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32 お忍び歩き(サーシャ王女)
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地方から王都にやってくる妃候補たちには王宮内に部屋が用意される。
ほんの数日とはいえ、夢に見た王宮暮らしができる訳だが、さすがに一週間も前から乗り込んで生活をしていては図々しいと噂されてしまう。
そのため互いを牽制しあって、ほとんどの候補者たちが三日前に到着したのだった。
妃候補たちの客室から遠く離れた南東の角にあるサーシャ王女の部屋では、侍女がその身支度をしていた。
「候補の令嬢方は、昨夜のうちに皆様到着されたようです」
侍女がサーシャの髪をとかしながら報告した。
「じゃあ、明日と明後日は公式行事があるから、街歩きを楽しむなら今日が最後になる訳ね」
妃に選ばれなかった者が婚約披露パーティーの後も王都に残るのは、はしたないこととされている。
「はい。午前中からお出かけなさる方もいらっしゃいましたよ。お忍び用のドレスを皆様持参されているようですから。マントの下から見え隠れするドレスにも、こだわりがおありのようです」
鏡に映るサーシャの金髪は頭頂部で膨らまされて、櫛形の髪飾りがつけられている。
いつもは高めの位置でアップにしているのだが、今日はあどけなさを全面に出して髪をおろすことにしたのだ。
「いい出来ね。これなら田舎出の貴族令嬢っぽいんじゃない」
いつもより地味なデザインの細身のシルエットの黄色いドレスを着て、その上から白いローブを羽織る。
「うん。完璧!」
サーシャは姿見の前に立ち、後ろ姿をチェックして満足げな笑顔を見せた。
「あのう――サーシャ様。本当によろしいのですか? せめて妃殿下には申し上げて――」
「そんなのダメよ! 絶対に許してもらえないわ。それに出かけるったって、宮殿の前の広場じゃない」
「ですが――」
これ以上の口答えはサーシャの機嫌を悪くしてしまう。侍女は口籠った。
サーシャは王都の治安が日増しに悪化していることを知らないのだ。
「近衛兵たちは宮殿に集められておりますし。せめて城の使用人たちを数名お連れになられてはいかがでしょう」
「ばっかじゃない。そんなことをすれば、すぐにお母様の耳に入るわよ」
「ですがいくらなんでも侍女一人だけというのは――」
「あなたが行きたくないのなら他の子を連れ行くだけよ」
「ああ、いいえ。そんな。行きたくないなどとは言っておりません」
侍女は慌てて言い繕って頬を赤らめた。
サーシャに同行して街歩きをすることが楽しくないはずがなかった。
王都は今、街中が活気に溢れ誰も彼もが浮かれてはしゃいでいる。
数十年に一度のお祭り騒ぎの真っ最中なのだ。
「もう、どっちなの? 行きたいの? 行きたくないの?」
「い、行きたいです。はい。お供させていただきます」
「じゃ、出かけましょう」
サーシャは王妃の許可をもらうことなく、侍女を一人だけ連れて宮殿を抜け出した。
昼の盛りはとっくに過ぎており、お茶を楽しんでいる幸せそうな人々の顔が、街の至るところにあふれていた。
「わあ、かわいい。見て、あのお菓子」
サーシャは、ウインドウに並べられているパステルカラーの焼き菓子に目が釘付けになったかと思うと、
「ええーっ! あんな裾の短いドレスを着るの?!」
「わあ。あの細い羽ペン。書きやすそう」
などと、店から店へと飛び回り、次々と目移りをしていた。
「あのカフェ満席だなあ。ティーカップがどれもおしゃれなんだけど。それに、あのマフィンにスコーン! ジャムも五種類並んでいるわ! 本当に美味しそう」
「サーシャ様。さすがにあのようなところでお召し上がりになるのは――」
どんな材料を使って誰が作ったのかもわからないのだ。
王族にとっては宮殿の外のものは全て「得体の知れない物」となる。
そのようなものを王女の口に入れる訳にはいかない。
侍女はサーシャが駄々をこねる前に控えめに釘をさしたのだ。
「分かっている。ちょっと見ているだけじゃない」
サーシャはそう言うと隣の店に移動した。なおも目についたものに飛びついては興奮している。
