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#58 クラウシフ 彼女との思い出
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十七になる前には、父と同じように文官の道に進むことをはっきり意識した。
父に連れられて城に何度も足を運んでいたから、否応無しにその道に進むよう定められていたのだが。
剣の腕にも自信があったから、そちらに進むのも悪くないという気持ちもわずかにはあったものの、軍の四角四面な男たちに混じっての、規律正しく、上には絶対服従な生活は窮屈そうだと判断した。
それに、俺は痛い思いをするのが大嫌いだ。わざわざ怪我したり死んだりする前線に出たいと思わない。尊い仕事だとは思うが、適材適所ってものがある。そういうのは、痛みすら糧にできるようなやつがやればいい。俺は遠慮する。
剣は、趣味で十分だ。汗を流してすっきりする。勝利の快感があればなおよい。
ところが休息日のたびに開催されていたシェンケル家剣術大会でそれを得るには、じゃじゃ馬な幼馴染を倒さなければならないという、なかなかの難関が用意されていた。
普通主催者に花をもたせるもんだし、女の子なんだからそろそろちゃんばらはやめとけよ、怪我したらどうする、……という俺の心配や希望なんて知る由もなく、剣術大会やろうぜと声をあげるとまっさきに参加表明しするのはいつもハイリーだ。というか、俺がせっつかれて人集めをすることもあった。
おそらく、ハイリーは自分が仲間内で一番腕が立つから、対戦で相手を負かすことが楽しくて仕方がないんだろう。驚きなのは、お行儀の良い剣術はもちろんだが、彼女の場合取っ組み合いも可の変則ルールや、槍や棒術も使用可の混合ルールでの競い合いのほうが得意だということだ。どの武器をもたせても板についた動きで相手を翻弄する。一日の何時間を稽古に当てればそこまでいくんだ? と疑問に思うくらいだ。取っ組み合いをして首に抱きつかれて地面に引き倒されたとき、女の腕とは思えない硬さに遠い目になった俺の複雑な気持ちを、誰か理解してくれないか。
彼女の拘束を本気で振り払って怪我をさせて血の気が引いたことがあるが――なにせ純粋な腕力は俺のほうが上だ――手加減すると怒るし、あっという間に無様に土を舐めさせられるから相手するのは難しい。かといって、他の連中にほいほい抱きつかれたり馬乗りになられても困るので、間違っても初戦敗退などできない。
手のかかるじゃじゃ馬だ。
もうひとつ、ハイリーがうちで剣術を競い合いたがるのには、アンデルの存在がある。母を亡くして塞ぎ込んでいたアンデルを心配して、様子を確認したかったのだろう。
俺の十六の誕生日の数日後、アンデルの母が病で亡くなった。俺も良くしてもらったから、寂しくて悲しかったが、食事も喉を通らない様子で日がな一日しくしく泣いている弟を慰めるのに忙しくて、落ち込んでいる暇はなかった。
忌明けと同時に父はあっさり日常生活に戻り、アンデルに寄り添う様子もなかったので、アンデルの面倒を見るのはもっぱら俺の役割だった。といっても、優しく声をかけて頭を撫でてやるなんて方法は俺らしくないので、家から引っ張り出してへとへとになるまで馬術の訓練をする。そうすると、嫌なことを考える前に疲れで夜は眠れるようになるという寸法だ。運動嫌いのアンデルには甚だ不評だったが、強行した。
兄の心弟知らず。そうやって俺が毎日心を砕いてやっていたにもかかわらず、アンデルときたら、週に一日遊びにきて「元気か」と声をかけて抱きしめるだけのハイリーのほうが気に入っていたようで、俺が剣術大会で優勝したときでさえ、ハンカチを差し出して抱きつくのは彼女の方だ。俺が近づくと「汗臭い」と口をひん曲げる始末。
ハイリーの抱擁を気に入るのは、まあ、同じ男としてわからなくもないが、それだけで俺の気遣いを飛び越されるのは釈然としないし、逆にアンデルが子供の特権を活かして気軽にほいほいハイリーに抱きつくあたりが納得いかなかった。
いや、子供のアンデルがひっつくのはまだ許せる。
