92 / 197
第五章 幻惑の魔女
第19話 鏡の国の魔女
しおりを挟む
「いいことを思いついたわ」
魔女は鼻歌を口ずさむかのように、朗らかに宣言する。
「あなたを切り刻んで、教会の連中への見せしめにするの。いいアイデアだと思わない?」
思わない。断じて思うはずがない。
だがベネットの意見など、元より必要とされていなかったようだ。
空気がゆらりと動いた。
ベネットに知覚できたのは、それだけだ。
魔女が放った斬撃は、一瞬で少年に達した。まさに不可視の一撃だった。
避けることができたのは、神の導きという他ない。
短剣が首を飛ばす寸前、床に落ちた生地に足を取られたのだ。
転倒したベネットの頭上を、天国への特急券が通り過ぎていく。
──全く見えなかった! なんて打ち込みだ!
ベネットは床にへたりこみ、慄然とする。
生まれて初めて死に直面して、少年は心の底から恐怖した。
プライドをかなぐり捨て、無様に床を這いつくばって逃げ出す。
「あら、どこに行くというの?」
魔女は口許に嘲笑を浮かべた。
ことさらゆっくりとした足取りで、ベネットを追いかける。
当然だ。
狭い店内に、逃げ場などない。
走るまでもなく、容易く追い詰められるのだ。
──どこだ! 拳銃はどこなんだ!? どこに落としたんだっ!?
ベネットは四つん這いのまま、必死に拳銃を探す。
極度の焦燥感に襲われて、心臓は早鐘のように打っていた。
拳銃は見当たらない。
魔女を駆逐するには、武器が必要だ。
だが同時に……頭の片隅に疑念がわき上がった。
昨夜、凶音の魔女に銃弾を命中させた。
狙いは正確だった。致命傷を負わせたはずだ。
それなのに何故、魔女は生きているのか。
──拳銃では、奴を倒せない……? いや、そうじゃない! 何か大事なことを見落としているんだ!!
それが分からなければ、拳銃があったところで結果は同じだ。
「つ~かま~えた♪」
場違いに明るい声が、ベネットの心を凍りつかせた。
身体が釘で打たれたかのように、ピタリと動かなくなる。
振り返り……少年は絶望的なうめき声を上げた。
魔女が彼の足を掴み、睥睨していた。
次の瞬間、ベネットは宙づりにされた。
それっ、という声とともに、壁へ叩きつけられる。
もはや悲鳴を上げる余力すらない。
抗いようのない暴風のような力の前に、為す術もない。
──こんなの無理だっ! 圧倒的じゃないか!
ベネットはずるずると壁からずり落ちると、力なく寄りかかる。
「そろそろお開きにしましょうかしらね?」
魔女はゆっくりと近づいていくる。
ベネットは歯ぎしりをした。
……浅はか、だった。
自分だって師のように魔女を駆逐できると、高をくくっていた。
だが結果は……この有様だ。
オルガナ首席の肩書きは、実戦で彼を助けてはくれない。
──どうすればいい!? 考えろ! 考えろ、ベネット! このままじゃ、なぶり殺しにされる!!
その時だ。
掌に痛みが走った。
周囲にガラス片が飛散していた。ショーウインドウに叩きつけられた時のものだろう。
よく見ると、ベネットの顔が映り込んでいる。
酷い顔だ。
髪は乱れ、額には血が滲んでいた。
若獅子のように生気と自信に満ちあふれていた秀麗な顔には、悲愴感が漂っている。
まるでボロ雑巾のようだ──ベネットは自嘲する。
そして、ふと違和感を覚える。
ガラス片には彼が映っていた。
いや、彼しか映っていなかった。
あるべき魔女の姿が……ない。
「……!?」
ベネットはハッと息を呑む。
ある可能性に思い至り、ガラス片をかざす。
やはり魔女の姿は映らない。
代わりに店の入り口に近い、誰もいないはずの空間──ガラス片はそこに、ローブを目深に被った老婆を映し出した。
──凶音の魔女は幻で……本体は奴なのかっ!?
老婆も勘づいたのだろう。
店の外へ向かって身を翻した。その行動が、ベネットに確信を与えた。
トドメを刺そうと、短剣を手にした魔女が急迫する。
瓶の底に僅かに残されたような幸運が、少年に最期のチャンスを与えた。
マネキンの残骸の下に……拳銃が見えた。
考えている間はない。ベネットは反射的に動いた。
過重労働に全身が抗議の声を上げるのを無視し、拳銃へ飛びつく。
魔女が短剣を振り上げる。
照準する余裕などない。撃てるのは、せいぜい一発だ。
店の出入り口──誰も居ない虚空に向けて、引き金を絞る。
同時に凶刃の切っ先が、振り下ろされた。
ベネットは強く目を閉じた。
無慈悲な一撃が急所を貫いた。
悲鳴が上がり、ドサッ、という音とともに床に崩れ落ちる。
致命傷だった。
ベネットが……では、ない。
恐る恐る開けた目に、入り口で倒れ伏した老婆の姿が映った。
銃弾は、老婆を射貫いていた。
凶音の魔女は、忽然とかき消えている。
「は……ははっ……」
ベネットは、乾いた笑みを漏らした。
死線を切り抜けた。
ぎりぎりの戦いだった。ほんの僅かな差が、生死を分けた。
「……私にも……できたっ……!」
肩で息を継ぐベネットは、まさに満身創痍だ。
だが今は、成し遂げた達成感の方が大きい。
手の力が抜け、拳銃が落ちた。
そしてベネットは──心地よく気絶した。
魔女は鼻歌を口ずさむかのように、朗らかに宣言する。
「あなたを切り刻んで、教会の連中への見せしめにするの。いいアイデアだと思わない?」
思わない。断じて思うはずがない。
だがベネットの意見など、元より必要とされていなかったようだ。
空気がゆらりと動いた。
ベネットに知覚できたのは、それだけだ。
魔女が放った斬撃は、一瞬で少年に達した。まさに不可視の一撃だった。
避けることができたのは、神の導きという他ない。
短剣が首を飛ばす寸前、床に落ちた生地に足を取られたのだ。
転倒したベネットの頭上を、天国への特急券が通り過ぎていく。
──全く見えなかった! なんて打ち込みだ!
