45 / 50
第7章
第2話
しおりを挟む
「ルディ。君が今の仕事をとても大切にしていることはよく知っている。だからこそもっと、多くのことを見て、聞いて、知って、経験を増やしたらどうかと思ってるんだ」
「それだと、聖堂の仕事は減ってしまいますわね」
「君には出来ることがたくさんある」
真っ赤なサララントの果汁が、あの人の目の色を思わせる。
すぐそばにいるのに、手の届かない人。
「もちろん、今すぐにというわけじゃない。今後のことを考えれば、早めに慣れておくのも悪くないんじゃないかな。まぁ、ゆっくり考えてみてくれないか」
「……。そうね、分かったわ」
グラスの中の赤い果汁を、くるくると転がす。
王女として、いつまでもこのままではいられないよと言われているのだ。
「リシャール殿下もいなくなる。君が聖堂に残って、あれこれ気に病む必要もなくなる。早く楽になればいい」
「お姉さまには、近々よいお返事をしにいきますわ」
「よかった。期待しているよ」
優しいマートンの微笑みには、いつだって安心させられる。
幼い頃からずっと見守ってきてくれた人だ。
風邪を引いた時も怪我をしたときも、大好きなぬいぐるみをなくして泣いていた時も、この人はいつも助けてくれた。
マートンとエマお姉さまが喜んでくれるなら、なんだって出来る。
「そうだルディ。今度ダオランの街にね、新しく出来た……」
不意にマートンはおしゃべりを止め、一礼すると後ろへ下がる。
「失礼。邪魔したかな」
リシャールだ。
二人の時なら悪態をついて髪の毛やスカートの裾を引っ張ってくるくせに、今は上品なよそ行きの笑顔を崩さない。
「リシャール殿下。あなたがいなくなると、この城も寂しくなります」
「まさかあなたのような恋敵がいるとは、思いませんでした。私の最大の誤算ですね」
「お戯れを。私など殿下の足元にも及びません」
「いやいや、完敗ですよ。おかげで手ぶらで帰国することになりそうだ」
マートンが恐れ入るように頭を下げる。
リシャールは美しく整った高貴な目を、私に向けた。
「ルディさま。私とダンスをするのは、もうお嫌になられたかな?」
すました顔をして平然と誘うこの人に、私だってちょっとは困惑している。
「まぁ。そんなことはありませんわよ」
渋々差し出した手に、彼の手が添えられた。
腰に回された手が、私をエスコートする。
「よかった。君に嫌われたままここを去るのは、心残りだったんだ」
ふわりとしたリードで、ダンスが始まる。
彼の腕の中で小鳥の卵にでもされてしまったような感覚だ。
そんなに大事そうに恐る恐る丁寧に扱わなくても、今さら壊れたりなんかしないのに……。
「どうされたのですか。私になんか優しくしても、なんの意味もありませんのに」
「意味なんてあるかよ。ただ俺がこうしたいから、やってるだけだ」
リシャールが王子の微笑みを浮かべる。
私が聖女でないと知ってから、一度も向けられることのなかった笑みだ。
最後にこんなことをしてくるなんて、本当にズルい。
「……。殿下が、いつも楽しそうにしておられるのを、遠くからお見かけするのが唯一の楽しみでした」
「もっと近づいてくればよかったのに」
「あなたとここで過ごした日々は、決して忘れません」
「ふふ。そうだな」
繋いだ手が高く持ち上げられた。
触れているのも分からないくらい、腰に軽く添えられただけの腕で、くるりとターンする。
紅い目がじっと私を見つめているのに、会場の片隅がどよめいた。
リシャールの視線は、たちまち会場へ現れたエマお姉さまに奪われる。
「あなたの恋が報われないことに、ほっとしましたわ」
「どうして?」
「だって、そんなことになったら、私が困りますもの」
彼とのステップに、もう力強さは感じない。
初めてこの人と踊った時の、あの焼け付くような情熱は、やっぱり私に向けられたものではなかった。
「君を困らせるようなことばかりを、俺はずっとしていたんだな。そうか。この先は全部、忘れてくれ」
真っ白なお姉さまの聖女服が、目に眩しい。
キラキラと輝く純白の衣装が、こちらへ近づいてくる。
エマお姉さまは、明らかにリシャールが踊り終わるのを待っていた。
彼の視線もまた、お姉さまへ向けられる。
顔を出すのは分かっていたけど、こんな時にまで、この人がお姉さまにひざまずく姿を見たくはない。
音楽は終わりを迎えた。
「さようなら。よい旅路を。無事の帰国をお祈りしております」
まだ踊りきっていないのに、私は彼の腕から離れた。
一歩早いタイミングで、膝を折り礼をする。
彼が頭を下げた瞬間、背を向けた。
「ルディ、待て!」
走ってはいけないと分かっているのに、足が止まらない。
それは勝手に動いて、階段を駆け上がる。
後ろを振り返りたくても、怖くて出来ない。
お姉さまが来ていた。
彼は追いかけて来ない。
そういうことだ。
「それだと、聖堂の仕事は減ってしまいますわね」
「君には出来ることがたくさんある」
真っ赤なサララントの果汁が、あの人の目の色を思わせる。
すぐそばにいるのに、手の届かない人。
