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第六章 迷宮の魔女
第29話 扉の迷宮へ
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目覚めたのは悲鳴のせいだ。
枕元にスープを入れた皿があるところをみると、丸一日眠っていたらしい。
新たな悲鳴が、耳を強く掻きむしる。
上半身を起こし、ベネットは息を呑んだ。
処刑人が小柄な人影を、連れだそうとしていた。昨夜、毛布をかけてくれた少女を、だ。
牢から連れ出されれば、待ち受ける運命は──ひとつしかない。ベネットは咄嗟に動いた。
「待って下さい!」
駆け寄り、少女と処刑人の間に身体を割り込ませる。
無機質な、人間味の欠片もない視線が向けられた。
その両眼は、人というよりは爬虫類のそれに近い。
「──何か?」
酷薄とした殺意のようなものが照射されて、ベネットは後ずさりしそうになる。
処刑人はチェーンメイルを着込み、帯剣している。
丸腰で、やりあえる相手ではない。
だが慈悲をかけてくれた少女が死地に引き出されるのを……見て見ぬ振りなどできない。
背中越しに少女の怯えが伝わってくる。
ベネットは、拳を強く握った。
「この娘を連れて行くのは……やめてください!」
叫んだ刹那、ベネットは冷たい石床に這いつくばっていた。
口の中に鉄の味が広がった。
処刑人に顔を殴りつけられたのだと、遅れて気づく。
無様に倒れた少年を尻目に、少女が牢から連れ出されて行く。
「……待って……ください!」
よろよろと、ベネットは立ち上がった。
悲愴とも言える決意を込め、叫ぶ。
「私が──その娘の代わりに行きます!」
処刑人が、ピタリと動きを止めた。
掴んでいた少女の手を離す。
願いが聞き入れられたのでは、決してない。
身の程知らずの虜囚に、分をわきまえさせる……猛然と拳を振り上げた処刑人の意図は、すぐに知れる。
さらなる暴力に身構えた、その時──
「良い心がけではないか」
パチパチと、場違いな乾いた拍手が、薄暗い牢に響いた。
処刑人の足を止めさせたのは……ベネットを欺し、濡れ衣を着せた男だ。
入り口の壁にもたれかかり、軽薄な声を響かせる。
「美しき自己犠牲の精神というわけだ。いいだろう、お前の勇気に免じて、娘は家族の元へ帰してやろう」
「──審問官リベリオ、こいつはまだ殺すなとの命令です」
「投獄中の不慮の死は、よくあることではないか」
耳打ちする処刑人に、リベリオは悦に入った笑みを浮かべる。
白い仮面と祭服を纏った男の本性は、どす黒いとしか形容のしようがない。
リベリオは、唇を歪めて笑った。
「それでは来てもらおうか。くれぐれも失望させるなよ。楽に死なれては、あの男に話す甲斐がなくなるからな」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ここは──?」
頭がひどく混乱している。
当然だ。禁書庫の外は──大図書館、のはずだ。
それ以外に考えられない。
アルヴィンは困惑しながら、周囲を見回した。
眼前には、赤い絨毯の敷かれた、見慣れない廊下が続く。
視界の果てまで、どこまでもだ。
一体、何が起きたのか──
呆然としているのは、フェリシアも同じである。
彼女は狐に抓まれたような面持ちで、こぼした。
「……信じられない。迷宮化の魔法だよ」
「知っているのか?」
アルヴィンはフェリシアを見やり、彼女は小さく頷き返す。
「以前に文献で読んだことがあるだけ……だけどね。今は廃れた、古典の部類に入る魔法だよ。面白みはないけれど、厄介」
アルヴィンは注意深く廊下を観察する。
白壁の両側に、黒い光沢を放つ木製の扉が十メートル間隔ほどで並ぶ。
どこまでも続く廊下と、途方もない数の扉。
確かにこの状況は──魔法、意外に説明できる言葉はない。
「文献が正しければ、外に繋がっている扉は、一枚だけ。そして日の出までに見つけ出さないと、迷宮は閉じてしまう」
「……閉じる?」
「永遠に外に出られなくなる、ってことだよ」
「これまで還った者がいない理由が、よく分かったよ」
雲で霞む天井を見上げ、アルヴィンは嘆息する。