ほかにも何人か、ハイリーと手合わせをしたいと言い剣術大会に参加しだした連中もいて、――とくに親しくもないし剣術に興味がある様子でもないやつら、たまに他学年もいた――その裏にある下心がバレバレな薄ら笑いは、つど俺が完封してやった。取っ組み合いのときに密着して、よからぬことをするつもりだったに違いない。
いつか、ハイリーを組み伏せて、髪の匂いを嗅ぐくらい許されるだろうと顔を近づけた途端、鼻が折れるくらいの頭突きを食らった俺のように。……折れなくてよかった。それから不用意に彼女に抱きついたりしない。
ときには、なかなか骨のあるやつもいて、怪我をした。利き手を怪我したときなんかは、ハイリーが手当てをしてくれた。
怪我をほとんどしない、してもすぐに治っちまう彼女に丁寧な手当を望めないことが難点だったが、真剣な顔で腕に包帯を巻いてくれるときの、伏し目がちになったそのまつげの長さだとか、柔らかそうな唇だとかを間近で眺められるのは、幼馴染の役得だろう。
困ったことに、時々、その距離を壊して、夕日のように赤い髪に触れたい、心ゆくまで、取っ組み合いじゃない抱擁をしたいと思った。無性に。その衝動を抑え込んで自分に言い聞かせるのは、まだだ、まだ待て、だ。
翌年には成人。結婚の話も出る。
俺は父にハイリーを妻にしたいと告げるつもりだった。貴族制を敷いているチュリカ式に、子供のころから婚約してしまう家もあることはあるが、基本的にプーリッサでは婚姻は自由だ。……経済的、地位的な要素で家柄を選ぶことはあっても、差がある相手との婚姻だって禁止はされていない。そのなかで、ハイリーと俺は、どの要素だって釣り合いが取れているし、気心も知れている。俺には、もしハイリーがそんな気がまだないというなら口説き落とすくらいの気構えはあった。嫌われているはずはない、だったら休みのたびにうちに来るか?
ハイリーとこのまま、ぎゃあぎゃあけんかしたり笑い合ったりして、ずっとやっていく。俺はシェンケルの当主になって、家と国を守る。傍らにはハイリーがいて、もちろん、彼女も俺が守る。
それを想像すると、自分の未来は拓けていると胸が高鳴った。
父に連れられて城に何度も足を運んでいたから、否応無しにその道に進むよう定められていたのだが。
剣の腕にも自信があったから、そちらに進むのも悪くないという気持ちもわずかにはあったものの、軍の四角四面な男たちに混じっての、規律正しく、上には絶対服従な生活は窮屈そうだと判断した。
それに、俺は痛い思いをするのが大嫌いだ。わざわざ怪我したり死んだりする前線に出たいと思わない。尊い仕事だとは思うが、適材適所ってものがある。そういうのは、痛みすら糧にできるようなやつがやればいい。俺は遠慮する。
剣は、趣味で十分だ。汗を流してすっきりする。勝利の快感があればなおよい。
ところが休息日のたびに開催されていたシェンケル家剣術大会でそれを得るには、じゃじゃ馬な幼馴染を倒さなければならないという、なかなかの難関が用意されていた。
普通主催者に花をもたせるもんだし、女の子なんだからそろそろちゃんばらはやめとけよ、怪我したらどうする、……という俺の心配や希望なんて知る由もなく、剣術大会やろうぜと声をあげるとまっさきに参加表明しするのはいつもハイリーだ。というか、俺がせっつかれて人集めをすることもあった。
おそらく、ハイリーは自分が仲間内で一番腕が立つから、対戦で相手を負かすことが楽しくて仕方がないんだろう。驚きなのは、お行儀の良い剣術はもちろんだが、彼女の場合取っ組み合いも可の変則ルールや、槍や棒術も使用可の混合ルールでの競い合いのほうが得意だということだ。どの武器をもたせても板についた動きで相手を翻弄する。一日の何時間を稽古に当てればそこまでいくんだ? と疑問に思うくらいだ。取っ組み合いをして首に抱きつかれて地面に引き倒されたとき、女の腕とは思えない硬さに遠い目になった俺の複雑な気持ちを、誰か理解してくれないか。