「もちろん、今すぐにというわけじゃない。今後のことを考えれば、早めに慣れておくのも悪くないんじゃないかな。まぁ、ゆっくり考えてみてくれないか」
「……。そうね、分かったわ」
グラスの中の赤い果汁を、くるくると転がす。
王女として、いつまでもこのままではいられないよと言われているのだ。
「リシャール殿下もいなくなる。君が聖堂に残って、あれこれ気に病む必要もなくなる。早く楽になればいい」
「お姉さまには、近々よいお返事をしにいきますわ」
「よかった。期待しているよ」
優しいマートンの微笑みには、いつだって安心させられる。
幼い頃からずっと見守ってきてくれた人だ。
風邪を引いた時も怪我をしたときも、大好きなぬいぐるみをなくして泣いていた時も、この人はいつも助けてくれた。
マートンとエマお姉さまが喜んでくれるなら、なんだって出来る。
「そうだルディ。今度ダオランの街にね、新しく出来た……」
不意にマートンはおしゃべりを止め、一礼すると後ろへ下がる。
「失礼。邪魔したかな」
リシャールだ。
二人の時なら悪態をついて髪の毛やスカートの裾を引っ張ってくるくせに、今は上品なよそ行きの笑顔を崩さない。
「リシャール殿下。あなたがいなくなると、この城も寂しくなります」
「まさかあなたのような恋敵がいるとは、思いませんでした。私の最大の誤算ですね」
「お戯れを。私など殿下の足元にも及びません」
「いやいや、完敗ですよ。おかげで手ぶらで帰国することになりそうだ」
マートンが恐れ入るように頭を下げる。
リシャールは美しく整った高貴な目を、私に向けた。
「ルディさま。私とダンスをするのは、もうお嫌になられたかな?」
すました顔をして平然と誘うこの人に、私だってちょっとは困惑している。
「まぁ。そんなことはありませんわよ」
渋々差し出した手に、彼の手が添えられた。
腰に回された手が、私をエスコートする。
「よかった。君に嫌われたままここを去るのは、心残りだったんだ」
ふわりとしたリードで、ダンスが始まる。
彼の腕の中で小鳥の卵にでもされてしまったような感覚だ。
そんなに大事そうに恐る恐る丁寧に扱わなくても、今さら壊れたりなんかしないのに……。
「どうされたのですか。私になんか優しくしても、なんの意味もありませんのに」
「意味なんてあるかよ。ただ俺がこうしたいから、やってるだけだ」
リシャールが王子の微笑みを浮かべる。
私が聖女でないと知ってから、一度も向けられることのなかった笑みだ。
最後にこんなことをしてくるなんて、本当にズルい。
「……。殿下が、いつも楽しそうにしておられるのを、遠くからお見かけするのが唯一の楽しみでした」
「もっと近づいてくればよかったのに」
「あなたとここで過ごした日々は、決して忘れません」
「ふふ。そうだな」
繋いだ手が高く持ち上げられた。
触れているのも分からないくらい、腰に軽く添えられただけの腕で、くるりとターンする。
紅い目がじっと私を見つめているのに、会場の片隅がどよめいた。
リシャールの視線は、たちまち会場へ現れたエマお姉さまに奪われる。
「あなたの恋が報われないことに、ほっとしましたわ」
「どうして?」
「だって、そんなことになったら、私が困りますもの」
彼とのステップに、もう力強さは感じない。
初めてこの人と踊った時の、あの焼け付くような情熱は、やっぱり私に向けられたものではなかった。
「君を困らせるようなことばかりを、俺はずっとしていたんだな。そうか。この先は全部、忘れてくれ」
真っ白なお姉さまの聖女服が、目に眩しい。
キラキラと輝く純白の衣装が、こちらへ近づいてくる。
エマお姉さまは、明らかにリシャールが踊り終わるのを待っていた。
彼の視線もまた、お姉さまへ向けられる。
顔を出すのは分かっていたけど、こんな時にまで、この人がお姉さまにひざまずく姿を見たくはない。
音楽は終わりを迎えた。
「さようなら。よい旅路を。無事の帰国をお祈りしております」
まだ踊りきっていないのに、私は彼の腕から離れた。
一歩早いタイミングで、膝を折り礼をする。
彼が頭を下げた瞬間、背を向けた。
「ルディ、待て!」
走ってはいけないと分かっているのに、足が止まらない。
それは勝手に動いて、階段を駆け上がる。
後ろを振り返りたくても、怖くて出来ない。
お姉さまが来ていた。
彼は追いかけて来ない。
そういうことだ。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
さようなら、私の初恋
しょくぱん
恋愛
「さよなら、私の初恋。……もう、全部お返しします」
物心ついた時から、彼だけが世界のすべてだった。 幼馴染の騎士団長・レオンに捧げた、十数年の純粋な初恋。 彼が「無敵」でいられたのは、アリアが無自覚に与え続けた『治癒の加護』があったから。
だが婚約直前、アリアは知ってしまう。 彼にとって自分は、仲間内で競い合う「賭けの対象」でしかなかったことを。
「あんな女、落とすまでのゲームだよ」
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる