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第六章 迷宮の魔女
第37話 サイゴのコトバ
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心を読む、魔女。
厄介な相手である。
超然とした態度と、極めて強い魔力は、もしかして──
「違うわよ」
回答は、質問を発する前に示された。
アルヴィンは魔女に、オルガナかと尋ねようとしたのだ。
憮然とした面持ちで、問い返す。
「……あなたは、オルガナではないと?」
「私は何者でもないわ。私は私ではあるけれど、私ではない」
「どういう意味でしょうか……」
「ここは、ここだけど、ここではない。同じことよ」
女は再び、謎めいた笑みを浮かべる。
まるで言葉遊びである。
だが、意味のない単語の羅列……ではない。
迷宮を彷徨い歩き、得られた情報の断片から、アルヴィンは正確に意図を読み取った。
「つまり、この部屋と同じように、あなたも自身も複製である……そう仰っているのですか」
「そうね」
さも当然のことのように、女は肯定する。
迷宮化の魔法は、大陸のどこかにある部屋を、無作為に模倣する。
その力が人にまで及ぶとは……ますます底が知れない。
そしてオルガナでないとすれば、この魔女は何者なのか──
「不思議ね」
アルヴィンの困惑をよそに、女は、わずかに両眼を細めた。
憂鬱げな顔で天球儀を見上げ、独り言のように続ける。
「何人も、いかなる魔法も、この部屋には干渉できないはず。あなたと私の、因縁が結びつけたのかしら?」
「……因縁……?」
「もしくは──綻びが生じているか、ね」
女は、表情を厳しいものに変える。
「あなたは、何を──」
──言っているのですか。
アルヴィンは、最後まで声を発することができない。
変調は、前触れなく訪れた。
突然、視界がぐらつき、床に片膝をつく。
呼吸苦に襲われて、アルヴィンは胸を押さえた。
──息が、苦しい。
肩を大きく上下させる。
空気が、希薄になっていた。気のせいではない。
迷宮を彷徨っている最中も、僅かな息苦しさがあった。
焦りによるものだとばかり思っていたが……はっきりと今、酸欠を自覚する。
「閉じかけているのね」
他人事のように告げる魔女の顔は、息苦しさとは無縁の涼しいものだ。
アルヴィンは愕然とする他ない。
フェリシアは、日の出を迎えれば迷宮が閉じる、と話した。
つまり閉じるとは──窒息、を意味するのか。
ひたひたと、暗然とした終幕が迫っていることに気づき、アルヴィンは呻く。
「ひとつ、教えてあげようかしら」
苦悶の表情を浮かべるアルヴィンを見下ろし、女は静かに告げた。
「──元の世界に戻っても、あなたは死から逃れられない」
「……死?」
頭上から降り注いだ声は、どこか予言めいて、そして不吉な色彩を帯びている。
と。
不意に、呼吸が楽になった。
白く優美な手が、アルヴィンの肩に乗せられていた。
──魔法か。
魔女は端正な顔を近づけ、アルヴィンの耳元で囁く。
「でも私と共にいれば、あなたは運命から逃れられる」
それが救いであるのか、罠であるのか……にわかには判断できない。
だがどちらであったにせよ、アルヴィンの決意は揺るがない。
「……せっかくですが、お断りします。どんな運命が待っていたとしても、僕は前に進むだけです」
「勇ましいことね」
アルヴィンは、女の手を押し戻す。
途端に息苦しさが蘇った。
なんとか呼吸を整え……平然と佇む、魔女の顔を見やる。
この迷宮から脱する方法──それはもはや、ひとつしかない。
アルヴィンは、深々と頭を下げた。
「……あなたは強い力を持った魔女です……。仲間と合流するために、力を貸していただけませんか」
「駄目よ。残らないのなら、ここで窒息なさい」
返答は、にべもない。
そしてそれは──死の宣告に等しい。
魔女は両眼に冷淡な光を宿し、続けた。
「魔女と人は、相容れない敵同士よ。ましてや、あなたは多くの同胞を屠った審問官。私の慈悲を拒絶しておいて、助けてくれだなんて、虫のいい話だと思わない?」
