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第五章 幻惑の魔女
第18話 真夜中の葬送
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アルヴィンは、はたと足を止めた。
濃密な敵意が漂っていた。
そこは老舗の高級店が集まった、商店街の一角だ。
高級服、家具、食品、雑貨……様々な店舗が軒を並べている。
すでに時刻は夜半に近い。
当然だが、開いている店などひとつもない。
等間隔に立つ街灯が、ポツポツと闇を切り取っていた。
その下に教え子の姿を見出して、アルヴィンは驚きの声を発した。
「──ベネット?」
ガス灯のオレンジ色の色彩が、何か意を決した少年の顔を浮かび上がらせていた。
アルヴィンは、ひとつ隣の街灯の下に立つ。
それが今の二人の、心の隔たりのように思われた。
「ベネットか。なぜここに?」
教え子は答えない。
謹慎を破ったことを、叱責されるのを恐れているのだろうか。
アルヴィンは小さく嘆息した。
「理由は後で訊かせてもらう。それよりも僕は昨夜の魔女を追っている。君は見なかったか?」
「いえ……」
「まだ近くにいるはずだ。ついてきてくれ」
言って、アルヴィンは数歩駆けた。
そして──気づく。
背中に、刺々しい敵意……いや、殺意が照射されていることに。
「──ベネット?」
振り返り、銃口を向けた教え子と目が合う。
「何をしているんだ、ベネット?」
師を前にして、少年の身体は震えた。
構えた拳銃が妙に重たく感じられた。
ベネットは、叫びにも似た声を絞り出した。
「アルヴィン師っ! どうして教会を裏切ったのですか!?」
「裏切る? ……何の話だ?」
「とぼけないでください! あなたが魔女と内通していることを、知っているんです!」
少年は明らかに冷静さを欠いているように見える。
アルヴィンは、数歩近づいた。
少年は引き金に掛けた指に、力を込めた。
「近づかないでください!」
「銃を下ろすんだ、ベネット!」
アルヴィンが叫ぶのと、閃光が走ったのは同時だった。
夜の街に、銃声が残響した。
ベネットが放った銃弾は正確に──短剣を捉えた。
火花が散り、少年の首を狙った軌道を逸らす。クルクルと宙を回転し、カン! と甲高い音を立てて石畳に落ちた。
短剣を投じたのは──
「まったく……」
忌々しげな声が、師の口から漏れた。
「──師弟そろって、嫌になるくらい勘のいい連中だ」
ゾッとするような冷たい声が響く。
師の周りに黒煙が渦巻き──女へと変わった。
その顔を、見間違えようはずがない。昨夜、枢機卿マリノの邸宅で対峙した魔女だ。
「凶音の魔女っ!?」
ベネットは驚きの声を上げた。
師が……魔女になる。
状況に全く理解が追いつかない。
──どうして魔女がいる!? アルヴィン師は……どこに行ったんだっ!?
ベネットは混乱の極みにある。
そして、不意に思い出す。オルガナでの、ある講義の一コマが甦った。
魔女には、姿を自在に変える特殊な者がいる、と。
「──幻惑の魔法……なのか?」
ベネットは呆然としながら口走る。
魔女は少年の追跡に気づき、師の姿となって欺いた。
隙を突いて凶行に及ぶつもりだったのだろう。
皮肉なことだが……師を粛正しようとしたことが、彼の命を救ったのだ。
「だったら、アルヴィン師はどこに……。違う! とにかく今は魔女を駆逐する! それだけだっ!」
魔女を前にして、むしろベネットは奮い立った。
見習いが魔女に挑む……冷静に考えれば、それは勇敢ではなく無謀に分類されるべき行動だ。
一目散に、逃げ出すべきだったのだ。
だが少年の、高すぎるプライドが邪魔をする。
「アルヴィン師は、見習いになって三日で火の魔女を駆逐したんだ! 私にだってできる!」
自分を鼓舞した刹那──魔女が、スッと眼前に近づいた。
次の瞬間には、胸ぐらを掴まれ持ち上げられている。
「──え?」
間合いは、十分にあったはずだ。
それが常識や物理法則が居眠りしたかのように、魔女を瞬時に移動させたのだ。
抵抗する間など用意されていない。
ゴムまりのように軽々と、少年の身体は宙に投じられた。
仕立屋のショーウインドウに容赦なく叩きつけられ、ガラスの割れるけたましい音が夜の静寂を破った。
ベネットはガラス片と共に店内を転がる。
──なんて力だっ!!
あの細腕のどこに、こんな爆発的な力があるのか。ベネットは戦慄する。
背中が痛む。いや、全身が悲鳴をあげている。
途切れそうになる意識を、懸命に掴む。
──これで終わりじゃないぞ! 次が来るっ!
