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#60 クラウシフ 相対す

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 父から思いがけない打ち明け話を聞かされた翌週、俺は父と一緒に城に出向いた。
 このごろとくに父は調子が悪く、こうして家を出てくるのも久々だった。痩せる速さがかなりのもので傍目にも加減の悪さは見て取れるだろう。実は余命宣告を受けている。持って一年。この肺の病は感染るものではないからと、真相は伏せている。だが、一緒に暮らしているからには、アンデルもうすうす気づいているだろう。

 父からは、いつ何があってもいいようにと、補佐を名目にして仕事の引き継ぎを受けている。外交が主の仕事なので、相手の国の使者たちとの顔合わせもすでに何度かしている。……ここまで挨拶しておいて、駆け落ちしてやっぱり引き継ぎませんでしたとなったら、父の面目丸つぶれだなあと、やけに手を撫で回してくるマルートの使者と握手を交わしながらぼんやり考えたりして。

 結婚の話は、保留のまま。
 だが、諦めたわけではない。俺は、直接、ヨルク・メイズに話をするつもりでいたのだ。過去の経緯はどうであれ、シェンケルはメイズに忠誠を誓う。だがそのやり方は変える。ちょうど今日、父の余命宣告の話を、メイズに打ち明ける予定だった。そして俺がシェンケルの新当主として改めて挨拶をするつもりだった。父にその許可は得てないが、文句は言うまい。

 ヨルク・メイズとの面会は、彼の執務室で行われることになった。贅沢な造りの革張りのソファに腰を降ろし、向かい合って座る。天井には、プーリッサ全土の地図が描かれていた。執務机の上に飾られている一対の魔石は、最高級品だろう。

「残念だな、お前とはまだまだ長く働けると期待していたのに」

 落胆した様子で、ヨルク・メイズが脚を組み替える。隣には、レクト・メイズが無表情に正しい姿勢で座している。一言も発せず。

「若輩ではありますが、クラウシフが跡を継ぎます。私よりも機転が効きますので、必ず陛下の助けになりましょう」
「ふうん……お前の三番目の妻は、どのような美女にするかと楽しみにしていたのに、それは拝めそうにないな。せっかく前妻の喪が明けたのだが。
 まあ、その分、クラウシフの妻にどのような娘をあてがうか楽しく考えようじゃないか」

 俺は悟った。
 この人には、きっと、理屈なんか通じない。
 目を細め、面白そうに俺を見やるこの男。いつだか、ハイリーと建国の英雄譚で盛り上がっていたときと同じ、愉快なものを見ている顔だ。

 死にかけのネズミを前脚でちょいちょいと転がすネコ。俺たちはおもちゃなのだ。
 そうでなければ、あんなクソッタレな方法で縛られた妻が誰になるか、楽しげに語るわけがない。長年尽くしてきた父が死ぬと言っているのに、それを差し置いて。

 ――ああくそ、あの日城から帰った父がどうして頭を抱えていたか、理解するのが遅かった。この、ヨルク・メイズの面白い返答を期待する目。俺は、この男の関心を引いて満足していた。どんな意味を持つかも知らずに。

「さあクラウシフ、お前にふさわしい娘はどれかな。ん? ほしい娘を言ってみろ。
 ハイリーか?
 まあ、お前が学舎で人目を忍んで熱烈に求婚した意中の相手が妻になるのも、わかりやすくていいな」

 あのとき、おかしいと思わなかった俺は阿呆だ。
 はじめてヨルク・メイズに会ったとき彼はなんて言った? 「学舎での噂を知っている」といっていた。お世辞かもしれないと思っていたが、そうではなかったとして、普通、国主が、学舎の情報をわざわざ気にかけるか? 自分の子供が通っているわけじゃないのに、暇人かよ。
 俺がなにかをなした大人物ならともかく、ただのクソガキだ。それを知っているということはつまり、なんらかの理由があって情報を得ていたわけだ。

 監視されていた。動向を。
 すっと背筋を冷たいものが這う。

「あの子は誰かとの婚姻よりも入営を選んでいるから、対象として認めてもいいが……それだとユーバシャール初の女戦士の誕生が見られぬからつまらんし、子がなければこれまで続いてきたシェンケルとメイズの約定も途絶えてしまうからなあ。……ああ、そうだ、手頃なのがいるじゃないか、ケートリーといったか、最近羽振りのいいあの家の娘はどうだ。一度あそこの宝石を見たが、なかなか質がよかったぞ」