ベネットは床にへたりこみ、慄然とする。
生まれて初めて死に直面して、少年は心の底から恐怖した。
プライドをかなぐり捨て、無様に床を這いつくばって逃げ出す。
「あら、どこに行くというの?」
魔女は口許に嘲笑を浮かべた。
ことさらゆっくりとした足取りで、ベネットを追いかける。
当然だ。
狭い店内に、逃げ場などない。
走るまでもなく、容易く追い詰められるのだ。
──どこだ! 拳銃はどこなんだ!? どこに落としたんだっ!?
ベネットは四つん這いのまま、必死に拳銃を探す。
極度の焦燥感に襲われて、心臓は早鐘のように打っていた。
拳銃は見当たらない。
魔女を駆逐するには、武器が必要だ。
だが同時に……頭の片隅に疑念がわき上がった。
昨夜、凶音の魔女に銃弾を命中させた。
狙いは正確だった。致命傷を負わせたはずだ。
それなのに何故、魔女は生きているのか。
──拳銃では、奴を倒せない……? いや、そうじゃない! 何か大事なことを見落としているんだ!!
それが分からなければ、拳銃があったところで結果は同じだ。
「つ~かま~えた♪」
場違いに明るい声が、ベネットの心を凍りつかせた。
身体が釘で打たれたかのように、ピタリと動かなくなる。
振り返り……少年は絶望的なうめき声を上げた。
魔女が彼の足を掴み、睥睨していた。
次の瞬間、ベネットは宙づりにされた。
それっ、という声とともに、壁へ叩きつけられる。
もはや悲鳴を上げる余力すらない。
抗いようのない暴風のような力の前に、為す術もない。
──こんなの無理だっ! 圧倒的じゃないか!
ベネットはずるずると壁からずり落ちると、力なく寄りかかる。
「そろそろお開きにしましょうかしらね?」
魔女はゆっくりと近づいていくる。
ベネットは歯ぎしりをした。
……浅はか、だった。
自分だって師のように魔女を駆逐できると、高をくくっていた。
だが結果は……この有様だ。
オルガナ首席の肩書きは、実戦で彼を助けてはくれない。
──どうすればいい!? 考えろ! 考えろ、ベネット! このままじゃ、なぶり殺しにされる!!
その時だ。
掌に痛みが走った。
周囲にガラス片が飛散していた。ショーウインドウに叩きつけられた時のものだろう。
よく見ると、ベネットの顔が映り込んでいる。
酷い顔だ。
髪は乱れ、額には血が滲んでいた。
若獅子のように生気と自信に満ちあふれていた秀麗な顔には、悲愴感が漂っている。
まるでボロ雑巾のようだ──ベネットは自嘲する。
そして、ふと違和感を覚える。
ガラス片には彼が映っていた。
いや、彼しか映っていなかった。
あるべき魔女の姿が……ない。
「……!?」
ベネットはハッと息を呑む。
ある可能性に思い至り、ガラス片をかざす。
やはり魔女の姿は映らない。
代わりに店の入り口に近い、誰もいないはずの空間──ガラス片はそこに、ローブを目深に被った老婆を映し出した。
──凶音の魔女は幻で……本体は奴なのかっ!?
老婆も勘づいたのだろう。
店の外へ向かって身を翻した。その行動が、ベネットに確信を与えた。
トドメを刺そうと、短剣を手にした魔女が急迫する。
瓶の底に僅かに残されたような幸運が、少年に最期のチャンスを与えた。
マネキンの残骸の下に……拳銃が見えた。
考えている間はない。ベネットは反射的に動いた。
過重労働に全身が抗議の声を上げるのを無視し、拳銃へ飛びつく。
魔女が短剣を振り上げる。
照準する余裕などない。撃てるのは、せいぜい一発だ。
店の出入り口──誰も居ない虚空に向けて、引き金を絞る。
同時に凶刃の切っ先が、振り下ろされた。
ベネットは強く目を閉じた。
無慈悲な一撃が急所を貫いた。
悲鳴が上がり、ドサッ、という音とともに床に崩れ落ちる。
致命傷だった。
ベネットが……では、ない。
恐る恐る開けた目に、入り口で倒れ伏した老婆の姿が映った。
銃弾は、老婆を射貫いていた。
凶音の魔女は、忽然とかき消えている。
「は……ははっ……」
ベネットは、乾いた笑みを漏らした。
死線を切り抜けた。
ぎりぎりの戦いだった。ほんの僅かな差が、生死を分けた。
「……私にも……できたっ……!」
肩で息を継ぐベネットは、まさに満身創痍だ。
だが今は、成し遂げた達成感の方が大きい。
手の力が抜け、拳銃が落ちた。
そしてベネットは──心地よく気絶した。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる