R18 隣の芝生は青すぎるっ

薊野ざわり

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日常

しょうもないわたしたち その1

 汗を掻いたビールジョッキを手に、由実ちゃんがぽかんと口を開き、わたしたちを交互に見る。彼女の左手薬指には可愛いピンクゴールドのリングが光っている。
 隣に座ってたかいなが、ピースして「そういうこと」と言う。もう片方の手で私の肩を抱いて。

「え? え? ふたり、付き合ってるの……? 本当に? 冗談じゃなくて?」
 
 別に面白くないけど笑ってしまう、というような複雑な表情で、由実ちゃんはぱくぱく口を開閉した。
 
「そう、もう3ヶ月目? ラブラブです! 祝福してねっ」

 由実ちゃんじゃないけど、変な笑いが出てくる。かいな、軽すぎる。重苦しく報告することじゃないとも思うけれど、それでも由実ちゃんがどうショックを受けるか、あれだけ話し合ったのに。
 こっそり、小さなため息をついた。



 由実ちゃんの披露宴は3月。引っ越しがその二週間後で、そしたら物理的な距離が空いてしまうから、これまでのように気軽に会うのは難しくなる。しかも彼女は新婚だ。
 だからちょっと早めだけど定例の近況報告会しよう、と発案したのはかいなだ。あっという間に由実ちゃんのスケジュールを押さえ、日付とお店を決めた。

 それまでに、わたしはかいなと何度も話しあった。自分たちの関係を話すかどうか。
 わたしは家族にも話してないし、他の友人たちにも話してない。恋人がいるという話はするけれど、詳しくは伏せている。かいなも同様。かいなは、離婚の経緯も家族に詳しく説明してないらしい。そのこともあって今は実家と距離を置きたいんだそうだ。――根掘り葉掘り聞かれても答えようないじゃん? ってちょっとうんざりした顔をしてこぼしてたから、いろいろあったんだと思う。

 家族と由実ちゃんは別だからというのがかいなの意見。たしかに、由実ちゃんは口も堅いし、親友――かいなにとって――だ。もし新しい恋人がわたしでなければ、きっともう、かいなは彼女に報告してただろう。わたしだって、そうだ。言って面倒なことになるのはわかっていたけれど、これまでずっとそうしてきた。

 でも今回は事情が事情だ。わたしは好きという気持ちがあれば、とすべてをかなぐり捨てられるほど豪胆ではないし、そこまで由実ちゃんを信用できてないということだ。ばれたら身の破滅とまではいかなくとも、……色々傷つくだろうなって想像してる。それが怖い。耐えられなくて、最終的にかいなとの関係に亀裂が入ったらどうしようってところまで妄想が及んでしまう。

 それでも、こう思うこともある。
 由実ちゃん傷つくんじゃないかな。わたしたちが二人だけの秘密を――しかもこれだけ大きな秘密を――話さないでいて。自分だけ仲間はずれになったような気持ちにならないかな。もしわたしがその立場だったら、もちろん、いい大人だもの「事情が事情だからね」と許したような顔はする。一方で、内心は深く傷つくんじゃないか。お節介だし、ひとりよがりの彼女だけど、いいところだってあって、わたしはそんな彼女を完全に嫌いきれないからここまで一緒にいたんじゃないのか。そんな子を傷つけてまで、仲良しごっこを――自己保身を優先するのって、意味あるのかな。

 ごちゃごちゃ考え込んでいたら、かいなに「難しく考える必要ある? 大丈夫だよ、タユミなら」ってにっこり笑われて、妙に気持ちが落ち着いて、話そうって決めたのだった。



 でもだからって、爆弾を落とす前に警告か前置きは必要だとは思う。たしか、宣戦布告前の攻撃は国際法上禁止されていなかった? うろ覚えで定かじゃない記憶がよみがえってくるほどには、わたしも混乱してる。こんなカミングアウトになるなんて想定外。

 かいなは、にこにこしたまま焼酎のお湯割りをちびちび舐めてる。そのお尻をつねってやろうかと思うくらい、由実ちゃんは表情が堅い。ここは飲み会会場というよりは、法要の会場のような雰囲気。周囲の席から漏れ聞こえてくる明るい笑い声や話し声が、上滑りして消えていく。わたしは無言に耐えられず、手にしていたグラスのお酒を無理やり煽った。

