、扉が荒々しく開かれた。
無遠慮に踏み込んだのは、二人の処刑人である。チェーンメイルを着込み、帯剣している。
「誰と話をしていた?」
無機質な声で、処刑人は詰問する。ベラナに対する態度は、寸分の敬意も感じられない。
「午後の祈りじゃよ。血相を変えて怒鳴り込むようなことかね?」
座したまま、ベラナは空惚ける。
処刑人は舌打ちすると部屋を見回し……眼を鋭く光らせた。
ソファーの脇に、不自然な毛布の塊があった。それはちょうど、人が隠れられるほどの大きさがある。
処刑人は、侵入者の浅知恵に嘲笑をこぼした。
目配せをすると、二人は抜剣する。
警告などない。
二本の白刃が、無慈悲に振り下ろされた。くぐもった悲鳴と鮮血が上がり、毛布を見る間に赤く濡らしていく。
ベラナは、僅かに眉をしかめただけだ。
周囲に、多量の羽毛が舞い散ったのである。毛布の下にあったのは、羽毛枕だったのだ。
「満足したかね?」
処刑人らの背中に、ベラナは皮肉のこもった視線を送る。
「気が済んだなら、持ち場に戻ることだ。もちろん、替えの枕を忘れんでくれよ」
剣をおさめると、怒りに床を踏み鳴らしながら男らは出て行く。
部屋の隅で、そっと壁板が閉じた。
間一髪でベラナの部屋を抜け出した二人は、女子トイレに戻っていた。
乱れた息を整えながら、アルヴィンは考えを巡らす。
──あの娘の、墓参は済ませたか?
ベラナの言葉が、頭から離れない。
墓参……はたと思い当たり、アルヴィンは祭服のポケットを探る。手に触れたのは、丸められ、皺だらけとなったメモ紙だ。
それはベラナが拘束される直前、メアリーの墓所だと渡されたものである。
皺を伸ばし、アルヴィンは食い入るように目を通す。
そこには──
”北墓地一五番地一六五〇 X KOL一〇一二一〇二五”
──と、ある。
前半は、墓所に違いない。だが後半は……無意味な、記号の羅列にしか見えなかった。
いや……果たして、そうだろうか?
ベラナは、意味のないことはしない。アルヴィンは、直感する。
老人がアルヴィンにメモ紙を託したこと、そして後半の記号は、必ず何かの意図があるはずだ。
彼は、トイレの外へと駆けだしていた。
「どこに行くのです!?」
エルシアの声が、背中にぶつかる。
「少し、外に出ます!」
「出るって……アルヴィン! 待ちなさい!」
アルヴィンは待たない。
構わずに女子トイレから走り出る。墓所へと向かって。
外は既に、オレンジ色の夕日が差していた。
老人の声は重々しく響いた。
ベラナの部屋は、アルヴィンの自室と変わらない殺風景なものだった。調度品は最低限で、ベッドと書き物机、あとは応接ソファーくらいだ。
おおよそ上級審問官という位階に、似つかわしくない質素さがある。ただし、広さだけは数倍はあった。
それ故に、殺風景さがより際立つが……
三人は、応接ソファーに腰掛けた。アルヴィンの隣にエルシア、向かいにベラナが座る。
「選択、とは、どういう意味でしょうか」
処刑人に気取られないように、アルヴィンは声を低くして尋ねた。
手前の老人は、昨日こそ疲労が色濃かったが、目には獅子を思わせる力強さが戻っている。
「教会は、二つの派閥に割れておる」
そう言うと、ベラナは自虐的な笑みを浮かべる。
「もっとも、圧倒的多数派と少数派を、同列として良ければ、の話だがな」
「……多数派、とは枢機卿会、のことですか?」
アルヴィンは、記憶の糸を手繰り寄せながら問う。
枢機卿会とは、七人の枢機卿で構成される、教皇の顧問団だ。
教皇ミスル・ミレイが眠りの呪いを受け、公の場から姿を消して久しい。今や彼らは、教会の実質的な支配者であると言っても過言ではない。
「枢機卿会は教会法をないがしろにし、不死を求めておる。処刑人を擁する彼らに諫言できる者はほとんどおらず、思うがままというわけだ」
「それに異を唱え、暗闘してきたのが教皇派なのです」
エルシアが、真剣な声音で言い添える。
枢機卿会と教皇派、二つの勢力が対立している。アルヴィンにとって、それは初めて耳にする話だ。そしてベラナとエルシアは……言うまでもなく、少数派に属するのだろう。
自嘲気味に、老人は続けた。
「実際は、とても対抗できておる状況ではないがな。頼みの綱の教皇は、眠りの呪いを受け意識すらない。この十年で、多くの同志を失った」
老人の声に、愁いの影が差した。
いや──罪悪感、か。
