R18 咎人は死なずの騎士姫に恋をした

薊野ざわり

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#EXTRA 老執事、最後の仕事

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 主たちが国を出て、暫く経つ。
 もし捕縛されたら耳に入るはずだ。それがないということは無事、国境を越えられたのだろう。
 まだ真新しい墓石の汚れを拭い、バルデランは額の汗を拭った。顔をあげると、覆いかぶさってきそうな雲が黒ぐろと空を埋め尽くしている。

 アンデルが国を去り、追いかけるようにその所業が公表されて、もしや屋敷や、クラウシフやその妻、先祖たちの墓も暴徒に荒らされるのではないか、国の役人に取り壊されるのではないかと不安だったが、どういうわけか、メイズ家が「シェンケルのことは調査中ゆえ、勝手なことは慎むように。間違えても、三英雄の末裔に無礼を働かぬように」と国民にお触れをだしたのだった。自分の兄を殺され、悲憤し激高してもよいはずなのに、新国主は驚くべき冷静さですぐにそれを厳命した。国民は他国からの侵攻と、国主を失ったばかりの痛手で悲嘆に暮れていたが、同時に、新しい国主の落ち着き払った態度に敬服もしたらしい。

 ――兄の後釜を狙っていたのではないか。レクト・メイズにはそういう噂もあるにはあった。あったところで、ヨルク・メイズの不在の期間をなんとか乗り越え、戦後の処理を淡々と速やかにこなしていく彼に、直接的に向かう不満や糾弾の声はない。ギフトの強さは劣るとはいえ、一声で文官をひとまとめにし、必要な措置を命じられる彼の人脈と培ってきた信頼関係は、彼の亡兄にはなかったものだ。

 そのレクト・メイズが厳命したのだから、なにか事情があるだろう。それに、他にもっと差し迫ったものがたくさんある。国民の目はそちらに集中していて、ものものしく憲兵に囲まれたシェンケルの屋敷や墓地には寄り付かなかった。

 なにより、ユーバシャール家の騒動が大きかった。
 ユーバシャール前当主の妻は、今は屋敷に戻って息を潜めて暮らしているそうだが、ほかの縁のある者たちは散り散りになっている。本家の屋敷も差し押さえられ、監視されている状態である。

 何度も給仕をしたことのある、優しげなユーバシャールの元当主の妻が、今ごろどうしているのか気にはなっているが、バルデランも会いにはいけずにいた。

「クラウシフ様、今こそあなたのお力が必要だというのに」

 言っても仕方のないことである。
 いくら尽くしてきたといっても、バルデランはクラウシフともアンデルとも、血の繋がりはなかった。どうしてあの兄弟がこんな道を進んだのか、ちゃんとはわからない。

 ただ考えずにはいられない。彼らが幼かったころ、利発なクラウシフは弟を大事にしていたし、アンデルは頼もしい兄を慕っていた。
 ときどきすれ違って距離をおいても、二人の根底にはその共有された時間があったのだ。

 だからきっと、これは兄弟で決めたことなのだろう。
 老いた身では、彼らの歩みについていけず、その背を支えてやることもできなかった。それが悲しいが、だからこそこうして、クラウシフの眠る場所を守ることはできる。

 墓標が林立する墓地、その丘の敷地を見下ろせる位置から、バルデランはぐるりと周囲を見回してみた。天気が悪いからか、もうじき日暮れだからか、ほかに人はいない。
 朽ちかけている墓石がいくつか目につく。いつかクラウシフの墓が同じようになる時を、少しでも引き伸ばすのが、自分の最後の仕事だろう。

 集めた落ち葉を袋にまとめ抱え上げたところで、丘の下の方から誰かがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
 目深にフードを被っているので人相はわからない。曇天と同じ色の外套は洒落っ気もなく、まるで長旅に挑んでいる旅人のように見えた。肩に担いだ荷物も薄汚れている。