罠の存在を、警戒していたつもりだ。
だが、まさか迷宮に迷い込むことになるとは……想像もしていなかった。
そして同時に、疑問が頭をもたげる。
禁書庫は、学院の創始者であるオルガナが造った。
禁書庫は、迷宮化の魔法がかけられている。
彼女は──一体、何者なのか。
魔女を駆逐する学院を魔女が……いや、深く考える時間はない。
今は、行動するしかない。
「日の出まで、まだ猶予はある。二人で手分けをして、片っ端から開ければどうにかなるか?」
「それはどうかな……」
フェリシアの口調は、どこか歯切れが悪い。
手近にある扉を、彼女は指さした。
「アルヴィン、試しに開けてみてくれないかな?」
扉には銀のプレートがあり、四桁の数字が刻印されている。
フェリシアが指さした扉は、1992番だ。
「これは──?」
ノブを回し、アルヴィンは我が目を疑った。
開いた先に──もう一枚、扉がある。
いや、よく見れば、それは黒い水面である。
扉の先の空間が、黒々とした水塊で満たされているのだ。
中を見通すことは一切できないが、不思議なことに水が流れ込んでくる気配もない。
指先で、アルヴィンは軽く水面に触れた。
波紋が広がり、ゆらゆらと揺れる。
さらに力を込めると、手首まで沈み込む。
慌てて戻した指先は、濡れてはいない。
あちら側には空気がある……かもしれない。
「アルヴィン、行ってみよう」
「だが……」
水塊の中に、飛び込もうというのだ。
フェリシアとは対照的に、アルヴィンは躊躇う。
進んだ先に、何が待ち受けているのか一切分からない。
単独行動ならともかく、フェリシアもいる。危険すぎる。
だが、その辺りの思い切りの良さと覚悟は、彼女のほうが上手だったらしい。
「あのね、この扉が地獄に通じていたとしても、進まないことには迷宮からは出られないよ?」
彼女の言うとおりである。
朝になれば、迷宮は閉じる。
この先に何があろうと、前に進むしか選択肢はないのだ。
「分かった。行こう、フェリシア」
アルヴィンは決意すると、左手を差し出した。
「何があっても、守ってくれるんでしょ?」
フェリシアは笑い、その手を握る。
大きく息を吸い込む。
二人は、黒い水面へと飛び込んだ。
枕元にスープを入れた皿があるところをみると、丸一日眠っていたらしい。
新たな悲鳴が、耳を強く掻きむしる。
上半身を起こし、ベネットは息を呑んだ。
処刑人が小柄な人影を、連れだそうとしていた。昨夜、毛布をかけてくれた少女を、だ。
牢から連れ出されれば、待ち受ける運命は──ひとつしかない。ベネットは咄嗟に動いた。
「待って下さい!」
駆け寄り、少女と処刑人の間に身体を割り込ませる。
無機質な、人間味の欠片もない視線が向けられた。
その両眼は、人というよりは爬虫類のそれに近い。
「──何か?」
酷薄とした殺意のようなものが照射されて、ベネットは後ずさりしそうになる。
処刑人はチェーンメイルを着込み、帯剣している。
丸腰で、やりあえる相手ではない。
だが慈悲をかけてくれた少女が死地に引き出されるのを……見て見ぬ振りなどできない。
背中越しに少女の怯えが伝わってくる。
ベネットは、拳を強く握った。
「この娘を連れて行くのは……やめてください!」
叫んだ刹那、ベネットは冷たい石床に這いつくばっていた。
口の中に鉄の味が広がった。
処刑人に顔を殴りつけられたのだと、遅れて気づく。
無様に倒れた少年を尻目に、少女が牢から連れ出されて行く。
「……待って……ください!」
よろよろと、ベネットは立ち上がった。
悲愴とも言える決意を込め、叫ぶ。
「私が──その娘の代わりに行きます!」
処刑人が、ピタリと動きを止めた。
掴んでいた少女の手を離す。
願いが聞き入れられたのでは、決してない。
身の程知らずの虜囚に、分をわきまえさせる……猛然と拳を振り上げた処刑人の意図は、すぐに知れる。
さらなる暴力に身構えた、その時──
「良い心がけではないか」
パチパチと、場違いな乾いた拍手が、薄暗い牢に響いた。
処刑人の足を止めさせたのは……ベネットを欺し、濡れ衣を着せた男だ。
入り口の壁にもたれかかり、軽薄な声を響かせる。
「美しき自己犠牲の精神というわけだ。いいだろう、お前の勇気に免じて、娘は家族の元へ帰してやろう」
