白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第五章 幻惑の魔女

第19話 鏡の国の魔女

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「いいことを思いついたわ」

 魔女は鼻歌を口ずさむかのように、朗らかに宣言する。

「あなたを切り刻んで、教会の連中への見せしめにするの。いいアイデアだと思わない?」

 思わない。断じて思うはずがない。
 だがベネットの意見など、元より必要とされていなかったようだ。
 空気がゆらりと動いた。

 ベネットに知覚できたのは、それだけだ。 
 魔女が放った斬撃は、一瞬で少年に達した。まさに不可視の一撃だった。
 避けることができたのは、神の導きという他ない。

 短剣が首を飛ばす寸前、床に落ちた生地に足を取られたのだ。
 転倒したベネットの頭上を、天国への特急券が通り過ぎていく。

 ──全く見えなかった! なんて打ち込みだ!

 ベネットは床にへたりこみ、慄然とする。
 生まれて初めて死に直面して、少年は心の底から恐怖した。 
 プライドをかなぐり捨て、無様に床を這いつくばって逃げ出す。

「あら、どこに行くというの?」

 魔女は口許に嘲笑を浮かべた。
 ことさらゆっくりとした足取りで、ベネットを追いかける。
 当然だ。

 狭い店内に、逃げ場などない。
 走るまでもなく、容易く追い詰められるのだ。

 ──どこだ! 拳銃はどこなんだ!? どこに落としたんだっ!?

 ベネットは四つん這いのまま、必死に拳銃を探す。
 極度の焦燥感に襲われて、心臓は早鐘のように打っていた。
 拳銃は見当たらない。

 魔女を駆逐するには、武器が必要だ。
 だが同時に……頭の片隅に疑念がわき上がった。

 昨夜、凶音の魔女に銃弾を命中させた。
 狙いは正確だった。致命傷を負わせたはずだ。
 それなのに何故、魔女は生きているのか。

 ──拳銃では、奴を倒せない……? いや、そうじゃない! 何か大事なことを見落としているんだ!! 

 それが分からなければ、拳銃があったところで結果は同じだ。

「つ~かま~えた♪」

 場違いに明るい声が、ベネットの心を凍りつかせた。
 身体が釘で打たれたかのように、ピタリと動かなくなる。
 振り返り……少年は絶望的なうめき声を上げた。
 魔女が彼の足を掴み、睥睨していた。

 次の瞬間、ベネットは宙づりにされた。
 それっ、という声とともに、壁へ叩きつけられる。
 もはや悲鳴を上げる余力すらない。
 抗いようのない暴風のような力の前に、為す術もない。

 ──こんなの無理だっ! 圧倒的じゃないか!

 ベネットはずるずると壁からずり落ちると、力なく寄りかかる。

「そろそろお開きにしましょうかしらね?」

 魔女はゆっくりと近づいていくる。
 ベネットは歯ぎしりをした。
 
 ……浅はか、だった。 

 自分だって師のように魔女を駆逐できると、高をくくっていた。 
 だが結果は……この有様だ。
 オルガナ首席の肩書きは、実戦で彼を助けてはくれない。

 ──どうすればいい!? 考えろ! 考えろ、ベネット! このままじゃ、なぶり殺しにされる!!

 その時だ。
 掌に痛みが走った。
 周囲にガラス片が飛散していた。ショーウインドウに叩きつけられた時のものだろう。
 よく見ると、ベネットの顔が映り込んでいる。

 酷い顔だ。
 髪は乱れ、額には血が滲んでいた。
 若獅子のように生気と自信に満ちあふれていた秀麗な顔には、悲愴感が漂っている。

 まるでボロ雑巾のようだ──ベネットは自嘲する。 
 そして、ふと違和感を覚える。

 ガラス片には彼が映っていた。
 いや、彼しか映っていなかった。
 あるべき魔女の姿が……ない。

「……!?」

 ベネットはハッと息を呑む。
 ある可能性に思い至り、ガラス片をかざす。
 やはり魔女の姿は映らない。

 代わりに店の入り口に近い、誰もいないはずの空間──ガラス片はそこに、ローブを目深に被った老婆を映し出した。

 ──凶音の魔女は幻で……本体は奴なのかっ!? 

 老婆も勘づいたのだろう。
 店の外へ向かって身を翻した。その行動が、ベネットに確信を与えた。
 トドメを刺そうと、短剣を手にした魔女が急迫する。
 瓶の底に僅かに残されたような幸運が、少年に最期のチャンスを与えた。

 マネキンの残骸の下に……拳銃が見えた。
 考えている間はない。ベネットは反射的に動いた。

 過重労働に全身が抗議の声を上げるのを無視し、拳銃へ飛びつく。
 魔女が短剣を振り上げる。
 照準する余裕などない。撃てるのは、せいぜい一発だ。
 店の出入り口──誰も居ない虚空に向けて、引き金を絞る。

 同時に凶刃の切っ先が、振り下ろされた。
 ベネットは強く目を閉じた。
 無慈悲な一撃が急所を貫いた。

 悲鳴が上がり、ドサッ、という音とともに床に崩れ落ちる。
 致命傷だった。
 ベネットが……では、ない。

 恐る恐る開けた目に、入り口で倒れ伏した老婆の姿が映った。
 銃弾は、老婆を射貫いていた。
 凶音の魔女は、忽然とかき消えている。

「は……ははっ……」

 ベネットは、乾いた笑みを漏らした。
 死線を切り抜けた。 
 ぎりぎりの戦いだった。ほんの僅かな差が、生死を分けた。
 
「……私にも……できたっ……!」

 肩で息を継ぐベネットは、まさに満身創痍だ。
 だが今は、成し遂げた達成感の方が大きい。
 手の力が抜け、拳銃が落ちた。

 そしてベネットは──心地よく気絶した。

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