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#EXTRA サフィールとドニー

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 ドニーの部屋に赴くと、昼どきの明るいテーブルにティーセットが用意されていた。私はあまり酒に強いたちではないから、彼と話をするときはいつもお茶がお供である。促され、ソファに腰を下ろし、ドニーと向かい合う。

 今日は子どもたちの処遇について、話し合う約束になっていた。私はもう数日でここを出ていく。しっかり内容を話し合わなければならない。

 息を深く吸って、吐き出した。

「ドニー、本当にありがとうございます。私だけでは、きっと、子どもたちを満足に面倒見ることも難しかった。それに……私までこんなによくしていただき、いくら感謝してもしきれない。あなたの周りに悪い噂がたたないとも限らないのに」
「プーリッサならともかく、この国で君のことを知っている人間なんていないよ」
「そうだとしても」

 実は、未だに、……彼のことを信用しきれていない部分があった。

 ドニーには幼い頃から、いろいろな贈り物をもらったり、家に遊びに来てくれたときには面白い異国の遊戯を教えてもらったが、それだけといえばそれだけで、彼は死んだ兄の友達にすぎない。それなのに、匿ってくれて面倒を見てくれて、子どもたちのことを引き取ってくれるなんて。

 どういうつもりなんだろうと思わずにいられないのだ。

「不安そうな顔をしているね。僕のことが信用出来ないかな」

 にこにこ温厚な笑顔のまま、ズバリ言い当てられ、私は否定できない。爽やかな柑橘の香りがするお茶を口に含み、小さくうなずいた。

「どうしてここまでしてくれるのか、疑問で」
「まあ、そうだよね。僕もサフィールの立場だったらおそらくそう思う」

 突き出たお腹を手でなでて、彼はソファーの背もたれにどっしり背中を預けた。

「クラウシフからどのくらい話を聞いているのかな。僕が彼に頼まれて、チュリカに人をやったことは知っている?」
「いえ」
 
 チュリカ。意外な国名が飛び出した。

「イェシュカが具合を悪くしていたころだよ、クラウシフから頼まれたんだ。チュリカのシェンケル家の本流の資料がほしい。とくにギフトに関するものを。理由は話せないが、イェシュカの快復に関わるかもしれない。
 そう依頼されて、まだプーリッサでは発行されてなかった本なんかを捜しにいったんだ。
 普通の資料であれば、クラウシフは自分の伝手でじゅうぶん手に入れられたろう。だからそうではないものを探すことにした。無理をするなって言われていたんだが、つい、調子に乗ってしまった。イェシュカの助けになりたくて、クラウシフにも喜ばれたかったんだ」
「喜ばれたい?」

ドニーは目を伏せる。

「僕はね、お金があるだけで、他に取り柄がない男だからね。子供の頃から、そういうふうに扱われてきた。慣れていたよ、それに歓迎してもいた。親が稼いだ金だが、それを使って友達に喜ばれて重宝がられるのは、気分がいい。

 しかしながら、高等部にあがる少し前に、親がちょっとしたトラブルを抱えた。金銭面の。すぐに解決したんだけれど、危なかった。その噂が流れたとき、僕を財布としてしかみてなかった連中は、引き潮のように去っていったんだ。やはり、ショックだったよ」
「……クラウシフからは、なにも聞いてなかった」
「ははは、それを聞いてますます彼のことが好きになった。
 そのトラブルがあってからも、彼はなんにも言わずに、いつもどおり接してくれた。僕はこの見てくれでわかるとおり、剣技だってからっきしだ。それなのにシェンケル家剣術大会では、イェシュカの隣にいつだって専用の観戦席を置いていてくれた。
 ほとんどいなくなっちゃった友達のなかに、本当の友人がいたのを見つけたときの僕の気持ちがわかるかい」
「砂金の採集みたいなものかも」

 私のたとえ話は安直だったが、ドニーは満足げにうなずいてくれた。

 これは推測だが、クラウシフからしたらリミウス家のトラブルなんて、本当にどうでもよかったんだろう。
 
「それでね、僕はもっとクラウシフと仲良くなりたかったし、彼の役に立ちたかった。好きな相手にはよくしてやりたいものだ。
 だから、無理はするなよという彼の忠告を無視して、無茶をしたんだよ。格好つけたかったんだ。これは、クラウシフにも内緒にしていたんだけれど、死にかけた」

