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第3章
第2話
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日が昇りきった道を急ぐ。
石畳の大通りは、多くの人がそれぞれにどこかへ向かって進んでいた。
みんな何かの目的で、ここから別のどこかへ向かっているのだと思うと、ちょっと不思議な気分になる。
今の私のように、特別な使命感から動いている人もいるかもしれない。
着ている服も今朝食べたであろう物だって全部違うのに、ここでこうしてすれ違っていることが奇跡みたいだ。
セリオの美しく整った顔と、くるくると巻いた黒い髪を思い浮かべる。
透き通る深いライトブルーの瞳は、これまでどんな景色を見て、どんな思いをしてきたんだろう。
私は本当の両親の顔を知らずに育ったから、父を亡くした悲しみは分からない。
だけどこうすることで、少しでも彼が前を向いて歩けるようになればいいと願う。
石畳の道はいつの間にか舗装がなくなり、大地がむき出しのあぜ道になっていた。
細い路地に入ると、人の住む建物と生活空間がごちゃごちゃと入り組んだ道になる。
家の中に入りきらなくなった家財道具が建物の壁に沿って並べられ、窓には昨日の夜から干されているのであろう洗濯物がそのままぶら下がっていた。
共同の水道では洗い桶や柄杓が重なりあったまま置かれているような、住人同士が密接して暮らしている地域で、ひっそりと営まれている評判のいい小さな診療所までやってきた。
「こんにちは。雑貨屋トリノから注文の品をお届けに来ました。フィローネです」
すっかり日に焼けて文字の色あせた看板のぶら下がる扉を叩くと、すぐに助手のライアが明るい笑顔をのぞかせた。
「フィローネ! いらっしゃい」
「久しぶりね、ライア」
彼女とは初級学校で知り合った。
上級に上がる頃には学校の合間に診療所の手伝いを始めていて、今では弟のカルロスと一緒にサムエル先生の助手として医術を学んでいる。
私たちは互いに駆け寄ると、ぎゅっと手を握りあった。
「フィローネは、まだ学校へ通っているの? もしかしたら、もう高等学校にまで進んだ?」
「まさか。上級には入れたけど、今はもうほとんど行ってない。トリノのお店を手伝っているの。ライアと一緒よ」
「そっか。私もここで勉強の毎日よ。今日はどうしたの?」
「お届け物があって来たの」
「あら、中へどうぞ」
小さな診療所は、いつもこの姉弟の手によって清潔に保たれていた。
洗濯され丁寧にシワの伸ばされたシーツがベッドにかけられ、手洗いのための金属製の手洗もピカピカに磨かれている。
「おや、フィローネ。注文の品が届いたのかい?」
サムエル先生が、ニコリと笑って顔を上げた。
くるくると回転する椅子に腰掛け、丸眼鏡をかけたサムエル先生は、机とその後ろの棚に挟まれるように座っている。
包帯や薬などの置かれた棚の前では、その横を通り抜けることさえ難しいような狭さだ。
「随分と早かったね。最近はなかなか、品物が手に入りにくいから」
「サムエル先生も、サパタ商会と取り引きを始めたの?」
「うん。他に卸しがなくなってしまったからね。うちみたいな小さな診療所は……、まぁ、たいして困りはしないけど、大きなところは随分困ってるんじゃないかな」
「それでも先生のところにだって、薬は必要でしょ?」
バスケットの底から、軟膏基剤とカバリナを取り出す。
くすんだ緑色をして乾ききった薬草を見たサムエル先生の顔に、最大級の驚きと喜びが広がった。
「カバリナじゃないか! しかもこんな立派な! どうしたの、コレ!」
「たまたまうちで手に入ったから。いつもお世話になってる先生に、どうかなって」
「凄く嬉しいよ、フィローネ!」
握手を求められ、手を握り返す。
先生は強く握りしめた私の手を、ブンブンと激しく上下に揺り動かした。
「いやー。本当に嬉しいよ! 感動ものだ! トリノさんの目利きなら、品質は確かだからね、安心して使えるよ。早速だけど、その立派なカバリナの香りを味わってもいい?」
「もちろん」
乾燥したカバリナを手渡す。
受け取った先生は目を閉じると、それに顔を近づけゆっくりと匂いをかいだ。
「あぁ、この独特の甘い香りと鼻の奥にツンと響く重たい渋み。間違いなく本物のカバリナだね」
「……。今日は、先生に聞きたいことがあって来たの」
「なんだいフィローネ。それがこの貴重な薬草を分けてくれた理由? 安いもんだ。なんだって話してあげるよ」
「あの……、ね。この診療所に、綺麗な男の子が来なかった? 黒髪でくるくるした短い髪の……。色白でスラリとした、碧い目の男の子」
「なんかちょっと、下町育ちな感じがしない?」
「そう! なんかこう、動作や仕草がちょっと大げさっていうか、身振り手振りにクセがある感じの……」
「あはは。確かに来たよ。あの子がフィローネの知り合い? ああいう独特な感じの子とも付き合いがあったなんて、驚きだね。知り合いだったんだ」
サムエル先生は診察室の机に、目の詰まった固いナプキンを広げると、カバリナの葉と茎を丁寧に分け始めた。
花の蕾やガクも、丁寧により分けていく。
「彼とは偶然知り合ったんです。困っているところを、助けてもらって……」
「へぇ。人助けが好きそうな感じの子には、見えなかったけどね」
そう言って先生は笑った。
「彼の名は?」
「セリオ。セリオっていうの」
「どこで知り合った? 何をしてる人?」
「……。ごめんなさい、先生。今日は私が、先生に質問に来たの」
「あぁ、そうか。ははは。なら仕方ないね」
先生は目を閉じると、もう一度カバリナの葉の匂いを確かめる。
深く息を吸い込むと、それを一息に吐き出した。
「よし。じゃあ話を聞こう。で、そのセリオは、フィローネになんのお願いを?」
「彼は、お父さんの死の真相を知りたいって。ベルナト王の最期の様子が、自分の亡くなったお父さんにそっくりだったからって」
「ベルナト王のことを父さんと呼べるのは、世界に一人しかいないよ」
「もちろん知ってる。ニロ王子でしょ」
ニロ王子は、彼を産んですぐに亡くなった王妃そっくりで、眉目秀麗なとても美しい王子さまだと世間では噂されている。
だけど滅多に表に出ることはなく、実際に見たことのある人はほとんどいない。
亡くなったベルナト王に溺愛され、体が弱く我が儘で神経質な性格だと聞いている。
病床の現国王マルク王が亡くなれば、次の王さまはニロ王子となるのだけど、国中の誰もが頼りない王子が王となることに不安を抱いていた。
「先生は宮廷医の助手をしていたんでしょう? ニロ王子には、会ったことがあるの?」
「まさか。王子はそれはそれはとても大切に扱われていてね。普通の身分の人間には、近寄ることすら許されていないんだ。宮殿内での居場所すら、秘密にされているくらいだよ」
王子の年齢は、確か十七くらいだったはず。
私と一つしか変わらないのに、住んでいる世界が随分と違う。
「セリオはね、彼のお父さんの死が、病死とされたことに納得いかないらしくって。色々と調べているうちに、ベルナト王の最期の様子が、自分のお父さんにそっくりだと知って、興味を持ったらしいの。ベルナト王は病死とされたけど、自分のお父さんは違うんじゃないのかって」
「なるほど。そういうことだったのか……」
先生はそう言いながらも、作業を再開する。
仕分けた葉と茎と蕾を、それぞれ別のすり鉢に入れた。
白い陶器に入れられたそれを夢見るようにしばらく見つめてから、先生はゆっくりと話し始める。
「フィローネは、薬草のことは分かるよね」
「……。少しなら」
「俺はね、ベルナト王の症状は、ルーランの過剰摂取によるものだと思ったんだ」
「ルーラン? うちでは扱ったことないかも」
「うん。とても貴重で高価な薬草だからね。普通の人なら、見たことも聞いたこともないと思うよ。手に入れられるのは、王侯貴族か一部の大商人だけだ」
その薬草は心臓を強くする薬で、むくみや疲れをとる効果があるらしい。
「だけどね、元々ベルナト王は、ルーランの入った薬湯を普段から飲んでいたんだ。もちろんルーラン単体だけじゃなくて、他にも色々混ぜた薬をね。毎日宮廷医たちが複数の監視の下で調合して、煎じた薬を飲んでいた。だからルーランの過剰摂取なんてことは、絶対に起きないんだ」
「そうだったんですね……」
「もちろん、その日調合された薬湯も調べられたよ。当たり前のように、普段から飲んでいた調合配分で、いつもと同じ薬だったんだ。だから結論として、持病の心臓病が悪化し、突然死とされた。それは珍しいことじゃない。よくあることだ」
「でも先生は、ルーランの過剰摂取だと思ったんでしょう? それはどうして?」
「発作の症状がよく似ていたから。だけど王が亡くなった病気もまた、それによく似た症状で命を落とす。もう二年も前の話だ。俺も若かったからね。ははは。多くの人たちに笑われたように、単に目立ちたかっただけなんだろうな。よく知りもしない若造が」
「そんな! 先生はそんな人じゃないでしょう?」
そう言って寂しそうに笑うサムエル先生は、私の知る限り医術に対してとても誠実な人だった。
「王の突然な死に関しては、実に様々な憶測が飛び交うもの。誰かに暗殺されたとか、むしろ俺自身が誰かに頼まれ毒を盛ったんじゃないかとか。結局、真相は闇の中だ。薬の副作用だったかもしれないし、その日の食事や飲み物に、誰かが別の毒を混ぜたかもしれない。単に体調が急変しただけの可能性もある。調査の結果は公表されそれが承認されたんだ。もうそれ以外の『正解』は出てこないんだよ」
「先生はそれでいいの?」
「だって、俺が王を殺した真犯人にはされたくなかったからね」
「先生がそんなことするわけないじゃない!」
思わず身を乗り出した私に、先生は笑った。
「あはは。ありがとう、フィローネ。だけど、そういうものなんだ。王宮というところはね、そういうところだったんだよ。もちろん俺はやってない。だから犯人じゃない。犯人じゃないから、犯人にはされたくなかった」
「そんな……」
先生がここに来てから、多くの人が助けられている。
お金はあんまり払えないけど、その代わりに取れた野菜や作った道具、家具の修繕なんかをして助け合って生きている。
パン屋のテレサのところのお婆さんも、パウラの旦那さんだって、怪我をした時には先生にお世話になった。
私だって風邪を引いたときには、先生に薬を処方してもらっている。
ライアやカルロスがここで働いているのだって、大怪我をしたお父さんを先生に助けてもらったことがきっかけだ。
「……。分かった。サムエル先生がそう言うなら、私はそれを信じます」
「ありがとう。もし今度彼に会ったら、そう伝えておいてくれ」
「はい」
診療所を後にする。
新しい情報は何も手に入れられなかったけど、義理は果たしたと思う。
これでセリオが納得できるかどうかは分からないけど、もし来れば、話は出来るようになった。
彼の望む答えは、きっとどこを探しても出てこない。
他人から言われて納得出来るようなら、こんなことまでしないだろう。
彼も分かってるんだ。
それでも納得出来ない自分のことを。
諦めるための道を探している。
私に出来ることは、これ以上ないだろう。
それでもほんのわずかでも、彼の手助けになれたのならよかったと思う。
石畳の大通りは、多くの人がそれぞれにどこかへ向かって進んでいた。
みんな何かの目的で、ここから別のどこかへ向かっているのだと思うと、ちょっと不思議な気分になる。
今の私のように、特別な使命感から動いている人もいるかもしれない。
着ている服も今朝食べたであろう物だって全部違うのに、ここでこうしてすれ違っていることが奇跡みたいだ。
セリオの美しく整った顔と、くるくると巻いた黒い髪を思い浮かべる。
透き通る深いライトブルーの瞳は、これまでどんな景色を見て、どんな思いをしてきたんだろう。
私は本当の両親の顔を知らずに育ったから、父を亡くした悲しみは分からない。
だけどこうすることで、少しでも彼が前を向いて歩けるようになればいいと願う。
石畳の道はいつの間にか舗装がなくなり、大地がむき出しのあぜ道になっていた。
細い路地に入ると、人の住む建物と生活空間がごちゃごちゃと入り組んだ道になる。
家の中に入りきらなくなった家財道具が建物の壁に沿って並べられ、窓には昨日の夜から干されているのであろう洗濯物がそのままぶら下がっていた。
共同の水道では洗い桶や柄杓が重なりあったまま置かれているような、住人同士が密接して暮らしている地域で、ひっそりと営まれている評判のいい小さな診療所までやってきた。
「こんにちは。雑貨屋トリノから注文の品をお届けに来ました。フィローネです」
すっかり日に焼けて文字の色あせた看板のぶら下がる扉を叩くと、すぐに助手のライアが明るい笑顔をのぞかせた。
「フィローネ! いらっしゃい」
「久しぶりね、ライア」
彼女とは初級学校で知り合った。
上級に上がる頃には学校の合間に診療所の手伝いを始めていて、今では弟のカルロスと一緒にサムエル先生の助手として医術を学んでいる。
私たちは互いに駆け寄ると、ぎゅっと手を握りあった。
「フィローネは、まだ学校へ通っているの? もしかしたら、もう高等学校にまで進んだ?」
「まさか。上級には入れたけど、今はもうほとんど行ってない。トリノのお店を手伝っているの。ライアと一緒よ」
