白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

文字の大きさ
90 / 197
第五章 幻惑の魔女

第17話 顔のない訪問者

しおりを挟む
 少年は腹部を押さえ、うずくまる。
 硬い音を立てて花瓶が床を転がった。

「アルヴィン! 何てことをっ!!」

 口許を押さえたフェリシアの顔は蒼白だ。
 あどけない少年に花瓶を投げつけた挙げ句、発砲する。何も知らぬ者が見れば、正気を失ったようにしか見えない。
 だが──それは違う。

「近づくな!」 

 少年に駆け寄ろうとしたフェリシアを、アルヴィンは一喝した。 
 額に脂汗をにじませながら、エウラリオは顔を上げる。

「……なぜです……アルヴィン……?」
「猿芝居は、それくらいにしていただきましょうか」

 アルヴィンは白い眼光を放った。
 声に、辛辣な響きが伴った。

「勉強不足ですね。本物の枢機卿エウラリオは、左利きですよ」
「……たったそれだけで……躊躇なく引き金を……? 悪い……男だ──なっ!!」

 銀色の輝きが、一閃した。 
 弱々しかった声音が、怒気と殺気を孕んだものに一変した。 
 瞬きする間よりも早く、少年はバネのように跳ね起きていた。
 手に握られているのは、短剣だ。

 とても手負いとは思えない、鋭利な斬撃がアルヴィンに襲いかかる。凶刃が鼻先に迫った。

 だが、その一撃を──アルヴィンは完全に予期していた。

 屋敷の前で会った時から、強い違和感を抱いていたのだ。
 エウラリオは襲撃を警戒し、隠し部屋に篭もるような用心深い男だ。
 いくら急ぎの用件とはいえ、護衛も連れずひとり出向くだろうか。

 そして……教皇庁で初めて会った時、左手で扉を開けた。処刑人の仮面を渡したのも、左手だった。
 投じられた花瓶を右手で掴んだ時、疑惑は確信へ変わった。

 アルヴィンは、少年の手首を痛烈に蹴り上げる。
 短剣が宙を飛んだ。
 僅かに生じた隙を、アルヴィンは見逃さない。頭部を狙い、容赦なく銃弾を撃ち込む。

 短剣が閃いてから発砲まで、二秒も経過していない。
 息を呑むような手際の良さだ。

 だが……アルヴィンは顔をしかめた。
 手応えが、ない。
 弾痕はエウラリオではなく、大理石の床に穿たれた。
 少年の小さな身体は、文字通り霧散した。

 黒い煙に変化し、周囲に広がったのだ。
 それは数メートル先の廊下に集まり……人の形をとる。
 ダークブロンドの髪が揺れ、ボーイソプラノを思わせる声は、艶やかな女のものに変わった。

「私の変異を見破るなんて、存外優秀じゃない」
「魔女っ!?」 

 背後で、フェリシアが驚きの声を上げる。
 そこには、凛とした気品をまとった女が立っていた。
 外見はクリスティーそのものだが……彼女では、決してない。
 アルヴィンは表情を厳しくした。

「──幻惑の魔女、エブリアですね?」

 拳銃は構えたままだ。
 最大級の警戒を払い、女を睨みつける。

「姿を自在に変え、短剣を使い凶行に及ぶ魔女。教会のアーカイブに、特徴の一致する事件記録が残されていましたよ。君には、二十年前に手配が出されている」

 返されたのは言葉ではなく、微笑みだ。
 つまり肯定……なのだろう。
 アルヴィンの胸中を、安堵と落胆が複雑に交錯した。

 クリスティーは、枢機卿の暗殺に関与していなかった。
 犯人は──彼女の凶行を装った、幻惑の魔女だった。
 最初から、幻を追わされていたのだ。

「不思議ね。どうして私の存在に気づいたのかしら?」

 エブリアは小首をかしげると、優美で張りのある声を奏でる。 
 偽者だと分かっていても……姿と声音は、憎らしいほど彼女そのものだ。
 だが容姿は瓜二つでも、瞳の奥には毒々しい悪意のちらつきが見えた。
 不快げにアルヴィンは秀眉をよせる。

「……この事件には、最初から違和感があった。上級審問官まで経験した枢機卿が、なぜ無抵抗で殺害されたのか。例え練達の審問官でも、近親者や同僚に化けられれば隙が生まれる。それに……」

 アルヴィンは、声に力をこめた。

「彼女は、目的のために人を殺めたりはしない。僕は、そう信じている」
「あらあら。審問官のクセに、ずいぶん魔女を信用しているのね。だったら私と手を組んでみない?」
「断る」

 返答は短く、素気ない。

「枢機卿を憎んでいるのでしょう? あなたは復讐を達成し、私は禁書庫の鍵を手に入れる。お互いに利益のある、いい取引じゃないかしら?」
「生憎だが、一切思わないね。魔女の凶行に手を貸すつもりはない。不死を得て、何になる」
「我々は、不死など求めていないわ」
「なに……?」
「全ては、大陸の滅亡を回避するためよ」

 大陸の、滅亡。
 昨夜マリノが、全く同じ言葉を口走っていたことにアルヴィンは気づく。 

「不死と滅亡……何の関係がある」
「さあ? 魔女が素直に教えると思う?」

 エブリアは意味ありげな笑みを浮かべ、花唇をほころばせた。
 アルヴィンがさらに質そうとした刹那──声は、羽音によって遮られた。 
 割れたガラス窓から、黒い影が飛び込んできたのだ。

 それは一直線に飛翔し、魔女の肩にとまる。
 紅玉を目にはめ込んだような、不気味なカラスである。
 耳元にクチバシを寄せ、何かを耳打ちした……そう見えた。
 エブリアは大げさに肩をすくめた。

「残念ね。あなたと決着をつけたかったけれど、お暇するようにとの命令だわ」 
「暇……? 待てっ!」

 叫んだ時、魔女の身体は既に黒煙へと変化していた。
 昨夜と同じだ。濃密な煙が廊下に満ち、たちまち視界が奪われる。

「──なぜクリスティーを装ってマリノを襲った!?」

 返答はなかった。
 煙が晴れた後、残されたのは、少年の亡骸と二人の生者だけだ。

「くそっ……!」  
 
 アルヴィンは壁に拳を打った。 
 むざむざと魔女を取り逃がし……しかも、二度だ。自分への苛立ちが抑えられない。

「どうやら今回も、事情は複雑なようだね」

 胸元で腕を組んだフェリシアが、小さく嘆息する。 
 魔女を目の当たりにすれば、一般人なら声も出せなくなるほど震え上がっても不思議はない。
 だが彼女の眼差しは、冷静さを取り戻していた。

 並みの審問官よりも、よほど順応性があるかもしれない。
 フェリシアは窓の外を一瞥した。

「追うんだろ、アルヴィン?」
「──もちろんだ」

 今度は逃がしはしない。
 アルヴィンは夜空を鋭くにらんだ。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 夢遊病者のように、ベネットは街を彷徨った。
 正義感と裏切りへの怒りが、少年を突き動かしていた。
 だが……広い聖都で、そう容易く師を見つけ出せるはずがない。
 濃くなった疲労に喘ぐようにして空を仰ぎ……硬直する。

 星空が一瞬、黒煙によって遮られた。
 既視感があった。
 それは昨夜マリノの邸宅で見た……魔法だ。
 黒煙は、西の空へと移動していく。

 ベネットは走り出した。

しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...