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第2章
第1話
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翌朝、城内の自室を出て聖女養成施設である聖堂へ向かう私の目に、紅い髪をした人物が入り込んできた。
回廊から見下ろせる小さな芝生の中庭を、彼はのんびりと一人でブラついている。
それは明かり取りと通気のためだけの、他に何もないただただ芝生の広がる広場で、彼は突然何かを見つけようにパッと顔を上げると、その顔ににっこりと満面の笑みを浮かべた。
急に足を速めたと思ったその先に、回廊を歩く真っ白な衣装を身につけた聖女たちの集団がいる。
彼女たちは城内の世界樹に祈りを捧げにいく大切な仕事の最中なのに、邪魔をするつもりだ。
「ここは私の出番ですわね」
瘴気から世界を守るための大切な儀式を、中断させるわけにはいかない。
聖女見習いの制服である灰色のワンピースを翻し、石造りの回廊を駆け下りる。
案の定、彼はお姉さまに向かって遠慮なく話しかけていた。
「おはようございます。エマさま。今朝も麗しいお姿を拝見でき、私の心は躍るばかりです。どうか今朝の礼拝を……」
「殿下!」
リシャールとお姉さまの間に飛び込むと、両手を広げ立ちはだかる。
「乙女の朝の礼拝を邪魔することは、どんな身分の方でさえ許されておりませんわ」
「おや、ルディさま。私がいつ邪魔をしたというのでしょう。私はエマさまに、お願いに参ったのですよ?」
「お願い?」
リシャールは涼しげな顔で、さも当然と言わんばかりに私を見下ろす。
「乙女たちが世界樹に祈りを捧げる時、たとえそれを育む力がなくとも、彼女たちと共に祈りたいと思うのは、誰もが思うことなのでは?」
彼は私を押しのけるようにしてお姉さまの前に片膝をつくと、丁寧に頭を下げた。
「どうか私にも、聖なる乙女たちと共に祈りを捧げることをお許しください」
特別な力を宿した者以外が世界樹に祈っても、瘴気を退ける効力を発揮することもなく、育成にも影響しない。
だけど、そうだと分かっていても、乙女たちと共に祈りを捧げたいと申し出る者は、珍しくない。
それは私だって分かってるけど、お姉さまにこんな人を近寄らせたくない。
「殿下、祈りなら他でも捧げられますわ。よろしければ私が別の所に植えられた世界樹へ案内いたしますけど?」
「私はエマさまに、朝の祈りをご一緒したいとお願いしているのです」
「なぜお姉さまでなくてはいけませんの? 他にも聖女はたくさんおりますわ」
「ほう。さすが世界最古の世界樹を有するブリーシュアなだけありますね。聖女が大勢いらっしゃるとは、うらやましい限りにございます」
にらみ合う私たちに、お姉さまは諦めたようにため息をついた。
「どうぞ、リシャールさま。共に参りましょう。あなたの祈りも、きっと天へ届くでしょう」
「お姉さま!」
「ルディ。誰も祈りの時間を邪魔することは、許されていないのよ」
エマお姉さまにそう言われては、私もこれ以上抵抗出来ない。
紅髪の彼が何食わぬ顔で当然のように乙女たちの最後尾につくと、隊列はゆっくりと動き始めた。
朝の回廊は降り注ぐ太陽を受けキラキラと輝いている。
聖女たちの白い衣装と合わせたかのような、純白の衣装を着こなす見た目は貴公子の彼が、なぜか私に話しかけてきた。
「ルディさまは、聖堂へ向かわれる途中だったのですか? 聖女見習いの生徒である制服を、今朝はお召しになっていらっしゃる」
「『聖女』でなくて、残念でしたわね」
淡いグレイのワンピースの裾を、ゆったりと持ち上げてみせる。
「私は、聖女ではありませんの」
「その聖女となるための、訓練校なのでしょう? まだ見習いの生徒だからと、私は人を肩書きだけで判断する人間ではありませんよ」
紅い目は余裕たっぷりに笑みを浮かべた。
「あなたはどうなのですか、ルディさま」
「……。私も、肩書きなどで人を判断したりいたしませんわ。これでも見る目は持っているつもりですの。だからこそ、殿下と姉の交際には、反対しておりますわ」
「ははは。すっかり嫌われてしまいましたね。とても残念です。私はルディさまと、ぜひ仲良くなりたいと思っているのに」
リシャールは優雅な笑みを浮かべたかと思うと、パチンとウインクを飛ばす。
その爽やかさと愛嬌たっぷりの仕草だけは、本物の王子さまだ。
「騙されませんから!」
「ははは」
城内の中心にある世界樹の庭には、眩しいくらい朝の光が降り注いでいた。
エマお姉さまを先頭に聖女たちは大地にひざまずくと、祈りの言葉を唱え始める。
その最後尾で、紅髪の彼もそっと目を閉じた。
「ルディさまには……。今さら何を言っても信じてもらえないかもしれませんが、彼女たちの祈りが私たちを支えているように、私も彼女たちの支えになりたいと思っているのです。その心に、嘘偽りはないですよ」
私も彼の隣で、同じように目を閉じると祈りを捧げた。
聖女たちの支えになりたい。
それはこの世界に住む誰もが、必ず一度は思うこと。
静かな庭園では、聖女の捧げる祈りの言葉が穏やかに響き渡っていた。
世界樹は大きく枝を広げ、うっそうと多い茂る常緑の葉を揺らし、その祈りに応えている。
この樹は乙女の祈りを自らの命に換え、成長を続ける悪魔の樹でもあった。
森や岩盤に生えていた木が、ある日突然瘴気を放ち始め、「魔樹」となる。
斬り倒そうにも、瘴気のため近寄ることも出来ない。
樹は「魔樹」として成長し瘴気を放ち続け、その瘴気の渦から魔物を発生させる。
しかしその樹の側に「聖女」といわれる能力を持つ女性を置くことで、樹は「魔樹」から「聖樹」へと変貌する。
樹液や葉は、猛毒から万能薬へと変わり、放つアロマは魔物を遠ざけた。
私たちは彼女たちの命を代償に、魔物を遠ざけ瘴気を浄化し、平穏な日々を送っている。
「どうか今日という日が、穏やかな一日でありますように」
世界樹と聖女の関係を調べる研究は、世界各地で進んでいた。
それでもまだ、分からないことばかりだ。
祈りを終えたお姉さまに、リシャールが歩み寄る。
「エマさま。少しお時間よろしいですか」
彼は優雅に微笑むと、立ち上がったお姉さまを愛おしそうに見つめる。
「実はお願いがございまして。ぜひエマさまに案内いただきたいのですが……」
案内?
お姉さまと二人っきりになろうっての?
そうはさせませんわ!
回廊から見下ろせる小さな芝生の中庭を、彼はのんびりと一人でブラついている。
それは明かり取りと通気のためだけの、他に何もないただただ芝生の広がる広場で、彼は突然何かを見つけようにパッと顔を上げると、その顔ににっこりと満面の笑みを浮かべた。
急に足を速めたと思ったその先に、回廊を歩く真っ白な衣装を身につけた聖女たちの集団がいる。
彼女たちは城内の世界樹に祈りを捧げにいく大切な仕事の最中なのに、邪魔をするつもりだ。
「ここは私の出番ですわね」
瘴気から世界を守るための大切な儀式を、中断させるわけにはいかない。
聖女見習いの制服である灰色のワンピースを翻し、石造りの回廊を駆け下りる。
案の定、彼はお姉さまに向かって遠慮なく話しかけていた。
「おはようございます。エマさま。今朝も麗しいお姿を拝見でき、私の心は躍るばかりです。どうか今朝の礼拝を……」
「殿下!」
リシャールとお姉さまの間に飛び込むと、両手を広げ立ちはだかる。
「乙女の朝の礼拝を邪魔することは、どんな身分の方でさえ許されておりませんわ」
「おや、ルディさま。私がいつ邪魔をしたというのでしょう。私はエマさまに、お願いに参ったのですよ?」
「お願い?」
リシャールは涼しげな顔で、さも当然と言わんばかりに私を見下ろす。
「乙女たちが世界樹に祈りを捧げる時、たとえそれを育む力がなくとも、彼女たちと共に祈りたいと思うのは、誰もが思うことなのでは?」
彼は私を押しのけるようにしてお姉さまの前に片膝をつくと、丁寧に頭を下げた。
「どうか私にも、聖なる乙女たちと共に祈りを捧げることをお許しください」
特別な力を宿した者以外が世界樹に祈っても、瘴気を退ける効力を発揮することもなく、育成にも影響しない。
だけど、そうだと分かっていても、乙女たちと共に祈りを捧げたいと申し出る者は、珍しくない。
それは私だって分かってるけど、お姉さまにこんな人を近寄らせたくない。
「殿下、祈りなら他でも捧げられますわ。よろしければ私が別の所に植えられた世界樹へ案内いたしますけど?」
「私はエマさまに、朝の祈りをご一緒したいとお願いしているのです」
「なぜお姉さまでなくてはいけませんの? 他にも聖女はたくさんおりますわ」
「ほう。さすが世界最古の世界樹を有するブリーシュアなだけありますね。聖女が大勢いらっしゃるとは、うらやましい限りにございます」
にらみ合う私たちに、お姉さまは諦めたようにため息をついた。
「どうぞ、リシャールさま。共に参りましょう。あなたの祈りも、きっと天へ届くでしょう」
「お姉さま!」
「ルディ。誰も祈りの時間を邪魔することは、許されていないのよ」
エマお姉さまにそう言われては、私もこれ以上抵抗出来ない。
紅髪の彼が何食わぬ顔で当然のように乙女たちの最後尾につくと、隊列はゆっくりと動き始めた。
朝の回廊は降り注ぐ太陽を受けキラキラと輝いている。
聖女たちの白い衣装と合わせたかのような、純白の衣装を着こなす見た目は貴公子の彼が、なぜか私に話しかけてきた。
「ルディさまは、聖堂へ向かわれる途中だったのですか? 聖女見習いの生徒である制服を、今朝はお召しになっていらっしゃる」
「『聖女』でなくて、残念でしたわね」
淡いグレイのワンピースの裾を、ゆったりと持ち上げてみせる。
「私は、聖女ではありませんの」
「その聖女となるための、訓練校なのでしょう? まだ見習いの生徒だからと、私は人を肩書きだけで判断する人間ではありませんよ」
紅い目は余裕たっぷりに笑みを浮かべた。
「あなたはどうなのですか、ルディさま」
「……。私も、肩書きなどで人を判断したりいたしませんわ。これでも見る目は持っているつもりですの。だからこそ、殿下と姉の交際には、反対しておりますわ」
「ははは。すっかり嫌われてしまいましたね。とても残念です。私はルディさまと、ぜひ仲良くなりたいと思っているのに」
リシャールは優雅な笑みを浮かべたかと思うと、パチンとウインクを飛ばす。
その爽やかさと愛嬌たっぷりの仕草だけは、本物の王子さまだ。
「騙されませんから!」
「ははは」
城内の中心にある世界樹の庭には、眩しいくらい朝の光が降り注いでいた。
エマお姉さまを先頭に聖女たちは大地にひざまずくと、祈りの言葉を唱え始める。
その最後尾で、紅髪の彼もそっと目を閉じた。
「ルディさまには……。今さら何を言っても信じてもらえないかもしれませんが、彼女たちの祈りが私たちを支えているように、私も彼女たちの支えになりたいと思っているのです。その心に、嘘偽りはないですよ」
私も彼の隣で、同じように目を閉じると祈りを捧げた。
聖女たちの支えになりたい。
それはこの世界に住む誰もが、必ず一度は思うこと。
静かな庭園では、聖女の捧げる祈りの言葉が穏やかに響き渡っていた。
世界樹は大きく枝を広げ、うっそうと多い茂る常緑の葉を揺らし、その祈りに応えている。
この樹は乙女の祈りを自らの命に換え、成長を続ける悪魔の樹でもあった。
森や岩盤に生えていた木が、ある日突然瘴気を放ち始め、「魔樹」となる。
斬り倒そうにも、瘴気のため近寄ることも出来ない。
樹は「魔樹」として成長し瘴気を放ち続け、その瘴気の渦から魔物を発生させる。
しかしその樹の側に「聖女」といわれる能力を持つ女性を置くことで、樹は「魔樹」から「聖樹」へと変貌する。
樹液や葉は、猛毒から万能薬へと変わり、放つアロマは魔物を遠ざけた。
私たちは彼女たちの命を代償に、魔物を遠ざけ瘴気を浄化し、平穏な日々を送っている。
「どうか今日という日が、穏やかな一日でありますように」
世界樹と聖女の関係を調べる研究は、世界各地で進んでいた。
それでもまだ、分からないことばかりだ。
祈りを終えたお姉さまに、リシャールが歩み寄る。
「エマさま。少しお時間よろしいですか」
彼は優雅に微笑むと、立ち上がったお姉さまを愛おしそうに見つめる。
「実はお願いがございまして。ぜひエマさまに案内いただきたいのですが……」
案内?
お姉さまと二人っきりになろうっての?
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