阿部師成

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鵜 3

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 ホスト倶楽部〈ゴールデン・ボンバイエ〉には客がまばらに席を埋めていた。ここに招かれた意図を薄々勘付いたアスカがかぶりを振った。
「無理ムリ。なんでアタシがピンドンいれなきゃいけないのぉ?」
 鼻の穴を拡げアスカが不機嫌に顔を背けた。
「なっ。頼むよ。マジで」
 ワタルは両手を合わせて催促した。
「今月ノルマにぜんぜん届かなくてさ」
 ワタルの薄笑いにアスカは全く乗らなかった。。むしろ盗み見たアスカの横顔は河豚《ふぐ》のように膨れ上がっている。
「はぁ? だから呼んだわけ?」
「そういうわけじゃないよ」
 ワタルの目を覗き込んだアスカが冷たく睨んだ。
「ぜーったいそうでしょ!  ちょー失敬だし。おかわりちょーだい!」
 アスカは荒く手に取ったグラスの残り酒を飲み干した。

 いまや舞寺ワタルが月末になるとホスト倶楽部〈ゴールデン・ボンバイエ〉にヘルプとして働くのも珍しくなくなった。ポン引き稼業で課せられた呼び込みの数字が達成できないと不機嫌に煙草を加えたムトウに手招きされてこの店のヘルプに回される。
 別のもう一軒のキャバクラと箱を共有する弱小なホスト倶楽部〈ゴールデン・ボンバイエ〉は、深夜のキャバクラが終わると明け方に営業を開始する。景気の低迷からこの手の二毛作店営業で店舗コストを削減するホスト倶楽部が急激に増えた。つまりショボいホスト倶楽部が生き残る苦肉の策でもあった。
 ノルマを達成できない月は決まってこの店で追い込み営業の埋め合わせを強いられる。
 保証の効かない水商売。友人の情だろうが金に代わる仕事なら何でもやらなきゃいけない。夜の仕事に身を捧げるとはそういうことだった。
 
 実際のところホスト倶楽部とは謳っているが、顔もノリも下品なこの店はションベンホストの溜まり場と陰口を叩かれていた。いわゆるA級ホストとは違ってこの店のホストは顔もイマイチで、その上喋りも垢抜けない見劣りする連中ばかりというわけだ。安価なボーイズバーに近い分だけボトルを入れてもらわないと稼げない。客が入れた酒をラッパ飲みして浴びるように消費する。ピンドンなら一本八万円でそのうち半分の四万がワタルのノルマに還元される。
 川崎のピンサロに務めるアスカなら入れてくれるとたかを踏んでいた。
「おかわり……だけどさ。何か入れないと注げないよ」
 空っぽになったグラスを掲げながらワタルはすがるような視線を向けた。
「ワタルにそんな目をされると困っちゃうわよ」
 アスカは指でテーブルの上の水滴をなぞった。アスカが自分に好意を抱いてるのはわかっている。
「アスカ頼む! 俺をたすけるつもりで」
「今月はちょっと厳しいんだよね。友達とグァムいくしぃ。弟の学費も入れないと……ほらアタシの弟ってまだ高校生だから」
 彼女とはポン引きの合間のナンパで知り合った。建前は友人同士だが、地方から出てきたばかり彼女は淋しかったのかもしれない。アスカの純粋な気持ちは直ぐに汲みとれた。雪国の勤勉な血がピンサロの汗臭い肉棒を咥える重労働を苦とさせないことをワタルは最近知った。派手な外見によらずよく働く女で相当なキャッシュを保持している。
「ヴーヴでいいからさ!」
 両手を合わせてワタルは拝んだ。ピンクのドンペリよりランクの低いヴーヴ・クリコ、少し躊躇《ちゅうちょ》した後にアスカは「それなら……」と頷いた。
「ヴーヴいっちょう入りましたっ!」
 憐れむようなアスカの視線が刺さる。雲がかりそうな心をワタルは無視した。

 くわえ煙草のムトウが店の外から誰かを捜していた。刃物のように鋭い視線と目が合いワタルは自分を捜していると悟った。ムトウが人差し指をクイっと曲げた。犬のように染み付いた服従心がワタルの身体を勝手にムトウの元へ動かした。
「舞寺。オメェ、この仕事はじめて何年目だ?」
 回転椅子に腰掛けたムトウは時折にクルリと回ってキツイ視線を浴びせてきた。
「数えてないっす……」
「俺の知ってる限りでも五年はやってるよな?」
「まあそれ以上は……」
 恫喝まがいのムトウの詰問。判で押したようにワタルは頷くことしかできない。
「ノルマの期日を知らねえはずがねえよな?」
「頑張ります……」
「あと三日しかねえのに、女に安酒しか入れさせねえってどういうこった?」
「スミマセン……」
「テメェもうノルマこなすの無理じゃねえか!」
「ハイ……」
「ハイじゃねぇんだよ!」
「無理っす」
「開き直ってんか? コォラ!」
 ムトウはデスクを蹴り飛ばした。謝るしかなかった。ワタルの額にムトウの投げつけた柿ピーが何度も当たった。ペチペチと情けない音が鳴った。侮辱的なムトウの挑発にも慣れた。いや感じなくなっただけかもしれない。粘膜を弄られるようなヒリヒリとした心痛はいつしか何も感じることはなくなった。
 シビれを切らすように「着いて来い」とムトウが席をたった。黙って後を追いエレベーターに同乗するとムトウは意外にも上の階を押した。
 エレベーターは七階で停まった。このフロアには関内で一番客の入るホスト倶楽部が〈ファントム〉がある。ワタルが手伝うショボいホスト倶楽部とは一線を画す横浜でも有数な勝ち組ホスト倶楽部だ。店舗のドア周りを埋める欄の花。送りつけられる華の種類もワタルのボーイズバーとはだいぶ違った。
 まさしく最上階から見下ろすように営業していた。
 
 妖艶な香水が鼻をつく店内を見渡すと男女がひしめき合うように酒を交わしていた。紫煙が蔓延する中で知った顔もいる。高級官僚の田子がお気に入りの商売女を連れ、テーブルにつかせたホストに諂わせている。老いたパトロン達が若い水商売女を楽しませるのにホストを遣うのはありふれた光景だった。
「あそこにスキニーパンツのオバサンがいるだろ?」
 ムトウの差した指先の向こうに肥えた中年女性がホストに酒を注がれていた。四十代後半といったところだろう。水玉柄が楕円形に伸びほど窮屈すぎるスキニーパンツだったが本人は気に留める様子はない。歳の割に若作りの印象は否めない格好ではあった。虫の居所が悪いのか、険しい顔つきで他のホストを物色していた。
「あのオバサンはな。大昔、桜木町の染物屋の娘として産まれた。まだあそこらへんは米軍が占領をして周囲に何もなかったんだ」
 煙草を持ちながら手振りを交えて説明するムトウが何を言わんとしてるのか巡らした。だが全く検討はつかない。ただワタルにわかったことはオバサンの顔がどことなくスターウォーズに出てくるカエルの化け物に似ていることだった。
「そのうち染物屋の工場の側に東横線が通った。用地買収に引っかかったんだ。目の前に駅ができることになったんだな。考えれば道理に適ってる。染物工場は匂いがすごいからな。周囲に家はなかった。その分土地が安かったというわけさ。安い土地を買って鉄道を通した後に高く売るんだ」
「開発ってやつですね」
 ワタルは知ったような口を聞いた。以前不動産業を営む客の受け売りだった。
「だが駅の周辺には家やら店が密集するわけだ。そうなると染物屋の匂いで苦情がでてくる。後から引越してきた奴らにも頭を下げなきゃならない。時代なんだなよな。もう辞めるしかなかった。そこで彼女は土地を手放す代わりに不動産屋の株を譲って貰ったのさ。今は何が建ってると思う?」
「さあ? サッパリ」
 ワタルの苦笑いにムトウは呆れ顔で腕を精一杯高く伸ばした。
「タワーマンションだよ。しかも不動産屋の株は当時の百倍近く鳴ってる」
「百倍……ですか?」
 ふっくらと肥えたオバサンの横顔をワタルは再度盗み見た。確かに良い物を喰っている証しに肌つやが良い。スキニーパンツが大阪のおばちゃんのスパッツに見えるところもなんだかんだ金の臭いがする。
「そこら辺の金持ちじゃねえ。つまりだ。ビルのオーナーみたいな者なんだよ。金は唸るほどある。それがわかるよな?」
 覗き込んでくるムトウにワタルは動揺の色を隠せなかった。ムトウが犬に指図するようにオバサンを指差した。
「あのババアとやってこい!」
 やってこい! その言葉を理解するのにだいぶ長い時間がかかった。

 肉が波打っている。ワタルが腰を突くたびに牛のような呻き声が狭い空間に響いた。便器に四つん這いになったオバサンは後ろからせがんできた。掴んでいるのが胸であるのか二段腹なのかわからないほど酔っていた。振り向きざまに舌を入れてきたオバサンのザリガニのような口臭に息を止めながら舌を絡めた。吐き気が定期的に襲ってくるのに耐えながらワタルは果てた。
 ワタルはトイレから出ると洗面器に顔を埋めた。酸っぱい臭いが鼻腔に垂れ込んできた。夕飯のラーメンのカスが胃液と混ざりあい不快さが増した。耐え切れずに喉に指を突っ込みワタルはもう一度嘔吐した。
 洗面器の鏡に写りこんだオバサンは化粧をほどほどに治していた。生気を漲《みなぎ》らした風呂上がりのような顔色に先ほどの機嫌の悪さはなかった。
「まだ女の扱いがなっちゃいないわね」
「スミマセン……」
 オバサンはパイソン柄のポーチに化粧道具をしまうと卑下しながら溜息をついた。
「まあ、若いからしかたないけど」
 そういってワタルの胸ポケットに札を二枚滑り込ませた。
「スッキリしたわ。またヨロシクね」
 オバサンがトイレから出た後、ワタルはしばらく鏡に写る自分の顔を見た。蒼白した血の気の失せた顔色はまるで亡霊が立っているようだった。生気を吸いとったように男を喰うオバサンはもしかしたら妖怪だと思った。
「相変わらず死んでるねぇ」
 入れ違いに洗面台の鏡に映ったの嘔吐に苦しむ同級生をニヤついて眺める男だった。
「達郎……か」
 朦朧《もうろう》とする意識の中で応えた。達郎はファントムで働く幼なじみだった。腕っぷしも強く人望にも厚く、女にもてた。夜の仕事を続ける知り合いでも勝ち組だった。以前まで長かった髪をバッサリと切っていた。
「ノルマの挽回できたか?」
「うるせぇ」
 ワタルの返しに達郎は苦笑いした。なぜここにワタルが来ているのか全てお見通しなのだろう。
「栗川のババアの相手とはワタルも大変だな」
 いつもの卑下した言い方だった。だが不思議にも嫌味を感じられないのは昔からの付き合いせいかもしれない。
「栗川? あのオバサンのことか。有名らしいな」
「新人ホストを片っ端から喰いあげてる。変態ババアだよ」
「だが金を持ってる……だろ」
「俺の大事なお客さんだよ。客といっても今の仕事じゃねえ。俺は近々ホストを辞める」
「ホストを……辞める?……嘘だろ?」
「何でそう思うんだ?」
「だってお前は上手くいってるじゃねえか。ファントムでも売れっ子なのに」
「ばっか。こんな仕事いつまでできるんだよ?」
「考えたことないな。今はただがむしゃらに走ってるだけさ」 
「お前も俺もな、歳を取れば腹がでる。そんなオッサンになってもまだこの仕事で食っていけるわけがないだろ」
 達郎の口からホスト業に見切りをつける発言にワタルは反応できなかった。ほんの前までホストのプライドを熱く語っていたのを覚えている。
 ワタルの肩を達郎はポンっと叩いた。背の高い達郎が見下すようにつぶやいた。 
「脂ののってるうちにパイプ作ってさっさと辞めねえとな。ワタル。お前も早く男としてやりたいことを見つけろ」
「やりたい……ことか」
 つい溜め息が漏れた。どいつもこいつも。焦りだけが募る。
「イタオも同じこと言ってたな」
「あんな奴と一緒にするな。俺はな。不動産REITってのを始めるんだ」
「不動産リート?」
「夜の仕事してると半端ない金を持ってる奴と知り合うだろ。結局金の行き場は女、酒、ドラッグだ。だから俺らみたいな商売は怪しい金持ちと知り合うのに事欠かない」
 獲物を狙うような猛獣のような顔でいった。
「それを利用してやるんだ。私募のファンドで金を集めて不動産に投資するんだ」
「金を達郎に預けるのか?」
「怪しいってのか?」
 ワタルは内心ホッとした。俺らみたいな人間に金を預ける人間などいないと自信を持って言える。
「俺らの姿を見ろよ」
 ワタルは鏡を指差した。夜の水商売にドップリと身を沈めた二人の男。こんな奴らに命の次に大事な金を預けるわけがない。
「かなり胡散臭いな」
 達郎も認めたようだった。ワタルも蒼白い顔に薄い笑いを浮かべた。
「そんな簡単に人間変われるもんじゃないぜ」
 焦りなのかもしれない。達郎のやりたいことを否定する気はない。ただ周りから仲間が消えていくのが怖かった。
「金の渦巻くとこに怪しい輩はつきもんだぜ」
 自虐的な笑いが洗面所に響く。だが達郎の目は自信に漲っていた。
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