彼女の拘束を本気で振り払って怪我をさせて血の気が引いたことがあるが――なにせ純粋な腕力は俺のほうが上だ――手加減すると怒るし、あっという間に無様に土を舐めさせられるから相手するのは難しい。かといって、他の連中にほいほい抱きつかれたり馬乗りになられても困るので、間違っても初戦敗退などできない。
手のかかるじゃじゃ馬だ。
もうひとつ、ハイリーがうちで剣術を競い合いたがるのには、アンデルの存在がある。母を亡くして塞ぎ込んでいたアンデルを心配して、様子を確認したかったのだろう。
俺の十六の誕生日の数日後、アンデルの母が病で亡くなった。俺も良くしてもらったから、寂しくて悲しかったが、食事も喉を通らない様子で日がな一日しくしく泣いている弟を慰めるのに忙しくて、落ち込んでいる暇はなかった。
忌明けと同時に父はあっさり日常生活に戻り、アンデルに寄り添う様子もなかったので、アンデルの面倒を見るのはもっぱら俺の役割だった。といっても、優しく声をかけて頭を撫でてやるなんて方法は俺らしくないので、家から引っ張り出してへとへとになるまで馬術の訓練をする。そうすると、嫌なことを考える前に疲れで夜は眠れるようになるという寸法だ。運動嫌いのアンデルには甚だ不評だったが、強行した。
兄の心弟知らず。そうやって俺が毎日心を砕いてやっていたにもかかわらず、アンデルときたら、週に一日遊びにきて「元気か」と声をかけて抱きしめるだけのハイリーのほうが気に入っていたようで、俺が剣術大会で優勝したときでさえ、ハンカチを差し出して抱きつくのは彼女の方だ。俺が近づくと「汗臭い」と口をひん曲げる始末。
ハイリーの抱擁を気に入るのは、まあ、同じ男としてわからなくもないが、それだけで俺の気遣いを飛び越されるのは釈然としないし、逆にアンデルが子供の特権を活かして気軽にほいほいハイリーに抱きつくあたりが納得いかなかった。
いや、子供のアンデルがひっつくのはまだ許せる。
ほかにも何人か、ハイリーと手合わせをしたいと言い剣術大会に参加しだした連中もいて、――とくに親しくもないし剣術に興味がある様子でもないやつら、たまに他学年もいた――その裏にある下心がバレバレな薄ら笑いは、つど俺が完封してやった。取っ組み合いのときに密着して、よからぬことをするつもりだったに違いない。
いつか、ハイリーを組み伏せて、髪の匂いを嗅ぐくらい許されるだろうと顔を近づけた途端、鼻が折れるくらいの頭突きを食らった俺のように。……折れなくてよかった。それから不用意に彼女に抱きついたりしない。
ときには、なかなか骨のあるやつもいて、怪我をした。利き手を怪我したときなんかは、ハイリーが手当てをしてくれた。
怪我をほとんどしない、してもすぐに治っちまう彼女に丁寧な手当を望めないことが難点だったが、真剣な顔で腕に包帯を巻いてくれるときの、伏し目がちになったそのまつげの長さだとか、柔らかそうな唇だとかを間近で眺められるのは、幼馴染の役得だろう。
困ったことに、時々、その距離を壊して、夕日のように赤い髪に触れたい、心ゆくまで、取っ組み合いじゃない抱擁をしたいと思った。無性に。その衝動を抑え込んで自分に言い聞かせるのは、まだだ、まだ待て、だ。
翌年には成人。結婚の話も出る。
俺は父にハイリーを妻にしたいと告げるつもりだった。貴族制を敷いているチュリカ式に、子供のころから婚約してしまう家もあることはあるが、基本的にプーリッサでは婚姻は自由だ。……経済的、地位的な要素で家柄を選ぶことはあっても、差がある相手との婚姻だって禁止はされていない。そのなかで、ハイリーと俺は、どの要素だって釣り合いが取れているし、気心も知れている。俺には、もしハイリーがそんな気がまだないというなら口説き落とすくらいの気構えはあった。嫌われているはずはない、だったら休みのたびにうちに来るか?
ハイリーとこのまま、ぎゃあぎゃあけんかしたり笑い合ったりして、ずっとやっていく。俺はシェンケルの当主になって、家と国を守る。傍らにはハイリーがいて、もちろん、彼女も俺が守る。
それを想像すると、自分の未来は拓けていると胸が高鳴った。
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