 わたしたちが、前のパートナーと破局したことを知らなかった由実ちゃんが、かいなに「浩二さんと最近旅行とかいった? 夫婦円満の秘訣って二人時間とかいってデートとかすることも含まれるらしいよー」とか「クリスマスに何買ってもらった? イブはどこで過ごした?」とわくわくした様子で話をふり、それにのっかって自分の話をしようとしていたんだけど……。かいなが「聞いて驚け、離婚したわい」なんて言ったから空気が凍った。これが第一撃。わたしもついでに「実は前回の飲み会のときにはわたしも別れていたの」と告白したものだから、由実ちゃんは「え、私めちゃくちゃ無神経じゃん……? ど、どうして教えてくれなかったの?」と顔をひきつらせた。

 続いて、「じゃ、じゃあさうちの会社で彼女募集中の連中から、友達紹介してって言われてるからよかったら紹介するよ?! 稼ぎ悪くないし、ちゃんとしたやつみつくろうからさ」って気を遣い始めた由実ちゃんに「いやもう、付き合ってるから私たち。あ、私とはづきが付き合ってるの、別々に男がいるわけじゃなくて、冗談でもないよ!」というように、ごく軽いノリでヘビー級の第二弾が落とされ、今に至る。

 由実ちゃん、さっきまでお花振りまいていたのに、今はお塩でも掛けられたかのよう。お通夜みたい。勇気がでないとかうじうじしてないで、かいなに任せずわたしが話したほうがよかったかな。かいなに告白してこういう関係に持ち込んだのはわたしなんだし、その方がスジが通っているようにも思える。
 手にしていたジョッキの中身を一気に飲み干し、由実ちゃんが深々ため息をついた。吐息が震えている気がした。

「ごめんねタユミ。離婚のことは、幸せいっぱいのところに水を差したくないから黙ってた。あと単純に、生傷すぎて話せなかっただけ」
「……右に同じく」

 ずるいかなと思いつつも、かいなの言葉に乗っかって、わたしもこくこく頷いた。ミルクといちごのカクテルを一気に飲み干す。緊張して手が震えてしまう。前回、由実ちゃんの結婚報告のときは、何を飲んでもただアルコールだなって思っただけで、美味しいとは思えなかった。今日は美味しい美味しくないの前に、アルコール感すらわからない。

「ごめんちょっと理解が追いつかないんだけど、どういうきっかけでその……そういう関係に? ていうか冗談じゃないんだよね?」
「冗談じゃないない。こんなこと冗談にしないでしょ。きっかけは――」
、それはわたしから話す」

 身を乗り出し、そのまま話だそうとしたかいなを制し、わたしは姿勢を正した。由実ちゃんが一瞬目を眇めた。わたしに向けて。かいなのことをあだ名ではなくて下の名前で呼んだからか、話しに割り込んだからか……かいなをとってしまったのが気に入らないのかはわからないけれど、なんとも言えない視線だった。怒ってるわけじゃない、でも複雑な。
 だからって、ひるんではいられない。

「前回集まったあとわたしから、気持ちを話して、お付き合いしてもらうことになったの。かいなは、前から由実ちゃんには話そうって言ってたんだけれど、わたしが勇気が出なくて黙っていてもらったの。ごめんなさい、大事なことを黙っていて」
「……そっか、サツキから……」

 由実ちゃんは、空になったジョッキを卓の端に寄せ、そのままじっとしていた。なにか目まぐるしく思考を巡らせているんだろう。本当は、わたしに罵声をぶつけたい気持ちなのかもしれない。三人の関係が崩れるようなことをしたと責めたいのかもしれないし、気持ち悪いと言いたかったのかも。……当然、それが全部わたしの思い込みの可能性もある。

 緊張感なく、かいながポテトを一本一本口に運び、咀嚼する。
 なにか言った方がいいかな、とわたしが口を開きかけたとき。タイミングがいいのか悪いのかわたしのスマホが着信した。場違いに明るいメロディが鳴り出す。
 ちらっと画面を確認したら、課長だ。そういえば今日、出張だった。出先でなにかあったのか。

