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第二章 初夏
悪夢 前
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ぐっと胸が詰まる苦しさで私は目覚めた。
吐きそうなほど心臓が痛い。背と脇にぐっしょり汗を掻いていて、手足が冷えていた。何度か深く呼吸をすると、頭が動き出した。
またあの夢を見た。
「嫌な夢だわ……」
声を出すことで、少しだけ気持ちがしゃきっとした。あれは夢だったと自分に言い聞かせることができる。
去年もこの時期、悪夢を見たっけ。拓人の訃報を受け取る夢を。
深くため息をついて身を起こし、身支度を整える。
冷蔵庫からサラダを取り出して、コーヒーを淹れて飲むことにした。
ソファに座ってカップに口付け、端末を手にした。
事件に関する新しい情報が入っている。夜通し捜査していた人たちに、感謝とわずかな後ろめたさを感じながら、目を通す。
佐々木みつきの死因は絞殺。
現場の確認に入った段階で、索痕が水平だから、前方からのしかかられ絞殺されたのではないかと推測されていたが、解剖の結果はそれを裏付けすることになった。
彼女の生前と死後の写真の、容貌の落差に胸が痛む。
共有データの一覧には、板橋の事件の被害者のものもすでにアップされていた。
板橋の方も被害者の状態はほとんど同じ。殺され方も現場の状態も。
気になるのは、どちらの被害者の腹部にも残されていた赤い文字。FREE FUCK。なんの意味があるのだろう。徹底した悪意を感じる文言だ。
現場からはかなりの数の犯人のものと思われる指紋が採取されたが、いずれもデータベースで一致するものは見つからなかった。またその指紋は二件の現場両方から見つかっている。
被害者はふたりとも、性器にディルドを挿し込まれて粘膜を損傷していたが、犯人の体液や組織は残っていなかった。性的暴行を受けたと言えるが、ちょっと状況が特殊だ。
犯人はなぜ異物を挿入することにしたのかという点で、捜査官の間では、犯人が性的不能なのではないか、とか、あるいは女性蔑視があるのではないか、犯人の特殊性癖なのではないかと様々な憶測が飛び交っている。
ふう、と息をついた。
「きついよー……」
削られるなあ。色々なものを。
目黒の事件を追っているときは、自分のスキルがこの仕事向きじゃないかもと不安だったが、今回はそれよりストレス耐性の方が心配になってくる。
あとは、体調のコントロールも。
いくら凄惨な現場に立ち会ったとは言え、貧血を起こすなんて。前回平気だったのに、今回は駄目だったというのは、疲れているからに違いない。
しっかり眠れば気分も変わるんじゃないかと思うんだが、熟睡できない。
「どうしようかな」
私はソファで一人ため息をついた。サラダは食べる気になれなかった。
× × × × ×
私がオフィスに到着し作業の準備を終えたとき、時計は六時五十分を示していた。
「三小田、映像の確認任せてもいいか。俺は過去のデータベースから、類似した事件がなかったか確認してみる。きっともう誰かが確認したとは思うが、念のためだ」
「かしこまりました。何かあれば伺いますから」
神前さんがヘッドセットを装着したので、私も自分のデスクに向かった。
五分もしないうちに、隣から憮然とした声が聞こえてきた。
「……ヒットしねえな」
どんな条件で検索したんだか知らないが、速いって。このスピードにはとても太刀打ち出来ないなあ、と思う。
「こうなると、そっちの駅のデータが、うまくつながってくれることを期待するか」
言いながら、神前さんは装着したばかりのヘッドセットを外した。そして端末を耳に当てる。電話かな。
応対する彼の声が、どんどん低くなっていく。
なんだか、嫌な予感がするなあ。そう思いながら、下準備が完了して、私はようやく作業に移ることにした。
「三小田」
ちょうど映像を再生しようとしたところで、手を止めた。やっぱり事件絡みの電話だった模様。
眉間に深い皺を刻んだ彼は、自分のディスプレイ上で新着のメッセージを開いた。私も見ろということなのだろう。
砂押さんからメッセージが届いていた。この添付データを確認してくれということだった。
添付されていたのは、しわくちゃになった紙の写真だった。水溶性のインクで印刷されているのに濡れてしまったのか、液だれしたような跡がある。
「板橋の被害者の口内から見つかったものらしい」
「これは……なんでしょうか。ウェブサイトのプリントアウト?」
薄い桃色を背景に吹き出しのような枠がつき、その中にメッセージが書かれている。
『今日の七時に南千住の駅でお待ちしてます。茜舎女子の制服だよ。先着一名様限定。お金いりません、私のバージンもらってね。さなえ』
語尾のすべてに、赤いハートマークや星がついている、装飾過多な文章。私は自分の眉間に自然と力が入るのを感じた。
ちらちらと頭の片隅を赤いアルファベットがかすめては消えていく。
「このメッセージになにか意味があるんでしょうか。この七時っていうのは……いつの七時ですか」
「それを調べるのも仕事だ。俺はこのメッセージの出処を調べる」
「なんだか、芝居がかったことが多いですね、今回の件」
「ああ。計画的だな。変装と言い、プリントと言い。これで打ち止めだといいんだが」
そう祈る。こんな殺され方あんまりだ。
ただ殺すだけではなく、尊厳を奪うようなことをする理由はなんだろう。前回の目黒のときと決定的に違うのはそこだった。悪意で溢れた犯行現場。遺体を辱めようという意思が感じられる。
死者の腹部に文字を残して、ディルドを挿し込む。
想像するだけで気持ちが悪くなってきた。あるいはこの吐き気は、肩凝りのせいかもしれないと、手で首筋をもみほぐしてみる。
× × × × ×
その後すぐに更新された情報によると、中野の被害者はすでに家族への確認も行われ、都内の大学に通う二十三歳の佐々木みつきで確定した。
彼女は事件当日、午前の講義を終え、学外で友人たちと食事をした。友人たちとは午後一時には別れている。そのまま帰宅すると話していたという。
板橋の被害者は、湯沢華。二十三歳。こちらは所持品などでの確認にとどまっており、家族への確認はまだ完了していないが、ほぼ確実だという。
湯沢華は複数のアルバイトを掛け持ちして生計をたてていた。同じアルバイト先に勤める友人が、初めて無断欠勤した彼女の様子を見に行ったとき、異変に気づいて通報した。
こちらは発見時に死後三十時間以上経っている様子だったという。
口内からは、例の印刷物が見つかっている。中野の現場よりも激しく争った形跡があり、口を塞ぐためにそのプリントを突っ込まれたのではないかというのが、説としてあがっていた。ちなみに、被害者宅に水溶性インクを用いるプリンターはない。
両者とも、貴重品のたぐいはそのまま残っており、物盗り目的の犯行ではないと判断された。
両被害者の腹部に残された文字は、被害者自身の血で書き綴られているということもわかった。
プリントアウトされた例の紙にある茜舎女子校と、南千住駅周辺には人を派遣することになった。
× × × × ×
私は複数のカメラ映像を展開して、縦二横二の四マスの同時再生を行っていた。
夕方のラッシュが始まった中野駅は混雑している。顔認証のプログラムの補助なしではきつい作業になっただろう。
時間帯を絞って、コマ送りで確認する。
何度目かの再生を行っていると、神前さんが声をかけてきた。
「そろそろ八時過ぎるが、南千住駅の件はどうだろうな」
「経過が気になりますね……。神前さん、印刷物の方はどうですか、なにかわかりそうですか」
「似たようなレイアウトのサイトを探してるんだが、ぴったりのものはない。おそらく違法売春関連だろ。いつになってもこういうのは無くならねーな」
「需要があるなら、なくなりませんよ」
「紹介って明示してないオープンなコミュニティの隅っこで、情報交換していることもあるからな」
うんざりした様子でデスクに頬杖を着く神前さんは、昨晩の捜査終了時より疲れた顔をしている。彼が背中を丸めている姿は、新鮮だった。
「お疲れですね」
「延々と、画像検索でピンク色のサイト渡り歩いてみろよ、お前も」
「遠慮します、心が疲れそうなので」
「俺も遠慮してえよ。何が楽しくて他人の恋愛の覗き見しなきゃならねえんだ」
「……恋愛というよりは、もうちょっと下世話な方向だと思いますけど、この印刷物の内容は」
「ここに集まっているメッセージのうちのほとんどが、犯罪に直結してるんじゃねえかって疑いながら見てると、相当疲れる」
「疲れた分だけ犯人に近づいているかもしれないよ。おっはよう二人共。お疲れ様」
背中にかかった明るい声の主は久慈山さんだ。
笑顔で差し出された小さな袋を、私たちはそれぞれ受け取った。
「差し入れ! よかったらどうぞ。昨日、かなり遅かったんでしょ」
「わあ、ありがとうございます」
袋の中身は、栄養ドリンクだった。眼精疲労に効くタイプの。それから、ガム。がっつりミントの効いたやつだ。ああ、また差し入れを頂いてしまった。
「……ありがとうございます」
なんだかんだで神前さんがきちんと頭を下げると、久慈山さんは笑みを深くした。
「昨日の帰りに、西高島平署の前通ったら大騒ぎだったから、気になって兄に聞いてみたの。そしたら、殺人事件があったとか。しかも中野のと関連があるんじゃないかとか聞いて。遅くに会議もあったみたいだし……。二人共ばたばたかなーと思ってね。あ、兄はそこの交通課にいるのよ」
「久慈山さんは、あの辺りにお住まいなんですか?」
「署よりはちょっと埼玉寄りだけどね。今度遊びに来てね! 主人も喜ぶから」
「なんでわざわざ東京のハズレに行かなきゃならねえんだ」
神前さんがさっそく栄養ドリンクを開封しながら、悪態をつく。久慈山さんは腰に手を当てて、豊かな胸を反らした。
「別に神前くんのことは誘ってないから」
彼女は手を振って、自席へ歩いていった。
「神前さんって久慈山さんとお話している時、なんでそんなに素直じゃないんですか。あんなに親切にしてくださるのに」
私もしっかりドーピングする。あ、これ味がまろやかで美味しい。今度自分でも買おう。
「お前、あいつの本性知らねーからそういうこと言えるんだよ。あいつはなあ」
「神前くん? 言いたいことがあるなら面と向かって言ったらどう? 男らしくさあ」
高い声が飛んできて、神前さんが口をへの字にして自席に戻った。
なるほど……力関係は完全に久慈山さんが上位ということか。
ディスプレイに視線を戻すと、ポップアップが出ていた。新着のメッセージが有る。
「砂押さんからメッセージきました。板橋の現場の映像から、中野の犯人に似た男の映像が見つかったそうです。被害者の死亡推定時刻は、六月二十四日の午前八時から十時頃」
「どういう基準でターゲットを決めたのかが問題だな。早く被害者たちの接点を洗い出さねえと。下手すると、これは特別捜査本部が立つんじゃないか」
「神前さん、そういう事件に関わったことあります?」
「ない。こんな派手な事件、そうそう起こるもんじゃないだろ」
昨日の現場に向った時には、こんな大きな事件になると思わなかった。不安になってくる。私、ちゃんと着いていけるかな。まだまだ作業遅いし、力不足な感じは否めないんだけど。
「俺達は現場を外されるかもしれない。俺もお前も経験不足、力不足だ。サポートに専念するようになるんじゃないか」
思わず、私は神前さんの顔を見た。まるで私の心を読んだような発言だったから。
彼は面白くなさそうな顔をしてはいるものの、弱音を吐くほど追い詰められているようにも、うんざりしすぎてそんなことを言ったようにも見えなかった。冷静に考えて言ったのだろう。
だが、それでよしと思っている風でもなかった。任された仕事を完遂したい、まだ見ぬ犯人を捕まえたい、そういう熱意は話しながらも彼が手を止めないところからも見て取れた。
続報がぱらぱら上がってくる。
南千住駅も茜舎女子校にも、現時点での異常なしとのことだ。
同時に、捜査資料の被害者情報に更新があった。
「……これって、ただの偶然ですか?」
相手が同じものを読んでいるかの確認もせず、私はつぶやいていた。
言った後あわてて、被害者情報のと付け足す。
神前さんは目を眇めてディスプレイを睨んだ。
「お前はどう思うんだ、三小田」
「偶然には思えないです。だって、神前さんが調べているあの印刷物だって」
佐々木みつき、茜舎女子高等学校卒業。
湯沢華、茜舎女子高等学校卒業。
茜舎女子高等学校――。その文字に目が釘付けになる。
「これで無関係だって言えるんなら、世の中のほとんどの犯罪は衝動的なものだったと言えるだろうな」
神前さんはディスプレイにその学校の公式サイトを表示した。
荒川区にある私立の女子高等学校だ。生徒数は四百人ほど。歴史は比較的新しく、創立から三十年ほど。明るい色の外壁が印象的な校舎。その敷地はあまり広くなさそうではある。
宣伝用の生徒の写真を見る。
「たまに見かけるな。ここの制服だったのか」
アリスブルーが目に鮮やかな、セーラー服。派手ではないが目立つ色だった。どこかアニメチックなデザイン。大きな赤いリボンがそういう印象にするのだろうか。
この制服を着て歩いていたら、すぐにどこの学校の生徒か特定されるだろうといった具合だ。
「お前はさっきの作業を継続しろ。俺はこの学校のことも絡めてあの印刷物の確認をする」
神前さんがヘッドセットをかぶったので、私も姿勢を正して、ディスプレイに向かった。
昼までかかって、私はようやく犯人らしき男の姿を見つけたのだが、彼が改札を現金で買った切符で通り、地下鉄に乗ったところでロストしてしまった。
吐きそうなほど心臓が痛い。背と脇にぐっしょり汗を掻いていて、手足が冷えていた。何度か深く呼吸をすると、頭が動き出した。
またあの夢を見た。
「嫌な夢だわ……」
声を出すことで、少しだけ気持ちがしゃきっとした。あれは夢だったと自分に言い聞かせることができる。
去年もこの時期、悪夢を見たっけ。拓人の訃報を受け取る夢を。
深くため息をついて身を起こし、身支度を整える。
冷蔵庫からサラダを取り出して、コーヒーを淹れて飲むことにした。
ソファに座ってカップに口付け、端末を手にした。
事件に関する新しい情報が入っている。夜通し捜査していた人たちに、感謝とわずかな後ろめたさを感じながら、目を通す。
佐々木みつきの死因は絞殺。
現場の確認に入った段階で、索痕が水平だから、前方からのしかかられ絞殺されたのではないかと推測されていたが、解剖の結果はそれを裏付けすることになった。
彼女の生前と死後の写真の、容貌の落差に胸が痛む。
共有データの一覧には、板橋の事件の被害者のものもすでにアップされていた。
板橋の方も被害者の状態はほとんど同じ。殺され方も現場の状態も。
気になるのは、どちらの被害者の腹部にも残されていた赤い文字。FREE FUCK。なんの意味があるのだろう。徹底した悪意を感じる文言だ。
現場からはかなりの数の犯人のものと思われる指紋が採取されたが、いずれもデータベースで一致するものは見つからなかった。またその指紋は二件の現場両方から見つかっている。
被害者はふたりとも、性器にディルドを挿し込まれて粘膜を損傷していたが、犯人の体液や組織は残っていなかった。性的暴行を受けたと言えるが、ちょっと状況が特殊だ。
犯人はなぜ異物を挿入することにしたのかという点で、捜査官の間では、犯人が性的不能なのではないか、とか、あるいは女性蔑視があるのではないか、犯人の特殊性癖なのではないかと様々な憶測が飛び交っている。
ふう、と息をついた。
「きついよー……」
削られるなあ。色々なものを。
目黒の事件を追っているときは、自分のスキルがこの仕事向きじゃないかもと不安だったが、今回はそれよりストレス耐性の方が心配になってくる。
あとは、体調のコントロールも。
いくら凄惨な現場に立ち会ったとは言え、貧血を起こすなんて。前回平気だったのに、今回は駄目だったというのは、疲れているからに違いない。
しっかり眠れば気分も変わるんじゃないかと思うんだが、熟睡できない。
「どうしようかな」
私はソファで一人ため息をついた。サラダは食べる気になれなかった。
× × × × ×
私がオフィスに到着し作業の準備を終えたとき、時計は六時五十分を示していた。
「三小田、映像の確認任せてもいいか。俺は過去のデータベースから、類似した事件がなかったか確認してみる。きっともう誰かが確認したとは思うが、念のためだ」
「かしこまりました。何かあれば伺いますから」
神前さんがヘッドセットを装着したので、私も自分のデスクに向かった。
五分もしないうちに、隣から憮然とした声が聞こえてきた。
「……ヒットしねえな」
どんな条件で検索したんだか知らないが、速いって。このスピードにはとても太刀打ち出来ないなあ、と思う。
「こうなると、そっちの駅のデータが、うまくつながってくれることを期待するか」
言いながら、神前さんは装着したばかりのヘッドセットを外した。そして端末を耳に当てる。電話かな。
応対する彼の声が、どんどん低くなっていく。
なんだか、嫌な予感がするなあ。そう思いながら、下準備が完了して、私はようやく作業に移ることにした。
「三小田」
ちょうど映像を再生しようとしたところで、手を止めた。やっぱり事件絡みの電話だった模様。
眉間に深い皺を刻んだ彼は、自分のディスプレイ上で新着のメッセージを開いた。私も見ろということなのだろう。
砂押さんからメッセージが届いていた。この添付データを確認してくれということだった。
添付されていたのは、しわくちゃになった紙の写真だった。水溶性のインクで印刷されているのに濡れてしまったのか、液だれしたような跡がある。
「板橋の被害者の口内から見つかったものらしい」
「これは……なんでしょうか。ウェブサイトのプリントアウト?」
薄い桃色を背景に吹き出しのような枠がつき、その中にメッセージが書かれている。
『今日の七時に南千住の駅でお待ちしてます。茜舎女子の制服だよ。先着一名様限定。お金いりません、私のバージンもらってね。さなえ』
語尾のすべてに、赤いハートマークや星がついている、装飾過多な文章。私は自分の眉間に自然と力が入るのを感じた。
ちらちらと頭の片隅を赤いアルファベットがかすめては消えていく。
「このメッセージになにか意味があるんでしょうか。この七時っていうのは……いつの七時ですか」
「それを調べるのも仕事だ。俺はこのメッセージの出処を調べる」
「なんだか、芝居がかったことが多いですね、今回の件」
「ああ。計画的だな。変装と言い、プリントと言い。これで打ち止めだといいんだが」
そう祈る。こんな殺され方あんまりだ。
ただ殺すだけではなく、尊厳を奪うようなことをする理由はなんだろう。前回の目黒のときと決定的に違うのはそこだった。悪意で溢れた犯行現場。遺体を辱めようという意思が感じられる。
死者の腹部に文字を残して、ディルドを挿し込む。
想像するだけで気持ちが悪くなってきた。あるいはこの吐き気は、肩凝りのせいかもしれないと、手で首筋をもみほぐしてみる。
× × × × ×
その後すぐに更新された情報によると、中野の被害者はすでに家族への確認も行われ、都内の大学に通う二十三歳の佐々木みつきで確定した。
彼女は事件当日、午前の講義を終え、学外で友人たちと食事をした。友人たちとは午後一時には別れている。そのまま帰宅すると話していたという。
板橋の被害者は、湯沢華。二十三歳。こちらは所持品などでの確認にとどまっており、家族への確認はまだ完了していないが、ほぼ確実だという。
湯沢華は複数のアルバイトを掛け持ちして生計をたてていた。同じアルバイト先に勤める友人が、初めて無断欠勤した彼女の様子を見に行ったとき、異変に気づいて通報した。
こちらは発見時に死後三十時間以上経っている様子だったという。
口内からは、例の印刷物が見つかっている。中野の現場よりも激しく争った形跡があり、口を塞ぐためにそのプリントを突っ込まれたのではないかというのが、説としてあがっていた。ちなみに、被害者宅に水溶性インクを用いるプリンターはない。
両者とも、貴重品のたぐいはそのまま残っており、物盗り目的の犯行ではないと判断された。
両被害者の腹部に残された文字は、被害者自身の血で書き綴られているということもわかった。
プリントアウトされた例の紙にある茜舎女子校と、南千住駅周辺には人を派遣することになった。
× × × × ×
私は複数のカメラ映像を展開して、縦二横二の四マスの同時再生を行っていた。
夕方のラッシュが始まった中野駅は混雑している。顔認証のプログラムの補助なしではきつい作業になっただろう。
時間帯を絞って、コマ送りで確認する。
何度目かの再生を行っていると、神前さんが声をかけてきた。
「そろそろ八時過ぎるが、南千住駅の件はどうだろうな」
「経過が気になりますね……。神前さん、印刷物の方はどうですか、なにかわかりそうですか」
「似たようなレイアウトのサイトを探してるんだが、ぴったりのものはない。おそらく違法売春関連だろ。いつになってもこういうのは無くならねーな」
「需要があるなら、なくなりませんよ」
「紹介って明示してないオープンなコミュニティの隅っこで、情報交換していることもあるからな」
うんざりした様子でデスクに頬杖を着く神前さんは、昨晩の捜査終了時より疲れた顔をしている。彼が背中を丸めている姿は、新鮮だった。
「お疲れですね」
「延々と、画像検索でピンク色のサイト渡り歩いてみろよ、お前も」
「遠慮します、心が疲れそうなので」
「俺も遠慮してえよ。何が楽しくて他人の恋愛の覗き見しなきゃならねえんだ」
「……恋愛というよりは、もうちょっと下世話な方向だと思いますけど、この印刷物の内容は」
「ここに集まっているメッセージのうちのほとんどが、犯罪に直結してるんじゃねえかって疑いながら見てると、相当疲れる」
「疲れた分だけ犯人に近づいているかもしれないよ。おっはよう二人共。お疲れ様」
背中にかかった明るい声の主は久慈山さんだ。
笑顔で差し出された小さな袋を、私たちはそれぞれ受け取った。
「差し入れ! よかったらどうぞ。昨日、かなり遅かったんでしょ」
「わあ、ありがとうございます」
袋の中身は、栄養ドリンクだった。眼精疲労に効くタイプの。それから、ガム。がっつりミントの効いたやつだ。ああ、また差し入れを頂いてしまった。
「……ありがとうございます」
なんだかんだで神前さんがきちんと頭を下げると、久慈山さんは笑みを深くした。
「昨日の帰りに、西高島平署の前通ったら大騒ぎだったから、気になって兄に聞いてみたの。そしたら、殺人事件があったとか。しかも中野のと関連があるんじゃないかとか聞いて。遅くに会議もあったみたいだし……。二人共ばたばたかなーと思ってね。あ、兄はそこの交通課にいるのよ」
「久慈山さんは、あの辺りにお住まいなんですか?」
「署よりはちょっと埼玉寄りだけどね。今度遊びに来てね! 主人も喜ぶから」
「なんでわざわざ東京のハズレに行かなきゃならねえんだ」
神前さんがさっそく栄養ドリンクを開封しながら、悪態をつく。久慈山さんは腰に手を当てて、豊かな胸を反らした。
「別に神前くんのことは誘ってないから」
彼女は手を振って、自席へ歩いていった。
「神前さんって久慈山さんとお話している時、なんでそんなに素直じゃないんですか。あんなに親切にしてくださるのに」
私もしっかりドーピングする。あ、これ味がまろやかで美味しい。今度自分でも買おう。
「お前、あいつの本性知らねーからそういうこと言えるんだよ。あいつはなあ」
「神前くん? 言いたいことがあるなら面と向かって言ったらどう? 男らしくさあ」
高い声が飛んできて、神前さんが口をへの字にして自席に戻った。
なるほど……力関係は完全に久慈山さんが上位ということか。
ディスプレイに視線を戻すと、ポップアップが出ていた。新着のメッセージが有る。
「砂押さんからメッセージきました。板橋の現場の映像から、中野の犯人に似た男の映像が見つかったそうです。被害者の死亡推定時刻は、六月二十四日の午前八時から十時頃」
「どういう基準でターゲットを決めたのかが問題だな。早く被害者たちの接点を洗い出さねえと。下手すると、これは特別捜査本部が立つんじゃないか」
「神前さん、そういう事件に関わったことあります?」
「ない。こんな派手な事件、そうそう起こるもんじゃないだろ」
昨日の現場に向った時には、こんな大きな事件になると思わなかった。不安になってくる。私、ちゃんと着いていけるかな。まだまだ作業遅いし、力不足な感じは否めないんだけど。
「俺達は現場を外されるかもしれない。俺もお前も経験不足、力不足だ。サポートに専念するようになるんじゃないか」
思わず、私は神前さんの顔を見た。まるで私の心を読んだような発言だったから。
彼は面白くなさそうな顔をしてはいるものの、弱音を吐くほど追い詰められているようにも、うんざりしすぎてそんなことを言ったようにも見えなかった。冷静に考えて言ったのだろう。
だが、それでよしと思っている風でもなかった。任された仕事を完遂したい、まだ見ぬ犯人を捕まえたい、そういう熱意は話しながらも彼が手を止めないところからも見て取れた。
続報がぱらぱら上がってくる。
南千住駅も茜舎女子校にも、現時点での異常なしとのことだ。
同時に、捜査資料の被害者情報に更新があった。
「……これって、ただの偶然ですか?」
相手が同じものを読んでいるかの確認もせず、私はつぶやいていた。
言った後あわてて、被害者情報のと付け足す。
神前さんは目を眇めてディスプレイを睨んだ。
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「偶然には思えないです。だって、神前さんが調べているあの印刷物だって」
佐々木みつき、茜舎女子高等学校卒業。
湯沢華、茜舎女子高等学校卒業。
茜舎女子高等学校――。その文字に目が釘付けになる。
「これで無関係だって言えるんなら、世の中のほとんどの犯罪は衝動的なものだったと言えるだろうな」
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「お前はさっきの作業を継続しろ。俺はこの学校のことも絡めてあの印刷物の確認をする」
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