白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第八章 白き魔女

第97話 白き魔女と滅びの嵐

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 大陸で最も神聖なる街、聖都。
 その地下に張り巡らされたカタコンベよりも、さらに奥深く。
 地下に、雨が降っていた。

 それは地下水路を複雑に経て、数条の滝となった流れが飛散したものだ。
 多くは地底湖に波紋を刻む。放射線状に広がった軌跡のごく一部が、居合わせた者たちを濡らした。
 アルヴィンは前髪から垂れた滴を、拭おうともしない。

 巨大な地下空間。その上方を、じっと凝視している。
 言葉なく立ちすくむのは、クリスティーも同じだ。その頬を水滴が──いや、涙が伝った。
 アルヴィンはハッとして、その顔を見つめた。

 彼女は、声もなく頬を濡らしていた。
 三年前、アルビオで取引をした時──それよりもずっと以前から、母である白き魔女を探し続けてきた。再会は、彼女の悲願だった。

 それが、ついに叶ったのだ。
 だが……言葉を交わすことはできない。

 地下の空気は、重く張りつめいている。
 状況は好ましくない。
 切り札であったグングニルはステファーナの手に渡り、聖櫃は開かれた……滅びの足音が、すぐそこにまで迫っている。

 どう足搔こうと希望の見えない、最悪の状況だ。
 そこに、少女の声が響いた。

「白き魔女よ! わたしに不死を与えなさい!」

 ステファーナもまた、虚空に浮かぶ聖櫃を見あげている。
 楚々とした横顔に、勝利を確信した表情を浮かべて。

 地下を睥睨する、白き魔女の唇が動く。

「──愚かなこと」

 投じられたのは、僅か一言だ。
 それだけでアルヴィンは、周囲の空気が凍てついたような錯覚に襲われた。

 白き魔女と対峙するのは、これが初めてではない。二度目になる。
 もっとも一度目は──正確には、彼女ではなかった。禁書庫の迷宮が造りだした、複製に過ぎなかった。
 今、本人を前にして感じる魔力と圧迫感は、あの時の比ではない。

 白き魔女を正視するには、相当な意思の力を必要とする。

「──私は姉たちが残した叡智を護るため、不死者となった」

 さらに一言が発せられる。
 声は明瞭で、直接頭の中に響いてくるかのようだ。 

「だがそれは、大きな謬りだった。摂理に反した力が行き着く先は、滅び。永遠など存在しない。お前は結局のところ、死を求めているに過ぎない」 
「愚か者はあなたの方です。白き魔女よ」

 常人なら、後ずさりせずには居れない圧を、ステファーナは平然と跳ね返した。
 それどころか微笑みを浮かべ、言葉を継ぐ。

「原初の十三魔女、最後の生き残り。大陸の歴史上、唯一不死を達成した者。魔道の頂に立つあなたが、何を恐れているのです?」

 わざとらしく、少女は小首をかしげてみせる。
 その態度は、挑発的ですらある。

「滅びるのは大陸ではなく、神です。何が摂理か、それはわたしが決める。見ていなさい、神を殺した暁には、聖都は不死の都となるでしょう」
「……狂った妄想ね。あなたが神にでもなるつもり?」

 泣き濡れたクリスティーの目はまだ赤い。だが眼差しは、毅然としたものへと戻っていた。
 手厳しい皮肉への回答は、言葉ではなく行動によってなされる。

 グングニルの槍先が、クリスティーに向けられた。
 白き魔女に視線を留めたまま、少女は悪意と優越感に満ちた声を響かせる。

「白き魔女よ、わたしは気の短いほうではありません。ですが、これ以上忍耐を試さないことです。わたしの願いを拒むなら、娘を殺します」
「よせっ!!」

 朗らかな殺害予告に、アルヴィンが叫ぶ。
 そして……僅かな違和感を覚える。

 クリスティーに向けられた、グングニルの槍先。それが、細かく震えていた。
 いや、震えているのは……地下空間、全体だ。

「邪魔が入りましたね」
「──?」

 ステファーナが、小さく肩をすくめる。
 新たな鳴動が生まれた。

 地震ではない。直感的にそう判断したのは、頭上に振動が生じたからだ。
 地下空間の天井が、激しく震えている。
 亀裂が縦横に走り、硬い岩盤が波打った。

「──何────っ──────が!?」

 自分が発したはずの声が、聞き取れない。
 直後、一万枚の銅鑼を打ち鳴らしたかのような破壊音が、鼓膜を乱打した。
 
 天井が崩壊した──

 膨大な土砂と岩塊が、豪雨のように降り注ぐ。
 濃厚な土煙が、瞬く間に視界を奪い去る。

「アルヴィン!」

 緊迫した声とともに、クリスティーが腕を掴んだ。
 土煙の中へ駆け出そうとするアルヴィンを、制止したのだ。

「どこに行くの!?」
「彼女を助ける!」
「彼女って!?」
「君も来てくれ!」

 説明する間も惜しい。
 アルヴィンは腕を振りほどくと、一直線に駆け出した。
 一瞬だが、見えたのだ。土煙の切れ間に、夢遊病者のように彷徨うフェリシアの姿が。

「フェリシア! どこにいるんだ!?」

 アルヴィンは懸命に目を凝らし、叫ぶ。 
 近くで悲鳴があがった。

 それは──フェリシア、ではない。男のものだ。運悪く岩塊が直撃した、処刑人だろう。 
 たとえ人の拳ほどの石であったとしても、当たり所が悪ければ命はない。ほんの僅かな差が、生死を分かつ。

 落石のまっただ中に飛び込み、人を探す。それは勇敢を通り越した、無謀な行動だ。その自覚はある。
 だが──彼女を救う機会は、今を置いてない。そうも確信している。

 容赦なく岩塊が降り注ぐ中を、アルヴィンは縫うように走る。  
 すぐ後ろに、クリスティーの気配を感じる。ここまで無傷でいられるのは、彼女の魔法のおかげか……
 と。

 前触れなく、土煙が切れた。
 眼前にいたのは、フェリシアだ。ステファーナの姿はない。

 精神支配は解けてはいない。素手で掴みかかってくるフェリシアの首筋に、アルヴィンは手刀を放ち意識を奪う。 
 そのまま抱きかかえるようにして、地面に身体を投げ出した。

 再び土煙が、視界を閉ざす。
 永遠に続くかと錯覚しそうになる、天井の崩壊。
 だが──白き魔女の言ったとおり、永遠などありはしないのだ。

 やがて地下に、静寂が戻った。

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