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#22 アンデル 芽吹くとき
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クラウシフに問いたださねばならないことがいくつかあるが、二の足を踏んでいた。
喪主を務め仕事をこなし、疲労困憊だろう兄を捕まえてイェシュカの手紙の内容を確認するのはたやすい。しかし、時間を置くことによって読んだ直後の衝撃から多少なりとも回復した私は、それが兄を不用意に苦しめることにならないだろうかと考え始めていた。
正気とはいえないイェシュカの残した手紙の内容が、どこまで信憑性をもっているのか。そして、問いかけてもし真実だったとして、クラウシフは素直にそれを認めるだろうか? もし、私が想像したとおりだったとして、これまで真実を兄が私に秘匿し続けたのは、なにか理由があるのだろうし、その条件を満たすまであの兄のことだから絶対に口を割らないような気がしたのだ。少なからず、前者であることを望んでいる自分にも気づいていた。なにも私は兄と仲違いしたいわけではない。
悩んだ私は、時期を考えることにした。様子を見て、改めて確認しようと。
◆
兄弟二人の寂しい食卓にすっかり慣れてしまったある日の夕食時、クラウシフがすっとナイフを降ろした。
「そろそろお前の嫁も探さないとな」
「は……? え……?」
「あと半年で十八だろ。もう考えないといけない時期だ。結婚したら、隣の地区にある家を改築して住むなり、他の土地に新築して住むなりしていいぞ。おすすめは交通の便のいい隣の地区のあの家だがな。城にも行きやすいし。
なんだ、その顔。なにも俺の子どもたちの面倒を見て、爺やがわりを勤め上げるつもりじゃないだろう?」
「それは……」
日々の忙しさに追われ、まったくそんなことを考えていなかった。思いつきもしなかった。私はどう反応していいかわからず、スプーンを手にしたまま、正面に座すクラウシフをぼけっと眺め返した。
十八歳。結婚。現実感がない。
「今は……そんなこと考えられないよ、イェシュカのこともあるし」
イェシュカの名前を出すのはよくなかったかと、クラウシフの表情を窺ったが、彼は眉一つ動かさなかった。
「それに、学舎だって卒業してないんだ」
「卒業と同時に結婚するやつもいるからな。俺だってそうだ。在学中に結婚するやつもいる。それにイェシュカのことがあるからこそ、お前は早く結婚しろ」
「イェシュカを忘れろっていうの?」
反射的に声が大きくなってしまった私に、クラウシフはそっと目を伏せた。
「あいつを覚えているのは、俺と子どもたちだけでいいんだ」
気遣いの言葉、それは深く私を傷つけた。除け者にされているような気がしたし、もうイェシュカは完全に過去の存在なのだと突きつけられた。
「俺だって、喪が明けたら後妻を迎えるぞ」
その日二度目の衝撃に襲われる。
目をしばたたかせている私に、兄は淡々と告げた。
「当たり前だろう、俺はまだ二十六だし、子どもたちは母親が必要だ。ケートリーにいつまでも預けておけないからな。イェシュカの喪が明け、お前の結婚が決まったら追い追い再婚する」
事務的な口調。子供を心配すると言うより、それが世間一般で当然だからというような。
「俺が先に妻を娶ったら、お前とて一緒にいるのは辛かろうよ」
言外に、イェシュカのことを匂わされて私は押し黙った。兄は正確に、イェシュカを喪ってこうむった私の心の痛手を察している。妻を娶り、この家を出ていくことはたしかに一種の救済措置のようにも思えた。
母を喪った子たちに、継母をという気持ちもわかる。家を空けがちなクラウシフのかわりに、彼らのことを面倒見る相手が必要だ。できれば、彼らを我が子のように可愛がってくれる、無償の愛を注いでくれるひとがいい。私がそうできればいいが、健康な若い男が経済的に困窮しているわけでもないのに妻を娶らない、兄家族といつまでも同居しているというのは外聞が悪い。クラウシフの悪評に、そして甥たちの悪評にもつながるだろう。それは、避けたい。
このとき、私はやはり、疎外感を覚えていた。兄と私は兄弟で家族だが、兄には他にも家族がいて、優先順位はそちらが上だ。当然だ。
私には――ほかに誰もない。母を喪ってからうっすら心に影を落としてきた寂しさが、ここにきて実体を持ったような気がした。
「僕は……」
「結婚したい相手がいるのか」
そんな相手など、ひとりだけだ。そのひと以外、頭に浮かばない。
彼女は今日も無事に基地の塒に帰ってこられただろうか。あのひとが声が届く距離にいてくれたら、どれだけいいことだろう。遠くの戦地で無事かどうかを不安に思うこともなく、こうして食卓を囲んでつまらない冗句を言いあえる。それ以上なにも望まない。
見透かしたように、クラウシフが口の端を上げる。
「お前が考えている相手はわかってるぞ。ハイリーだろ。……図星か」
「そのいやらしい顔はやめてよ」
「いやいや、あれだけ頻繁に手紙を送っておいて、なにもないわけないよな。それでどうだ? 口説き落とせそうなのか、あのじゃじゃ馬を」
「そういうつもりじゃないよ。……たぶん、ハイリーは僕なんか興味ないだろうし」
自分で言って胸が痛み、私はスプーンを置いた。
ハイリーの気持ちを確かめたことはないが、彼女が振り向いてくれると自惚れるほど、私は自己評価が高くはない。彼女からしたら私はきっといつまでも、弟分でしかないだろう。そこを脱却したいという気持ちはあるが、いかんせん、手紙のみのやりとりでそれを成し得るのは難しいし、たまに会えても彼女に寄りかかってばかりで、真逆の結果を生み続けている。
おまけに、クラウシフと彼女の関係もある。ハイリーがクラウシフの弟である私の妻にはなりたくない可能性も高い。いくら表面上はなにごともなかったかのように接してくれていても。
考えるほどに望み薄なことを確信し、憂鬱になってしまった。
それに、である。ハイリーの体のこともある。しがらみがなかったとしても、求婚に応じてくれるだろうか。いや、無理だろう。
「きっとあのひとは、求婚してもだめだって言うよ」
「なぜ? 子供が産めないからか?」
「……兄さん」
たしなめられてもクラウシフは眉一つ動かさなかった。
「知ってたんだろうお前も。ユーバシャールのギフトとハイリーの身体のこと。先日うちに来たときに、ハイリーに聞いた」
「は……?」
「ついでにお前の妻になる気はないかと持ちかけてみた」
思わず、私は立ち上がった。椅子が倒れけたたましい音がして、バルデランが次の間から飛んでくる。座り直して、バルデランを下がらせる。
「ははは、ひどい顔だな。まあ、安心しろ、きっぱり断られたよ」
「……だろうね!」
ひどい話だ。兄経由で振られた。頼んでもいないのに、長年の恋に勝手に終止符を打たれるとは。胸がぐっと圧迫されるような気がしたが、無視した。クラウシフに久々に殺意を覚えていたからだ。
ひとが寝込んでいる間に、恋心にとどめを刺そうなんて、そんな残虐な行為が許されるのだろうか。しかも、ついででだ。
「まあ落ち着けよ。続きがある。
体のことが理由か、と問うとそうだと言ったんだよ、あいつは。アンデルも知ってる、とも言っていた。だから自分のことは欲しがるまい、とな。そこで俺はもう一度聞いてみた。そのことを抜きではどうなのか」
「もうやめてくれ」
「仕事に生きるつもりだから、結婚する気はまったくない、誰が相手でも、だそうだ。よかったな」
よかったな?
よいわけがない。
夢から覚める日がいつかはくるとわかっていたが、こんな、眠っているところに氷水をぶっかけられるようなやり方、到底許せない。
なけなしの意地で辛うじて泣きわめかないようにしていたが、すぐベッドに突っ伏して何も考えずにひたすら眠りたい気分だった。それも一等強い入眠作用のあるハーブ酒を、希釈なしで飲み干してからだ。
「おいなに絶望したような顔をしてるんだ、アンデル。よかったじゃないか」
「どこが。兄さんこそ、ハイリーに袖にされたとき、どういう気持ちだったか思い出せよ。僕だって、……ハイリーと一緒になりたかったんだ」
「だからよかったと言ってる。お前はその好機に恵まれたんだよ、アンデル。まあ聞け。
――聞けと言っているんだ。そこに座れ。
でないと俺がハイリーを後妻にする。いいんだな」
剣呑な声音に、大股で部屋を横切ってドアから出ようとしていた私は、足を止めた。
振り返れば、クラウシフは仕事のときの顔になっていた。
視線で座れと指示され、手近な椅子に腰を下ろす。
彼の脅し文句は、効果てきめんだった。言われてみればたしかにそれができるのだ、今のクラウシフには。ハイリーとのあいだにあった一つの問題点――子供のことだ――はもう解決しているとみなせる。ハイリーが首を縦に振るかどうかは別として、クラウシフも彼女に求婚することができる。
悲しいことに、クラウシフとハイリーが、あの新月祭からクラウシフの結婚までに、恋愛関係に至る可能性というものをすべて捨て去ったらしいのに、私自身はそのクラウシフ以上にハイリーのなかでそういう対象に見られてないだろうという確信があった。クラウシフと私が同時に求婚したら、ハイリーはクラウシフを選ぶに違いない。
むしろこれは絶体絶命の窮地なのではないか。
「兄さん、言っていることの意味がわからない。ハイリーにはすでに断られたんだろ」
これ以上追い打ちはやめてくれと暗に言ったつもりだった。
クラウシフは姿勢を改め、椅子の上で私の方へ身体を傾ける。
「お前に、シェンケルのギフトについて、説明する時期がきた」
「ギフト? ……急にどうしたの」
シェンケルのギフトは星読みだ。そして、それは成人のときに、儀式による技術の継承とともに詳しく説明される。ただし、素質のある者にのみ。素質がない者に関しては、直系の尊属卑属に対しても、その詳細は伏せられる。特殊な技術が必要なギフトだからと聞いている。
自分にまったくもってその素質があるとは思えなかったから、話題にならないことに疑問すら持たずにきた。そしてこの時初めて、自分に適性があったのか、と目をしばたたかせたのだった。
「知ってるだろうが、シェンケルのギフトは、適性ある者のみ、成人のタイミングでその使用方法を伝授される。その者の適性によって、当主がだめだと判断したら、継承が行われないこともある。お前はじゅうぶんその素質があると思う」
「でも僕はまだ成人してない」
「過去、成人年齢は人によって違っていた。男なら妻帯……まあはっきり言えば精通があった時、女なら初潮を迎えたときだ。五百年も経てば事情も変わるのさ。
お前は妻帯の話が持ち上がっている今、成人する直前ってことだ。そして、シェンケルのギフトを継承する儀式は、まさしく妻帯に関するものだ」
「じゃあ現代の女性の継承者はどうするの? 結婚前に儀式を?」
「普通は儀式の内容に関することを気にしないか? まあお前らしいが。
シェンケルのギフトは、ほかの二家のものと違って、わかりづらい。女で適性のある者はいただろうが、当主が技術を継承しなかったから、ギフトを正しく扱えずに、自分が適性ありとも知らずに死んでいったんだろうよ。この技術は、大人数に拡散していいものではないからな。国政に関わる男、それもその代につき一、二名の継承が都合がいい。ただし、絶やしてはいけない」
たしかにシェンケルの家系で、ギフトの優秀な女性の名前は聞いたことがなかった。国政に関わるのが、ほぼ男のみという慣例になっていたからなのか。ほかの理由があるのか。
「それで……、具体的にどんな儀式なの。星の名前を全部諳んじるとか、彗星を呼ぶとか、実際に占ってみるとか? 僕、兄さんや父さんが星読みをしているところも見たことないし、星には詳しくないからできる気がしない。
……なにを笑ってるんだ」
「お前を見ていると、数年前の俺を思い出す。
いいかアンデル、シェンケルのギフトは正確には星読みではない。たしかに趨勢を見極める――というか運を手繰り寄せるのは得意なギフトだ」
「星読みじゃない?」
クラウシフが重々しくうなずいた。
「このギフトの正体が外に漏れると、シェンケルだけではない、メイズもユーバシャールもまずい立場になる。プーリッサという国の屋台骨が揺らぐことにすらなりかねない。
嫌な話だが、あのチュリカ……、お前もわかるよな、三英雄の出身国で俺たちの遠い祖国だよ、あそこのシェンケルの本流も同じギフトを所有しているが、それが他国に漏れるとやはり立場が悪くなるし、内乱の可能性も出てくるから、この点に関してだけ、チュリカの中枢とは非公開の極秘情報とする旨の協定が結んである。そのくらいの代物だから『星読み』と偽られてきたのさ。
プーリッサ内でシェンケルのギフトを正確に知っているのは、代々のシェンケル、メイズ、ユーバシャールの当主、そのほかにシェンケルの当主が認めた人間のみだ」
「もったいぶらずに、結論を教えてほしい。それを聞いてると、まるで僕らのギフトは劇薬みたいじゃないか」
「そのたぐいで間違いないな」
ふと、私はいつだったか、クラウシフから学舎に返しておくように言われた、内容の薄い本を思い出した。シェンケルへの非難に満ちた、つまらない本だ。秘宝の『類まれなる黒真珠』を持ち出した、最悪の裏切り者。
「精神操作、それこそがシェンケルの真のギフトだ」
心臓が一度大きく跳ねた。
喪主を務め仕事をこなし、疲労困憊だろう兄を捕まえてイェシュカの手紙の内容を確認するのはたやすい。しかし、時間を置くことによって読んだ直後の衝撃から多少なりとも回復した私は、それが兄を不用意に苦しめることにならないだろうかと考え始めていた。
正気とはいえないイェシュカの残した手紙の内容が、どこまで信憑性をもっているのか。そして、問いかけてもし真実だったとして、クラウシフは素直にそれを認めるだろうか? もし、私が想像したとおりだったとして、これまで真実を兄が私に秘匿し続けたのは、なにか理由があるのだろうし、その条件を満たすまであの兄のことだから絶対に口を割らないような気がしたのだ。少なからず、前者であることを望んでいる自分にも気づいていた。なにも私は兄と仲違いしたいわけではない。
悩んだ私は、時期を考えることにした。様子を見て、改めて確認しようと。
◆
兄弟二人の寂しい食卓にすっかり慣れてしまったある日の夕食時、クラウシフがすっとナイフを降ろした。
「そろそろお前の嫁も探さないとな」
「は……? え……?」
「あと半年で十八だろ。もう考えないといけない時期だ。結婚したら、隣の地区にある家を改築して住むなり、他の土地に新築して住むなりしていいぞ。おすすめは交通の便のいい隣の地区のあの家だがな。城にも行きやすいし。
なんだ、その顔。なにも俺の子どもたちの面倒を見て、爺やがわりを勤め上げるつもりじゃないだろう?」
「それは……」
日々の忙しさに追われ、まったくそんなことを考えていなかった。思いつきもしなかった。私はどう反応していいかわからず、スプーンを手にしたまま、正面に座すクラウシフをぼけっと眺め返した。
十八歳。結婚。現実感がない。
「今は……そんなこと考えられないよ、イェシュカのこともあるし」
イェシュカの名前を出すのはよくなかったかと、クラウシフの表情を窺ったが、彼は眉一つ動かさなかった。
「それに、学舎だって卒業してないんだ」
「卒業と同時に結婚するやつもいるからな。俺だってそうだ。在学中に結婚するやつもいる。それにイェシュカのことがあるからこそ、お前は早く結婚しろ」
「イェシュカを忘れろっていうの?」
反射的に声が大きくなってしまった私に、クラウシフはそっと目を伏せた。
「あいつを覚えているのは、俺と子どもたちだけでいいんだ」
気遣いの言葉、それは深く私を傷つけた。除け者にされているような気がしたし、もうイェシュカは完全に過去の存在なのだと突きつけられた。
「俺だって、喪が明けたら後妻を迎えるぞ」
その日二度目の衝撃に襲われる。
目をしばたたかせている私に、兄は淡々と告げた。
「当たり前だろう、俺はまだ二十六だし、子どもたちは母親が必要だ。ケートリーにいつまでも預けておけないからな。イェシュカの喪が明け、お前の結婚が決まったら追い追い再婚する」
事務的な口調。子供を心配すると言うより、それが世間一般で当然だからというような。
「俺が先に妻を娶ったら、お前とて一緒にいるのは辛かろうよ」