「──審問官リベリオ、こいつはまだ殺すなとの命令です」
「投獄中の不慮の死は、よくあることではないか」
耳打ちする処刑人に、リベリオは悦に入った笑みを浮かべる。
白い仮面と祭服を纏った男の本性は、どす黒いとしか形容のしようがない。
リベリオは、唇を歪めて笑った。
「それでは来てもらおうか。くれぐれも失望させるなよ。楽に死なれては、あの男に話す甲斐がなくなるからな」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ここは──?」
頭がひどく混乱している。
当然だ。禁書庫の外は──大図書館、のはずだ。
それ以外に考えられない。
アルヴィンは困惑しながら、周囲を見回した。
眼前には、赤い絨毯の敷かれた、見慣れない廊下が続く。
視界の果てまで、どこまでもだ。
一体、何が起きたのか──
呆然としているのは、フェリシアも同じである。
彼女は狐に抓まれたような面持ちで、こぼした。
「……信じられない。迷宮化の魔法だよ」
「知っているのか?」
アルヴィンはフェリシアを見やり、彼女は小さく頷き返す。
「以前に文献で読んだことがあるだけ……だけどね。今は廃れた、古典の部類に入る魔法だよ。面白みはないけれど、厄介」
アルヴィンは注意深く廊下を観察する。
白壁の両側に、黒い光沢を放つ木製の扉が十メートル間隔ほどで並ぶ。
どこまでも続く廊下と、途方もない数の扉。
確かにこの状況は──魔法、意外に説明できる言葉はない。
「文献が正しければ、外に繋がっている扉は、一枚だけ。そして日の出までに見つけ出さないと、迷宮は閉じてしまう」
「……閉じる?」
「永遠に外に出られなくなる、ってことだよ」
「これまで還った者がいない理由が、よく分かったよ」
雲で霞む天井を見上げ、アルヴィンは嘆息する。
罠の存在を、警戒していたつもりだ。
だが、まさか迷宮に迷い込むことになるとは……想像もしていなかった。
そして同時に、疑問が頭をもたげる。
禁書庫は、学院の創始者であるオルガナが造った。
禁書庫は、迷宮化の魔法がかけられている。
彼女は──一体、何者なのか。
魔女を駆逐する学院を魔女が……いや、深く考える時間はない。
今は、行動するしかない。
「日の出まで、まだ猶予はある。二人で手分けをして、片っ端から開ければどうにかなるか?」
「それはどうかな……」
フェリシアの口調は、どこか歯切れが悪い。
手近にある扉を、彼女は指さした。
「アルヴィン、試しに開けてみてくれないかな?」
扉には銀のプレートがあり、四桁の数字が刻印されている。
フェリシアが指さした扉は、1992番だ。
「これは──?」
ノブを回し、アルヴィンは我が目を疑った。
開いた先に──もう一枚、扉がある。
いや、よく見れば、それは黒い水面である。
扉の先の空間が、黒々とした水塊で満たされているのだ。
中を見通すことは一切できないが、不思議なことに水が流れ込んでくる気配もない。
指先で、アルヴィンは軽く水面に触れた。
波紋が広がり、ゆらゆらと揺れる。
さらに力を込めると、手首まで沈み込む。
慌てて戻した指先は、濡れてはいない。
あちら側には空気がある……かもしれない。
「アルヴィン、行ってみよう」
「だが……」
水塊の中に、飛び込もうというのだ。
フェリシアとは対照的に、アルヴィンは躊躇う。
進んだ先に、何が待ち受けているのか一切分からない。
単独行動ならともかく、フェリシアもいる。危険すぎる。
だが、その辺りの思い切りの良さと覚悟は、彼女のほうが上手だったらしい。
「あのね、この扉が地獄に通じていたとしても、進まないことには迷宮からは出られないよ?」
彼女の言うとおりである。
朝になれば、迷宮は閉じる。
この先に何があろうと、前に進むしか選択肢はないのだ。
「分かった。行こう、フェリシア」
アルヴィンは決意すると、左手を差し出した。
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フェリシアは笑い、その手を握る。
大きく息を吸い込む。
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