DR.清白の診察室 Ⅳ~ストーカー

翡翠

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 気が付くと見知らぬ場所のベッドの上だった。すぐに自分に何が起こったのか思い出して清方は身を起こした。 

 ジャラジャラと音がした。首輪が付けられ、太い鎖がベッドベッドのパイプに繋がれていた。首輪にも鎖にも鍵が掛かっている。それ以外にはきちんと衣服は着ていて何かされた様子はない。鎖はベッドとすぐ側にあるソファには、移動する事が出来るくらいの長さがあった。 

 だが窓には届かない。ふと見ると離れた机の上に、薬剤を満たした注射器が並べられていた。薬剤は透明で微かに黄色を帯びていた。 

「!?」 

 一本が空だった。明らかに使用した後がある。清方は慌てて袖を捲り上げた。左腕に静脈注射の跡があった。 

 何を投与された?今のところ自分の身体に異常を感じない。麻薬や抗精神剤ならばもっと症状がある。 

 多久 祐頼は医師だ。残虐な性格とは裏腹に医師としての腕は確かだった。彼が優秀であったにもかかわらず、特待生にも白鳳会々員にもなれなかった理由だった。。 

 母方の祖父が与党の古参議員とかで、紫霄の中では相手を殺しでもしない限り、曖昧な処分しか受けなかった。それでも学院側は大学医学部卒業と共に彼を学院都市から追い出した。 お陰で学院から出られない清方は、彼に執拗に狙われる危険から逃れられた。 

 今までどこでどうしていたのかは知らない。御園生ビルの近くで再会したのは、本当に偶然だったに違いない。清方は学院都市から外へは出られない人間だと思っていたようだから。 

「お、目が覚めたか。電撃の影響はなさそうだな」 

 祐頼はニヤニヤと笑いながら部屋へ入って来た。 

「私に何をした?」 

 清方の言葉に彼はチラリと机の上の注射器を見た。 

「アフリカで手に入れた催淫剤だ。向こうの政府がテロリストに使っていた。 

 面白い薬でな。一本目は効いたか効いてないかわからない状態なんだ。今のお前も何ともないだろう? 」 

 そう言うと祐頼は机に近付いて一本を手に取った。 

「二本目は普通の催淫剤くらいに効く。大体の持続時間は3~4時間だ。それが覚めてから三本目を打つ。すると効き目が倍増する。そんな風に薬効が数を重ねると強くなる」 

 祐頼は楽しそうに手の中の注射器を弄もてあそぶ。 

「面白かったぜ?普通、催淫剤は女と男では成分を変えなきゃなんない。だがこれは脳の快楽神経に影響を与える。大抵は三本目で堕ちる。たまに四本目まで耐える奴がいるがな。男も女も兵士たちに輪姦されてもイきっぱなしだ。よすぎて狂ったり死んじまった奴もいた」 

 瞳に異様な光を宿して祐頼は清方に近付いた。 

 一本目はほとんど効き目がないと彼は言ったが、触れられると異様な震えが全身を駆け抜けた。抵抗しようにも力が入らない。 

 清方は鎖を引っ張られて、引きずられるようにベッドに押し付けられた。入りきらない力で精一杯の抵抗を試みようとしたが、あっさりと両手首を皮ベルトで固定されてしまった。 

 ゴムで上腕を戒められ静脈に針が突き刺さった。見たくはなくても中の薬剤が注入されていくのを見てしまう。今まで感じた事のない恐怖で心がどす黒く染まっていく。 

 三本目で堕ちる…… 

 それは催淫剤のもたらす欲望に耐え切れず、相手に屈するという意味だ。目の前のおぞましい男に自ら望んで身体を開くなど死んでも嫌だ。 

 清方が考えているうちに、針は抜かれて戒めていたゴムも外された。祐頼は袖を元に戻して笑った。 

「すぐに効いて来る。お前がこの美しい顔を、欲望に染めるのが見られる。楽しみだな」 

 空になった注射器を机に置いて彼はエアコンを操作した。 

 そして清方の側に戻った。 

「欲情した姿を見せてもらわないとな」 

 手にはアーミーナイフが握られていた。清方の衣類を次々と切り裂いていく。肌に傷を付けないように細心の注意を払いながら。 

 清方は動けなかった。さらにゆっくりと痺れたような感覚が全身に広がっていく。 

 これが催淫剤…?遊んだ経験は数多あってもそんなものを使用した事はない。慈園院家の秘薬の処方も知っているが、自分で使おうと思った事はないし、雫も使わない。だから感覚がわからない。痺れは感じるが、それ以外の感覚は今のところはない。 

 全てを引き裂き終えて清方を全裸にした祐頼は、身体をじっくりと検査でもするように眺めた。 

 昨夜も雫と愛し合った。その痕跡が無数に残っている筈だ。 

「一緒にいた成瀬が恋人か?」 

 清方は答えなかった。迂闊うかつに答えて、雫に累を及ぼすわけにはいかない。 

 答えないでいると祐頼が覗き込むようにして手を伸ばして来た。

「…ッ!?」 

 清方は息を呑み、飛び出しそうになった嫌悪の悲鳴をかみ殺した。

「思った通り手触りの良い肌だ」 

 撫で回されてゾワゾワとした、常のものとは異質な快感が起こった。 

「同じ歳とは思えないな」 

 肌が泡立つ程不快なのに感覚は心を裏切る。 

「…くッ…あ…止め…」 

 息が苦しい。だが酸素を得ようと口を開けば嬌声が漏れてしまう。意識の半分は冷静だ。雫には会ってしまったから今更仕方がない。一緒にいたのが夕麿や武、雅久でなくて良かったと思っていた。自分にこれだけの執着を見せるなら、彼らに出会ったならただではすまない。これ以上彼らを傷付けたくない。 

「ひィッ!ああッ…!!」 

 いきなり乱暴に乳首に爪を立てられて、悲鳴をあげて仰け反った。 

「まだ考え事をする余裕があるか」 

 残忍な笑みを浮かべて身体を撫で回す。 

「どうだ?欲しくなって来たか?」 

「生憎…十分過ぎるくらい足りてます…汚い手を、どけていただけませんか?」 

 これならまだ耐えられる。雫はきっと探してくれている。助けは来る。武や夕麿が味わった痛みに比べたら、こんなものは何でもない。 

「ほお?」 

「こんな汚い方法を使うあなたに、私は屈したりしません…絶対に」 

 清方の言葉に祐頼は嘲笑って言った。 

「テロリストたちも皆、同じ事を口にするんだ。お前もそのうちにのた打ち回って、俺に懇願するようになる。 

 まあ良い。明日の朝まで一人にしてやろう。三本目は明日にしてやろう。優しい俺に感謝しな」 

 時間をおいて投与しても効果は変わらないらしい。 

「ぅくッ…ああッ!」 

 指先で既に欲望のカタチを示し、蜜液を滴らせているモノを撫でられて、背骨がたわむ程仰け反った。 

 腰が揺れる。だが心は冷え切っている。身体だけが異様な反応をしている。 

 笑いながら出て行った祐頼を忌々しく思う。 

 屈辱に唇を噛み締めた。欲望の炎がユラユラと心を侵蝕しようと揺れ動く。拳を握り締めた。耐えなければ。自ら慰めるのは簡単だ。だがそうすれば自分を止められなくなる。欲情に負けたら次は祐頼に屈してしまうだろう。 

 狂おうが生命が危険にさらされようが、雫を裏切りたくはない。第一、清方の誇りが許さない。雫が救いに来てくれた時にあの男に抱かれている最中などあってはならない。 

 もし耐え切れなかったら……どんな方法を取っても、この生命を絶つ!



