48 / 50
最終章
第1話
しおりを挟む
リシャールの帰国を翌日に控えたその日、聖堂に思わぬ客が現れた。
「わぁ。本当に城内の聖堂にいる、王女さまだったんですね」
マセルだ。
ボスマン研究所にいたレランド出身の赤茶けた髪の研究者が、聖堂を訪ねていた。
リンダが案内役を務めている。
「なかなか立派な建物じゃないですか。実験設備もそれなりに整っているし」
マセルはそう言って石造りの実験室の中を見渡した。
ボスマン研究所に行って、実際に中を見てきたから分かる。
ここの設備は、その足元にも及ばない。
聖堂で行われているのは、実験のまねごとみたいなものだ。
「研究所の方は、どうですの? 世界樹の庭の土は、お役に立てました?」
「あぁ、そのご報告をしなくてはいけませんね。その節は大変お世話になりました」
エマお姉さまから陛下に申請が行ったのは知っている。
私も直接手紙を書いた。
許可が下りるのに、さほど時間はかからなかったように記憶している。
「無事、貴重な土は研究所に運び込まれましたよ。たった一握りの土ですが、それだけでも分析するには十分有り余る量でした。今は保存瓶の中に入れ、大切に保管されています」
「それで、分析結果は?」
マセルの表情は、妙に落ち着いたままだった。
喜びあふれる報告を期待していた私に、リンダはゆっくりと首を横に振る。
「お庭の土は、ブリーシュアの他の土地の土と、全く変わりなかったそうよ」
「え? それでは……」
「はい。僕は研究所を首になりました」
マセルはにっこりと笑顔を見せると、観念したかのように「あはは」と笑った。
「やはり僕には、ボスマン研究所のような高位の研究所は無理だったのです。レベルが高すぎました。せっかくリシャール殿下に高価な試薬まで用意していただいたのに。国に戻られると聞いて、それが申し訳なくて、ご挨拶がてら報告に来たのです」
「そうですか。それは残念でしたね」
努力しても、どうにもならないことはある。
彼は彼なりにベストを尽くしたのだろうし、リシャールや私も協力は惜しまなかった。
少なくとも彼は、レランドでは優秀かつ期待の人物なのだ。
「それでも、悪いことばかりではないですよ。ボスマン研究所を首になった代わりに、殿下に王立の研究所へ誘われました」
「王立の研究所?」
「えぇ。これでもいちおう、僕も厳しい選抜を勝ち抜いて、推薦してもらった立場ですからね。その経験を生かして、これから立ち上げる研究所を手伝ってくれないかって」
「リシャールが?」
マセルは「はい」とうなずいた。
「どうせこのまま、レランドに帰るつもりでここへ立ち寄ったのです。殿下の隊列に同行する形で、そのまま帰国の途につく予定です」
レランドは、ここからとても遠い。
砂漠の民の暮らしも、話でしか聞いたことがない。
リンダがマセルに向きなおった。
「リシャールさまが、新しい研究所をおつくりになるの?」
「そうみたいですよ。今まであった研究所とは別に、新しい施設を作るって」
「それは、どんな感じになるのかしらね」
ふとつぶやいたリンダに、マセルは力なく微笑んだ。
「さぁね。なにしろ、まだ何も決まってないみたいだから。僕も『行きます』なんて元気よく返事はしたものの、どうなるかなんて、何も分からないのです。なるようになるしか、ありませんね」
彼はまるで、他人事のように笑っていた。
「ま、何とかなるでしょ。なんともならなくても、その時はその時です」
何もかも設備の整った最高峰の研究所を追い出され、彼は傷ついているのだ。
かける言葉が見つからない。
「私には、あなたがうらやましいです。マセル」
リンダは真っ直ぐに伸びた黒髪をサラリと揺らし、彼を見上げた。
「それでも行けるところがあり、チャレンジする場所があるでしょ。私には、ここしかないから」
リンダはボスマン研究所から戻ると、実験室に籠もり出てこなくなってしまった。
彼女が長年続けていた研究は、彼らの興味を引くものではなかった。
彼女なりに、何かを感じていたのだと思う。
素人の私の目からみても、あの研究所は別格だった。
何をしていたのかは分からないが、リンダは聖堂に戻ってからもずっと作業を続けていたらしい。
本を読み装置を組み上げ、試薬を調合していたそうだ。
表情を沈ませるリンダに、マセルは寄り添うように微笑む。
「ここはとてもいい所だよ。君はここで頑張ればいい。整った環境で過ごすということは、それだけで十分幸せなことだからね。君のこれまでの実験は……。君だけのものだ。それを誰にも、否定される覚えはないよ」
彼の言葉は間違いなく、リンダを慰めようと彼の本心から出た言葉だった。
だけどその気遣いが、余計に彼女を傷つけた。
「マセルは、私はこのままでいいと思ってるの?」
「思ってるもなにも、恵まれた環境にいて、僕にはうらやましいよ」
彼は聖堂の実験室を、ゆっくりと見て回る。
聖堂の乙女たちが行っている実験作業を見学しながら、ただ黙って静かにその様子を眺めていた。
やがて外の植物園が見たいと、その場にいた乙女の案内を受け、出て行ってしまう。
「わぁ。本当に城内の聖堂にいる、王女さまだったんですね」
マセルだ。
ボスマン研究所にいたレランド出身の赤茶けた髪の研究者が、聖堂を訪ねていた。
リンダが案内役を務めている。
「なかなか立派な建物じゃないですか。実験設備もそれなりに整っているし」