言外に、イェシュカのことを匂わされて私は押し黙った。兄は正確に、イェシュカを喪ってこうむった私の心の痛手を察している。妻を娶り、この家を出ていくことはたしかに一種の救済措置のようにも思えた。
母を喪った子たちに、継母をという気持ちもわかる。家を空けがちなクラウシフのかわりに、彼らのことを面倒見る相手が必要だ。できれば、彼らを我が子のように可愛がってくれる、無償の愛を注いでくれるひとがいい。私がそうできればいいが、健康な若い男が経済的に困窮しているわけでもないのに妻を娶らない、兄家族といつまでも同居しているというのは外聞が悪い。クラウシフの悪評に、そして甥たちの悪評にもつながるだろう。それは、避けたい。
このとき、私はやはり、疎外感を覚えていた。兄と私は兄弟で家族だが、兄には他にも家族がいて、優先順位はそちらが上だ。当然だ。
私には――ほかに誰もない。母を喪ってからうっすら心に影を落としてきた寂しさが、ここにきて実体を持ったような気がした。
「僕は……」
「結婚したい相手がいるのか」
そんな相手など、ひとりだけだ。そのひと以外、頭に浮かばない。
彼女は今日も無事に基地の塒に帰ってこられただろうか。あのひとが声が届く距離にいてくれたら、どれだけいいことだろう。遠くの戦地で無事かどうかを不安に思うこともなく、こうして食卓を囲んでつまらない冗句を言いあえる。それ以上なにも望まない。
見透かしたように、クラウシフが口の端を上げる。
「お前が考えている相手はわかってるぞ。ハイリーだろ。……図星か」
「そのいやらしい顔はやめてよ」
「いやいや、あれだけ頻繁に手紙を送っておいて、なにもないわけないよな。それでどうだ? 口説き落とせそうなのか、あのじゃじゃ馬を」
「そういうつもりじゃないよ。……たぶん、ハイリーは僕なんか興味ないだろうし」
自分で言って胸が痛み、私はスプーンを置いた。
ハイリーの気持ちを確かめたことはないが、彼女が振り向いてくれると自惚れるほど、私は自己評価が高くはない。彼女からしたら私はきっといつまでも、弟分でしかないだろう。そこを脱却したいという気持ちはあるが、いかんせん、手紙のみのやりとりでそれを成し得るのは難しいし、たまに会えても彼女に寄りかかってばかりで、真逆の結果を生み続けている。
おまけに、クラウシフと彼女の関係もある。ハイリーがクラウシフの弟である私の妻にはなりたくない可能性も高い。いくら表面上はなにごともなかったかのように接してくれていても。
考えるほどに望み薄なことを確信し、憂鬱になってしまった。
それに、である。ハイリーの体のこともある。しがらみがなかったとしても、求婚に応じてくれるだろうか。いや、無理だろう。
「きっとあのひとは、求婚してもだめだって言うよ」
「なぜ? 子供が産めないからか?」
「……兄さん」
たしなめられてもクラウシフは眉一つ動かさなかった。
「知ってたんだろうお前も。ユーバシャールのギフトとハイリーの身体のこと。先日うちに来たときに、ハイリーに聞いた」
「は……?」
「ついでにお前の妻になる気はないかと持ちかけてみた」
思わず、私は立ち上がった。椅子が倒れけたたましい音がして、バルデランが次の間から飛んでくる。座り直して、バルデランを下がらせる。
「ははは、ひどい顔だな。まあ、安心しろ、きっぱり断られたよ」
「……だろうね!」
ひどい話だ。兄経由で振られた。頼んでもいないのに、長年の恋に勝手に終止符を打たれるとは。胸がぐっと圧迫されるような気がしたが、無視した。クラウシフに久々に殺意を覚えていたからだ。
ひとが寝込んでいる間に、恋心にとどめを刺そうなんて、そんな残虐な行為が許されるのだろうか。しかも、ついででだ。
「まあ落ち着けよ。続きがある。
体のことが理由か、と問うとそうだと言ったんだよ、あいつは。アンデルも知ってる、とも言っていた。だから自分のことは欲しがるまい、とな。そこで俺はもう一度聞いてみた。そのことを抜きではどうなのか」
「もうやめてくれ」
「仕事に生きるつもりだから、結婚する気はまったくない、誰が相手でも、だそうだ。よかったな」
よかったな?
