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第3章
第5話
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その日以来、リシャールはすっかり聖堂に入り浸るようになってしまっていた。
私が他の公務で顔を出せないときにも、聖堂で乙女たちと共に講義を受けたり、実験や礼拝の手伝いをしている。
もちろん愛想を振りまくことも忘れない。
彼はあっという間に乙女たちのアイドルと化していた。
「殿下。おはようございます!」
「今朝もお早いですね」
専属の番兵たちにすら、気さくに話しかけられている始末だ。
声をかけられれば、誰にでもにこやかに手を振り返している。
「リンダの実験はとても興味深いね。君の論文を読ませてもらったが、その本人がまさかこんなにも可愛らしいお嬢さんだったとは思わなかったよ」
当然彼の興味は、リンダにも向かっていた。
「ここにいる女性は、ルディ王女以外はみな聖女の資質があると聞いていたが?」
彼は実験台の上に転がっていた世界樹の樹液の欠片を見つけると、リンダの手にのせる。
それは瞬時に色をなくし、まばゆい光りを放った。
「しかし、この欠片を明かりが消えた時のろうそく代わりにしている光景なんて、初めてみたよ。王城の聖堂ならではの風景だね」
「だって、安全な上に光りがなくなることもないのですもの。肌に触れていないと光らないのが厄介なだけで。ネックレスのようにしたり、はちまきの中に縫い込んだ先輩もいたと聞いてます」
「はちまき!」
リシャールはさも可笑しそうに腹を抱え、くすくすと笑った。
もうそんな彼の姿にも、動揺したりなんかしない。
「なら私は、君のために樹液の欠片へ美しい装飾を施したネックレスにして、プレゼントすればいいのかな?」
リンダは彼女の手がける実験が、ボヤ騒ぎ以来上手く行かないことに塞ぎがちだった。
火事を起こした原因は彼女のせいではなかったが、本番の試薬を使う予備実験の段階ですら、思うように結果が出ていないらしい。
「空気なのかな」
「実験室の空気?」
私はリシャールと並んで座る、リンダの隣に腰を下ろした。
「乙女の祈りの言葉は、世界樹の成長に不要だってのは明らかにされているじゃない? 聖女の話す言葉が必要なのではなくて、ただ聖女と言われる女性が樹の近くに居さえすればいいのだから、なんらかの空気を媒介とする伝播性が、やっぱりあるんでしょうね。じゃないと瘴気の発生も、説明できません」
「ほう。ではリンダ嬢は、火事で聖堂の空気が変わり、その影響が実験にも出てしまっていると?」
「それは分かりません」
彼女は深いため息をつくと、ふらりと立ち上がった。
「世界樹はいたる所に生えています。その環境は様々で、そこに聖女さえいればいいのだから、基本的に空気は関係ないはず。きっと私の実験が上手くいかないのは、私のせいなんです。だから火事のせいなんかにしちゃダメだって、分かってるんだけど……」
リンダは新しくなったガラス窓にたたずむと、私たちに背を向けそこから動かなくなってしまった。
リシャールの紅い目と目が合う。
こういうときに、彼女にかける言葉が見つからない。
「どうだろうルディ。もう一度気分転換にパーティーを開くとか?」
「そんなことで、リンダの気が晴れるとでも思っていらっしゃるの?」
「俺に分かるわけないだろう。君の方が付き合いが長いのだから、君が考えろ」
私は目の前にある複雑にくみ上げられた実験装置を見上げた。
その横には分厚い書物から書き写した、操作手順のメモがおかれている。
「ねぇ、この実験の解説書を書いている人に、直接聞きに行ってみるというのはどうかしら」
「え? そんなこと頼めるの?」
ここ数日、ずっと塞ぎがちだったリンダが、目を輝かせた。
「あら。私を誰だと思っているの?」
「本当なの、ルディ! この本を書いたのは、ブリーシュア王都の外れにある、ボスマン研究所の所長なのよ。彼は世界樹研究の第一人者で、そう簡単に……」
「ボスマン研究所か!」
リシャールがリンダ以上にキラキラと目を輝かせ、勢いよく立ち上がった。
「行こう! ぜひ行こう! ボスマン研究所には、私も行ってみたかったんだ!」
「行きたい行きたい! ルディ、本当にそんなこと出来るの!」
子供のように無邪気にはしゃぐ黒い目と紅い目に見つめられ、私としても口にしてしまった以上、プライドがあった。
「な、何とか掛け合ってみますわね。あそこの所長は変わり者で有名らしいから、あまり期待はしないでね」
「私も依頼状を書くから! 博士にぜひ聞きたいことがあるって、嘆願書書く!」
リンダは早速紙とペンを取り出すと、一心不乱に手紙を書き始めた。
「そうだ! 私の名前もルディ王女の横にサインして入れよう。ブリーシュアの第三王女と、レランドの第一王子の連名とあれば、いくらボスマン研究所の所長といえど断れないだろう。早速書簡を用意させ、そこに連名でサインを入れてはどうか?」
ペンを握りしめていたリンダが、ここぞとばかりに振り返る。
「それはよいお考えです殿下! ルディ、ぜひそうして! 何がなんでも、ボスマン博士と会うんだからね!」
カッと見開いたリンダの目は、確実に殺気立っていた。
「わ、分かりました。正式な書簡を用意してきますわ」
「私も行こう」
その用意のために聖堂を出た私を、紅髪の王子は追いかけてきた。
彼は一心不乱に独り言をぶつぶつと呟いている。
「そうか。ブリーシュアほどの強国となると、そんなところにも繋がりが……。いや、しかしボスマン研究所へ行くとなると、手土産が必要だな。何がいいだろう。今から慌てて取り寄せて、間に合うだろうか。そりゃ後で送ると約束はいくらでも出来るが、やはり一部でも面会時に持参した方が……。目録だけ? う~ん。ありきたりなものじゃ満足しないだろうしなぁ……」
王城の回廊を二人きりで並んで歩いている。
何だかお腹の奥がくすぐったい。
私が他の公務で顔を出せないときにも、聖堂で乙女たちと共に講義を受けたり、実験や礼拝の手伝いをしている。
もちろん愛想を振りまくことも忘れない。
彼はあっという間に乙女たちのアイドルと化していた。
「殿下。おはようございます!」
「今朝もお早いですね」
専属の番兵たちにすら、気さくに話しかけられている始末だ。
声をかけられれば、誰にでもにこやかに手を振り返している。
「リンダの実験はとても興味深いね。君の論文を読ませてもらったが、その本人がまさかこんなにも可愛らしいお嬢さんだったとは思わなかったよ」
当然彼の興味は、リンダにも向かっていた。
「ここにいる女性は、ルディ王女以外はみな聖女の資質があると聞いていたが?」
彼は実験台の上に転がっていた世界樹の樹液の欠片を見つけると、リンダの手にのせる。
それは瞬時に色をなくし、まばゆい光りを放った。
「しかし、この欠片を明かりが消えた時のろうそく代わりにしている光景なんて、初めてみたよ。王城の聖堂ならではの風景だね」
「だって、安全な上に光りがなくなることもないのですもの。肌に触れていないと光らないのが厄介なだけで。ネックレスのようにしたり、はちまきの中に縫い込んだ先輩もいたと聞いてます」
「はちまき!」
リシャールはさも可笑しそうに腹を抱え、くすくすと笑った。
もうそんな彼の姿にも、動揺したりなんかしない。
「なら私は、君のために樹液の欠片へ美しい装飾を施したネックレスにして、プレゼントすればいいのかな?」
リンダは彼女の手がける実験が、ボヤ騒ぎ以来上手く行かないことに塞ぎがちだった。
火事を起こした原因は彼女のせいではなかったが、本番の試薬を使う予備実験の段階ですら、思うように結果が出ていないらしい。
「空気なのかな」
「実験室の空気?」
私はリシャールと並んで座る、リンダの隣に腰を下ろした。
「乙女の祈りの言葉は、世界樹の成長に不要だってのは明らかにされているじゃない? 聖女の話す言葉が必要なのではなくて、ただ聖女と言われる女性が樹の近くに居さえすればいいのだから、なんらかの空気を媒介とする伝播性が、やっぱりあるんでしょうね。じゃないと瘴気の発生も、説明できません」
「ほう。ではリンダ嬢は、火事で聖堂の空気が変わり、その影響が実験にも出てしまっていると?」
「それは分かりません」
彼女は深いため息をつくと、ふらりと立ち上がった。
「世界樹はいたる所に生えています。その環境は様々で、そこに聖女さえいればいいのだから、基本的に空気は関係ないはず。きっと私の実験が上手くいかないのは、私のせいなんです。だから火事のせいなんかにしちゃダメだって、分かってるんだけど……」
リンダは新しくなったガラス窓にたたずむと、私たちに背を向けそこから動かなくなってしまった。
リシャールの紅い目と目が合う。
こういうときに、彼女にかける言葉が見つからない。
「どうだろうルディ。もう一度気分転換にパーティーを開くとか?」
「そんなことで、リンダの気が晴れるとでも思っていらっしゃるの?」
「俺に分かるわけないだろう。君の方が付き合いが長いのだから、君が考えろ」
私は目の前にある複雑にくみ上げられた実験装置を見上げた。
その横には分厚い書物から書き写した、操作手順のメモがおかれている。
「ねぇ、この実験の解説書を書いている人に、直接聞きに行ってみるというのはどうかしら」
「え? そんなこと頼めるの?」
ここ数日、ずっと塞ぎがちだったリンダが、目を輝かせた。
「あら。私を誰だと思っているの?」
「本当なの、ルディ! この本を書いたのは、ブリーシュア王都の外れにある、ボスマン研究所の所長なのよ。彼は世界樹研究の第一人者で、そう簡単に……」
「ボスマン研究所か!」
リシャールがリンダ以上にキラキラと目を輝かせ、勢いよく立ち上がった。
「行こう! ぜひ行こう! ボスマン研究所には、私も行ってみたかったんだ!」
「行きたい行きたい! ルディ、本当にそんなこと出来るの!」
子供のように無邪気にはしゃぐ黒い目と紅い目に見つめられ、私としても口にしてしまった以上、プライドがあった。
「な、何とか掛け合ってみますわね。あそこの所長は変わり者で有名らしいから、あまり期待はしないでね」
「私も依頼状を書くから! 博士にぜひ聞きたいことがあるって、嘆願書書く!」
リンダは早速紙とペンを取り出すと、一心不乱に手紙を書き始めた。
「そうだ! 私の名前もルディ王女の横にサインして入れよう。ブリーシュアの第三王女と、レランドの第一王子の連名とあれば、いくらボスマン研究所の所長といえど断れないだろう。早速書簡を用意させ、そこに連名でサインを入れてはどうか?」
ペンを握りしめていたリンダが、ここぞとばかりに振り返る。
「それはよいお考えです殿下! ルディ、ぜひそうして! 何がなんでも、ボスマン博士と会うんだからね!」
カッと見開いたリンダの目は、確実に殺気立っていた。
「わ、分かりました。正式な書簡を用意してきますわ」
「私も行こう」
その用意のために聖堂を出た私を、紅髪の王子は追いかけてきた。
彼は一心不乱に独り言をぶつぶつと呟いている。
「そうか。ブリーシュアほどの強国となると、そんなところにも繋がりが……。いや、しかしボスマン研究所へ行くとなると、手土産が必要だな。何がいいだろう。今から慌てて取り寄せて、間に合うだろうか。そりゃ後で送ると約束はいくらでも出来るが、やはり一部でも面会時に持参した方が……。目録だけ? う~ん。ありきたりなものじゃ満足しないだろうしなぁ……」
王城の回廊を二人きりで並んで歩いている。
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