ベラナの心の底にある感情を、容易に読み取ることはできない。だがアルヴィンは、ほんの僅かな機微を感じ取る。
「審問官見習いアルヴィン。君は、どちらにつくかね?」
──枢機卿側につくか、教皇派側につくか。
アルヴィンにとって、それは問われるまでもないことだ。
「初めてお目にかかった時のことをお忘れですか。僕の指導官は、あなた以外にはないと言ったはずです」
「処刑人に睨まれれば、無事ではおられぬぞ」
「ご心配には及びません。もう十分に睨まれておりますので」
アルヴィンはしれっとした顔で答える。この期に及んで処刑人に味方したとしても、リベリオが許すまい。
「意思は、変わらぬかね?」
「変わりません」
「……強情は、あやつと同じだな」
意外なことに、常に不機嫌をまとっているかのようなベラナが、一瞬、笑みを浮かべたように見えた。
「あやつ……誰ですか?」
問いかけに答えず、老人は身を乗り出す。そして、アルヴィンの目を見据える。
「時間がない。託しておくことがある」
「託しておくこと……?」
「一つ、手を打った。枢機卿の中にも、悪癖に染まらぬ気概のある男がおる。クセの強い奴ではあるが──」
そこで、ベラナは急に口をつぐんだ。
鍵束が擦れるような、金属音が響いたのだ。部屋の外からである。
続いて、鍵が差し込まれる。
──処刑人が、部屋に入ろうとしている。
そう気づいて、アルヴィンは顔色を変えた。
「アルヴィン」
咄嗟に立ち上がった彼を、老人は冷静な眼差しのまま見上げる。
「あの娘の、墓参は済ませたか?」
「……? いいえ」
あの娘とは、不死の魔女であったメアリーを指すのだろう。
今にも処刑人が飛び込んでくるタイミングで、なぜそれを持ち出すのか……。
「戻りますわよ!」
エルシアに腕を引っ張られ、その意味を確認する間はない。
扉の、ノブが廻る。
「早く行くがいい」
その言葉が、アルヴィンの耳に届いたかは怪しい。
次の瞬間、扉が荒々しく開かれた。
無遠慮に踏み込んだのは、二人の処刑人である。チェーンメイルを着込み、帯剣している。
「誰と話をしていた?」
無機質な声で、処刑人は詰問する。ベラナに対する態度は、寸分の敬意も感じられない。
「午後の祈りじゃよ。血相を変えて怒鳴り込むようなことかね?」
座したまま、ベラナは空惚ける。
処刑人は舌打ちすると部屋を見回し……眼を鋭く光らせた。
ソファーの脇に、不自然な毛布の塊があった。それはちょうど、人が隠れられるほどの大きさがある。
処刑人は、侵入者の浅知恵に嘲笑をこぼした。
目配せをすると、二人は抜剣する。
警告などない。
二本の白刃が、無慈悲に振り下ろされた。くぐもった悲鳴と鮮血が上がり、毛布を見る間に赤く濡らしていく。
ベラナは、僅かに眉をしかめただけだ。
周囲に、多量の羽毛が舞い散ったのである。毛布の下にあったのは、羽毛枕だったのだ。
「満足したかね?」
処刑人らの背中に、ベラナは皮肉のこもった視線を送る。
「気が済んだなら、持ち場に戻ることだ。もちろん、替えの枕を忘れんでくれよ」
剣をおさめると、怒りに床を踏み鳴らしながら男らは出て行く。
部屋の隅で、そっと壁板が閉じた。
間一髪でベラナの部屋を抜け出した二人は、女子トイレに戻っていた。
乱れた息を整えながら、アルヴィンは考えを巡らす。
──あの娘の、墓参は済ませたか?
ベラナの言葉が、頭から離れない。
墓参……はたと思い当たり、アルヴィンは祭服のポケットを探る。手に触れたのは、丸められ、皺だらけとなったメモ紙だ。
それはベラナが拘束される直前、メアリーの墓所だと渡されたものである。
皺を伸ばし、アルヴィンは食い入るように目を通す。
そこには──
”北墓地一五番地一六五〇 X KOL一〇一二一〇二五”
──と、ある。
前半は、墓所に違いない。だが後半は……無意味な、記号の羅列にしか見えなかった。
いや……果たして、そうだろうか?
ベラナは、意味のないことはしない。アルヴィンは、直感する。
老人がアルヴィンにメモ紙を託したこと、そして後半の記号は、必ず何かの意図があるはずだ。
彼は、トイレの外へと駆けだしていた。
「どこに行くのです!?」
エルシアの声が、背中にぶつかる。
「少し、外に出ます!」
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