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#57 クラウシフ 彼女について
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ハイリーとの腐れ縁のはじまりは、はっきり覚えていない。いつの間にかそこにいた、という感じだ。
性差など感じさせず、彼女はずっと一緒にいた。
それは中等部にあがってからも同じだった。彼女は五子で女子だから、俺のように家庭教師をつけてみっちり勉学に励むことはなかったはずなのに、座学の成績も俺に食らいついてきた。剣技は俺のほうがわずかに及ばない。これは仕方ないと思う。現役軍人の父や兄たちに、かわるがわる稽古をつけてもらっているなんて、太刀打ちできるはずがない。
彼女はずっと俺の好敵手だった。きっとあちらからしても俺はそんな存在だったと思う。
十三歳になるころか、変化は訪れた。
商家の友人ドニー・リミウスの誘いで、街に来ている旅芸人の芸を観にいくことになった。節度ある楽しみかたをと父に言いつけられ、わずかながら自由になる金を持たされ、わいわい言いながら、彩り豊かなテントがたくさん張られている広場に出向いた。
観たことない珍奇な動物や人、彼らの芸を観に来たたくさんの客でとても賑わっていた。客をもてなし金をふんだくろうという出店もそこかしこにあって、土産物や珍しい食べ物を売っている。小さな祭だった。
俺は友人たち――ドニーをはじめとし、ビット、それからハイリーと他数名――と出店を冷やかし、テントの垂れ幕の隙間から聞こえる不思議な旋律に耳を澄ませたり、道端で楽器をひく真っ白な猿に拍手したりした。
友人たちはきれい過ぎて毒々しい紫色の飴玉や練り菓子を買って頬張ったり、玉乗りする犬の前に置かれた帽子に投げ銭したりと、集団のような個別のような微妙なまとまりかたでめいめいに楽しんでいる。
菓子を買うかどうか、俺は悩んだ。あまり腹が減ってなかったのと、青いクッキーがどうしてもうまそうに思えなかったからだ。
ふと見れば、隣でハイリーがじっと、地面に緋毛氈を敷いて色とりどりの装身具を並べた露店を見つめていた。きらきら光るブローチやネックレスは、こんなところで売っているからには、いくら綺麗でも大した値のものではないだろう。だが、そんなものに目を引かれるとは、お転婆のハイリーも女っぽいところがあったんだなとおもしろかった。
「おいハイリー、お前、あの店じーっと見つめてどうしたんだよ」
「いや、美しいなと思って。だが、あれを買ってしまうと、手持ちがな。お菓子も食べたいし、どうしよう」
顎に手を当て、吟味している様子だ。
菓子と装身具を天秤にかけるのか? 女の子だったら一択じゃねえのかよ。
俺はずかずかとその店に歩み寄って、値札を確認し、店主いわく「絹だ」という青いリボンを買った。宝石の真贋はよくわからないが、絹か他の生地かくらいの区別はつく。
「なあ、後ろ向けよ」
「え? あ、ああ」
ぽかんと一部始終を見ていたハイリーは、未だ状況を理解してない様子でとりあえず後ろを向く。その一本に結われた赤い髪の根本に、リボンを結んでやった。目に鮮やかな色の組み合わせは、悪くない。今日のハイリーの濃紺のワンピースによく合う。
「おー。似合う似合う」
彼女の前に回り込んで、にやにやからかいまじりにそう言ってやる。照れるか怒るか。きっと後者、と思ったしそれを期待したのだが、想定外にハイリーは頬を緩めた。くすぐったそうに肩をすくめて。
「そうか? ありがとう」
肩透かしを食らった。馬子にも衣装と言って怒らせてやろうと思っていたのに、妙にそわそわして、そんな気にならなくなっちまった。あんまりにも嬉しそうにするから、毒気を抜かれた。
「なんだか悪いな。高かっただろう?」
「お前がらしくもなく、あんまり熱心に見てるからな。菓子ばっかり買って手持ちも尽きそうなんてガキみたいだなと思って、買ってやった」
「なんでそんなに上から目線なんだ? そもそも見ていたのは、あれだぞ」
ハイリーが指さしたのは、敷物の端っこに三振り並べられた、鞘と柄の装飾が美しい短剣だった。
俺は空を仰いだ。なんだ、やっぱりハイリーだった。同時に妙にほっとした。
「あー、そりゃあれ買ったら俺だって手持ちすっからかんだ。というか今だってすっからかんだ」
「だろう? まったく、なんだってそんなわけのわからない金の使い方をするんだ」
「そんなこと言うなら返品する。それで菓子を買う」
しかし、ハイリーはさっと身を翻して距離をとり、にやりとした。
「もうこれは私のものだ。お菓子なら私がわけてあげる」
乾燥させて砂糖をまぶした果物を売る店に小走りで近づいていく後ろ姿を見て、不思議な達成感を覚えた。
◆
その日から、徐々に徐々に、ハイリーの挙動が気になるようになって、ついつい目で追ったり、突っかかって機嫌を損ねて――それがやたら嬉しい――ということを繰り返して、一年くらいして、ようやく自分のその執着心の意味を理解した。
自覚した瞬間の気まずさときたらなかった。
友人のなかには、早熟で異性との交際を楽しんでいる連中もいたが、俺はそれまであまり関心がなかった。いつかはと思っていたが、その希望の相手がハイリーになるとは想像しなかった。長く一緒にいたから、今更そんな、という気持ちもあって誰にも言い出せず、感情を持て余すようになった。
どうせ言ったところで理解されまい、相手はあのハイリーだ。
そのハイリーは、いくつになろうが、かわらず剣の稽古を俺としたがったし、色恋にかけらも興味がない様子だった。外見だけはどんどん磨かれていくのが困ったもので、それは彼女が高等部にあがってから親しくなったイェシュカ・ケートリーの影響があったに違いない。
◆
十四のとき、国主たるヨルク・メイズと会食する機会があった。主賓はシェンケル当主の父と、ユーバシャール当主のハイリーの父だったが、俺は父のおまけとして、ヨルク・メイズへの挨拶をするため、初めて城に赴いた。
旧交があるからだろう、本当に親しい人しか入れない迎賓室での食事になった。目も綾な、とまではいかないまでもきらびやかな装飾品があちこちに飾られた豪華な部屋だ。
マナーは叩き込まれていたから、あまり不安はなかったが、雰囲気に圧倒されて、動きがぎこちなくなっていたのは認める。三つ隣の席に座っていたハイリーまでいつもと違う装いなのだから仕方のないことだ。
その日彼女は、薄い緑色の、蜉蝣の羽みたいな透ける生地を重ねた清楚なドレスを着込んでいて、外見だけはいいところの娘だった。なんだか体つきも変わってきたようで、ドレスも子供っぽさが抜けた意匠になっているのがそれを強調していた。
中身はといえばまったく進歩がなく、しばらく前から「私は軍人になる」と言い切っているくらいで、もしかしておつむが弱いのか、あるいはそこまで剣に魅せられてしまったのかと、不安になる言動を繰り返しており、俺は甚だ心配していた。気が狂れたかと。そしていつもやきもきしていた。きっと俺が抱えている不埒な思いなんか、かけらもわからないだろうと。
ハイリーはまったく物怖じした様子なく、ヨルク・メイズと建国の英雄譚で盛り上がっていた。お前どうしてそんなに詳しいんだとびっくりするくらい事細かに、始祖たちの放浪記を語るのだ。ヨルク・メイズもハイリーと同じく建国の英雄譚の信者らしく、語り口にやたら感心していた。
ヨルク・メイズは肥沃な大地の色の髪を持ち、男盛り。余裕たっぷりの笑顔で、ハイリーに「小父さま」と呼ぶことを半ば強制する。
ハイリーの父のフィトリス・ユーバシャールはやや渋い顔で「これハイリー、親しき仲にも礼儀ありだぞ」と娘をたしなめる。
その呼び方を止めさせるなら、ヨルク・メイズの方になにか言わなければならないのに、ハイリーの父はそうしなかった。後から考えると、ここに三英雄の末裔たちの微妙な関係性が覗えていたのだ。
「ハイリー、お前の将来が楽しみだよ。もしいくところがなければ、私のところにくるといい」
上機嫌でにこにこしているヨルク・メイズの言葉に、ハイリーはにっこりした。
「いえ、陛下。私は軍人になろうと思います。ユーバシャールの者らしく」
「なんと。それはそれで面白いな、よし、励めよハイリー、いくら武勇のユーバシャールでも、女だてらに名を残した武人はいない。お前がその第一号になるとよい」
「がんばります!」
頭の悪い会話。ヨルク・メイズはきっと心中で「子供の戯言」と思っているのだろう。……思っているよな?
表面上は笑顔のまま、俺は内心頭を抱えたくなっていた。ハイリーくらい頭の中を空っぽにできたらよかったのに。
こっそりため息をついて、肉のパイ包みを咀嚼する。そのとき、ふと視線に気づいた。失礼にならないよう、そっとその出処を探る。
ヨルク・メイズの隣に座した彼の弟のレクト・メイズからだ。兄より幾分身体の大きな男で、兄よりずっと物静かだ。顔立ちはそこそこ似ている。二人には他に兄弟がいたが、ギフトを持たぬという理由で、早々にメイズ家の跡目候補からは外れ、都の近くに居を構え、高位の文官として政に参加している。つまり、ヨルク・メイズとレクト・メイズのみ、メイズ家の秘宝たる結界のギフトを継承しているということだ。
そのレクト・メイズは、じっと、兄と話すハイリーの顔を見ていた。いっそ無遠慮なほどの注視。ハイリーが気づいて微笑みかけると――むやみやたらに愛嬌振りまいているのが彼女の気の使い方なのだ――レクト・メイズは目礼し、食事に戻る。
兄の補佐をしながら国政に関わっているということ以外、レクト・メイズのことを知らない。俺は彼と直接顔を合わせるのも初めてだ。ヨルク・メイズとも。
いずれ父の跡を継いだらこのふたりともやりとりが増えるのだろう。
「シェンケルの……クラウシフ。さっきから黙りこくっているが、どうだ、料理はうまいか?」
ふいに水を向けられて、レクト・メイズに気を取られて完全に油断していた俺は、どうにか笑みらしきものを作った。
「はい。とてもおいしいです。先程から陛下との話のきっかけを探していたのですが、うっかりそれを忘れて没頭してしまいました」
「おやおや、美味に過ぎるとな」
ヨルク・メイズが姿勢をこちらに傾けた。目がすっと細められる。品定めするような視線だ。
「お前の父は寡黙な男だからな、あまりお前たち息子の話を外でしないらしい。もしや話せないような悪たれっ子なのかと心配していたが、噂によれば学舎で種々優秀な成績を修めていて友人も多いとか。どんな子かなと気になっていたのだ。
今、一番興味関心があることは?」
ゆったりした濃い灰色の上着の肩を直しながら、ヨルク・メイズがテーブルに肘を突いた。
俺は胸を高鳴らせる。国主が、俺に興味を持ってくれていた。もちろんそれはシェンケルの嗣子だという理由があるわけだが、それでも、普通はないことだ。
その瞬間に、家を出て城に到着するまで何度も父に言い聞かせられてきた「大人しくしろ、決して調子に乗るな。つまらない返答でいいから礼儀を忘れるな」という言葉をさっそく忘れた。
「馬でしょうか。馬術クラブに入部したので、早く、いい馬に乗る権利を得てもっとレースに出たいのですが、毎日の世話が大変です。さぼると馘首なので、いかに先輩にバレずに手を抜くか、馬に好かれるかだけを考えています」
「はっはっは。お前はこつこつ馬の世話、という性格ではなさそうだな」
「わかりますか」
「わからないわけないだろう。
さてその面倒な世話をしてまでレースに出たい理由は?」
「楽しいからです。もちろん、勝つのもいいんですが、それよりも読みが当たったときがたまらなく楽しいんです。この馬とこの騎手であればきっと何位になるだろう、とか想像して当たると嬉しいです。自分で馬に乗ったとき、その読みどおり相手が動いて勝てるともっと嬉しい。別に一番の駿馬でなくとも、戦術さえ当たれば勝てます。勝てなくとも自分の見込んだくらいまでの戦果が出せれば満足です」
ヨルク・メイズが頬杖をつく。
「ほう。戦績は良さそうだな。読みの方の戦績だ」
「ええ、八割、読みどおりになります」
「素晴らしいな。そのために最も大事にしているものはなんだ?」
「情報収集、でしょうか。その騎手の癖だったり、馬の得意な馬場だったり、情報が多いほど読みは当たります。当然ですが」
「とはいえ、その騎手というのはお前のクラブの友人だろう? となれば、情報を集めやすい相手ほどお前と親しい人物となるわけだ。やはり読みが当たるのは親しい人物のほうが率が高いのか」