 思わず身を乗り出した私に、ドニーはゆるくかぶりを振って、座るように促してくる。

「チュリカには国立の図書館があって、禁書の書庫があるんだ。そこに、プーリッサ三英雄の詳細の資料がある、という噂はわりと簡単につきとめられたんだ。ただし、その真偽は実際に確かめないとわからない。伝手をどんどん辿って、その禁書に触れられる人を捜して、たぶん、踏み込み過ぎたんだろうね。ある日、夜道で襲われた。遠くルジットにいる僕の存在まで嗅ぎつけてきたんだよ、その曲者は。人気のない道で首に刃物を突きつけられて、『これ以上嗅ぎ回るなら殺す』と言われて解放された」
「なんてことを。そこまであなたがする必要はなかったのに」
「そうだね。僕もそう思ったんだ。なにか、とんでもないものにクラウシフは、そしてイェシュカは巻き込まれちゃったんだと。それは僕のような人間じゃどうにもできないところのトラブルだ。手を貸してあげたいけれど、その先は無理だ。住むところがちがう。それで諦めた。
 イェシュカの葬儀でクラウシフに会って、……諦めないでもっともがいておけばよかったと心から後悔したんだ。だって僕の友達は彼らしかいなかった」
「それは仕方ないことだよ、ドニー……。結局兄さんだって」
「うん、それはわかっているんだよ。だからこそ、僕は今、僕ができる精一杯のことをするんだよ、サフィール。
 ――まあ、そう言われても、君は安心できないだろうね。
 これでも、感情的になって無謀に君たちを匿ったわけじゃないんだよ。ルジットとプーリッサは国交が回復したと言ってもまださまざまなところで調整中だ。犯罪者の引き渡しもそう。現在の二カ国間には、互いの国土に逃げ込んだ相手国の罪人を引き渡す義務がない。協力願うと言われたって、断ることもできるんだ。
 それから、ルジットは残念ながら、戸籍の管理ってものがかなり遅れていてね。公的な書類を提出するときに、身元の証明はさほど重要視されないんだ。ありがたいことに、と言い直すべきかな。君の正体を突き止める熱意ある誰かも、その履歴の精度に舌を巻くだろうね。
 最後に、この屋敷は立派だろう?」
「ええ、とても。すごいです」

 素直に感想を述べると、ドニーはうなずいた。

「この周辺の街数箇所のなかで一番なんだ。昔の領主が住んでいた屋敷を改装して住んでいる。それだけ僕はこの街にお金を落としている。情報は集まってくるし、僕に対する働きかけはお役人だって慎重になる。嫌味な金持ちで通っているが、それが役に立つときだってあるんだよ。
 少しは不安が薄らいだかな」
「……ありがとう、ございます」

 それ以外に、どんな言葉が適当だろうか。私はソファの上で目礼した。

「いいんだ。むしろ、そのくらいでいいのかなと思うこともある。
 実は、殺されかけたとき逃げ込んだ近くの孤児院で、ウェリーナと出会って結婚したんだ。それを考えると、クラウシフのおかげで僕は生涯の伴侶を得たことになる。彼のおかげで僕の人生の彩りは格段に豊かになった。だから本当はもっともっと君たちによくしてあげたいんだよ」
「もうじゅうぶんです」
「まあそんなこといわずに。これからもなにかあったら、遠慮なく相談して。すべてが希望通りできるとは限らないが、良い方向へ持っていくことはできるかもしれないからね。
 ところで、ハイリーのことはどうするんだい」
「ハイリー?」
「一緒に行くのかな」
「いえ、まさか」

 私はもちろんひとりでこの屋敷を出ていく。ハイリーにはここを出る理由すら告げてない。
 ドニーはじっと私の顔を覗き込んで、そうなのか、と小さくつぶやいた。それ以上追及はしてこなかった。されたとしても、なにも出ないのだが。

 わずかに居心地の悪さを残しながら、子どもたちの処遇について相談し、私はドニーに礼をいって部屋を後にしようとした。

「サフィール。もし、誰かとこの国で添おうと思ったら、君もこの国の戸籍を取得したほうがいい。義務も増えるが、ちょっとは保護されもするから」
「その予定はありませんよ」

 おそらく、私は一生ひとりでいるだろう。そうするべきだ。今からすべきことは誰かに寄り掛かっていてはできないだろうし、寄り掛かられる側への負担も大きい。

「予定なんて、結局は予定に過ぎないしね。君にそのつもりがなくてもそうなるかもしれない」

 意味深なことを言って、ドニーは私に肩をすくめてみせた。

 どういうことだろう。もしかしてドニーの結婚も、予定外だった? 理由を尋ねてみたかったが、手洗いに起き出したジュリアンが寝ぼけて廊下をうろうろしているのをみかけ、その機会を逸してしまったのだった。
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