そんなサーシャだったが、人物画をたくさん展示している店の前に立つと、少し寂しげな表情を見せた。
王子たちはお抱えの画家に何枚も肖像画を描いてもらっているのに、サーシャは一枚も描いてもらったことがないのだ。
父親にせがんだが、結局、首を縦に振ってはもらえなかった。いずれ宮殿を出て他家の人間となる身だからと。
サーシャは店先の品々に、侍女はサーシャにだけ目がいっているため、そんな二人を付け狙う者たちに、これっぽっちも気が付いてはいなかった。
近くで怪しい動きを感知したのはロイドだけだった。
(おやおや。またぞろ出ましたね。あそこにも世間知らずのお忍びローブがいます。そして先程と同じような輩が――またしても三人ですか。令嬢を襲うフォーメーションでもあるのでしょうか)
令嬢の顔は、はっきりとは見えないが、そのいでたちと行動はお忍び歩きの令嬢たちのパターンに当てはまる。
ロイドの警護対象であるイースは馬具の展示に見入っている。
ドローンはイース以外の者――マルクやミッチェルはイースと同等にしてある――の窮地に関しては無関心だ。
ロイドがそのように設定した。
はしゃぎ回っている世間知らずの白ローブは、周囲を伺うことなく自分の興味のあるものだけを追いかけている。
(あー。これは捕まりますね)
ロイドの予測した通り、男二人がターゲットの女性たちの後ろにピッタリと立った。
そして周囲を窺うと、あっという間に女性二人の口を塞いで細い通りの方に引きずっていく。
女性たちは悲鳴の一つも上げられなかった。どうやら誰も気が付かなかったらしい。
大勢の人間たちは、自分の関心のあるものしか見ていないのだ。
「どうした? 何を見ているんだ?」
イースが店先から離れてロイドの側に来た。
「ええとですね」
イースがロイドの視線の先を辿った。
「なんだあれ。おい! 何してるんだ! 行くぞ!」
「え? 行くのですか?」
ロイドに返事をすることなくイースは駆け出していった。
(まあ、そうなるのでしょうね。礼儀というよりは、元近衛師団長の教育の賜物というところでしょうか)
イースが男たちに追いつき背後から怒鳴りつけた。
「お前ら! 何をしているんだ!」
三人の男が一斉に振り返った。
両手の空いている男がイースに殴りかかってきたので、ロイドが飛び出してその男の腕を強く掴んだ。
「痛っ!」
(おっと。頑丈そうに見えるのに、なんて脆いのでしょう。もう少しで骨を折ってしまうところでした)
ドローンの情報からはこちらの細い通りを伺う者はいない。
ロイドは安心してドレスの裾をたくし上げ、男の顎を撫でるように下から蹴り上げた。
勢いをつけて首の骨を折らないように、そうっと蹴ったのだが、相手は失神してしまったらしい。
ロイドは心臓が停止していないことを確かめると、二人目に取り掛かった。
侍女は驚いて目を見開いている。
口を塞いでいる男の手を剥がそうと両手で引っ掻いているが、男にはまるで通じていない。
ロイドがその男の両手首を軽く握って、侍女の体から離した。
ロイドと男の手で輪を作った形になったので、侍女は屈んで輪の外に出た。
ロイドはそのまま男を壁にぶつけた。
背中を強打した男が無様に地面に崩れ落ちるのを見届ける前に、三人目の男へと向かった。
「サーシャ――お嬢様!」
自由になった侍女が、サーシャを捕まえている男の方を見た時には、男は鼻血を噴き出しながら仰向けに倒れていた。
男の腕から逃れたサーシャは弾みでよろけている。
「危ない!」
侍女が大きな声で叫ぶ。イースがとっさにサーシャを抱きとめた。二人の顔が触れ合わんばかりに近付く。
イースが瞬きすると、その長いまつ毛がサーシャの額をふわりと撫でた。
イースの肩越しに見える令嬢の顔の面積は、片目を含む二十二.七六パーセント。ロイドの顔認識が可能な数値だ。
(おやおや。その顔は――。どうして王女様がこんなところで、貴族の令嬢の真似事をされているのですかね)
サーシャは束の間、自分の身に起きたことを忘れた。
彼女を抱きとめたイースの青い瞳に見惚れてしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
イースがサーシャの顔を覗き込み、心配そうに尋ねた。
「は、はい。ありがとうございます。本当になんとお礼を申し上げたらよいのか」
サーシャは反射的に答えながらも、視線はイースから一ミリも外さない。
サーシャを立たせるとイースは手を離した。
サーシャの瞳には、自分と同じくらいの年の、同じくらいの背丈の美少年が、心配そうに気遣う姿が映っている。
ロイドがサーシャを夢うつつの状態から現実世界へと引き戻した。
「大丈夫ではありませんね。バイタルが乱れています。心拍数の上昇が異常です。体温も上昇を始めました」
イースしか見えていなかったサーシャは驚いた。
突然現れた美しい少女が横から口を挟んでいるのだ。
「へ? ええっ?」
サーシャの思考能力が戻る前に、イースが侍女に声をかけた。
「女性二人だけなのですか? いったんお戻りになって、従者を数名伴われた方がよろしいのでは?」
「は、はい。そういたします」
侍女までイースにぽうっとなっている。
「行くぞ」
連れに声をかけて立ち去ろうとするイースを、サーシャが慌てて引き留めた。
「お、お待ちください。お名前を。お名前を伺っても? 是非、お礼をさせてください」
「別にお礼なんて。それより早く大通りに戻った方がいいですよ」
背を向けたイースに口答えできないサーシャ。
「――お、お嬢様。さ。お早くお戻りを」
「え、ええ。でもあの方のお名前を。やっぱりちゃんと聞いておかなくっちゃ。追いかけましょう!」
イースを追いかけようとしたサーシャを、侍女が慌てて制する。
「なりません! 早く宮殿にお戻りを。こんな目にあったというのに。私は生きた心地がしませんでした。もう、なんとお詫びしたらよいのやら――」
「ばかね。あなたが勝手にお詫びしちゃうと、私まで叱られるのよ! 絶対に報告しないと誓いなさい!」
「え? で、でも」
「誓いなさい!」
「は、はい。誓います。誓います!」
「もう。それよりどちらの家の方かしら。明日の闘技大会に参加される方なら嬉しいのだけれど――。また会えるかしら……」
サーシャは急いで大通りに戻り、イースの後ろ姿を目で追いかけた。
その背中が人混みに消えてしまうまで、ずっと目が離せなかった。
ほんの数日とはいえ、夢に見た王宮暮らしができる訳だが、さすがに一週間も前から乗り込んで生活をしていては図々しいと噂されてしまう。
そのため互いを牽制しあって、ほとんどの候補者たちが三日前に到着したのだった。
妃候補たちの客室から遠く離れた南東の角にあるサーシャ王女の部屋では、侍女がその身支度をしていた。
「候補の令嬢方は、昨夜のうちに皆様到着されたようです」
侍女がサーシャの髪をとかしながら報告した。
「じゃあ、明日と明後日は公式行事があるから、街歩きを楽しむなら今日が最後になる訳ね」
妃に選ばれなかった者が婚約披露パーティーの後も王都に残るのは、はしたないこととされている。
「はい。午前中からお出かけなさる方もいらっしゃいましたよ。お忍び用のドレスを皆様持参されているようですから。マントの下から見え隠れするドレスにも、こだわりがおありのようです」
鏡に映るサーシャの金髪は頭頂部で膨らまされて、櫛形の髪飾りがつけられている。
いつもは高めの位置でアップにしているのだが、今日はあどけなさを全面に出して髪をおろすことにしたのだ。
「いい出来ね。これなら田舎出の貴族令嬢っぽいんじゃない」
いつもより地味なデザインの細身のシルエットの黄色いドレスを着て、その上から白いローブを羽織る。
「うん。完璧!」
サーシャは姿見の前に立ち、後ろ姿をチェックして満足げな笑顔を見せた。
「あのう――サーシャ様。本当によろしいのですか? せめて妃殿下には申し上げて――」
「そんなのダメよ! 絶対に許してもらえないわ。それに出かけるったって、宮殿の前の広場じゃない」
「ですが――」
これ以上の口答えはサーシャの機嫌を悪くしてしまう。侍女は口籠った。
サーシャは王都の治安が日増しに悪化していることを知らないのだ。
「近衛兵たちは宮殿に集められておりますし。せめて城の使用人たちを数名お連れになられてはいかがでしょう」
「ばっかじゃない。そんなことをすれば、すぐにお母様の耳に入るわよ」