そういう分析をしたことはなかったが、言われてみればそのとおりだ。不思議なものの見方をする人だ、と俺はうなずいた。
「ええ、そのとおりです」
くっ、となにかを噛み殺すような笑い方で、ヨルク・メイズが肩をすくめた。
「お前がこうなる、と思ったとおりにことが運ぶ。よくよく相手の星を読んでいるようだな、クラウシフ。さすが、シェンケルの子だ。お前が城に上がってくる将来が楽しみだよ」
「ありがとうございます」
最大級の賛辞だと思った。俺は興奮が静かにふつふつと腹の底を熱くするのを感じていた。
自分がシェンケルの星読みのギフトを手にしているかどうかは知らない。成人するまでそれに関しては何一つ教えないと父から宣言されている。秘術に近いからだと。ふさわしい人物だと認めたときに、はじめてその秘術に触れることを許すと言われてきた。
だが、同じ三英雄の末裔にして、国土を守る結界を維持し続けるメイズの当主――しかも国主という立場だ。三英雄の末裔で最も権力を持っている――から激励された。そのギフトの資質があるのだと、自分の未知の力をうっすら感じた気にすらなる。
誇らしくて、ちらりと隣の父の顔を見上げたが、父は無表情に料理を口に運ぶだけだった。さっきの話を聞いてなかったのか? むしろ、頬のあたりが強張っているように見える。……調子に乗りすぎた俺を、あとで叱るつもりなのかもしれない。
「お前もおもしろいなあ」
ヨルク・メイズが笑ってくれたので、俺はほっとした。
常々、父に「誠実な話し方をするように」と指導されてきたが、知ったこっちゃない。
「利発な息子で、誇らしいだろう?」
「情けないことですが、この愚息にいつも手を焼かされています」
父の平坦な声で、俺は心の中で舌を出した。
「クラウシフとハイリー、いつかお前たち二人が大人になって、我が国の将来を担う人材になってくれる日が楽しみだよ」
ヨルク・メイズの祝福の言葉がなにより嬉しい。
俺はハイリーと視線を合わせて、喜びを噛み締めた。そうだ。遠くない将来、大人になったら父と一緒にこの城に上がって、政のあれこれに携わることになる。貧しいながらも魔族との戦いに負けず、列強各国にも呑み込まれず踏ん張っている祖国を、誇らしく思う。その道行きを支えることはとても名誉なことだ。
そのときもきっとこうしてハイリーがそばにいるだろう。そうも思っていた。ハイリーが隣にいないことを想像しなかったということの逆説だが。
◆
帰宅後、興奮が覚めて、いつ父から小言がくるかとどきどきしていたのだが、いつになっても呼ばれることはなかった。叱ることも放棄するほど俺はまずい言動したのかと逆に心配になって、こっそり父の書斎を覗きにいったら、父は机に両肘を突いて頭を抱えていた。
俺の言動が、父の仕事に影響を与えるかもしれない。悪い方に。
その可能性に気づいたが、時すでに遅し。これからはもう少し節度ある態度をとろうと反省したのだ。
それからも時折、ヨルク・メイズの誘いがあって、城での食事やダンスパーティーに参加することがあったが、そういうときは一応、言動に気をつけるようになった。ヨルク・メイズに直接声をかけられ、学業の調子を尋ねられると、無難な返事をしていた。問いかけてくるときの彼の声には、なにか期待するような色合いがあったが、俺が当たり障りない話をするとあからさまにつまらなさそうに変化した。
もっと気を引くようなことを言うべきなのか? 悩んだものの、父はいっかな「好きにしろ」とは言わないから、きっと自分で判断できるようになるまでは大人しくしているべきなんだろうと判断し、それを貫いた。
性差など感じさせず、彼女はずっと一緒にいた。
それは中等部にあがってからも同じだった。彼女は五子で女子だから、俺のように家庭教師をつけてみっちり勉学に励むことはなかったはずなのに、座学の成績も俺に食らいついてきた。剣技は俺のほうがわずかに及ばない。これは仕方ないと思う。現役軍人の父や兄たちに、かわるがわる稽古をつけてもらっているなんて、太刀打ちできるはずがない。
彼女はずっと俺の好敵手だった。きっとあちらからしても俺はそんな存在だったと思う。
十三歳になるころか、変化は訪れた。
商家の友人ドニー・リミウスの誘いで、街に来ている旅芸人の芸を観にいくことになった。節度ある楽しみかたをと父に言いつけられ、わずかながら自由になる金を持たされ、わいわい言いながら、彩り豊かなテントがたくさん張られている広場に出向いた。
観たことない珍奇な動物や人、彼らの芸を観に来たたくさんの客でとても賑わっていた。客をもてなし金をふんだくろうという出店もそこかしこにあって、土産物や珍しい食べ物を売っている。小さな祭だった。
俺は友人たち――ドニーをはじめとし、ビット、それからハイリーと他数名――と出店を冷やかし、テントの垂れ幕の隙間から聞こえる不思議な旋律に耳を澄ませたり、道端で楽器をひく真っ白な猿に拍手したりした。
友人たちはきれい過ぎて毒々しい紫色の飴玉や練り菓子を買って頬張ったり、玉乗りする犬の前に置かれた帽子に投げ銭したりと、集団のような個別のような微妙なまとまりかたでめいめいに楽しんでいる。
菓子を買うかどうか、俺は悩んだ。あまり腹が減ってなかったのと、青いクッキーがどうしてもうまそうに思えなかったからだ。
ふと見れば、隣でハイリーがじっと、地面に緋毛氈を敷いて色とりどりの装身具を並べた露店を見つめていた。きらきら光るブローチやネックレスは、こんなところで売っているからには、いくら綺麗でも大した値のものではないだろう。だが、そんなものに目を引かれるとは、お転婆のハイリーも女っぽいところがあったんだなとおもしろかった。
「おいハイリー、お前、あの店じーっと見つめてどうしたんだよ」
「いや、美しいなと思って。だが、あれを買ってしまうと、手持ちがな。お菓子も食べたいし、どうしよう」
顎に手を当て、吟味している様子だ。
菓子と装身具を天秤にかけるのか? 女の子だったら一択じゃねえのかよ。
俺はずかずかとその店に歩み寄って、値札を確認し、店主いわく「絹だ」という青いリボンを買った。宝石の真贋はよくわからないが、絹か他の生地かくらいの区別はつく。
「なあ、後ろ向けよ」
「え? あ、ああ」
ぽかんと一部始終を見ていたハイリーは、未だ状況を理解してない様子でとりあえず後ろを向く。その一本に結われた赤い髪の根本に、リボンを結んでやった。目に鮮やかな色の組み合わせは、悪くない。今日のハイリーの濃紺のワンピースによく合う。
「おー。似合う似合う」
彼女の前に回り込んで、にやにやからかいまじりにそう言ってやる。照れるか怒るか。きっと後者、と思ったしそれを期待したのだが、想定外にハイリーは頬を緩めた。くすぐったそうに肩をすくめて。
「そうか? ありがとう」
肩透かしを食らった。馬子にも衣装と言って怒らせてやろうと思っていたのに、妙にそわそわして、そんな気にならなくなっちまった。あんまりにも嬉しそうにするから、毒気を抜かれた。
「なんだか悪いな。高かっただろう?」
「お前がらしくもなく、あんまり熱心に見てるからな。菓子ばっかり買って手持ちも尽きそうなんてガキみたいだなと思って、買ってやった」
「なんでそんなに上から目線なんだ? そもそも見ていたのは、あれだぞ」
ハイリーが指さしたのは、敷物の端っこに三振り並べられた、鞘と柄の装飾が美しい短剣だった。
俺は空を仰いだ。なんだ、やっぱりハイリーだった。同時に妙にほっとした。
「あー、そりゃあれ買ったら俺だって手持ちすっからかんだ。というか今だってすっからかんだ」
「だろう? まったく、なんだってそんなわけのわからない金の使い方をするんだ」
「そんなこと言うなら返品する。それで菓子を買う」
しかし、ハイリーはさっと身を翻して距離をとり、にやりとした。
