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第八章 白き魔女
第89話 微笑みの天使と背教者
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黒い湖面に、白い影が差す。
それは虚空に浮かぶ門が、映り込んだだけに過ぎなかった。
影はひとつではない。
複数ある。目を凝らせば、それが人の形をしていることに気づく。
影は、不吉な白銀の光を伴った。
それは──白の祭服を着た、処刑人の一団だ。数十人はいるだろう。
チェーンメイルを装備し、大盾と長剣で完全武装をしている。ライフル銃も見える。
濃密な殺気と怒気の波動の中心に、楚々とした花柄のワンピースを着た少女の姿があった。
朗らかな春の木漏れ日のような微笑みは、場違いであると言わざるを得ない。人形のような、無機質な処刑人たちを従え、不穏なコントラストを際立たせる。
教会の影の支配者たるステファーナは、天使のように透き通った声を響かせた。
「教会は、聖櫃の上に聖都を築いた──まさに、その通りです」
素早く視線を走らせ、アルヴィンは状況を見極める。
ステファーナの傍らに、銀髪の女──フェリシアが立っている。目はうつろで、意思の光はない。
アルヴィンは唇を強くかんだ。
精神支配という卑劣な手口と、彼女を守り切れなかった自分の不甲斐なさ……双方に、腹が立つ。
少女の声は続く。
「聖櫃とは、救いである──初代教皇グングニルの言葉です。かつてこの地は、荒涼たる原野が広がるだけでした。敢えて選ばれたのは、彼が遺した伝承によるところが大きい。ですが──」
ステファーナは、虚空に浮かぶ門を見あげた。
「これまでいかなる手を尽くしても、辿り着くことは叶わなかった。それは聖櫃が、一切の魔法の干渉を排除する、特殊な空間だからです。アズラリエルの導きによって、ようやく初代教皇の悲願が達成されたわけです」
端正な白い顔に、恍惚とした色が浮かぶ。
対してアルヴィンは、不快げに眉をひそめた。
「教会が、最初期から聖櫃を追っていたとは驚きですね。それで、その馬鹿げた悲願とやらを達成して、何から救われるのです?」
「魔女がつくった聖櫃が、どのような救いをもたらすのか、初代教皇の真意は分かりません。ですが、あそこに白き魔女がいるのであれば、不死の達成──死からの永遠の解放を意味するのでしょう」
「下らない妄想ね」
冷淡に切り捨てたのは、クリスティーだ。
両眼に、嫌悪の光が揺れた。
「魔女は邪悪だ、駆逐しろと声高に断罪する一方で、不死を得るために、その力すら渇欲する。神のしもべを気取っておいて、呆れた連中だわ。分かっているのかしら? 不用意に聖櫃を開けば、不死どころか──滅ぶわよ」
「そのためのグングニルです」
クリスティーの鋭い視線を、ステファーナは平然と受け流し、笑った。その顔は、揺るぎない自信に満ちている。
少女はアルヴィンへ視線を転じると、小さな手を差し出す。
「アルヴィン、あなたは実に優秀です。禁書庫からアズラリエルを持ち帰り、呪傷からも逃れた。わたしはもう一度、チャンスを与えてもいいと考えています。グングニルを持ち、こちらへ来なさい。不死に浴する栄誉を与えましょう」
「……寛大なお言葉、痛み入りますね」
殊勝な言葉とは裏腹に、アルヴィンの態度は冷ややかさを増した。
空虚な称賛は、心に何の感情も呼び起こさない。
少女の身体からにじみ出るものは、寛容さを装った悪意とでも呼ぶべきものだ。
アルヴィンは、ステファーナを見据える。
「薔薇園で、お伝えしたはずです。僕は不死に、これっぽっちも興味はありません。あなたの犬に成り下がり、永遠に腐肉を漁るのはごめんです」