「ですがいくらなんでも侍女一人だけというのは――」
「あなたが行きたくないのなら他の子を連れ行くだけよ」
「ああ、いいえ。そんな。行きたくないなどとは言っておりません」
侍女は慌てて言い繕って頬を赤らめた。
サーシャに同行して街歩きをすることが楽しくないはずがなかった。
王都は今、街中が活気に溢れ誰も彼もが浮かれてはしゃいでいる。
数十年に一度のお祭り騒ぎの真っ最中なのだ。
「もう、どっちなの? 行きたいの? 行きたくないの?」
「い、行きたいです。はい。お供させていただきます」
「じゃ、出かけましょう」
サーシャは王妃の許可をもらうことなく、侍女を一人だけ連れて宮殿を抜け出した。
昼の盛りはとっくに過ぎており、お茶を楽しんでいる幸せそうな人々の顔が、街の至るところにあふれていた。
「わあ、かわいい。見て、あのお菓子」
サーシャは、ウインドウに並べられているパステルカラーの焼き菓子に目が釘付けになったかと思うと、
「ええーっ! あんな裾の短いドレスを着るの?!」
「わあ。あの細い羽ペン。書きやすそう」
などと、店から店へと飛び回り、次々と目移りをしていた。
「あのカフェ満席だなあ。ティーカップがどれもおしゃれなんだけど。それに、あのマフィンにスコーン! ジャムも五種類並んでいるわ! 本当に美味しそう」
「サーシャ様。さすがにあのようなところでお召し上がりになるのは――」
どんな材料を使って誰が作ったのかもわからないのだ。
王族にとっては宮殿の外のものは全て「得体の知れない物」となる。
そのようなものを王女の口に入れる訳にはいかない。
侍女はサーシャが駄々をこねる前に控えめに釘をさしたのだ。
「分かっている。ちょっと見ているだけじゃない」
サーシャはそう言うと隣の店に移動した。なおも目についたものに飛びついては興奮している。
そんなサーシャだったが、人物画をたくさん展示している店の前に立つと、少し寂しげな表情を見せた。
王子たちはお抱えの画家に何枚も肖像画を描いてもらっているのに、サーシャは一枚も描いてもらったことがないのだ。
父親にせがんだが、結局、首を縦に振ってはもらえなかった。いずれ宮殿を出て他家の人間となる身だからと。
サーシャは店先の品々に、侍女はサーシャにだけ目がいっているため、そんな二人を付け狙う者たちに、これっぽっちも気が付いてはいなかった。
近くで怪しい動きを感知したのはロイドだけだった。
(おやおや。またぞろ出ましたね。あそこにも世間知らずのお忍びローブがいます。そして先程と同じような輩が――またしても三人ですか。令嬢を襲うフォーメーションでもあるのでしょうか)
令嬢の顔は、はっきりとは見えないが、そのいでたちと行動はお忍び歩きの令嬢たちのパターンに当てはまる。
ロイドの警護対象であるイースは馬具の展示に見入っている。
ドローンはイース以外の者――マルクやミッチェルはイースと同等にしてある――の窮地に関しては無関心だ。
ロイドがそのように設定した。
はしゃぎ回っている世間知らずの白ローブは、周囲を伺うことなく自分の興味のあるものだけを追いかけている。
(あー。これは捕まりますね)
ロイドの予測した通り、男二人がターゲットの女性たちの後ろにピッタリと立った。
そして周囲を窺うと、あっという間に女性二人の口を塞いで細い通りの方に引きずっていく。
女性たちは悲鳴の一つも上げられなかった。どうやら誰も気が付かなかったらしい。
大勢の人間たちは、自分の関心のあるものしか見ていないのだ。
「どうした? 何を見ているんだ?」
イースが店先から離れてロイドの側に来た。
「ええとですね」
イースがロイドの視線の先を辿った。
「なんだあれ。おい! 何してるんだ! 行くぞ!」
「え? 行くのですか?」
ロイドに返事をすることなくイースは駆け出していった。
(まあ、そうなるのでしょうね。礼儀というよりは、元近衛師団長の教育の賜物というところでしょうか)
イースが男たちに追いつき背後から怒鳴りつけた。
「お前ら! 何をしているんだ!」
三人の男が一斉に振り返った。
両手の空いている男がイースに殴りかかってきたので、ロイドが飛び出してその男の腕を強く掴んだ。