「もうこれは私のものだ。お菓子なら私がわけてあげる」
乾燥させて砂糖をまぶした果物を売る店に小走りで近づいていく後ろ姿を見て、不思議な達成感を覚えた。
◆
その日から、徐々に徐々に、ハイリーの挙動が気になるようになって、ついつい目で追ったり、突っかかって機嫌を損ねて――それがやたら嬉しい――ということを繰り返して、一年くらいして、ようやく自分のその執着心の意味を理解した。
自覚した瞬間の気まずさときたらなかった。
友人のなかには、早熟で異性との交際を楽しんでいる連中もいたが、俺はそれまであまり関心がなかった。いつかはと思っていたが、その希望の相手がハイリーになるとは想像しなかった。長く一緒にいたから、今更そんな、という気持ちもあって誰にも言い出せず、感情を持て余すようになった。
どうせ言ったところで理解されまい、相手はあのハイリーだ。
そのハイリーは、いくつになろうが、かわらず剣の稽古を俺としたがったし、色恋にかけらも興味がない様子だった。外見だけはどんどん磨かれていくのが困ったもので、それは彼女が高等部にあがってから親しくなったイェシュカ・ケートリーの影響があったに違いない。
◆
十四のとき、国主たるヨルク・メイズと会食する機会があった。主賓はシェンケル当主の父と、ユーバシャール当主のハイリーの父だったが、俺は父のおまけとして、ヨルク・メイズへの挨拶をするため、初めて城に赴いた。
旧交があるからだろう、本当に親しい人しか入れない迎賓室での食事になった。目も綾な、とまではいかないまでもきらびやかな装飾品があちこちに飾られた豪華な部屋だ。
マナーは叩き込まれていたから、あまり不安はなかったが、雰囲気に圧倒されて、動きがぎこちなくなっていたのは認める。三つ隣の席に座っていたハイリーまでいつもと違う装いなのだから仕方のないことだ。
その日彼女は、薄い緑色の、蜉蝣の羽みたいな透ける生地を重ねた清楚なドレスを着込んでいて、外見だけはいいところの娘だった。なんだか体つきも変わってきたようで、ドレスも子供っぽさが抜けた意匠になっているのがそれを強調していた。
中身はといえばまったく進歩がなく、しばらく前から「私は軍人になる」と言い切っているくらいで、もしかしておつむが弱いのか、あるいはそこまで剣に魅せられてしまったのかと、不安になる言動を繰り返しており、俺は甚だ心配していた。気が狂れたかと。そしていつもやきもきしていた。きっと俺が抱えている不埒な思いなんか、かけらもわからないだろうと。
ハイリーはまったく物怖じした様子なく、ヨルク・メイズと建国の英雄譚で盛り上がっていた。お前どうしてそんなに詳しいんだとびっくりするくらい事細かに、始祖たちの放浪記を語るのだ。ヨルク・メイズもハイリーと同じく建国の英雄譚の信者らしく、語り口にやたら感心していた。
ヨルク・メイズは肥沃な大地の色の髪を持ち、男盛り。余裕たっぷりの笑顔で、ハイリーに「小父さま」と呼ぶことを半ば強制する。
ハイリーの父のフィトリス・ユーバシャールはやや渋い顔で「これハイリー、親しき仲にも礼儀ありだぞ」と娘をたしなめる。
その呼び方を止めさせるなら、ヨルク・メイズの方になにか言わなければならないのに、ハイリーの父はそうしなかった。後から考えると、ここに三英雄の末裔たちの微妙な関係性が覗えていたのだ。
「ハイリー、お前の将来が楽しみだよ。もしいくところがなければ、私のところにくるといい」
上機嫌でにこにこしているヨルク・メイズの言葉に、ハイリーはにっこりした。
「いえ、陛下。私は軍人になろうと思います。ユーバシャールの者らしく」
「なんと。それはそれで面白いな、よし、励めよハイリー、いくら武勇のユーバシャールでも、女だてらに名を残した武人はいない。お前がその第一号になるとよい」
「がんばります!」
頭の悪い会話。ヨルク・メイズはきっと心中で「子供の戯言」と思っているのだろう。……思っているよな?