アルヴィンの口調は、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。
決然とした眼差しを向け、宣告する。
「今頃、仲間たちが教皇猊下の呪いを解いているでしょう。教会は、あるべき姿へと戻る。さあ、武器を捨てるよう、処刑人に命じていただきましょうか。ステファーナ、あなたを拘束します」
「捕らえる? この、わたしを?」
ステファーナは、この夜、何度目かの微笑みを浮かべた。ただしそれは、身の程知らずへの、嘲弄が色濃い。
「教皇が目覚めたから、何だというのです? 恩を忘れ、志を共にしなかった愚か者が、わたしを裁くと? 不死を得た後、魔女もろとも一掃すれば良いだけのこと」
事も無げに言ってのけると、少女は目をスッ、と細める。
「わたしは、あなたを高く評価しています。これ以上、失望させないことです。わたしに逆らえばどうなるか、身を以て知ったばかりでしょう?」
声は穏やかだが、内容は丁重な恫喝である。
そして、ただの脅しでは終わらない。
鞘なりの音が連なり、剣光が瞬いた。処刑人たちが一斉に抜剣したのだ。
たちまち地下を、血なまぐさい臭いが満たす。
ライフルの銃口も向けられる。
たちまち緊張が沸点を超え、空気が張り詰めた。
憤怒と憎悪に彩られた鉄の壁を前にして、アルヴィンは一歩も退かない。
毅然と睨み返し、グングニルの槍先を少女と仮面の集団へと向けた。
「撃ちたければ、ご自由にどうぞ。ただし、不死の夢とともに、聖櫃もろとも生き埋めになるでしょうがね」
「そうでしょうか? こちらにはフェリシア女史がいるのです。心優しいあなたに、仲間を巻き添えにすることなどできませんよ」
ステファーナは、アルヴィンの心を見透かしたかのように笑う。
「──大陸を守るためなら、やってやるさ」
アルヴィンは重々しい決意と共に、息を吐く。
お互いに決定打に欠く。
いや……少女の読みが核心をついている分、不利なのはアルヴィンの側か──
事態は膠着し、両者は睨みあった。
それは虚空に浮かぶ門が、映り込んだだけに過ぎなかった。
影はひとつではない。
複数ある。目を凝らせば、それが人の形をしていることに気づく。
影は、不吉な白銀の光を伴った。
それは──白の祭服を着た、処刑人の一団だ。数十人はいるだろう。
チェーンメイルを装備し、大盾と長剣で完全武装をしている。ライフル銃も見える。
濃密な殺気と怒気の波動の中心に、楚々とした花柄のワンピースを着た少女の姿があった。
朗らかな春の木漏れ日のような微笑みは、場違いであると言わざるを得ない。人形のような、無機質な処刑人たちを従え、不穏なコントラストを際立たせる。
教会の影の支配者たるステファーナは、天使のように透き通った声を響かせた。
「教会は、聖櫃の上に聖都を築いた──まさに、その通りです」
素早く視線を走らせ、アルヴィンは状況を見極める。
ステファーナの傍らに、銀髪の女──フェリシアが立っている。目はうつろで、意思の光はない。
アルヴィンは唇を強くかんだ。
精神支配という卑劣な手口と、彼女を守り切れなかった自分の不甲斐なさ……双方に、腹が立つ。
少女の声は続く。
「聖櫃とは、救いである──初代教皇グングニルの言葉です。かつてこの地は、荒涼たる原野が広がるだけでした。敢えて選ばれたのは、彼が遺した伝承によるところが大きい。ですが──」
ステファーナは、虚空に浮かぶ門を見あげた。
「これまでいかなる手を尽くしても、辿り着くことは叶わなかった。それは聖櫃が、一切の魔法の干渉を排除する、特殊な空間だからです。アズラリエルの導きによって、ようやく初代教皇の悲願が達成されたわけです」
端正な白い顔に、恍惚とした色が浮かぶ。
対してアルヴィンは、不快げに眉をひそめた。