「そっか。私もここで勉強の毎日よ。今日はどうしたの?」
「お届け物があって来たの」
「あら、中へどうぞ」
小さな診療所は、いつもこの姉弟の手によって清潔に保たれていた。
洗濯され丁寧にシワの伸ばされたシーツがベッドにかけられ、手洗いのための金属製の手洗もピカピカに磨かれている。
「おや、フィローネ。注文の品が届いたのかい?」
サムエル先生が、ニコリと笑って顔を上げた。
くるくると回転する椅子に腰掛け、丸眼鏡をかけたサムエル先生は、机とその後ろの棚に挟まれるように座っている。
包帯や薬などの置かれた棚の前では、その横を通り抜けることさえ難しいような狭さだ。
「随分と早かったね。最近はなかなか、品物が手に入りにくいから」
「サムエル先生も、サパタ商会と取り引きを始めたの?」
「うん。他に卸しがなくなってしまったからね。うちみたいな小さな診療所は……、まぁ、たいして困りはしないけど、大きなところは随分困ってるんじゃないかな」
「それでも先生のところにだって、薬は必要でしょ?」
バスケットの底から、軟膏基剤とカバリナを取り出す。
くすんだ緑色をして乾ききった薬草を見たサムエル先生の顔に、最大級の驚きと喜びが広がった。
「カバリナじゃないか! しかもこんな立派な! どうしたの、コレ!」
「たまたまうちで手に入ったから。いつもお世話になってる先生に、どうかなって」
「凄く嬉しいよ、フィローネ!」
握手を求められ、手を握り返す。
先生は強く握りしめた私の手を、ブンブンと激しく上下に揺り動かした。
「いやー。本当に嬉しいよ! 感動ものだ! トリノさんの目利きなら、品質は確かだからね、安心して使えるよ。早速だけど、その立派なカバリナの香りを味わってもいい?」
「もちろん」
乾燥したカバリナを手渡す。
受け取った先生は目を閉じると、それに顔を近づけゆっくりと匂いをかいだ。
「あぁ、この独特の甘い香りと鼻の奥にツンと響く重たい渋み。間違いなく本物のカバリナだね」
「……。今日は、先生に聞きたいことがあって来たの」
「なんだいフィローネ。それがこの貴重な薬草を分けてくれた理由? 安いもんだ。なんだって話してあげるよ」
「あの……、ね。この診療所に、綺麗な男の子が来なかった? 黒髪でくるくるした短い髪の……。色白でスラリとした、碧い目の男の子」
「なんかちょっと、下町育ちな感じがしない?」
「そう! なんかこう、動作や仕草がちょっと大げさっていうか、身振り手振りにクセがある感じの……」
「あはは。確かに来たよ。あの子がフィローネの知り合い? ああいう独特な感じの子とも付き合いがあったなんて、驚きだね。知り合いだったんだ」
サムエル先生は診察室の机に、目の詰まった固いナプキンを広げると、カバリナの葉と茎を丁寧に分け始めた。
花の蕾やガクも、丁寧により分けていく。
「彼とは偶然知り合ったんです。困っているところを、助けてもらって……」
「へぇ。人助けが好きそうな感じの子には、見えなかったけどね」
そう言って先生は笑った。
「彼の名は?」
「セリオ。セリオっていうの」
「どこで知り合った? 何をしてる人?」
「……。ごめんなさい、先生。今日は私が、先生に質問に来たの」
「あぁ、そうか。ははは。なら仕方ないね」
先生は目を閉じると、もう一度カバリナの葉の匂いを確かめる。
深く息を吸い込むと、それを一息に吐き出した。
「よし。じゃあ話を聞こう。で、そのセリオは、フィローネになんのお願いを?」
「彼は、お父さんの死の真相を知りたいって。ベルナト王の最期の様子が、自分の亡くなったお父さんにそっくりだったからって」
「ベルナト王のことを父さんと呼べるのは、世界に一人しかいないよ」
「もちろん知ってる。ニロ王子でしょ」
ニロ王子は、彼を産んですぐに亡くなった王妃そっくりで、眉目秀麗なとても美しい王子さまだと世間では噂されている。
だけど滅多に表に出ることはなく、実際に見たことのある人はほとんどいない。
亡くなったベルナト王に溺愛され、体が弱く我が儘で神経質な性格だと聞いている。
病床の現国王マルク王が亡くなれば、次の王さまはニロ王子となるのだけど、国中の誰もが頼りない王子が王となることに不安を抱いていた。
「先生は宮廷医の助手をしていたんでしょう? ニロ王子には、会ったことがあるの?」
「まさか。王子はそれはそれはとても大切に扱われていてね。普通の身分の人間には、近寄ることすら許されていないんだ。宮殿内での居場所すら、秘密にされているくらいだよ」
王子の年齢は、確か十七くらいだったはず。
私と一つしか変わらないのに、住んでいる世界が随分と違う。
「セリオはね、彼のお父さんの死が、病死とされたことに納得いかないらしくって。色々と調べているうちに、ベルナト王の最期の様子が、自分のお父さんにそっくりだと知って、興味を持ったらしいの。ベルナト王は病死とされたけど、自分のお父さんは違うんじゃないのかって」
「なるほど。そういうことだったのか……」
先生はそう言いながらも、作業を再開する。
仕分けた葉と茎と蕾を、それぞれ別のすり鉢に入れた。
白い陶器に入れられたそれを夢見るようにしばらく見つめてから、先生はゆっくりと話し始める。
「フィローネは、薬草のことは分かるよね」
「……。少しなら」
「俺はね、ベルナト王の症状は、ルーランの過剰摂取によるものだと思ったんだ」
「ルーラン? うちでは扱ったことないかも」
「うん。とても貴重で高価な薬草だからね。普通の人なら、見たことも聞いたこともないと思うよ。手に入れられるのは、王侯貴族か一部の大商人だけだ」
その薬草は心臓を強くする薬で、むくみや疲れをとる効果があるらしい。
「だけどね、元々ベルナト王は、ルーランの入った薬湯を普段から飲んでいたんだ。もちろんルーラン単体だけじゃなくて、他にも色々混ぜた薬をね。毎日宮廷医たちが複数の監視の下で調合して、煎じた薬を飲んでいた。だからルーランの過剰摂取なんてことは、絶対に起きないんだ」
「そうだったんですね……」
「もちろん、その日調合された薬湯も調べられたよ。当たり前のように、普段から飲んでいた調合配分で、いつもと同じ薬だったんだ。だから結論として、持病の心臓病が悪化し、突然死とされた。それは珍しいことじゃない。よくあることだ」
「でも先生は、ルーランの過剰摂取だと思ったんでしょう? それはどうして?」
「発作の症状がよく似ていたから。だけど王が亡くなった病気もまた、それによく似た症状で命を落とす。もう二年も前の話だ。俺も若かったからね。ははは。多くの人たちに笑われたように、単に目立ちたかっただけなんだろうな。よく知りもしない若造が」
「そんな! 先生はそんな人じゃないでしょう?」
そう言って寂しそうに笑うサムエル先生は、私の知る限り医術に対してとても誠実な人だった。
「王の突然な死に関しては、実に様々な憶測が飛び交うもの。誰かに暗殺されたとか、むしろ俺自身が誰かに頼まれ毒を盛ったんじゃないかとか。結局、真相は闇の中だ。薬の副作用だったかもしれないし、その日の食事や飲み物に、誰かが別の毒を混ぜたかもしれない。単に体調が急変しただけの可能性もある。調査の結果は公表されそれが承認されたんだ。もうそれ以外の『正解』は出てこないんだよ」
「先生はそれでいいの?」
「だって、俺が王を殺した真犯人にはされたくなかったからね」
「先生がそんなことするわけないじゃない!」
思わず身を乗り出した私に、先生は笑った。
「あはは。ありがとう、フィローネ。だけど、そういうものなんだ。王宮というところはね、そういうところだったんだよ。もちろん俺はやってない。だから犯人じゃない。犯人じゃないから、犯人にはされたくなかった」
「そんな……」
先生がここに来てから、多くの人が助けられている。
お金はあんまり払えないけど、その代わりに取れた野菜や作った道具、家具の修繕なんかをして助け合って生きている。
パン屋のテレサのところのお婆さんも、パウラの旦那さんだって、怪我をした時には先生にお世話になった。
私だって風邪を引いたときには、先生に薬を処方してもらっている。
ライアやカルロスがここで働いているのだって、大怪我をしたお父さんを先生に助けてもらったことがきっかけだ。
「……。分かった。サムエル先生がそう言うなら、私はそれを信じます」
「ありがとう。もし今度彼に会ったら、そう伝えておいてくれ」
「はい」
診療所を後にする。
新しい情報は何も手に入れられなかったけど、義理は果たしたと思う。
これでセリオが納得できるかどうかは分からないけど、もし来れば、話は出来るようになった。
彼の望む答えは、きっとどこを探しても出てこない。
他人から言われて納得出来るようなら、こんなことまでしないだろう。
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