表面上は笑顔のまま、俺は内心頭を抱えたくなっていた。ハイリーくらい頭の中を空っぽにできたらよかったのに。
こっそりため息をついて、肉のパイ包みを咀嚼する。そのとき、ふと視線に気づいた。失礼にならないよう、そっとその出処を探る。
ヨルク・メイズの隣に座した彼の弟のレクト・メイズからだ。兄より幾分身体の大きな男で、兄よりずっと物静かだ。顔立ちはそこそこ似ている。二人には他に兄弟がいたが、ギフトを持たぬという理由で、早々にメイズ家の跡目候補からは外れ、都の近くに居を構え、高位の文官として政に参加している。つまり、ヨルク・メイズとレクト・メイズのみ、メイズ家の秘宝たる結界のギフトを継承しているということだ。
そのレクト・メイズは、じっと、兄と話すハイリーの顔を見ていた。いっそ無遠慮なほどの注視。ハイリーが気づいて微笑みかけると――むやみやたらに愛嬌振りまいているのが彼女の気の使い方なのだ――レクト・メイズは目礼し、食事に戻る。
兄の補佐をしながら国政に関わっているということ以外、レクト・メイズのことを知らない。俺は彼と直接顔を合わせるのも初めてだ。ヨルク・メイズとも。
いずれ父の跡を継いだらこのふたりともやりとりが増えるのだろう。
「シェンケルの……クラウシフ。さっきから黙りこくっているが、どうだ、料理はうまいか?」
ふいに水を向けられて、レクト・メイズに気を取られて完全に油断していた俺は、どうにか笑みらしきものを作った。
「はい。とてもおいしいです。先程から陛下との話のきっかけを探していたのですが、うっかりそれを忘れて没頭してしまいました」
「おやおや、美味に過ぎるとな」
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「お前の父は寡黙な男だからな、あまりお前たち息子の話を外でしないらしい。もしや話せないような悪たれっ子なのかと心配していたが、噂によれば学舎で種々優秀な成績を修めていて友人も多いとか。どんな子かなと気になっていたのだ。
今、一番興味関心があることは?」
ゆったりした濃い灰色の上着の肩を直しながら、ヨルク・メイズがテーブルに肘を突いた。
俺は胸を高鳴らせる。国主が、俺に興味を持ってくれていた。もちろんそれはシェンケルの嗣子だという理由があるわけだが、それでも、普通はないことだ。
その瞬間に、家を出て城に到着するまで何度も父に言い聞かせられてきた「大人しくしろ、決して調子に乗るな。つまらない返答でいいから礼儀を忘れるな」という言葉をさっそく忘れた。
「馬でしょうか。馬術クラブに入部したので、早く、いい馬に乗る権利を得てもっとレースに出たいのですが、毎日の世話が大変です。さぼると馘首なので、いかに先輩にバレずに手を抜くか、馬に好かれるかだけを考えています」
「はっはっは。お前はこつこつ馬の世話、という性格ではなさそうだな」
「わかりますか」
「わからないわけないだろう。
さてその面倒な世話をしてまでレースに出たい理由は?」
「楽しいからです。もちろん、勝つのもいいんですが、それよりも読みが当たったときがたまらなく楽しいんです。この馬とこの騎手であればきっと何位になるだろう、とか想像して当たると嬉しいです。自分で馬に乗ったとき、その読みどおり相手が動いて勝てるともっと嬉しい。別に一番の駿馬でなくとも、戦術さえ当たれば勝てます。勝てなくとも自分の見込んだくらいまでの戦果が出せれば満足です」
ヨルク・メイズが頬杖をつく。
「ほう。戦績は良さそうだな。読みの方の戦績だ」
「ええ、八割、読みどおりになります」
「素晴らしいな。そのために最も大事にしているものはなんだ?」
「情報収集、でしょうか。その騎手の癖だったり、馬の得意な馬場だったり、情報が多いほど読みは当たります。当然ですが」