「教会が、最初期から聖櫃を追っていたとは驚きですね。それで、その馬鹿げた悲願とやらを達成して、何から救われるのです?」
「魔女がつくった聖櫃が、どのような救いをもたらすのか、初代教皇の真意は分かりません。ですが、あそこに白き魔女がいるのであれば、不死の達成──死からの永遠の解放を意味するのでしょう」
「下らない妄想ね」
冷淡に切り捨てたのは、クリスティーだ。
両眼に、嫌悪の光が揺れた。
「魔女は邪悪だ、駆逐しろと声高に断罪する一方で、不死を得るために、その力すら渇欲する。神のしもべを気取っておいて、呆れた連中だわ。分かっているのかしら? 不用意に聖櫃を開けば、不死どころか──滅ぶわよ」
「そのためのグングニルです」
クリスティーの鋭い視線を、ステファーナは平然と受け流し、笑った。その顔は、揺るぎない自信に満ちている。
少女はアルヴィンへ視線を転じると、小さな手を差し出す。
「アルヴィン、あなたは実に優秀です。禁書庫からアズラリエルを持ち帰り、呪傷からも逃れた。わたしはもう一度、チャンスを与えてもいいと考えています。グングニルを持ち、こちらへ来なさい。不死に浴する栄誉を与えましょう」
「……寛大なお言葉、痛み入りますね」
殊勝な言葉とは裏腹に、アルヴィンの態度は冷ややかさを増した。
空虚な称賛は、心に何の感情も呼び起こさない。
少女の身体からにじみ出るものは、寛容さを装った悪意とでも呼ぶべきものだ。
アルヴィンは、ステファーナを見据える。
「薔薇園で、お伝えしたはずです。僕は不死に、これっぽっちも興味はありません。あなたの犬に成り下がり、永遠に腐肉を漁るのはごめんです」
アルヴィンの口調は、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。
決然とした眼差しを向け、宣告する。
「今頃、仲間たちが教皇猊下の呪いを解いているでしょう。教会は、あるべき姿へと戻る。さあ、武器を捨てるよう、処刑人に命じていただきましょうか。ステファーナ、あなたを拘束します」
「捕らえる? この、わたしを?」
ステファーナは、この夜、何度目かの微笑みを浮かべた。ただしそれは、身の程知らずへの、嘲弄が色濃い。
「教皇が目覚めたから、何だというのです? 恩を忘れ、志を共にしなかった愚か者が、わたしを裁くと? 不死を得た後、魔女もろとも一掃すれば良いだけのこと」
事も無げに言ってのけると、少女は目をスッ、と細める。
「わたしは、あなたを高く評価しています。これ以上、失望させないことです。わたしに逆らえばどうなるか、身を以て知ったばかりでしょう?」
声は穏やかだが、内容は丁重な恫喝である。
そして、ただの脅しでは終わらない。
鞘なりの音が連なり、剣光が瞬いた。処刑人たちが一斉に抜剣したのだ。
たちまち地下を、血なまぐさい臭いが満たす。
ライフルの銃口も向けられる。
たちまち緊張が沸点を超え、空気が張り詰めた。
憤怒と憎悪に彩られた鉄の壁を前にして、アルヴィンは一歩も退かない。
毅然と睨み返し、グングニルの槍先を少女と仮面の集団へと向けた。
「撃ちたければ、ご自由にどうぞ。ただし、不死の夢とともに、聖櫃もろとも生き埋めになるでしょうがね」
「そうでしょうか? こちらにはフェリシア女史がいるのです。心優しいあなたに、仲間を巻き添えにすることなどできませんよ」
ステファーナは、アルヴィンの心を見透かしたかのように笑う。
「──大陸を守るためなら、やってやるさ」
アルヴィンは重々しい決意と共に、息を吐く。
お互いに決定打に欠く。
いや……少女の読みが核心をついている分、不利なのはアルヴィンの側か──
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