 妙に歩くのが速いので、バルデランは警戒した。誰だろうか。その人が跨ごうとしている飛び石の先は、シェンケルの墓地区画である。そしてその人は躊躇なくそれをまたいだ。片手に白いユリの花輪を二連にして持っているから、弔いのための訪問なのだろうが、今のシェンケルの墓参りに来る人間などいない。

 もし。そう声をかけようとし、ふと雲間から光が差し込んで、その人のフードの隙間から溢れた髪を照らした。光の加減で黄金色に見えたそれは、よく見れば茜色である。

「ハイリー……お嬢様」
「バルデラン、よかった。ここで会えるとは思わなかった。屋敷の方へは行けないから。まだまだ私の運も捨てたもんじゃないな」

 快活に笑ってフードをおろした女性は、ちょっとやつれた様子だったが、見間違えようがない、ハイリー・ユーバシャールだった。
 バルデランは言葉に詰まった。

「幽霊じゃないよ。……まあ、魔族の親戚みたいなものだから、縁起は良くないかもしれない。大丈夫、悪さはしない。ただ、友達の墓参りをしたかった。たぶんもう戻ってこないから、見逃して」

 幼いころ、いたずらを見つかったときのように、片目をつぶり、彼女はひざまずくと、そっと白い花輪を墓に備えた。ひとつをクラウシフの墓に、もうひとつをその隣のかすかに汚れた墓に。愛おしそうにその二基を指で撫で、幾ばくも祈らず踵を返す。

「行ってしまわれるのですか」
「うん。知っての通り、私は死んだことになっている。この国にはいられないし、捜しに行かなきゃいけない人がいるから。
 あなたに一言挨拶したかったんだ。たくさん世話になったから。ありがとう」
「……アンデル様は、ルジットに向かわれました」
「知っているよ。私もそちらに向かうつもりだ」

 彼女は濃いまつげをふせ、かすかに頬を緩めた。

 バルデランがアンデルの通った道を教えると、考えるような素振りを見せる。きっと彼女なら、どの道を通ってアンデルがルジットに行くか、これでかなり絞り込めるだろう。

 期待していた。彼女なら、あの、傷心のアンデルの支えになってくれると。こんな場所だというのに、背後には主の墓があるのに、気持ちが上向きになっていく。

 死んだと思ったのに生きていた。死なずの、と世間で言われるだけはある。久々に胸が熱くなって、バルデランは唇を引き結んだ。それから震える声で告げた。

「お嬢様、なにとぞ……なにとぞアンデル様を、お子様たちをよろしくおねがいします」
「うん、できる限りのことはするよ。バルデランも、体に気をつけて。クラウシフとイェシュカをよろしく頼む」
「はい……はい……」

 目の奥が熱くなって、バルデランはしきりにまばたきをした。
 困ったように微笑んで、すっかり大きくなったお転婆の少女は、肘を叩いてくれた。元気を分けてくれるように。
 ざざ、と強い風が吹いて、彼女の外套がめくれる。その左腕の肘の先がきれいさっぱりなくなっている。

「お嬢様」

 思わず呼びかけてしまった。
 ハイリーが恥ずかしげにかぶりをふった。

「もし、母に会うことがあったら、私は無事だって伝えてほしいんだ。遠くへ行くけれど、間違いなく元気だって。ただ、他の人には秘密にして」

 その言葉を裏付けるような、明るい笑い声。バルデランが目を伏せている間に、彼女は三歩遠ざかり、くるりと振り返ると、右手を振ってくれた。

 バルデランも、手を振り返す。彼女の姿が見えなくなるまで振り続け、ふうと息を吐くと、落ち葉の袋を抱え直した。

 ひとつ、やることができた。どうにかして、ユーバシャール家に連絡をとらなければ。困難で緊張することなのに、楽しみでもあった。失意のユーバシャール夫人はきっと、それで元気を取り戻してくれるに違いない。
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