「……魔女は、邪悪な者ばかりではありません。あなた自身も、融和を望んでいるのではありませんか……?」
人と、魔女の融和。
それは父アーロンの遺志だ。
クリスティーの願いでもある。
そして目の前の魔女は──不快げに、柳眉を寄せた。
「私が融和を望んでいる? 馬鹿げた思いあがりね」
「最初から、あなたからは……憎しみも殺意も感じられない。僕を救おうとさえした。敢えて厳しい言葉をぶつけて……僕の覚悟を見極めようとしている──違いますか?」
確信があるわけではない。
間違っていれば──ここで死ぬ。
アルヴィンは真っ直ぐに、魔女の双眸を見返す。
「……人に害を成す魔女は、駆逐します。ですが害を成す人間も、僕は許さない。立場の違いではなく……お互いの志に、目を向けるべきです」
魔女は沈黙した。
否定も肯定もせず、じっと、アルヴィンの瞳を見つめた。
永遠にも感じられた長い沈黙は──実際には、ほんの数秒だったのだろう。
「──あの人と、同じことを言うのね」
「……?」
呟きは小さく、聞き取れない。
問い返すよりも早く、女は手を打った。
「いいわ。助けてあげる。同じ志を持つ者としてね」
それはアルヴィンにとって、救いの声とでもいうべきものだっただろう。
魔女は書架と書架の間から覗く、扉を指さした。
「あれを使いなさい。はぐれた仲間の元へ行けるわ。その後で、6174番の扉を探しなさい」
「6174──?」
その数字に、何かが引っかかる。
だが、酸欠に犯された頭では、意味を成さない。
猶予は、もはやない。
一刻も早く二人と合流しなくては……アルヴィンは急ぐ。
扉を開け、振り返った。
「……ありがとうございます。このお礼は、いつか必ず」
「礼などいらない。元の世界に戻っても──あなたは、運命から逃れられない。忘れないことよ」
再び告げられた予言めいた言葉に、アルヴィンは神妙な面持ちで頷く。
「それから、もし娘に会うことがあったら、伝えてくださらない? ──私は、再会を望まないと」
伝言とは、意外な頼みだ。
アルヴィンは水面へと飛び込む間際、問う。
「……娘さんの名は?」
絹糸のように艶やかな白髪を、魔女は揺らした。
「──クリスティーよ」
その意味に気づいたのは──黒い水面の中へ、身を投じた後だった。
厄介な相手である。
超然とした態度と、極めて強い魔力は、もしかして──
「違うわよ」
回答は、質問を発する前に示された。
アルヴィンは魔女に、オルガナかと尋ねようとしたのだ。
憮然とした面持ちで、問い返す。
「……あなたは、オルガナではないと?」
「私は何者でもないわ。私は私ではあるけれど、私ではない」
「どういう意味でしょうか……」
「ここは、ここだけど、ここではない。同じことよ」
女は再び、謎めいた笑みを浮かべる。
まるで言葉遊びである。
だが、意味のない単語の羅列……ではない。
迷宮を彷徨い歩き、得られた情報の断片から、アルヴィンは正確に意図を読み取った。
「つまり、この部屋と同じように、あなたも自身も複製である……そう仰っているのですか」
「そうね」
さも当然のことのように、女は肯定する。
迷宮化の魔法は、大陸のどこかにある部屋を、無作為に模倣する。
その力が人にまで及ぶとは……ますます底が知れない。
そしてオルガナでないとすれば、この魔女は何者なのか──
「不思議ね」
アルヴィンの困惑をよそに、女は、わずかに両眼を細めた。
憂鬱げな顔で天球儀を見上げ、独り言のように続ける。
「何人も、いかなる魔法も、この部屋には干渉できないはず。あなたと私の、因縁が結びつけたのかしら?」
「……因縁……?」
「もしくは──綻びが生じているか、ね」
女は、表情を厳しいものに変える。
「あなたは、何を──」
──言っているのですか。
アルヴィンは、最後まで声を発することができない。
変調は、前触れなく訪れた。
突然、視界がぐらつき、床に片膝をつく。
呼吸苦に襲われて、アルヴィンは胸を押さえた。
──息が、苦しい。
肩を大きく上下させる。
空気が、希薄になっていた。気のせいではない。
迷宮を彷徨っている最中も、僅かな息苦しさがあった。
焦りによるものだとばかり思っていたが……はっきりと今、酸欠を自覚する。
「閉じかけているのね」
