アルパラナ城外のならず者

岡智 みみか

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第1章

第1話

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 まだ草木の上に残る滴に、朝日がキラキラと反射している。
ここはアシオスの街外れ。
あぜ道の向こうに大草原が広がるり、昨日一日降り続いた雨は、黄土色に広がるアシオスの街をしっとりと濡らしていた。
そんな街の中心には、天高くアルパラナ城がそびえる。

「んんー! いい天気!」

 私は大きく息を吸い込むと、思いっきり体を伸ばした。
ようやく晴れた今日は、絶好の洗濯日和だ。
籠一杯に詰め込まれた衣類の山を持ち上げると、雑貨屋を営む店の裏へと向かう。

「おはよう、フィローネ。今朝も早いね」
「おはようトリノ。開店前に、お洗濯だけ先にやっちゃうね」

 抱え込んでいた洗濯物を大きなタライに放り込むと、すぐ目の前にある共同の井戸から汲んだ水をその上に注ぎ込む。
さらさらとシボンの実の粉を入れ、鼻歌を歌いながら足で踏み始めた。

 六年前の冬、十歳の私はこの家にやってきた。
実の両親のことは知らない。
孤児院で育った私を、ある日訪ねてきたトリノ夫妻が引き取った。
アシオスのバザーで働くオレンジ色の髪と目をした小さな私を見かけて、気にかけてくれたらしい。
以来ここに引き取られ、子供の出来なかった二人に私は実の子のように迎え入れられ、接してもらっている。
私もこの二人が大好きだし、この家に来られたことを感謝している。

 洗い終わった衣服を絞り器にかけると、それらをピンと張ったロープの上に広げた。
白壁に緑の三角屋根の雑貨屋周囲には、薬やお茶になる草花が植えられている。
キッチンの小窓から、カミラが顔を出した。

「朝ごはんの準備が出来たわよ。フィローネも戻ってらっしゃい」

 トリノ夫妻と並んで食べる朝食は、とても楽しい時間だった。
焼きたてのパンと昨日の残り物のシチュー、薄切りのチーズが並んだ食卓には、庭で摘んだ花が生けてある。
トリノの雑貨屋はとても小さなお店だ。
私なんかを引き取って手伝わすより、いつも仕事を手伝いに来てくれているエンリケと三人で切り盛りしていた方が、ずっと生活は楽だったんじゃないかと、時々不安になることもある。
二人は私に負い目を感じる必要はないといつも口を揃えるけれど、私にとって大切な問題だ。

 アルパラナの城下街であるこのアシオスは、同じ城下街でありながら貴族たちの多く住むエストメラや、官庁街であるアダハラと比べ、多くの貧しい市民たちが身を寄せ合って暮らしていた。

 ここ最近はようやく落ち着いてきたものの、数年前からこの国は政情が不安定だ。
かつては内乱も絶えず、私のような孤児も珍しくはない。
昨日まで普通に渡れた橋に通行税がかかったかと思えば、翌日にはその橋が跡形もなく破壊され消え去ってしまう。
家をなくした人々の姿はいつも近くにあり、暴力や争いには慣れたものだ。
右腕のない者、片足のない者、私のような身元も分からない孤児でも、このアシオスの街はひっそりと受け入れてくれる。

 そんな日常の中でも、ここから遠く仰ぎ見るアルパラナ城は、摩天楼のように黄土色の城壁を賑やかな街並みの上に浮かべていた。

「パン屋のテレサ、もうすっかり体調はよくなったそうよ」
「彼女は天気が悪いと、頭痛がでるたちだから」
「昔の事をどうしても思い出しちゃうのよ。嫌なことをね。だけど昨日お薬を届けに行ってきたし。今朝のパンを買いに行った時にも様子を聞いたのよ。もう大丈夫だって」

 トリノ夫妻の朝食は、いつもご近所関連の情報交換から始まる。
私はシチューに浸したパンをほおばりながらそんな話に耳を傾けつつ、今日一日の行動計画を立てる。
店で扱う商品は食品に薬、生活小物から衣料と実に様々で、店舗の一角には簡単な喫茶コーナーも設けられていた。
常連客や近所の人たちが集まって、毎日のように小さなお茶会が開かれている。

「だったらカミラ。今日はテレサの好きなお茶を用意しておかないとね。昨日も一昨日もお店に顔を出さなかったから、きっと長く居座っておしゃべりしたいと思うの」
「そうねフィローネ。彼女のためにも、そうしてあげたいわね」
「昨日焼いたクッキーがまだ残っていたから、それを出してもいいんじゃない?」
「あら。それはいい案ね。フィローネ。あなたも一緒にお茶する?」

 カミラがこちらを見るのに合わせ、私は慌てて両手を左右に振った。

「私はいいの。今日は綺麗に晴れたんだもの。倉庫の整理をしたいから、おばさまたちの相手はカミラに任せる」
「まぁ、そんなこと言って。たまにはゆっくりしてもいいのよ?」
「ねぇトリノ。先週頼んだ薬草の入荷が遅れてない? 早いうちに挽いて粉にしておきたいのに。乾燥した天気の日が一番いいのよ。明日ならきっと出来るから、今日は早いうちにリッキーのお店に行って、入荷待ちの他の荷物も取ってこようと思うの」

 そう言った私に、トリノはいつも笑顔を絶やさないふくよかな顔をわずかに曇らせた。

「あ、あぁ。それはとてもいい考えだと思うよ、フィローネ」
「でしょ? 私もそう思う。だから荷馬車を借りてくるね。お昼前には戻ってくるようにするから」

 カミラが食事の手を止め、夫であるトリノの顔をのぞき込む。
赤く波打つ髪をまとめてお団子に結い上げているカミラがトリノに向かって小さくうなずくと、トリノは諦めたようなため息をついた。

「実は、入荷が遅れているのにはワケがあるんだ」
「ワケ? どういうこと?」
「リッキーの店に、商品が入ってこないんだって」
「え? どうして? リッキー商会といえば、このアシオス地区で一番信頼のおける卸し問屋よ。そんな大きな卸問屋に、商品が入ってこないって、どういうこと?」
「どういうことも、なにもない。ただ入荷が遅れるっていう連絡をもらっている」

 私は、白く四角い顔に頬を赤くしたトリノを見上げた。
彼は気立てよく優しいところが取り柄だけど、ちょっと優しすぎるんじゃないかと、私はいつも思っている。

「それじゃ納得いかない。入荷が遅れてるなら、ちゃんと仕入れ先に文句をいうべきじゃない? それが出来なきゃ、商売なんてやってらんないから」
「相手にも、事情ってものがあるんだよ、フィローネ」
「そんな説明で、カミラは納得してるの?」

 時々優柔不断になるトリノの背中を押すのは、いつもカミラの役目だ。

「私も納得しているのよ、フィローネ。時には相手を信じて待ってみることも大事だと思ってる」
「……。じゃあ、その納得してるっていう理由を教えて。じゃなきゃ私は納得出来ない」
「そうね、フィローネ。あなたはそういう子だったわね」

 食事を終えたカミラは、カップに注いだお茶にたっぷりの砂糖とミルクを入れると、それをスプーンでかき混ぜた。

「だけど今回だけはダメ。大人しくリッキーからの連絡を待ってちょうだい。倉庫の整理はしなくても大丈夫。いつもあなたが片付けていてくれるおかげで、きれいになってるわ。今日はお店周りの掃除が済んだら、マルコスさんのところへ注文の品を届に行ってちょうだい」

 そんな風に言われて、納得なんてなんにも出来ないけど、カミラにまでそう言われたら、私も逆らえない。
カミラは落ち着き払った様子で、朝のお茶をツンと済ませる。

「分かった。じゃあ今日は掃除が済んだら、マルコスさんの靴屋へ注文の品を届に行ってくる」
「ありがとう、フィローネ。いつも助かるわ」

 カミラは安心したようにそっと微笑むと、その隣でトリノも同じように笑みを浮かべた。
そんな二人を目の前で見せられたら、私には逆らう気力も言い返す言葉もなくしてしまう。

「もう。二人ともなんなの? 仕事がないなら、午後から遊びに行って来てもいい?」
「ふふ。いいわよ。日が暮れる前には帰ってきてね」

 朝食を終え店の前の掃き掃除を終えると、私はバスケットに注文の品を揃え配達に出掛けた。
靴屋のマルコスさんにお届けするのは、汚れ落ちのいい特殊な洗剤と縫い糸の滑りをよくするワックスだ。
石畳の通りを進み、店の前までやってくる。

「こんにちはー!」
「あ、フィローネだ」

 マルコスさんの一人息子であるメイルが、店の前で一人小石を並べ遊んでいた顔をパッと上げた。
明るい金色の髪に緑色の目が無邪気に微笑む。

「お届け物よ」
「父さんを呼んでくるね」
「うん」

 アシオスの街の大通りから、ガラス越しに店内をのぞき込む。
修理する靴を固定する台が三つ並び、縫い付けるための大きな太い針や専用のハンマー、ペンチのようなものが作業台に綺麗に並べられていた。

「お邪魔しまーす」

 そう言いながら店内に入ったものの、普段なら客の絶えない靴屋マルコスが、今日はやけに静かだ。
いつもなら修理を待つ客や、飾られている靴を品定めする客でごったがえしているのに、誰もいない。
整理整頓された空っぽの作業場を、じっくりと眺めることが出来るなんて珍しい。
ふと棚に積まれた靴の素材となるなめし革が、ほとんど残っていないことに気づいた。
店の奥から店主である黒髭のマルコスさんが顔を出す。

「おや、フィローネ。いつも悪いね」
「ううん。注文の品よ」
「ありがとう。お代はまとめて月末に払いにいくよ」
「えぇ、分かったわ」

 マルコスさんは頑固一徹の靴職人だ。
代々続くこの店を切り盛りしてきた彼は、いつも大きな声で冗談を飛ばしながら客と話す。

「ねぇ、他の職人さんたちは? 今日は仕事してないの?」

 長くこの店で勤める熟練の職人さんから若手の見習いまで、いつも賑やかな人たちであふれているのに、どこにも見当たらない。
職人不足を嘆くほど繁盛していたこの店に、今は親方のマルコスさんたった一人しかいなかった。

「あぁ、今はちょっと休暇を出していてね」

 大きな体で肩を揺すり、よく笑う冗談好きの彼が、寂しそうに小さな声でつぶやく。

「最近はどこの店も、まともにやってらんねぇからな」

 彼は長年続ける仕事で、ゴツゴツと固くなった手を伸ばした。
受け取ったワックスの白い壺の蓋をひと撫ですると、おしゃべりを続けることなく奥へ引っ込んでしまう。
静かすぎる店内に、ふと通りに目をやると、普段より人通りも少ないような気がした。
まだ幼いメイルが、私の手を握る。

「ね、フィローネはこのあと用事がある? 僕も配達についていっていい?」
「今日の配達はこれだけなの。他に行くところはないのよ。ごめんなさいね」
「トリノの雑貨屋もそうなの?」
「そうなのって?」

 私は彼に手を引かれるまま、店を後にした。

「大人たちが噂してるんだ。リッキーの店がヤバいって」
「……。そう」

 うちの店もマルコスさんの店も、同じリッキー商会を通して商品を仕入れている。
やはりおかしなことになっているのは、うちの店だけじゃなかった。

「メイルは、店のお手伝いはしなくていいの?」
「靴磨きをしようにも、いつものクリームが手に入らないんだ。だからって他のを使うわけにもいかないって、父さんが……」

 私は彼と繋いだ小さな手を、しっかりと握りしめた。

「ね、私も暇を出されてるの。ちょっと散歩してみない?」
「うん、いいよ! 僕もずっと退屈してたんだ」
「よかった。じゃあ時間ある?」
「たっぷり夕方まで空いてるよ」
「少し遠出してみちゃおっか」
「いいね」

 嬉しそうに笑う小さな青い目に、にっこりと微笑む。
行き先は決まっていた。
私はしっかりと前を見据えると、固い石畳の道を歩き始めた。
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