「出たほうがいいんじゃないの?」

 由実ちゃんが顎をしゃくった。たぶん、そうしてほしいのだろう。そう思って、わたしは「ありがとう、失礼します」と一言ことわり、席を立った。


 時間外に悪いね、という前置きから入った課長の電話は、出張報告に必要な資料の入ったキャビネットがわからないというものだった。ファイルの背表紙にちゃんとタイトルを振ってるのに、どうしてかあの人はわたしに細々問い合わせてくる。ほかにも場所を把握している人もいるのに。

 はあ、とため息が出てしまった。
 喧騒を避けて出ていた廊下を抜け、自分たちの個室へ戻る。ちょっと気が重かった。由実ちゃん、そろそろ落ち着いたかな。わたしがいない方が、由実ちゃんは気が楽かな。そう思って、そろりとドアの隙間から様子を伺った。

 由実ちゃんが妙に改まった様子でこっちに背を向け正座して、かいなも正座してた。かいなはちょっと顔を引き締めている。由実ちゃんの表情は見えない。でも、声は硬かった。

「あのさ……どうしてはづきと付き合うことにしたの。もとから、気になってたとか?」
「うーん、最初から恋愛対象だったかと言われたら、そうじゃないよ」

 残酷な質問に、かいなは落ち着いた明るい声で答えてる。わたしは心臓がぎゅっと縮むのを感じた。息苦しい。そうだろうなって思ってたのに、かいなの言葉でそう聞くと涙が出そうになった。もう少し、外を歩いてから帰ってこよう。せめて、冷静になれるくらいには時間を置いて。
 そのわたしの背中を追うように、かいなが「でもさ」と続けた。
 
「今はさ、大好きだよ。いろいろ苦しいときだったから、はづきに支えてもらって生き延びた感ある。感謝してるし、その人から好きって言われるのってすごく嬉しいなって思う。なんでもできる気になるよ。
 たぶん、あの子、あのときまで私に告白する気なんてなかったんだと思うんだ。でも私が自信なくして弱ってるの見て、励まそうと思って言ってくれたんだと思うんだよね。ぜったい、怖かったと思う、言い出すの。
 ……ね、健気でかわいいでしょ。ふつーにきゅんとするよ、一緒にいると。今までみたいに『わーっこの人すきー』ってじたばたする感じじゃないけれど、ずっと一緒にいたい、いてほしいってしみじみ思うの」

 気付けば、手を握りしめて立ち尽くしていた。
 ――わたしもだよ。わたしも、好きだって言ってもらうことがこんなに幸せで嬉しいことだなんて知らなかった。いつもその言葉が重くて、苦しかった。どうせわたしの外見やイメージだけでそう言ってるんだって。そしていつか中身の味気なさに気付かれて、捨てられるんだって。そんな自分に自信なんかもてなくて、――人に好きだなんて、言えなかった。
 あの日、勇気を振り絞って、諦め半分で告白して、こんな幸運が舞い込んでくるなんて想像もしなかったの。
 この気持ちを噛み締めれば、どんなことにも耐えられる、そんな自信が沸いてくるほどに。

「いきなりノロケかい……。でも、ミカ、あんたが言うそれって友情とどこが違うのよ」

 由実ちゃん、本当に辛辣だ。ちょっと持ち直したわたしの心がまたぎくりと硬直する。

「ぜんぜん違う。タユミだって、仲いい男全員にキスしたいハグしたいって思わないでしょ」
「あー、やめやめ、なんか生々しくなってきたし。キャパオーバーです!
 もーなんなのよー、報告もなく別れたりくっついたり。寂しいじゃん、私だけ置いてけぼりなんて。……こうやってどんどん離れていっちゃうの、ふたりとも」
「えっやだタユミなに泣いてんの?! マリッジブルーか? あんなにノロケといて」
「ほ、本当は引っ越したくないもんっ、友達いない土地だし、新居建てたのにババアと同居だよ?! なんだそれって感じでしょ?! 不安しかないのに、ミカもサツキもいないんだよ。ちくしょー二人だけずるい仲良くしてっ」

 涙声の絶叫のあと、がたんごとんと派手な音がして「今夜は吐くまで飲む」なんて物騒な雄叫びが聞こえ、流石にわたしは部屋に踏み込んだ。
 自力で帰れる程度にしてもらわないと、色々困る。

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