 モニターの中に何かを突き付けられて、倒れ込む清方の姿がはっきりと映っていた。意識を失ってぐったりしている身体を、多久 祐頼らしき男が後部座席に連れ込んだ。再び出て来た彼は、監視カメラがあるのを間違いなく意識して行動していた。しばらく立ち止まり自分の姿をさらしてから、男は運転席に乗り込んで車を発信させた。 

 車種は普通にどこにでもある一般車。監視カメラに映り込んだナンバープレートは、車がレンタカーである事を示していた。だがビルのある地域の北方にある監視システムを通過した後、その車はどこのシステムにも記録されていなかった。レンタカーの営業所に提示された多久 祐頼の免許証の住所は、アフリカから帰国した彼が数ヶ月住んでいただけのマンションだった。その後の消息はまるっきり途絶えていた。 

 昨今は賃貸契約をするのに、住民票の提示を求めるオーナーもいる。それを見越して所轄が不動産屋をしらみつぶしに当たったが、祐頼らしい男が新たに部屋を借りたり購入した形跡はなかった。 

 祐頼の両親は現在、都会を離れた環境の良い場所にある、高齢者専用高級住宅に住んでいた。良岑刑事局長直轄のキャリアが、祐頼の同級生と名乗って接触したが、彼らは一人息子が帰国した事すら知らなかった。 

 監視システムのない道路を選んで移動した場合、追跡の方法がない。レンタカーは清方が連れ去られた日の夕方、元の営業所に返却されている。どこかで別の車に清方を乗せ替えて、レンタカーを返却したと考えられた。レンタカーの走行距離はさほどではなかった。 

 手掛かりが掴めないままで時間だけが経過して行く。 

 雫は食事すら喉を通らない。高子が消化の良い食事を持って来るが、それすらも咀嚼そしゃくして呑み込むのが辛い状態だった。見かねた周が栄養剤を点滴投与したが、彼もまた憔悴しょうすいの色が濃かった。 

 護院夫妻も御園生邸で眠れない日々を過ごしている。高子は毎夜、小夜子や絹子と御園生邸近くの神社で、清方の無事を祈願してお百度詣りを行っていた。 

 武と夕麿も貴之からの報告を受けながら、仕事に追われている状態だった。未だに清方に定期的にカウンセリングを受けている雅久は、いつもの集中力を欠いて失敗を繰り返している。 

 足跡が見当たらない。 

 誰もが八方塞がりに絶望的になりかけた時、所轄のベテラン刑事がひとつの情報を持って来た。祐頼の遠縁の知り合いが、彼に使用していない別荘を譲ったが、未だに名義変更を済ませていないと証言したらしい。別荘の場所はレンタカーが通過したデータが残る北方向の道の向こうにある。レンタカーの営業所は監視システムの向こう側。 

 間違いあるまい。包囲して説得と言う所轄の方針を雫はきっぱりと拒否した。そんな事をすれば間違いなく、祐頼は清方を殺してしまうだろう。 

「室長! お供します」 

 単独で乗り込もうとす雫に名乗り出たのは、ずっと情報収集と分析に専念していた貴之だった。有無を言わせぬ気迫で雫の横に立った。 

「武さまのご命令か…?」 

「いいえ。武さまも夕麿さまも、全ては室長にお任せするように申されました。これは俺の独断です。あなたにもしもの事があったら、清方先生のご恩に仇で返す事になります」 

「恩?」 

「俺が前に進めたのは、清方先生の治療があったからです」 

「どこの世界に患者と寝て治療する医者がいる…」 

 天を仰いで呻くように雫が呟いた。貴之が苦笑する。呆れたような態度はとっても、雫は貴之と清方の関係を嫉妬しない。もっと大きな心で清方を包み込んでいる。 

 それは夕麿の全てを受け入れて、一心に愛し続ける武と同じだった。その辺りは二人の血の繋がりを感じる。 

 自分の恋人の所業に呆れている雫の横で、貴之がクスクスと笑う。雫の肩から余計な気負いの力が抜けた。その事に気付いた雫が貴之の肩を軽く叩いた。 

「行くぞ、貴之」 

「了解です」 

 二人はスッと真剣な顔になり、貴之が手配したランドローパーに乗り込んだ。素早くナビに目的地を入力し、問題の別荘の俯瞰ふかん写真と見取り図、及び周辺地図をプリントアウトしたものを手渡された。わずかな時間で必要な情報を入手する貴之の手腕に改めて、雫は感嘆と底知れぬ畏怖のような感覚を覚えた。

  周と夕麿には既に連絡してある。周は病院で保と一緒に準備を整えて待っている。夕麿は武と共に急いで御園生邸に帰宅した、護院夫妻の側にいる為に。 

 清方は無事でいると誰もが信じていた。彼がどのような目にあわされていたとしても、雫ならば全てを包み込んで愛する。二人を温かく見守り、支えて行く家族も仲間もいる。 

 だから…どうか無事に帰って来て欲しい。 

 誰もがそう思っていた。祈っていた。




 全身の神経が悲鳴を上げていた。痛みよりも痛い感覚が存在するのだという事実を清方は体感していた。だがそれでも多久 祐頼のような男に、雫を裏切って屈するつもりはない。 

「大した忍耐力だな?」 

「お褒めに…預かり…ッ…嬉しい限りです…」 

 僅かな身じろぎすら鋭敏になり過ぎた神経を刺激する。 

「まだ憎まれ口が叩けるのか?さっさと楽になれば良いものを」 

 祐頼が忌々しげに吐き捨てる姿に少しだけ溜飲が下がる気がした。 

 彼の手には注射器がある。それを打たれれば4本目になる。既に限界に来ている神経は、更なる投薬には耐えられないだろう。 

 狂うか、死ぬか。それでも矜持きょうじは守れる筈だ。 

 紫霄で絶望の底を這い回っていた自分が、周と武に救い出されてから10年。雫と再会し愛を取り戻した。母が迎えに来て両親の元へも帰れた。監視のない環境で幸せに生きてこられた。雫と両親の元に帰りたいとは思う。 

 ロサンゼルスでギリギリの状態に追い込まれた、武の想いと苦悩がわかる。いや、武の場合は誰かが確実に犠牲になった。彼に逃げ道はなかったのだ。比べればまだ自分は楽だと思う。催淫剤に蝕まれながらなお、意識がはっきりとしていた。苦痛を長引かせる原因になってはいるが有り難いと思う。テロリストたちが屈したのは恐らく、精神の侵蝕されてしまったのだろう。いつの間にか分析をしている自分に気付いて清方は笑い出した。こんな状態になっても自分は骨の髄まで精神科医だと。 

「何がおかしい?とうとう狂ったか?」 

 祐頼が多少狼狽うろたえた様子で言う。その姿が滑稽に見えた。もっと笑いが込み上げて来る。 

「何です、その顔は……」 

 どこか精神ののタガが外れたのかもしれない。笑いが止まらない。涙が溢れ出て来たのに笑う自分を止められない。 

 ああ…とうとう自分の中でどこかが壊れ始めた。雫…雫…まだ意識が正常なうちにもう一度…顔が見たかった。優しい声が聞きたかった。 

 雫…雫…ありがとう。そして…どうか許して。あなたを待てなかった私を。 



「はい、貴之です」

 件の別荘へ向かう車中で突然鳴った携帯に貴之が慌てて出た。姓ではなく名前で出たという事は身近な者からの連絡だろう。清方の救出に向かっているのは関係者は皆知っている。そこを敢えてかけて来たのは、何かの情報があるに違いない。

「はい…そうです。多久 祐頼はアフリカにいました。

 ………え!?それは本当ですか!?……………………解毒剤?手に入るのですか?………周さまが?…わかりました、伝えます。

 ありがとうございます。はい…必ず救出いたします」

 通話を切った貴之が深々と息を吐いた。

「誰からだ?」

「父からです」

「刑事局長は何と?」

 そう問われた貴之が真っ直ぐに雫を見た。

「多久 祐頼は米軍が身柄を拘束しようと、外務省・防衛省・警察省に極秘裏に交渉していた最中らしいのです」

「どういう事だ?」

「派遣されていた国の軍に協力して、テロリストの拷問や虐殺に関与していたらしいのです」

「なんて…奴だ…皇国人の恥だな…」 

 体調を崩してでも海外を公務に回る武と夕麿の努力を、無に帰するような行為に雫は怒りが隠せなかった。 

「問題はここからです」 

「問題?そう言えば解毒剤と言っていたな?」 

 雫の心を不安が過よぎる。残虐行為に手を貸して来た男が、拉致した清方に何をしているのか。 

「多久は帰国する時に医師の立場を利用して、テロリストの拷問に使用した薬を持ち帰ったようです」 

「拷問用の薬だと!?」 

 多久 祐頼がいた国の政権が先日、米軍の手で崩壊させられた。アメリカ人ジャーナリストを複数逮捕し、拷問にかけた上で殺害した事を理由に。その結果、捕らわれていた人々が解放された。中には行方不明になっていた国連や赤十字の関係者もいた。 

