白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第七章 災厲の魔女

第66話 目覚めの朝に

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 早朝の清涼な風が、カーテンを揺らした。
 ジャスミンの花の、甘い香りがかすかに薫る。

 アルヴィンは、心地よいまどろみの中に身を委ねていた。
 長い間、眠っていた気がする。
 こんな安らかな気分は、いつ以来だろう──?

 思えば、ずっと走り続けてきた。
 始まりは、父の死だった。
 白き魔女を追うためオルガナへ入校し、アルビオでベラナに師事した。
 そこで彼女と出会い、父の死の真相を知った。

 その後は──そう、彼女を探すために聖都へ赴き……聖都へ…………彼女を………
 ……聖都……………………?

 ──聖都で……何があった!? 

 アルヴィンは跳ね起きた。
 頭にかかった靄が、急速に晴れていく。
 咄嗟に胸に手を当てた。

 ──薔薇園で、ステファーナに胸を撃たれたはずだ。

 真っ赤に染まった手、闇の奥底へと引きずり込まれる感覚。
 はっきりと覚えている。
 だが、胸に傷はない。痛みもない。
 そして撃たれた後の記憶が……ない。

 ──ここは……どこだ?

 アルヴィンは呆然としながら、視線を巡らせた。
 寝かされていたのは、清潔なシーツが敷かれた、ベッドの上だ。 
 どこかの邸宅の一室だろう、危険はないように感じる。 
 刹那、アルヴィンの胸の鼓動が飛び跳ねた。

 思わず、我が目を疑う。
 ベッドにもたれかかり、眠っている女がいる……

「……クリスティー?」

 信じられない光景だ。
 手の届く距離に、彼女の寝顔があった。 

 ──そうか……。まだ、夢の中にいるのだ。

 アルヴィンは、妙に納得した。
 彼女がこんな近くで……しかも無防備に寝息をたてるなんて、夢以外に考えられない。

 だとすれば、これくらい許されるのではないか──ふと、魔が差す。 

 クリスティーの、はらりと落ちた前髪に、手を伸ばす。
 絹糸のように艶やかな髪をすくい上げると、けぶるように長い睫が呼吸にあわせ、僅かに震えているのが見える。

 寝顔でさえ美しい。

「王子様のお目覚めね」

 目が、合った。
 クリスティーが、悪戯っ子のように微笑んでいた。
 一瞬硬直した後、弾かれるようにしてアルヴィンは手を引っ込める。

「ク、ク、クリスティー!? 起きていたのかっ!?」

 みるまに顔が紅潮し、ベッドから転げ落ちんばかりに狼狽する。
 後ずさり、天蓋の柱に後頭部をしこたまぶつけて、夢でないことを確認させられる。
 普段の冷静沈着なアルヴィンからは想像できない、体たらくだ。

「す、すすまないっ! てっきり夢かと……!」
「いいのよ」

 どぎまぎするアルヴィンを見て、クリスティーはクスクスと笑った。

「目を覚ましてくれて嬉しいわ、アルヴィン」 
「君が……助けてくれたのか?」

 黒髪の青年とダークブロンドの美女は、しばしの間見つめ合った。
 側にいるということは、つまりそういうことなのだろう。
 だが返答までに、僅かな間が生じた。 
 
「あなたが助かったのは、皆が力を尽くした結果よ」

 それは、噓ではない。
 ウルベルトの財力、メアリーの魔法、黒猫ルイの勇気……ひとつでも欠けていたら、生還は望めなかっただろう。
 クリスティーは、深くは語らない。自らの命を分け与えたことにも触れない。
 アルヴィンを安心させるように、声音を柔らかくした。

「あなたは三日間昏睡していたの。ステファーナから受けた呪傷のせいでね。でも心配しないで、後遺症はないはずよ」
「三日も……!?」

 アルヴィンは驚きの声をあげる。
 長く眠っていた自覚はある。だが、あれから三日も経っていたとは……
 脳裏に、禁書庫から還った後のやりとりが甦った。

 禁書アズラリエルはステファーナに奪われ、古言語を解するフェリシアは精神支配された── 
 アルヴィンは失意にのまれ、肩を落とす。

「……すまない。アズラリエルは……奴らの手に渡ってしまった」
「いいのよ。私たちはまだ、負けたわけじゃない」

 クリスティーの眼差しは力強く、落胆の色はいささかもない。
 それは、決して強がりではない。

「奪われたのなら、利子をつけて返して貰うだけよ。そうでしょう?」

 まるでカフェでカプチーノを注文するかのように、さらりと彼女は言ってのける。
 教会を影から支配するステファーナの力は底知れず、生易しい敵ではない。 
 奪い返すのは、困難な挑戦となるだろう。
 だが──不思議だ。

 彼女となら、不可能ではない気がする。

「そうだな……僕たちは、まだ負けてはいない」

 アルヴィンは、クリスティーを眩しそうに見つめながら、頷く。
 いつだって毅然と前を向き、俯かない。
 初めて会った時から、彼女はそうだった。  

 ──きっと、何とかなるはずだ。

「あら。早速、お見舞いが来たみたいよ?」

 と。
 クリスティーが、扉へと視線を転じた。
 その言葉を裏付けるかのように、ドタバタと、廊下を駆ける音が耳に届く。二人のいる寝室へ急接近してくる。

「──見舞い?」

 直後、蹴り破るような勢いで扉が開かれた。

「アールーーヴィンーーー!!」

 減速なし、容赦なし、トップスピードのまま、赤毛の少女がアルヴィンの胸元に飛び込んだ。
 目覚めたばかりの身体は、不意打ちに反応できない。
 不覚にも、そのままベッドに押し倒される。

「じんばいじだんだよーーーっ!!」

 アルヴィンのうめき声を、号泣がかき消した。 
 メアリーは泣きじゃくる。

「メアリー……」

 遠ざかった意識を、なんとか手繰り寄せて、アルヴィンは少女を見やった。
 メアリーとは三年前の嵐の夜、墓地で別れて以来だ。
 顔立ちが少し大人びたように感じるが……いや、少女は、あの時のままだ。
 アルヴィンの服で鼻をかむ様子を見て、確信する。

「こら! 傷に障りますわよ」

 新たな声が響いて、少女は悪戯をした猫のように引き離された。
 背後にいるのは──

「せ、先輩がたまで……!? どうして、聖都に?」
「色々あったのよ」
「色々、ありすぎましたわね」

 アリシアとエルシアが、そろって肩をすくめて見せる。
 学院にいるはずのメアリー、そしてアルビオにいるはずの双子が聖都に──つまり、色々とあったのだろう。

 アルヴィン自身、幻惑の魔女との対決、禁書庫の迷宮、そして生死を彷徨った三日間、とにかく濃密過ぎた。

「あなたが無事で良かったわ」
「本当に、心配したのですよ?」

 普段、女王のごとく君臨する双子から温かい言葉をかけられて、アルヴィンは妙に落ち着かない。
 何か裏があるのではないか──思わず勘ぐってしまう。悲しい習性である。 
 困惑を深めるアルヴィンに、エルシアが呆れたように言った。

「そろそろ入ってきたらどうなのです? ついてきてくれと言ったのは、あなたでしょう」 

 いや──それは、アルヴィンに対してではない。

「ベネット……」

 アルヴィンは、咄嗟に言葉が出ない。
 扉の脇に、ひとり離れて立つ少年の姿があった。
 すれ違い、離ればなれとなった師弟は、ついに対面したのだ。


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