「とはいえ、その騎手というのはお前のクラブの友人だろう? となれば、情報を集めやすい相手ほどお前と親しい人物となるわけだ。やはり読みが当たるのは親しい人物のほうが率が高いのか」
そういう分析をしたことはなかったが、言われてみればそのとおりだ。不思議なものの見方をする人だ、と俺はうなずいた。
「ええ、そのとおりです」
くっ、となにかを噛み殺すような笑い方で、ヨルク・メイズが肩をすくめた。
「お前がこうなる、と思ったとおりにことが運ぶ。よくよく相手の星を読んでいるようだな、クラウシフ。さすが、シェンケルの子だ。お前が城に上がってくる将来が楽しみだよ」
「ありがとうございます」
最大級の賛辞だと思った。俺は興奮が静かにふつふつと腹の底を熱くするのを感じていた。
自分がシェンケルの星読みのギフトを手にしているかどうかは知らない。成人するまでそれに関しては何一つ教えないと父から宣言されている。秘術に近いからだと。ふさわしい人物だと認めたときに、はじめてその秘術に触れることを許すと言われてきた。
だが、同じ三英雄の末裔にして、国土を守る結界を維持し続けるメイズの当主――しかも国主という立場だ。三英雄の末裔で最も権力を持っている――から激励された。そのギフトの資質があるのだと、自分の未知の力をうっすら感じた気にすらなる。
誇らしくて、ちらりと隣の父の顔を見上げたが、父は無表情に料理を口に運ぶだけだった。さっきの話を聞いてなかったのか? むしろ、頬のあたりが強張っているように見える。……調子に乗りすぎた俺を、あとで叱るつもりなのかもしれない。
「お前もおもしろいなあ」
ヨルク・メイズが笑ってくれたので、俺はほっとした。
常々、父に「誠実な話し方をするように」と指導されてきたが、知ったこっちゃない。
「利発な息子で、誇らしいだろう?」
「情けないことですが、この愚息にいつも手を焼かされています」
父の平坦な声で、俺は心の中で舌を出した。
「クラウシフとハイリー、いつかお前たち二人が大人になって、我が国の将来を担う人材になってくれる日が楽しみだよ」
ヨルク・メイズの祝福の言葉がなにより嬉しい。
俺はハイリーと視線を合わせて、喜びを噛み締めた。そうだ。遠くない将来、大人になったら父と一緒にこの城に上がって、政のあれこれに携わることになる。貧しいながらも魔族との戦いに負けず、列強各国にも呑み込まれず踏ん張っている祖国を、誇らしく思う。その道行きを支えることはとても名誉なことだ。
そのときもきっとこうしてハイリーがそばにいるだろう。そうも思っていた。ハイリーが隣にいないことを想像しなかったということの逆説だが。
◆
帰宅後、興奮が覚めて、いつ父から小言がくるかとどきどきしていたのだが、いつになっても呼ばれることはなかった。叱ることも放棄するほど俺はまずい言動したのかと逆に心配になって、こっそり父の書斎を覗きにいったら、父は机に両肘を突いて頭を抱えていた。
俺の言動が、父の仕事に影響を与えるかもしれない。悪い方に。
その可能性に気づいたが、時すでに遅し。これからはもう少し節度ある態度をとろうと反省したのだ。
それからも時折、ヨルク・メイズの誘いがあって、城での食事やダンスパーティーに参加することがあったが、そういうときは一応、言動に気をつけるようになった。ヨルク・メイズに直接声をかけられ、学業の調子を尋ねられると、無難な返事をしていた。問いかけてくるときの彼の声には、なにか期待するような色合いがあったが、俺が当たり障りない話をするとあからさまにつまらなさそうに変化した。
もっと気を引くようなことを言うべきなのか? 悩んだものの、父はいっかな「好きにしろ」とは言わないから、きっと自分で判断できるようになるまでは大人しくしているべきなんだろうと判断し、それを貫いた。
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