悠長に寝転んでいる時間はない。
身体に鞭を打って、立ち上がる。
ベネットの直感は、残念ながら的中した。
魔女は短剣を手にして、店内に足を踏み入れていた。
ベネットは、女を真っ直ぐ睨みつけた。
劣勢、ではあることは認める。
だが闘志は失っていない。駆逐する自信はある。
ベネットは、拳銃を構える。
──と。
違和感に、気づく。
右手が妙に軽かった。
ベネットは顔を青ざめさせた。
あるべき拳銃が……なかった。
ショーウインドウに叩きつけられた衝撃で、手放したのだ。
店の床はガラス片やマネキンの手足、生地が無秩序に散乱している。
視線を彷徨わせ、ベネットは狼狽えた。
戦いの最中に武器を失う──初歩的な、そして致命的なミスだった。
濃密な敵意が漂っていた。
そこは老舗の高級店が集まった、商店街の一角だ。
高級服、家具、食品、雑貨……様々な店舗が軒を並べている。
すでに時刻は夜半に近い。
当然だが、開いている店などひとつもない。
等間隔に立つ街灯が、ポツポツと闇を切り取っていた。
その下に教え子の姿を見出して、アルヴィンは驚きの声を発した。
「──ベネット?」
ガス灯のオレンジ色の色彩が、何か意を決した少年の顔を浮かび上がらせていた。
アルヴィンは、ひとつ隣の街灯の下に立つ。
それが今の二人の、心の隔たりのように思われた。
「ベネットか。なぜここに?」
教え子は答えない。
謹慎を破ったことを、叱責されるのを恐れているのだろうか。
アルヴィンは小さく嘆息した。
「理由は後で訊かせてもらう。それよりも僕は昨夜の魔女を追っている。君は見なかったか?」
「いえ……」
「まだ近くにいるはずだ。ついてきてくれ」
言って、アルヴィンは数歩駆けた。
そして──気づく。
背中に、刺々しい敵意……いや、殺意が照射されていることに。
「──ベネット?」
振り返り、銃口を向けた教え子と目が合う。
「何をしているんだ、ベネット?」
師を前にして、少年の身体は震えた。
構えた拳銃が妙に重たく感じられた。
ベネットは、叫びにも似た声を絞り出した。
「アルヴィン師っ! どうして教会を裏切ったのですか!?」
「裏切る? ……何の話だ?」
「とぼけないでください! あなたが魔女と内通していることを、知っているんです!」
少年は明らかに冷静さを欠いているように見える。
アルヴィンは、数歩近づいた。
少年は引き金に掛けた指に、力を込めた。
「近づかないでください!」
「銃を下ろすんだ、ベネット!」
アルヴィンが叫ぶのと、閃光が走ったのは同時だった。
夜の街に、銃声が残響した。
ベネットが放った銃弾は正確に──短剣を捉えた。
火花が散り、少年の首を狙った軌道を逸らす。クルクルと宙を回転し、カン! と甲高い音を立てて石畳に落ちた。
短剣を投じたのは──
「まったく……」
忌々しげな声が、師の口から漏れた。
「──師弟そろって、嫌になるくらい勘のいい連中だ」
ゾッとするような冷たい声が響く。
師の周りに黒煙が渦巻き──女へと変わった。
その顔を、見間違えようはずがない。昨夜、枢機卿マリノの邸宅で対峙した魔女だ。
「凶音の魔女っ!?」
ベネットは驚きの声を上げた。
師が……魔女になる。
状況に全く理解が追いつかない。
──どうして魔女がいる!? アルヴィン師は……どこに行ったんだっ!?
ベネットは混乱の極みにある。
そして、不意に思い出す。オルガナでの、ある講義の一コマが甦った。
魔女には、姿を自在に変える特殊な者がいる、と。
「──幻惑の魔法……なのか?」
ベネットは呆然としながら口走る。
魔女は少年の追跡に気づき、師の姿となって欺いた。
隙を突いて凶行に及ぶつもりだったのだろう。
皮肉なことだが……師を粛正しようとしたことが、彼の命を救ったのだ。
「だったら、アルヴィン師はどこに……。違う! とにかく今は魔女を駆逐する! それだけだっ!」
魔女を前にして、むしろベネットは奮い立った。
見習いが魔女に挑む……冷静に考えれば、それは勇敢ではなく無謀に分類されるべき行動だ。
一目散に、逃げ出すべきだったのだ。
だが少年の、高すぎるプライドが邪魔をする。
「アルヴィン師は、見習いになって三日で火の魔女を駆逐したんだ! 私にだってできる!」
自分を鼓舞した刹那──魔女が、スッと眼前に近づいた。
次の瞬間には、胸ぐらを掴まれ持ち上げられている。
「──え?」
間合いは、十分にあったはずだ。
それが常識や物理法則が居眠りしたかのように、魔女を瞬時に移動させたのだ。
抵抗する間など用意されていない。
ゴムまりのように軽々と、少年の身体は宙に投じられた。
仕立屋のショーウインドウに容赦なく叩きつけられ、ガラスの割れるけたましい音が夜の静寂を破った。
ベネットはガラス片と共に店内を転がる。
──なんて力だっ!!
あの細腕のどこに、こんな爆発的な力があるのか。ベネットは戦慄する。
背中が痛む。いや、全身が悲鳴をあげている。
途切れそうになる意識を、懸命に掴む。
──これで終わりじゃないぞ! 次が来るっ!
悠長に寝転んでいる時間はない。
身体に鞭を打って、立ち上がる。
ベネットの直感は、残念ながら的中した。
魔女は短剣を手にして、店内に足を踏み入れていた。
ベネットは、女を真っ直ぐ睨みつけた。
劣勢、ではあることは認める。
だが闘志は失っていない。駆逐する自信はある。
ベネットは、拳銃を構える。
──と。
違和感に、気づく。
右手が妙に軽かった。
ベネットは顔を青ざめさせた。
あるべき拳銃が……なかった。
ショーウインドウに叩きつけられた衝撃で、手放したのだ。
店の床はガラス片やマネキンの手足、生地が無秩序に散乱している。
視線を彷徨わせ、ベネットは狼狽えた。
戦いの最中に武器を失う──初歩的な、そして致命的なミスだった。
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