 人目を避けて向かったあの屋上でのできごともすっかり把握されていたのか。俺がハイリーを呼び出したことは、あの場にいたイェシュカしか知らないはずだし、そのイェシュカだってなんのために呼び出したのかまでは知らないはず。つい、室内に他の人の気配がないか探るが、そんな素人に勘付かれるような者は、そばに置いてないだろう。

 口の端を上げる国主を見て、俺は背筋に嫌な汗が吹き出すのを感じていた。どこまでこの男は俺の周辺を調べているんだろう。イェシュカのこともおそらくは、彼女にビットという恋人がいることも知っていての提案に違いない。
 父の結婚相手もこうやってこの男が選別してきたのか? まるで、珍しい血統のイヌ同士を掛け合わせるように。隣に座る父の横顔をちらっと伺うが、いつもと同じ無表情。この状況に動じてないのは、慣れているからなのか諦めか。

「私を楽しませてくれるよな、クラウシフ。そう約束しただろう? 私は英雄譚も好きだが、熱烈な恋物語も好きなんだ。愛し合う男と女が結ばれても、障害に阻まれて思いを成就できなくても、どちらもいい。
 ははは、もしお前が私を楽しませてくれたら、ハイリーを北軍配属にする必要もないだろうな」

 北軍がなにを意味するのかはわからないが、その言葉の裏に潜む滴りそうな悪意は十分汲み取れた。
 
「ご期待に沿えるかわかりませんが。俺はあまり気が利かない人間なので」
「お前の父によくよくその方法を相談することだな」

 そういうと、ヨルク・メイズはレクト・メイズに命じて俺を城内の散策に連れ出させた。すでに何度も訪れている城内の何を見ろというのかわからないが、父と二人で話をしたかったんだろう。

 寡黙なレクト・メイズと並んで、とくになんの説明もないまま歩いていると、嫌なことばかりを想像してしまう。
 わけのわからない閉塞感。大暴れしてそこここにある高価な調度品を片っ端からぶっ壊して回りたいくらいなのに、それも許されない。

「クラウシフ・シェンケル。忠告だ。兄には逆らうな」

 人気のない廊下に入って少し進んだとき、それまでほとんど口を開かなかった男の、渋く低い声が俺を呼んだ。

 レクト・メイズが、がっしりした顎をぐっと引いて、こちらを見つめている。廊下の真ん中で足を止めて。俺もそれに倣って彼と向かい合った。さっと周囲の気配を探るが、人気はない。――ヨルク・メイズの細作がいないとも限らないが、いてもわからないんだからびくついても仕方ない。

「どういう意味ですか」
「そのままの意味だ。先程の北軍の件でわかっただろう。あの人は楽しむためなら、どんな相手でも簡単に捨てる」

 レクト・メイズいわく。北軍は、東軍を統括するユーバシャール将軍、つまりハイリーの父と折り合いの悪い将軍が統括している。もしそこにハイリーが配属になったら? いじめられるとかその程度で済めばいいが、下手をすれば命にかかわる――死地にわざと追いやられることだってあるだろう。あるいはユーバシャール将軍にとっての人質のような扱いになって、軍内部の軋轢をさらに大きくすることも考えられる。

「そんなことしてなにが楽しいんですか。国防の要を引っ掻き回すようなことを。しかもあの方は、ハイリーを気に入ってるようだったじゃないですか」
「あの人に深い考えなんかない。ただ楽しみたいだけだ。わたしやお前、この国全土もあの人のおもちゃでしかない。わたし達は、壊されないように従うしかない」
「……あなたの兄は頭がおかしいんじゃないですかね」

 今の言葉も誰かが聞いていて、いちいちヨルク・メイズに報告してたら、俺は殺されるんだろうか。くだらない、と唾棄しながらも測る。どこまであの男には冗談が通じる?

「あの人はこの城から出られぬ。それを恨んでいる。この国で自分がもっとも不自由だと思っている。……一面ではたしかにそうだ。いつからかその鬱憤を、他人を操ることで晴らすことを覚えてしまった」

 なんだそれは。なんなんだよ、それは。

「外に出たいのであれば、閣下と交代で外に出てはいかがですか。閣下はギフトを継承なさっているんでしょう?」
「わたしは兄ほどの力がない。おそらく、国境の結界のどこかには大きなほころびができるだろう。いざというときの換えがせいぜいだ。だから、兄はこの城から出られない。
 繰り返す。あの人の機嫌を損ねないよう、気をつけろ」

