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第四章 原初の魔女
第46話 嵐と影 1
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漆黒の闇の底に、滴が落ちた。
頭にかかった靄が急速に晴れ、クリスティーは飛び起きた。
そこは夢の中ではない。診療所にある、仮眠室でもない。
湿気と独特のかび臭さからして、ここはまだ地下なのだろう。
腹部に走った激痛が、現実を突きつけた。傷口に手をやり……手当されていることに気づく。
「……魔女を救うなんて、審問官失格ね……」
痛みに顔を歪めながら呟いた皮肉に、アルヴィンは答えない。ただ彼女が横たわるのに手を貸しただけだ。
クリスティーは傷口に手をやった。
掌が、淡い青白い光を放ったのを見て、安堵の息を漏らす。
あの悪趣味極まりない水牢では、魔法を使うことができなかった。ここなら傷口を癒やすことができる。
意識を集中すると、彼女は癒やしの魔法を編み上げる。
──失った血は、戻せない。だが今は止血できれば十分だ。
傷口が癒えると共に、痛みが和らぐのを感じた。
呼吸が落ち着くと、クリスティーは自力で上体を起こした。
二人の視線が交錯し──言葉を発したのは、同時だ。
「──何があった?」
「──外の様子は?」
語気の強さからして彼女は、先に質問に答える気などなさそうだ。
嘆息すると、アルヴィンは短く告げた。
「嵐だ」
その一言に、クリスティーは表情を硬くする。彼女らしからぬ、焦りの色がちらついた。
壁に手をつきながら、よろよろと立ち上がる。
「……逃げなさい。直ぐに、できるだけ遠くに、よ」
「逃げる? なぜだ?」
問いかけに、返事はない。
一歩踏み出し……途端に足をよろめかせた。アルヴィンが咄嗟に身体を支える。
「無茶をするな!」
そう叫んだ時、すぐ近くに彼女の顔があった。
長い睫が、碧い瞳に憂いの影を落としていた。アルヴィンは視線を逸らすことなく、胸にため込んだ思いを吐き出した。
「君は、卑怯だ」
「魔女ですもの。当然でしょう?」
「そんな問題じゃない。なぜ、あの日の真相を話さなかった? ……白き魔女も君も、父の死に関与していなかったんだろう」
「救えなかったのは事実ですもの。それに──」
クリスティーの瞳に、一瞬だけ哀しみにも似た色が浮かぶ。
「あの時、違うと言ったら信じてくれたの?」
その言葉は、鋭利な刃物のようにアルヴィンの心に突き刺さった。
彼女の言うとおりだ。例え真実を話されていたとしても──信じようとはしなかっただろう……
「この話は終わりよ。分かったなら、逃げてちょうだい」
クリスティーは邪険に腕を振り払う。
いや、アルヴィンは離さない。心底悔いたように、言葉を絞り出す。
「……君を信じ切れなかったのは、僕の罪だ」
「私たちは魔女と審問官よ。お互いを利用し合う関係、謝る必要なんてないわ。さあ、素直に去る気がないのなら、力づくで叩き出してやろうかしら?」
クリスティーはアルヴィンを突き放した。彼女の双眸が、心が凍てつくような冷然としたものに変わる。
「──君を置いて去る気はない」
覚悟を決めたように、アルヴィンは重々しく返答した。
「つくづく甘い人ね。……この期に及んで、もう一度取引をしたいとでも言い出すつもりじゃないでしょうね」
「取引はしない」
アルヴィンはかぶりを振った。真っ直ぐにクリスティーを見つめる。
「取引じゃない。クリスティー、僕の──仲間、になってくれ」
「……なんですって?」
「利用しあう取引ではなく、信頼しあえる仲間になって欲しい」
一瞬、時が止まった。
クリスティーは──唖然とした顔で沈黙していた。
ややあって、肩を震わせる。
そんな表情を浮かべた彼女を見るのは、後にも先にもこの一度だけだったかもしれない。口許に手をやると……少女のように、クスクスと笑い始めたのだ。
「な、何がおかしいんだ!?」
「……あらごめんなさい。あれだけ尖っていたあなたから……そんな言葉が出てくるなんて……おかしくて……!」
目尻に涙を浮かべながら、なおもクリスティーは笑う。小馬鹿にされているような気がして、アルヴィンは面白くない。
プロポーズをしたのに返事をお預けされているような、気恥ずかしささえある。
憮然として、アルヴィンは眉根を寄せた。
「……どっちなのか、答えを早く聞かせてくれないか」
「仲間……! そうね、私たちが仲間になれば、この事態を切り抜けられるかもしれないわね」
「それじゃあ……」
クリスティーは微笑むと、白い優美な手を差し出した。
アルヴィンは、ウルバノと戦った夜の出来事を思い出す。あの時は、その場限りだと手をはたいた。
だが今は──強く、握り返す。
「決まりね」
そう言うと、彼女は声を真剣なものへと変えた。
「状況は複雑よ。そして、極めて深刻だわ」
クリスティーの両眼が、鋭い硬質の光を放つ。声には、重苦しい響きが伴った。
「すぐに手を打たなければ、アルビオは壊滅する。大勢が死ぬことになるわ」
「……これは、ただの嵐ではないんだな?」
「そうよ。これは──原初の魔女のひとり、オラージュの魔法よ」
アルヴィンは、戦慄した。
原初の、魔女。この局面でその名が出たことに、不吉な影を感じずにはいられない。
事態は、制御不能な方向へと暗転し始めた。
頭にかかった靄が急速に晴れ、クリスティーは飛び起きた。
そこは夢の中ではない。診療所にある、仮眠室でもない。
湿気と独特のかび臭さからして、ここはまだ地下なのだろう。
腹部に走った激痛が、現実を突きつけた。傷口に手をやり……手当されていることに気づく。
「……魔女を救うなんて、審問官失格ね……」
痛みに顔を歪めながら呟いた皮肉に、アルヴィンは答えない。ただ彼女が横たわるのに手を貸しただけだ。
クリスティーは傷口に手をやった。
掌が、淡い青白い光を放ったのを見て、安堵の息を漏らす。
あの悪趣味極まりない水牢では、魔法を使うことができなかった。ここなら傷口を癒やすことができる。
意識を集中すると、彼女は癒やしの魔法を編み上げる。
──失った血は、戻せない。だが今は止血できれば十分だ。
傷口が癒えると共に、痛みが和らぐのを感じた。
呼吸が落ち着くと、クリスティーは自力で上体を起こした。
二人の視線が交錯し──言葉を発したのは、同時だ。
「──何があった?」
「──外の様子は?」
語気の強さからして彼女は、先に質問に答える気などなさそうだ。
嘆息すると、アルヴィンは短く告げた。
「嵐だ」
その一言に、クリスティーは表情を硬くする。彼女らしからぬ、焦りの色がちらついた。
壁に手をつきながら、よろよろと立ち上がる。
「……逃げなさい。直ぐに、できるだけ遠くに、よ」
「逃げる? なぜだ?」
問いかけに、返事はない。
一歩踏み出し……途端に足をよろめかせた。アルヴィンが咄嗟に身体を支える。
「無茶をするな!」
そう叫んだ時、すぐ近くに彼女の顔があった。
長い睫が、碧い瞳に憂いの影を落としていた。アルヴィンは視線を逸らすことなく、胸にため込んだ思いを吐き出した。
「君は、卑怯だ」
「魔女ですもの。当然でしょう?」
「そんな問題じゃない。なぜ、あの日の真相を話さなかった? ……白き魔女も君も、父の死に関与していなかったんだろう」
「救えなかったのは事実ですもの。それに──」
クリスティーの瞳に、一瞬だけ哀しみにも似た色が浮かぶ。
「あの時、違うと言ったら信じてくれたの?」
その言葉は、鋭利な刃物のようにアルヴィンの心に突き刺さった。
彼女の言うとおりだ。例え真実を話されていたとしても──信じようとはしなかっただろう……
「この話は終わりよ。分かったなら、逃げてちょうだい」
クリスティーは邪険に腕を振り払う。
いや、アルヴィンは離さない。心底悔いたように、言葉を絞り出す。
「……君を信じ切れなかったのは、僕の罪だ」
「私たちは魔女と審問官よ。お互いを利用し合う関係、謝る必要なんてないわ。さあ、素直に去る気がないのなら、力づくで叩き出してやろうかしら?」
クリスティーはアルヴィンを突き放した。彼女の双眸が、心が凍てつくような冷然としたものに変わる。
「──君を置いて去る気はない」
覚悟を決めたように、アルヴィンは重々しく返答した。
「つくづく甘い人ね。……この期に及んで、もう一度取引をしたいとでも言い出すつもりじゃないでしょうね」
「取引はしない」
アルヴィンはかぶりを振った。真っ直ぐにクリスティーを見つめる。
「取引じゃない。クリスティー、僕の──仲間、になってくれ」
「……なんですって?」
「利用しあう取引ではなく、信頼しあえる仲間になって欲しい」
一瞬、時が止まった。
クリスティーは──唖然とした顔で沈黙していた。
ややあって、肩を震わせる。
そんな表情を浮かべた彼女を見るのは、後にも先にもこの一度だけだったかもしれない。口許に手をやると……少女のように、クスクスと笑い始めたのだ。
「な、何がおかしいんだ!?」
「……あらごめんなさい。あれだけ尖っていたあなたから……そんな言葉が出てくるなんて……おかしくて……!」
目尻に涙を浮かべながら、なおもクリスティーは笑う。小馬鹿にされているような気がして、アルヴィンは面白くない。
プロポーズをしたのに返事をお預けされているような、気恥ずかしささえある。
憮然として、アルヴィンは眉根を寄せた。
「……どっちなのか、答えを早く聞かせてくれないか」
「仲間……! そうね、私たちが仲間になれば、この事態を切り抜けられるかもしれないわね」
「それじゃあ……」
クリスティーは微笑むと、白い優美な手を差し出した。
アルヴィンは、ウルバノと戦った夜の出来事を思い出す。あの時は、その場限りだと手をはたいた。
だが今は──強く、握り返す。
「決まりね」
そう言うと、彼女は声を真剣なものへと変えた。
「状況は複雑よ。そして、極めて深刻だわ」
クリスティーの両眼が、鋭い硬質の光を放つ。声には、重苦しい響きが伴った。
「すぐに手を打たなければ、アルビオは壊滅する。大勢が死ぬことになるわ」
「……これは、ただの嵐ではないんだな?」
「そうよ。これは──原初の魔女のひとり、オラージュの魔法よ」
アルヴィンは、戦慄した。
原初の、魔女。この局面でその名が出たことに、不吉な影を感じずにはいられない。
事態は、制御不能な方向へと暗転し始めた。
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