「痛っ!」
(おっと。頑丈そうに見えるのに、なんて脆いのでしょう。もう少しで骨を折ってしまうところでした)
ドローンの情報からはこちらの細い通りを伺う者はいない。
ロイドは安心してドレスの裾をたくし上げ、男の顎を撫でるように下から蹴り上げた。
勢いをつけて首の骨を折らないように、そうっと蹴ったのだが、相手は失神してしまったらしい。
ロイドは心臓が停止していないことを確かめると、二人目に取り掛かった。
侍女は驚いて目を見開いている。
口を塞いでいる男の手を剥がそうと両手で引っ掻いているが、男にはまるで通じていない。
ロイドがその男の両手首を軽く握って、侍女の体から離した。
ロイドと男の手で輪を作った形になったので、侍女は屈んで輪の外に出た。
ロイドはそのまま男を壁にぶつけた。
背中を強打した男が無様に地面に崩れ落ちるのを見届ける前に、三人目の男へと向かった。
「サーシャ――お嬢様!」
自由になった侍女が、サーシャを捕まえている男の方を見た時には、男は鼻血を噴き出しながら仰向けに倒れていた。
男の腕から逃れたサーシャは弾みでよろけている。
「危ない!」
侍女が大きな声で叫ぶ。イースがとっさにサーシャを抱きとめた。二人の顔が触れ合わんばかりに近付く。
イースが瞬きすると、その長いまつ毛がサーシャの額をふわりと撫でた。
イースの肩越しに見える令嬢の顔の面積は、片目を含む二十二.七六パーセント。ロイドの顔認識が可能な数値だ。
(おやおや。その顔は――。どうして王女様がこんなところで、貴族の令嬢の真似事をされているのですかね)
サーシャは束の間、自分の身に起きたことを忘れた。
彼女を抱きとめたイースの青い瞳に見惚れてしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
イースがサーシャの顔を覗き込み、心配そうに尋ねた。
「は、はい。ありがとうございます。本当になんとお礼を申し上げたらよいのか」
サーシャは反射的に答えながらも、視線はイースから一ミリも外さない。
サーシャを立たせるとイースは手を離した。
サーシャの瞳には、自分と同じくらいの年の、同じくらいの背丈の美少年が、心配そうに気遣う姿が映っている。
ロイドがサーシャを夢うつつの状態から現実世界へと引き戻した。
「大丈夫ではありませんね。バイタルが乱れています。心拍数の上昇が異常です。体温も上昇を始めました」
イースしか見えていなかったサーシャは驚いた。
突然現れた美しい少女が横から口を挟んでいるのだ。
「へ? ええっ?」
サーシャの思考能力が戻る前に、イースが侍女に声をかけた。
「女性二人だけなのですか? いったんお戻りになって、従者を数名伴われた方がよろしいのでは?」
「は、はい。そういたします」
侍女までイースにぽうっとなっている。
「行くぞ」
連れに声をかけて立ち去ろうとするイースを、サーシャが慌てて引き留めた。
「お、お待ちください。お名前を。お名前を伺っても? 是非、お礼をさせてください」
「別にお礼なんて。それより早く大通りに戻った方がいいですよ」
背を向けたイースに口答えできないサーシャ。
「――お、お嬢様。さ。お早くお戻りを」
「え、ええ。でもあの方のお名前を。やっぱりちゃんと聞いておかなくっちゃ。追いかけましょう!」
イースを追いかけようとしたサーシャを、侍女が慌てて制する。
「なりません! 早く宮殿にお戻りを。こんな目にあったというのに。私は生きた心地がしませんでした。もう、なんとお詫びしたらよいのやら――」
「ばかね。あなたが勝手にお詫びしちゃうと、私まで叱られるのよ! 絶対に報告しないと誓いなさい!」
「え? で、でも」
「誓いなさい!」
「は、はい。誓います。誓います!」
「もう。それよりどちらの家の方かしら。明日の闘技大会に参加される方なら嬉しいのだけれど――。また会えるかしら……」
サーシャは急いで大通りに戻り、イースの後ろ姿を目で追いかけた。
その背中が人混みに消えてしまうまで、ずっと目が離せなかった。
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