他人事のように告げる魔女の顔は、息苦しさとは無縁の涼しいものだ。
アルヴィンは愕然とする他ない。
フェリシアは、日の出を迎えれば迷宮が閉じる、と話した。
つまり閉じるとは──窒息、を意味するのか。
ひたひたと、暗然とした終幕が迫っていることに気づき、アルヴィンは呻く。
「ひとつ、教えてあげようかしら」
苦悶の表情を浮かべるアルヴィンを見下ろし、女は静かに告げた。
「──元の世界に戻っても、あなたは死から逃れられない」
「……死?」
頭上から降り注いだ声は、どこか予言めいて、そして不吉な色彩を帯びている。
と。
不意に、呼吸が楽になった。
白く優美な手が、アルヴィンの肩に乗せられていた。
──魔法か。
魔女は端正な顔を近づけ、アルヴィンの耳元で囁く。
「でも私と共にいれば、あなたは運命から逃れられる」
それが救いであるのか、罠であるのか……にわかには判断できない。
だがどちらであったにせよ、アルヴィンの決意は揺るがない。
「……せっかくですが、お断りします。どんな運命が待っていたとしても、僕は前に進むだけです」
「勇ましいことね」
アルヴィンは、女の手を押し戻す。
途端に息苦しさが蘇った。
なんとか呼吸を整え……平然と佇む、魔女の顔を見やる。
この迷宮から脱する方法──それはもはや、ひとつしかない。
アルヴィンは、深々と頭を下げた。
「……あなたは強い力を持った魔女です……。仲間と合流するために、力を貸していただけませんか」
「駄目よ。残らないのなら、ここで窒息なさい」
返答は、にべもない。
そしてそれは──死の宣告に等しい。
魔女は両眼に冷淡な光を宿し、続けた。
「魔女と人は、相容れない敵同士よ。ましてや、あなたは多くの同胞を屠った審問官。私の慈悲を拒絶しておいて、助けてくれだなんて、虫のいい話だと思わない?」
「……魔女は、邪悪な者ばかりではありません。あなた自身も、融和を望んでいるのではありませんか……?」
人と、魔女の融和。
それは父アーロンの遺志だ。
クリスティーの願いでもある。
そして目の前の魔女は──不快げに、柳眉を寄せた。
「私が融和を望んでいる? 馬鹿げた思いあがりね」
「最初から、あなたからは……憎しみも殺意も感じられない。僕を救おうとさえした。敢えて厳しい言葉をぶつけて……僕の覚悟を見極めようとしている──違いますか?」
確信があるわけではない。
間違っていれば──ここで死ぬ。
アルヴィンは真っ直ぐに、魔女の双眸を見返す。
「……人に害を成す魔女は、駆逐します。ですが害を成す人間も、僕は許さない。立場の違いではなく……お互いの志に、目を向けるべきです」
魔女は沈黙した。
否定も肯定もせず、じっと、アルヴィンの瞳を見つめた。
永遠にも感じられた長い沈黙は──実際には、ほんの数秒だったのだろう。
「──あの人と、同じことを言うのね」
「……?」
呟きは小さく、聞き取れない。
問い返すよりも早く、女は手を打った。
「いいわ。助けてあげる。同じ志を持つ者としてね」
それはアルヴィンにとって、救いの声とでもいうべきものだっただろう。
魔女は書架と書架の間から覗く、扉を指さした。
「あれを使いなさい。はぐれた仲間の元へ行けるわ。その後で、6174番の扉を探しなさい」
「6174──?」
その数字に、何かが引っかかる。
だが、酸欠に犯された頭では、意味を成さない。
猶予は、もはやない。
一刻も早く二人と合流しなくては……アルヴィンは急ぐ。
扉を開け、振り返った。
「……ありがとうございます。このお礼は、いつか必ず」
「礼などいらない。元の世界に戻っても──あなたは、運命から逃れられない。忘れないことよ」
再び告げられた予言めいた言葉に、アルヴィンは神妙な面持ちで頷く。
「それから、もし娘に会うことがあったら、伝えてくださらない? ──私は、再会を望まないと」
伝言とは、意外な頼みだ。
アルヴィンは水面へと飛び込む間際、問う。
「……娘さんの名は?」
絹糸のように艶やかな白髪を、魔女は揺らした。
「──クリスティーよ」
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