 そこから祐頼の事が判明し 既に帰国していた彼の引き渡しを、アメリカ側が要求している最中に清方が拉致される事件が起こったのだ。 

 貴之は父からたった今聞かされた薬の性質を雫に説明した。 

「解毒剤は周さまが受け取られて、救急車でこちらに向かわれています。ですから…室長…」 

「わかっている…俺はそんな事で清方を捨てたりしない。13年も待ったんだぞ?アイツが付き合った人間がいても、俺は全部を含めて受け入れたんだ。ましてや…これは清方が望んだ事じゃない」 

 拳を握り締めて雫は怒りに身を震わせながら言った。 

「その解毒剤ですが…交換条件として多久の身柄の引き渡しを要求されたそうです。我々は逮捕は出来ます。人命がかかっている事と拉致されたのがアメリカに滞在していた、紫霞宮ご夫妻の主治医である事などの事実が米軍の関与を退けたそうです。 

 ただし我々が動けるのはそこまでです。多久は我々が逮捕した後、米軍へ引き渡されます」 

「軍事法廷で裁かれるという事か?」 

「はい。皇国貴族であった事実は全て抹消されます。いえ、我が国の臣民であった事すら抹消されるかもしれないそうです」 

「ならば良い…米軍の軍事法廷は残虐行為に加担した者を絶対に許さない。それこそ拷問に掛けても事実関係を吐かせる。奴は銃殺刑を免れないだろう。 

 相応しい処罰だ」 

「俺もそう思います。室長、弾の一つ二つは目を瞑りますが…殺さないでくださいよ?」 

「当たり前だ。そんな楽をさせてたまるか」 

 この人は大丈夫だ。 

 貴之はそう思った。成瀬 雫は強い。どんな状態に清方が置かれていても、彼ならば全てを受け入れて変わらない愛を貫くだろう。 

 かつて肌を重ねた人間として貴之は、清方の幸せを望んでいた。 




 車は別荘にいる祐頼に気付かれないギリギリの距離で停車し、雫と貴之が銃を手に弾の実装を確認する。それ以外に貴之が小型のケースを手にしていた。中身を見せてもらうとダイヤモンドカッターと吸盤が入っている。硝子を音なく切って侵入する為の物だった。貴之は警察官になる前に修羅場を抜けて来ている。だから場慣れしているのだ。彼が単なるキャリア組と違う部分であった。

 二人で道を離れ木立の中の獣道を登って行く。覆面パトカーを運転して来た所轄の刑事は、後を追って来る他の車両と周の乗る救急車を待機させる手配をする為に残っている。

 すぐに別荘の庭に出た。ロッジ風の建物の間取りは既に頭に入っている。清方が監禁されている可能性があるのは、切り立った崖側にある客室だと思われた。

 貴之はその部屋の隣室のテラスへ組まれた木製の柱を器用に登って行く。彼がテラスに到着したのを確認して、雫は元の持ち主から手に入れた鍵で玄関を開けた。遮るチェーンロックを切断して土足のままで踏み込も。

