白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

文字の大きさ
175 / 197
第八章 白き魔女

第88話 破滅へとつづく門

しおりを挟む
 目を見開いたところで、何も見えない。
 そもそも、開けているか閉じているかも分からない。
 どちらにせよ結果は同じだ。
 眼前に広がるのは──漆黒の闇だ。

 地下水路はアルヴィンを呑み込み、下へ下へと押しやっていく。
 身を切るような冷水に手足が痺れ、酸欠の足音がヒタヒタと迫り来る。
 前触れもなく石壁に叩きつけられて、アルヴィンは声にならない呻きをあげた。

 見えないのだから、受け身も取れない。全てが突然だ。暴力的な奔流に、抗うことはできない。
 壁から引き離され、すぐさま無防備な背中を強打する。

 ──出口まで……息が持つか!?

 そもそも、出口はあるのか。
 飛び込んだのは、正しい選択だったのか。
 一切の光が差さない黒々とした水が、死の色に見えてくる。

 ──いや……! この水路を、白き魔女は通ったんだ……! 絶対に抜けられる!

 アルヴィンは意思の力で、恐怖を自制する。
 死に直面して、無様に取り乱す者を審問官とは呼ばない。
 常に冷静でいること──それは、亡き師の遺した教えでもある。

 ──まだだ……まだ…………まだ……か………………頼むっ!!

 水圧が一段と増し、鼓膜が絶叫した。四肢が引きちぎられそうだ。
 だが──耐えるしかない。
 意識が薄れていく。冷たさは、もう感じない。
 そして、柔らかな光に包まれる……

 押しつぶすかのような水圧が、忽然と消えた。重力も喪失する。
 窒息感から開放され、自由に息ができることに気づく。
 理解がまったく追いつかない。

 天に、召されたのだろうか……?
 
 先刻までの苦しみは、どこにもない。
 難があるとすれば、風切り音がうるさいくらいか。

 ──風切り音?

 違和感を覚え、アルヴィンは目を開けた。そして、驚愕する。
 つい先刻まで、地下の水路を流されていた。
 それが今──空を、落下している。眼下の湖底に向けて。

 わけが分からない。
 手を伸ばせば届く距離に、顔を蒼白にしたクリスティーがいる。意識がないことを見て、アルヴィンは咄嗟に動いた。
 グングニルを投げ捨て、華奢な身体を抱き寄せる。

 黒々とした水面が眼前に迫った。

「──っ!!」

 衝撃が全身を打つ。水の冷たさが襲う。
 最後に、水柱があがった。




「──くそっ!」

 アルヴィンは水面から顔を出し、空気を求めて喘いだ。
 地下水路から脱したと思った直後に、また水だ。
 聖都に来てから、水との相性が良いとはお世辞にも言えない。
 切れかかる意識を懸命に保ちながら、アルヴィンは目を凝らす。

 前方にぼんやりと、陸地が見えた。焦りが見せた錯覚ではない──はずだ。そう願う。
 力を振り絞り、水を蹴る。

 クリスティーを抱え、岸を目指す。だが、濡れた祭服は重く、引き切った手足に感覚はない。
 陸地は遠い。
 自身が浮かぶだけで精一杯な中、もうひとりを抱えて泳ぐのは絶望的な試みに思えてくる。

 水をかき分ける手が止まる。
 身体が沈んだ。 

 ──せめて……せめて彼女だけでも……!

 アルヴィンは、必死にもがく。

「……退け……」

 その時だ。
 聞こえたのは、消え入るような小さな声だ。
 それがアルヴィンの耳に届いた刹那、驚くべき変化が生じた。

 水面が割れた。 
 二人を呑み込もうとしていた水が、左右に引いていく。見る間に幅が二メートルほどの、細長い回廊ができあがった。
 まるで古い伝説にある、海を割った預言者の奇跡だ。
 アルヴィンは、薄く目を開けた相棒を見やった。 