よいわけがない。
夢から覚める日がいつかはくるとわかっていたが、こんな、眠っているところに氷水をぶっかけられるようなやり方、到底許せない。
なけなしの意地で辛うじて泣きわめかないようにしていたが、すぐベッドに突っ伏して何も考えずにひたすら眠りたい気分だった。それも一等強い入眠作用のあるハーブ酒を、希釈なしで飲み干してからだ。
「おいなに絶望したような顔をしてるんだ、アンデル。よかったじゃないか」
「どこが。兄さんこそ、ハイリーに袖にされたとき、どういう気持ちだったか思い出せよ。僕だって、……ハイリーと一緒になりたかったんだ」
「だからよかったと言ってる。お前はその好機に恵まれたんだよ、アンデル。まあ聞け。
――聞けと言っているんだ。そこに座れ。
でないと俺がハイリーを後妻にする。いいんだな」
剣呑な声音に、大股で部屋を横切ってドアから出ようとしていた私は、足を止めた。
振り返れば、クラウシフは仕事のときの顔になっていた。
視線で座れと指示され、手近な椅子に腰を下ろす。
彼の脅し文句は、効果てきめんだった。言われてみればたしかにそれができるのだ、今のクラウシフには。ハイリーとのあいだにあった一つの問題点――子供のことだ――はもう解決しているとみなせる。ハイリーが首を縦に振るかどうかは別として、クラウシフも彼女に求婚することができる。
悲しいことに、クラウシフとハイリーが、あの新月祭からクラウシフの結婚までに、恋愛関係に至る可能性というものをすべて捨て去ったらしいのに、私自身はそのクラウシフ以上にハイリーのなかでそういう対象に見られてないだろうという確信があった。クラウシフと私が同時に求婚したら、ハイリーはクラウシフを選ぶに違いない。
むしろこれは絶体絶命の窮地なのではないか。
「兄さん、言っていることの意味がわからない。ハイリーにはすでに断られたんだろ」
これ以上追い打ちはやめてくれと暗に言ったつもりだった。
クラウシフは姿勢を改め、椅子の上で私の方へ身体を傾ける。
「お前に、シェンケルのギフトについて、説明する時期がきた」
「ギフト? ……急にどうしたの」
シェンケルのギフトは星読みだ。そして、それは成人のときに、儀式による技術の継承とともに詳しく説明される。ただし、素質のある者にのみ。素質がない者に関しては、直系の尊属卑属に対しても、その詳細は伏せられる。特殊な技術が必要なギフトだからと聞いている。
自分にまったくもってその素質があるとは思えなかったから、話題にならないことに疑問すら持たずにきた。そしてこの時初めて、自分に適性があったのか、と目をしばたたかせたのだった。
「知ってるだろうが、シェンケルのギフトは、適性ある者のみ、成人のタイミングでその使用方法を伝授される。その者の適性によって、当主がだめだと判断したら、継承が行われないこともある。お前はじゅうぶんその素質があると思う」
「でも僕はまだ成人してない」
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お前は妻帯の話が持ち上がっている今、成人する直前ってことだ。そして、シェンケルのギフトを継承する儀式は、まさしく妻帯に関するものだ」
「じゃあ現代の女性の継承者はどうするの? 結婚前に儀式を?」
「普通は儀式の内容に関することを気にしないか? まあお前らしいが。
シェンケルのギフトは、ほかの二家のものと違って、わかりづらい。女で適性のある者はいただろうが、当主が技術を継承しなかったから、ギフトを正しく扱えずに、自分が適性ありとも知らずに死んでいったんだろうよ。この技術は、大人数に拡散していいものではないからな。国政に関わる男、それもその代につき一、二名の継承が都合がいい。ただし、絶やしてはいけない」
たしかにシェンケルの家系で、ギフトの優秀な女性の名前は聞いたことがなかった。国政に関わるのが、ほぼ男のみという慣例になっていたからなのか。ほかの理由があるのか。
「それで……、具体的にどんな儀式なの。星の名前を全部諳んじるとか、彗星を呼ぶとか、実際に占ってみるとか? 僕、兄さんや父さんが星読みをしているところも見たことないし、星には詳しくないからできる気がしない。
……なにを笑ってるんだ」
「お前を見ていると、数年前の俺を思い出す。
いいかアンデル、シェンケルのギフトは正確には星読みではない。たしかに趨勢を見極める――というか運を手繰り寄せるのは得意なギフトだ」
「星読みじゃない?」
クラウシフが重々しくうなずいた。
「このギフトの正体が外に漏れると、シェンケルだけではない、メイズもユーバシャールもまずい立場になる。プーリッサという国の屋台骨が揺らぐことにすらなりかねない。
嫌な話だが、あのチュリカ……、お前もわかるよな、三英雄の出身国で俺たちの遠い祖国だよ、あそこのシェンケルの本流も同じギフトを所有しているが、それが他国に漏れるとやはり立場が悪くなるし、内乱の可能性も出てくるから、この点に関してだけ、チュリカの中枢とは非公開の極秘情報とする旨の協定が結んである。そのくらいの代物だから『星読み』と偽られてきたのさ。
プーリッサ内でシェンケルのギフトを正確に知っているのは、代々のシェンケル、メイズ、ユーバシャールの当主、そのほかにシェンケルの当主が認めた人間のみだ」
「もったいぶらずに、結論を教えてほしい。それを聞いてると、まるで僕らのギフトは劇薬みたいじゃないか」
「そのたぐいで間違いないな」
ふと、私はいつだったか、クラウシフから学舎に返しておくように言われた、内容の薄い本を思い出した。シェンケルへの非難に満ちた、つまらない本だ。秘宝の『類まれなる黒真珠』を持ち出した、最悪の裏切り者。
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