 一階には誰もいない。物音をさせないように慎重にリビングを横切って、二階への階段を上がった。目論見を付けた部屋のノブを回すと鍵がかかってはいなかった。

 雫は貴之と合図を交わしながら中へ踏み込んだ。

「多久 祐頼。速やかに護院 清方を解放しなさい!」

 雫の声に衝立の向こうで物音がした。銃を構えたままで仕切りを回った。目に真っ先に飛び込んだのはベッドに横たわる清方の姿だった。祐頼の姿はない。

 警戒しながら踏み出すと、物影から注射器を握り締めた祐頼が襲いかかって来た。瞬時に隠れていた貴之の銃が火を吹いた。銃弾は注射器を握っていた腕を貫いた。

 雫は清方に駆け寄った。

「清方?清方!しっかりしろ!」

 息はあるが意識はない。

「貴様、清方に何をした!?」

 振り向きざまに叫んで祐頼が落とした注射器を拾い上げた。

「これを打ったのか!?」

 雫の詰問に祐頼は傷付いた手を庇いながら嘲笑あざわらいを浮かべて答えた。

「やはりあんたが奴の相手……」

 だがその言葉は最後まで言わせてはもらえなかった。雫が銃のトリガーを引いたのだ。銃弾は膝を貫き、鮮血がゴボリと傷口からあふれ出した。祐頼から絶叫が飛び出した。

「生命に関わらない傷なら許されるんでな。医者ならわかるだろう?今の銃弾は膝の関節を砕いた」

 冷酷な声が響いた。雫が手にしている銃は44口径のマグナム。近距離での破壊力は凄まじい。普段は蓬莱皇国警察が通常使用する銃を雫も使用している。

 破壊力の大きい銃はそのままに愛する者を奪われ傷付けられた怒りを表していた。

「何本打った!?清方は何故意識がない!?」

 下の道から救急車の音がする。貴之の連絡を受けて周が来たらしい。慌ただしく階段を駆け上がって来る音がする。貴之がとっさにシーツで清方の身体を包んでから叫んだ。

「首輪の鍵はどこだ!?」

 その言葉に祐頼の血まみれの手が机を指差した。貴之が近付くと注射器が4本並んでいた。うち三本が空だ。鍵を取りながら雫に言った。

「どうやら投与されたのは、三本のようです」

 周と救急隊員が駆け込んで来た。貴之が首輪を外し、シーツで包んだ。

「周さま、投与されたのは三本です」

「意識がないのか!?さては清方さん、最後まで頑張ったな?」

 点滴針を静脈に刺しながら周が呟いた。

「雫さん。清方さんは操を守り抜いたみたいですよ。そういう所は相変わらず頑固なんだから」

 周は米軍の医師からきちんと説明を受けているらしい。合図をして清方を運び出させる。

「雫さん、解毒剤は多めにもらってある。清方さんは大丈夫だ」

 雫にそういうと周は徐に祐頼に近付いた。

「お前が同じ医者だと思うと恥ずかしさはもじさに反吐が出る」

 周はそう言うと銃弾に撃ち抜かれた膝を力一杯蹴り上げた。

「雫さん、僕は先に行ってる。貴之、米軍には連絡を入れた」

「担架を一応頼む。連れ帰るのは面倒くさいな」

「周さま、所轄を呼んでください。室長、あとは俺が引き受けます。清方先生のお側へ行ってください」

 清方は意識を失うまでずっと雫を待っていた筈だ。そう思うからこそ雫を行かせたかった。意識が回復した時に愛する人の顔が、真っ先に見えたらどんなに安心するだろう。危険と隣り合わせの仕事だからこそ貴之はそう思った。

「すまない…感謝する」

 雫はそう言って周と一緒に立ち去った。

 残された貴之は銃を祐頼に向けて立っていた。銃創に対する応急処置もしない。貴之にとっても清方は恩人だ。快楽だけを覚えてしまった身体を持て余していた。それを癒してくれたのは彼だった。敦紀と付き合う以前に関係は終わり、見事なくらいに貴之は自分の欲望と折り合いが、つけられるようになっていた。治療……まさにあれはそうであったと思う。

