白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第七章 災厲の魔女

第63話 いのち短し 祈れよ乙女

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 辛くも、処刑人に勝利した。
 俗欲にまみれたウルベルトも、この時ばかりは神に感謝の祈りを捧げた──訳ではない。
 むしろ、逆だ。

 無力化した処刑人から武器を取り上げ、縛りあげる。
 当面の安全を確保すると、力尽きたように床に座り込み天井を仰いだ。
 処刑人を退けたものの、肝心のウェントワースは消された。
 結果的には、敗北したといってもいい。

 どうせ奇跡を起こすのなら、最後まで責任を持ってもらいたいものだ──ウルベルトは、腹立たしげに息を吐く。

「……ここまでだな」
「ここまでって……?」

 メアリーの瞳に、不安の影が差した。
 過労状態の枢機卿は、苦々しく告げる。

「他の修道士たちも、既にこの世にはおるまい。処刑人の手口とは、そういうものだ。万策尽きたのだ」
「そんな!」

 言わんとする意味を理解して、メアリーは声をあげる。
 アルヴィンに残された時間は僅かだ。
 肩を大きく上下させ、喘ぐように呼吸している。顔に刻まれた苦悶は、深い。

 死が間近に迫っていることを感じ、少女は冷静ではいられない。

「他に手はないの!? お医者さまは!?」
「言っただろう、医師では処置できん。呪傷は、魔法による傷なのだ」

 無念なのは、ウルベルトも同様である。 
 枢機卿の地位と私財を投げ打ち、ガラにもなく人助けをした結果が、これなのだ。
 打つ手は、もはやない──と、メアリーが顔をあげた。

「今、何って……?」
「だから、医師を探したところで救えんのだ」
「その後よ!」

 不意に大声を発した少女に、ウルベルトは面食らいながら答える。

「じ、呪傷は、魔法によ──」
「治せるかもっ!!」
「な、なに……? どうした?」
「わたしなら、アルヴィンを救える!」

 跳ねるようにして叫び、メアリーはアルヴィンへと駆ける。
 急に何を言い出すのか……考えが全く理解できない。ウルベルトは、少女の背中に同情の眼差しをやる。

「メアリー、悪いことは言わん。……諦めろ」
「まだよ!」

 メアリーはひざまずき、アルヴィンの祭服の前を開く。
 ボタンに血が、ねっとりと付着し、指が滑った。焦りをグッと堪え、服を脱がす。
 呪傷を受けた胸元へ、両手を当てた。

「何をするつもりだ?」
「銷失の魔法よ!」
「魔法……だと──?」
「ジュショーだって消せるはず!」

 さらに問おうとして、ウルベルトは途中で言葉を呑む。
 もはや打つ手はない。
 ならば少女を信じて、託す他ない。
 それがどう考えたところで、悪あがきだったとしても……

 メアリーは意識を集中し、強く祈る。

 ──神さま、お願い! アルヴィンを助けて!

 直後、ゴッソリと精気を持っていかれるような、冷たい感覚が襲った。
 視界が暗転する。

 ──気を失ったらダメ!!

 意識を手放さないよう、メアリーは唇を強く嚙む。 
 ジュショーが何かは分からない。
 だが、廃教会で魔女の魔法を銷失させた時とは比べものにならない、ドス黒い悪意の放射を感じる。

 ──黒くて禍禍しい力! これを消せばいいの!? 

 両手が、淡い光を帯びる。 
 魔法の構成であるとか、難しい理屈はチンプンカンプンだ。
 それをメアリーは感覚で覚えていて、言葉に変換するなら「ぐるっと包み込んで、ギュッ! とする」になる。
 悪意の塊を光で包み込み、必死に心の中で叫ぶ。

 ──アルヴィン! 戻ってきて! お願い!!

 光の中で、漆黒の波動が荒れ狂う。
 魔法の構成を食い破ろうと、獰猛な牙を剝く。
 ビリビリと空気が震えた。黒い奔流に吞み込まれそうになりながら、だがメアリーはアルヴィンに押し当てた手を放さない。

 魔法を銷失させる対象に、手が触れていること。
 それが、少女の魔法に課された制約だ。
 もし放せば──その時は、二人の命はあるまい。 

 ギリギリのところで、必死に踏みとどまる。

 ──消えろ! 消えろ! ジュショーなんて消えちゃえええーーーーっ!!

 メアリーは心の中で絶叫した。
 唇をかみ切ったかもしれない。いや、そんなことは、どうだっていい。 
 強く目を閉じ、ありったけの意志の力を叩きつける。

 眩い光が明滅した。
  
「メアリー!」

 フッ──と、糸が切れたように、少女は崩れ落ちた。
 床に身体を打ちつける寸前、ウルベルトが腕を伸ばして支える。

 ──手応えは、あった。

 ぼやけた視界の中で、メアリーは懸命に目を凝らした。
 出血は、止まっていた。
 アルヴィンの呼吸は、規則正しいものへと変化している……

「驚いた……お前、呪傷を消したのか?」

 全身が、ひどくだるい。メアリーは力なく頷く。
 対して、ウルベルトの鼻息は荒い。  
 あのステファーナの魔法を、落ちこぼれ学院生が消し去ったのだ。我が目で見ていなければ、到底信じなかっただろう。

「銷失の魔法、と言ったな? 誰に教わった?」
「……おばさま、だけど……」

 億劫そうに返された言葉に、しばし沈黙する。

 ──やはり、オルガナの差し金か。

 このタイミングで、聖都に、銷失の魔法の使い手が現れた。
 それは、偶然などではない。間違いなく意味がある。
 何かが──男の中で繋がった。
 
 押し黙ったまま、ウルベルトは薄笑いを浮かべる。
 メアリーは立ち上がると、身体をよろめかせながら三歩後ずさった。
 そして、気味悪げに尋ねる。

「……えーっと。急に静かになっちゃって、どうしたの……? 自分の名前がゴーヨクだって、ついに思い出したの?」
「ウルベルトだ! 覚えろ!  頼むっ!!」

 鼻の穴を膨らませ、ウルベルトは怒鳴る。 
 とは言え今は、怒りよりも驚きの感情が遙かに勝る。

「……まさか、お前がワイルドカードになるとはな」
「ワ、ワイロ……?」

 まだ意識の戻らないアルヴィンを、ウルベルトは背負った。
 そして「やっぱりゴーヨク……」と、眉をひそめる少女を見やり、嘆息する。

「……移動するぞ。グズグズしておると、連中のお仲間が来るぞ!」 

 メアリーの力が、アルヴィンの命を救った。
 それだけではない。
 この状況を覆す、決定打となるかもしれない──

 ──まあ……ブタ(役なし)の可能性も、大いに否定できんがな……

 ウルベルトは、心中でごちる。
 赤毛の少女は、切り札と呼ぶには頼りなく、危なっかしさは拭えない。
 反撃に出たつもりが、死への階段を転げ落ちることになるかもしれない。
 
 だが今は……諦める選択肢などない。
 どんな運命が待ち受けているにせよ、前に進むしかないのだ。 

 三人と一匹は、聖都の夜闇へと消えた。

 
 
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