 シェンケルのギフトなんかなくったって、あの人は他人を好き勝手しているじゃないか。それが許されている。人質脅迫なんでもござれ、とんでもない悪党だ。
 関わりたくない。一切。
 やっぱり、ハイリーを連れて逃げるべきか。そのときはアンデルも連れて行こう。あとは知ったことか。

 ――逃げ切れるのか? ただの駆け落ちじゃすまない。ふたりを守りきれるのか? 相手は腐ってもこの国の主で、俺には存在すら気付けなかった影のものを所有しているのだ。

 たぶん、その一瞬の迷いが、すでに俺の心がヨルク・メイズに人質をとられているのだと、無意識で認めたことの証明だったに違いない。 
 
「わたしもお前もあの人のおもちゃ、意思など踏み潰される立場だ。だがクラウシフ・シェンケル、その不自由さのなかでもできることはある」
「……なにをおっしゃりたいのでしょうか」

 レクト・メイズは答えずに、そのまま歩みを再開した。俺はちょっと距離を置いて、その背中を追いかける。あれは、励ましか?

 兄と同じギフトを受け継ぎながら、兄がいる限り国主にはなれない男、レクト・メイズ。ヨルク・メイズに影のように付き従いながら、兄の挙動をじっと見つめている。――ヨルク・メイズはそのことをどう思っているのだろうか?
 


 帰宅しすぐに父は寝室に引っ込み、そのまま出てこなかった。移動の車中も嫌な咳をしていた。いろいろと話したいことがあったが、仕方がない。

 夜風に当たろうとバルコニーに出る。星がまたたく空を眺めてしばらくぼんやりしていたら、声をかけられた。

「兄さん。まだ起きてるの?」
「そりゃこっちのセリフだ。お前、寝たんじゃないのか。そんな薄着で風邪引くぞ」
「目が覚めちゃったんだ」

 寝巻き一枚でふらりとやってきたアンデルが、小さな手でバルコニーの手すりに掴まった。仕方なく、俺は上着を弟の頼りない肩にかけてやる。そうして、部屋に戻れと促した。アンデルは大人しく従う。

「さっさと寝ろよ。背が伸びなくなるぞ」
「……あのね。咳がね」
「せき?」
「気になって」

 口ごもって、アンデルはその先を言わない。
 アンデルの部屋が近づいて、意味がわかった。父の部屋から、かすかに咳が聞こえてくる。目を閉じた暗闇でこの犬が吠えるような乾いた咳を聞き続けていたら、不安になる。

「大丈夫かな」

 俺の顔色の変化を窺うように、アンデルが父の寝室の方を見て、ぽつんと言った。
 見透かされているように感じるのは、俺の神経が過敏になっているからか。

「お前が風邪引いて心労増やさないようにしてくれよ、あの人も年なんだから。……そんなに咳がうるさくて眠れないなら、俺の部屋で寝ろ。俺はまだやることがあるから、終わったらソファで寝てもいい」
「うーん……そうしてもいい?」

 自分の枕を部屋から持ってきて、俺のベッドに寝転んだアンデルは、あっという間に寝入ってしまった。
 静かに寝息をたてる弟を見て、急に、ずっしりと肩が重くなったように感じる。

 アンデルの母が亡くなる前、繰り返し繰り返し「アンデルを頼む」と言われた。そりゃ俺は兄貴だ、言われなくとも面倒見る、と思っていた。そのときは。ついこの間までは。

 好きな女と結婚して、家族仲良くやっていくという、ありふれた願いすら叶わなさそうだ。しかも、シェンケルの家に生まれたときから詰んでいたって顛末。笑えない。
 
 俺の人生って意味あるのかね、なんてこの年で考えることになろうとはね。ため息が出る。

 それでも、大事な物まで面白半分にしっちゃかめっちゃかにされるのを、黙って受け入れるってのは性に合わない。やられたらやり返したい。自分の思いのままだと高をくくっている、クソ腹立つ男の鼻を明かしてやりたい。

 最後には、必ずだ。

 そこにたどり着くまでにどれだけ泥をすすろうと、絶対に達成してやる。悔しがって髪をかきむしるあの男の顔を最前列で眺めてやる。そうじゃなきゃ、一番欲しいものを諦めるのに、割に合わないからな。

 ああくそ、ハイリーのやつに大見えきっちまった。また傷つける。

 衝動的に抱きしめたあの日の彼女の感触が、腕に蘇る。あれが最後か。そう思うと、心底、ヨルク・メイズが憎らしく、自分の生まれが不運に思えた。
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