 貴之は所轄が駆け付けたのを確認して銃を下ろした。

「あとは頼んだ」

 駆け付けた所轄の警官たちに任せて、銃をホルダーに戻し貴之は踵を返して立ち去った。



 目を開けると光の中にいた。多久 祐頼に連れ込まれた場所はいつも薄暗かった。眩しさに瞬きを繰り返してようやく明るさに目がなれた。

「気が付いたか?」

 響いて来た声に胸が熱くなる。

「雫……」

 差し出した腕にはまだ点滴の針が刺さっていた。武道で少し節くれだった指が頬を撫でる。軽く触れるだけの口付けをして、雫は枕元のナースコールを押した。

〔どうされました?〕

 ナースの声が返って来た。

「目を覚ました。周先生を呼んでくれ」

〔承知いたしました〕

 通話を終えて再び自分を見た雫に清方はゆっくりと問い掛けた。

「私は…どれくらい眠っていたのですか?」

「4日だ。奴の別荘に踏み込んで、意識がないお前を見た時には、怒りで目の前が真っ暗になった。貴之がいてくれなかったら俺は奴を撃ち殺していた」

 貴之が雫と一緒に行動してくれた。過去の経験を踏まえて、雫が暴走しないように配慮してくれたのだろう。

「待っていました…あなたがきっと助けに来てくださると信じていました」

「わかってる。あんな物によく耐えたな。ありがとう、清方」

「当然でしょう?」

 雫は自分の気持ちをわかってくれた。それが嬉しかった。あの男に汚されても、雫は受け入れて抱き締めてくれただろう。だがきっと救えなかったと生涯苦しむ。同じように武が苦しんだのを見た事で。間に合わなかった貴之も苦しんでいたから。だから絶対に貫き通したかった。

 インターホンがなった。雫がロックを解除すると周が入って来た。すぐに脈を取り熱を計る。

「気分は?」

「悪くはありません」

「身体の感覚は?」

「催淫的な欲求はありませんし、手足も普通に動きます」

「わかった。もうこれは必要ないな」

 周はそう言うと清方の腕から針を抜いた。

「それは…?」

 点滴台から外される薬剤を見て清方は首を傾げた。

「解毒剤だ」

「解毒剤…?」

「米軍が多久 祐頼と引き換えにくれた」

 雫が祐頼のアフリカでの罪状と、米軍が身柄を蓬莱皇国政府に要求していた事を話した。

「確かに…そのような事をしていたと彼は口にしていました」

 医師でありながら人命を奪う事に加担していた。それは同じ医師として腹立たしい事だった。

「高子さまと久方さまには連絡した。武さまにも夕麿にも連絡した。もっとも夕麿は動けないが」

「動けない?」

 驚いて聞き返すと連続して武が発作を起こした事。清方がとんでもない人間に連れ去られた事。それによって武が再び、発作を起こすのではないかという危惧。

 そして…ずっと武の分の仕事も背負っていた為の過労。心労と過労が蓄積していた状態で、清方が無事に救出されたとの知らせを受けた。それで一気に身体が悲鳴を上げたのだった。

「元々夕麿は働き過ぎなんだ」

 周が苦笑する。

「じゃ、食事を用意させる。雫さんの分は、高子さまがお持ちくださるそうだ」

 周はそう言い残して部屋を出て行った。

「本当に身体は大丈夫か?」

「ええ。あの不快な熱は感じません。雫、ありがとう」

「お前が無事で良かった」

 雫は清方をシーツ越しにしっかりと抱き締めた。数日間の絶食で痩せた身体が痛々しい。

「元気になったら旅行にでも行くか?」

「そうですね」

「約束だぞ?」

「ええ」

 取り戻せた微笑みに二人はホッと息を吐いた。




     
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目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

見合いの後に

だいたい石田
BL
気の進まない見合いをしたその夜。海は執事である健斗を必ず部屋に呼ぶ。 2人の秘め事はまた今夜も行われる。 ※性描写がメインです。BLです。

【8話完結】恋愛を諦めたおじさんは、異世界で運命と出会う。

キノア9g
BL
恋愛を諦め、ただ淡々と日々を過ごしていた笠原透(32)。 しかし、ある日突然異世界へ召喚され、「王の番」だと告げられる。 迎えたのは、美しく気高い王・エルヴェル。 手厚いもてなしと優しさに戸惑いながらも、次第に心を揺さぶられていく透。 これは、愛を遠ざけてきた男が、本当のぬくもりに触れる物語。 ──運命なんて、信じていなかった。 けれど、彼の言葉が、ぬくもりが、俺の世界を変えていく。 全8話。

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