マセルはそう言って石造りの実験室の中を見渡した。
ボスマン研究所に行って、実際に中を見てきたから分かる。
ここの設備は、その足元にも及ばない。
聖堂で行われているのは、実験のまねごとみたいなものだ。
「研究所の方は、どうですの? 世界樹の庭の土は、お役に立てました?」
「あぁ、そのご報告をしなくてはいけませんね。その節は大変お世話になりました」
エマお姉さまから陛下に申請が行ったのは知っている。
私も直接手紙を書いた。
許可が下りるのに、さほど時間はかからなかったように記憶している。
「無事、貴重な土は研究所に運び込まれましたよ。たった一握りの土ですが、それだけでも分析するには十分有り余る量でした。今は保存瓶の中に入れ、大切に保管されています」
「それで、分析結果は?」
マセルの表情は、妙に落ち着いたままだった。
喜びあふれる報告を期待していた私に、リンダはゆっくりと首を横に振る。
「お庭の土は、ブリーシュアの他の土地の土と、全く変わりなかったそうよ」
「え? それでは……」
「はい。僕は研究所を首になりました」
マセルはにっこりと笑顔を見せると、観念したかのように「あはは」と笑った。
「やはり僕には、ボスマン研究所のような高位の研究所は無理だったのです。レベルが高すぎました。せっかくリシャール殿下に高価な試薬まで用意していただいたのに。国に戻られると聞いて、それが申し訳なくて、ご挨拶がてら報告に来たのです」
「そうですか。それは残念でしたね」
努力しても、どうにもならないことはある。
彼は彼なりにベストを尽くしたのだろうし、リシャールや私も協力は惜しまなかった。
少なくとも彼は、レランドでは優秀かつ期待の人物なのだ。
「それでも、悪いことばかりではないですよ。ボスマン研究所を首になった代わりに、殿下に王立の研究所へ誘われました」
「王立の研究所?」
「えぇ。これでもいちおう、僕も厳しい選抜を勝ち抜いて、推薦してもらった立場ですからね。その経験を生かして、これから立ち上げる研究所を手伝ってくれないかって」
「リシャールが?」
マセルは「はい」とうなずいた。
「どうせこのまま、レランドに帰るつもりでここへ立ち寄ったのです。殿下の隊列に同行する形で、そのまま帰国の途につく予定です」
レランドは、ここからとても遠い。
砂漠の民の暮らしも、話でしか聞いたことがない。
リンダがマセルに向きなおった。
「リシャールさまが、新しい研究所をおつくりになるの?」
「そうみたいですよ。今まであった研究所とは別に、新しい施設を作るって」
「それは、どんな感じになるのかしらね」
ふとつぶやいたリンダに、マセルは力なく微笑んだ。
「さぁね。なにしろ、まだ何も決まってないみたいだから。僕も『行きます』なんて元気よく返事はしたものの、どうなるかなんて、何も分からないのです。なるようになるしか、ありませんね」
彼はまるで、他人事のように笑っていた。
「ま、何とかなるでしょ。なんともならなくても、その時はその時です」
何もかも設備の整った最高峰の研究所を追い出され、彼は傷ついているのだ。
かける言葉が見つからない。
「私には、あなたがうらやましいです。マセル」
リンダは真っ直ぐに伸びた黒髪をサラリと揺らし、彼を見上げた。
「それでも行けるところがあり、チャレンジする場所があるでしょ。私には、ここしかないから」
リンダはボスマン研究所から戻ると、実験室に籠もり出てこなくなってしまった。
彼女が長年続けていた研究は、彼らの興味を引くものではなかった。
彼女なりに、何かを感じていたのだと思う。
素人の私の目からみても、あの研究所は別格だった。
何をしていたのかは分からないが、リンダは聖堂に戻ってからもずっと作業を続けていたらしい。
本を読み装置を組み上げ、試薬を調合していたそうだ。
表情を沈ませるリンダに、マセルは寄り添うように微笑む。
「ここはとてもいい所だよ。君はここで頑張ればいい。整った環境で過ごすということは、それだけで十分幸せなことだからね。君のこれまでの実験は……。君だけのものだ。それを誰にも、否定される覚えはないよ」
彼の言葉は間違いなく、リンダを慰めようと彼の本心から出た言葉だった。
だけどその気遣いが、余計に彼女を傷つけた。
「マセルは、私はこのままでいいと思ってるの?」
「思ってるもなにも、恵まれた環境にいて、僕にはうらやましいよ」
彼は聖堂の実験室を、ゆっくりと見て回る。
聖堂の乙女たちが行っている実験作業を見学しながら、ただ黙って静かにその様子を眺めていた。
やがて外の植物園が見たいと、その場にいた乙女の案内を受け、出て行ってしまう。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
さようなら、私の初恋
しょくぱん
恋愛
「さよなら、私の初恋。……もう、全部お返しします」
物心ついた時から、彼だけが世界のすべてだった。 幼馴染の騎士団長・レオンに捧げた、十数年の純粋な初恋。 彼が「無敵」でいられたのは、アリアが無自覚に与え続けた『治癒の加護』があったから。
だが婚約直前、アリアは知ってしまう。 彼にとって自分は、仲間内で競い合う「賭けの対象」でしかなかったことを。
「あんな女、落とすまでのゲームだよ」
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる