白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第八章 白き魔女

第90話 アルヴィンの選択

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 空気が重い。
 呼吸を躊躇わせるほどに、重い。
 地下を満たしているのは、粘性を帯びた悪意とでも呼ぶべきものだ。

 気づかないうちに、呼吸を止めていたらしい。アルヴィンは深く息を吸うと、敵意の渦巻く中心を、最大級の警戒を持って見据える。
 視線の先で、あどけない顔をした少女が微笑んだ。

「──良い考えが浮かびました」

 肌がヒリつくような沈黙は、ステファーナの声によって破られる。
 名案を閃いたとばかりに手を打つと、屈託のない笑みが向けられる。

「わたしはグングニルが欲しい、あなたはフェリシア女史を救いたい。それならば、両者を交換するのです。良いアイデアだと思いませんか?」
「生憎ですが、全く賛同できませんね」

 アルヴィンは眉をしかめると、冷淡に突き放す。

「なぜでしょう?」
「あなたが信用に値する取引相手だとは、とても思えません」
「そちらの魔女は信用するのに、わたしを信じてはくれないのですね」

 皮肉たっぷりに言うと、ステファーナは傍らに立つ、フェリシアの顔を見あげた。
 続いて薄紅色の花唇から発せられたのは、毒気に満ちた宣言だ。

「それではフェリシア女史は用済みです。自害していただきましょう」
「──っ!!」
「挑発に乗ってはダメよ!」

 激発しかけたアルヴィンの肩を、クリスティーが掴んだ。

「分かっている……!」

 腹立たしい限りだが、主導権はステファーナの手中にある。
 怒りに任せて戦いを挑んだところで、フェリシアを無事に救い出せる可能性はゼロに近い。
 かと言って、グングニルを渡せば切り札を失う……
 大陸が滅べば、結果は同じだ。
 
 どうすべきか──アルヴィンは迷う。
 ステファーナは余裕に満ちた態度で、薄く笑った。

「何を迷っているのです? あなたは仲間を見殺しにできるような、薄情な人間ではないはずですよ?」
 
 アルヴィンは、愛らしい少女の笑顔の片隅に、悪魔の影を見た気がした。
 本心を見透かしたかのような言葉は──正しい。フェリシアを見捨てるという選択肢は、ないのだ。
 拳を強く握りしめ、喉の奥から声を絞り出す。
 
「分かった。……グングニルを、渡す」
「それで良いのです。わたしの誠意を受け入れてくれて、嬉しく思います」

 満足げに、少女は口角をあげる。
 そこに誠意などない。あるとすれば、コールタールのようにどす黒い、悪意だけだろう。
 アルヴィンは苦りながら言い放つ。

「ただし──彼女を先に返してもらう。グングニルを渡すのは、その後だ」
「いいでしょう。それでは精神支配を解きましょう」

 要求は、意外にもあっさりと受け入れられた。

「フェリシア女史」

 朗らかに呼びかけると、ステファーナとフェリシアは顔を見合わせ──

「えっ……!?」

 直後、戸惑いの声があがった。
 フェリシアが周囲を見回し、目をしばたかせる。
 驚きが顔に満ち、身体をすくませた。

 無理もない。彼女の時間は、禁書庫の迷宮を出た直後で止まっているのだ。
 それが突然、聖都の地下深く──殺気立った処刑人たちの、まっただ中に放り出されたのである。
 顔を青ざめさせたフェリシアに、少女は胸に手を当て一礼する。

「これまでの協力に感謝を。あちらに戻られるがいいでしょう」
「あっち……? ア、アルヴィン!?」

 少女が指さした方向に、見知った顔と、見知らぬダークブロンドの女の姿を見出して、目を丸くする。
 鋭い声が飛んだ。

「フェリシア! こっちに来るんだ!」

 状況が、全く理解できない。
 だが弾かれるようにして、フェリシアは駆け出した。

 妨害はない。処刑人の輪が割れ、彼女をあっさりと通す。
 距離は二十メートル程だろう。
 フェリシアは瞬く間に走り抜け、残り数歩分の距離を跳躍すると、アルヴィンの胸に飛び込んだ。

「アルヴィンっ!!」

 再会の挨拶にしては、少々勢いが良すぎる。
 よろめきつつ、アルヴィンはかろうじて銀髪の佳人を抱きとめる。
 そして、気づく。

 フェリシアの肩が震えていた。
 不本意な服従を強制する精神支配が、心に傷を残したのではないか──そう思うと、胸が痛む。
 彼女を巻き込んだのは、他ならぬ彼自身なのだ。

「フェリシア、危険な目にあわせてすまなか──」

 謝罪を口にしようとした、その時。
 唇が、アルヴィンの耳元に近づいた。

「……ノ……ヤク…………ン」

 単語の断片が、ささやかれる。
 アルヴィンの表情が変わった。

「フェリシア──?」

 まじまじと、彼女の顔を見やり── 

「離れなさいっ!」

 クリスティーが発した警告に、咄嗟に身体が反応した。新たな危機が急迫した。
 上体をひねり、それがあるであろう位置へ、腕を突き出す。
 直感の正しさは、左腕に走った激痛と鮮血が証明した。
 アルヴィンは顔を歪める。

 腕をざっくりと斬られ、血が吹き出る。傷は深い。だが……この程度で済んだのなら良い。
 あと少し遅れていたら、斬られていたのは首だ。
 処刑人の不意打ち……ではない。アルヴィンは、自分の甘さに舌打ちせずにはおれない。

 フェリシアの手に、刃が赤く染まった短剣が握られている──
 続けざま、凶刃が繰り出される。

「フェリシア、やめるんだ!」

 必死の叫びは、届かない。
 彼女の顔は、感情のない、うつろなものへと戻っていた。

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