「クリスティー!」
「……耳元で大きな声を出さないで」

 クリスティーが、気だるげに返す。
 間一髪、意識の戻った彼女が、魔法を使ったのだ。
 少しでも遅かったら、溺死していただろうが……ギリギリのところで踏みとどまった。辛くも二人は、危機を切り抜ける。 

 アルヴィンは濡れた前髪をかきあげた。
 地底湖を割った道は、真っすぐに陸地へと伸びている。
 呼吸を整えると──全回復には程遠いが──二人は歩き出す。
 絶望的なほど遠くに見えた陸地は、歩けばそれほどの距離もない。

「私が言ったとおりでしょう? 無事に辿り着いたじゃない」

 地面を踏んで、そら見なさい、と言わんばかりの笑みをクリスティーが向けた。 
 無事に……と評するには、少々過酷すぎた道中である。
 とはいえ、最後の最後で彼女に救われたのは事実なわけで、アルヴィンは減らず口を訂正するつもりはない。

 代わりに、周囲に視線を巡らせる。
 二人が立つのは、楕円の形をした陸地だ。深い黄緑色のコケが、地面をまるで絨毯のように覆っている。
 その表面が、淡く光を放っていた。
 地下を満たす光は、このコケによるものなのだろう。

 少し離れた岩肌に、投げ捨てたグングニルが突き刺さっていた。
 相当な高度から投げ捨てたはずだが……傷ひとつない。
 アルヴィンは無言で引き抜くと、頭上を見上げた。上空は霞み、輪郭をはっきりと示さない。

 数条の滝が流れ落ちているのが見える。落差があるせいだろう、地底湖には霧となって注いでいた。
 おそらく……あのどれかから、二人は落ちたのだろう。
 湖面は静かだ。その果ては見えず、遙か先まで広がっている。

 広い。ただただ、広い。何も知らなければ、外と錯覚しそうだ。
 聖都の地下深くに、巨大な空間がある……信じがたい光景に、アルヴィンは呆然とする。

 そして──

「なんだ……?」

 驚きは終わらなかった。
 視線の先に、わけの分からないものがあった。
 ぞわりとした悪寒が、背筋を這った。

 それは──門だ。

 いや、門なら、どこにだってある。驚きに値しない。
 だが……明らかに、おかしい。

 高さは、少なくとも三十メートルはあるように見える。まるで巨人のために用意されたかのようだ。
 それが、ぽっかりと虚空に浮かんでいるのだ。

「聖櫃への、入り口よ」

 クリスティーが、静かに告げた。

「──あれが……?」
「そうよ。私も初めて見たわ。虚空に浮かぶ、白亜の門──母から聞かされた通りだわ。千年前、母と伯母たちがつくったのよ」
「……原初の十三魔女が? なぜ、聖都の地下に?」
「逆よ」

 返答は短い。
 だが彼女が何を言わんとしているのか、アルヴィンは速やかに理解した。
 原初の魔女が生きた時代は、教会の成立よりも四百年以上古い。
 つまり──

「教会が聖櫃の上に……聖都を築いたのか?」
「ご明察です」

 声は──
 彼女のものではない。
 鈴の音のような響きを伴った、少女のものだ。
 アルヴィンとクリスティーは、咄嗟に身構える。

「ようこそ、背教者アルヴィン。そして、凶音の魔女クリスティー」 

 教会の影の支配者は、朗らかな微笑みを浮かべた。




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

滅せよ! ジリ貧クエスト~悪鬼羅刹と恐れられた僧兵のおれが、ハラペコ女神の料理番(金髪幼女)に!?~

スサノワ
ファンタジー
「ここわぁ、地獄かぁ――!?」  悪鬼羅刹と恐れられた僧兵のおれが、気がつきゃ金糸のような髪の小娘に!? 「えっ、ファンタジーかと思ったぁ? 残っ念っ、ハイ坊主ハラペコSFファンタジーでしたぁ――ウケケケッケッ♪」  やかましぃやぁ。  ※小説家になろうさんにも投稿しています。投稿時は初稿そのまま。順次整えます。よろしくお願いします。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...