蓬莱皇国物語 最終章〜REMEMBER ME

翡翠

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想いは巡る

 夕刻になって全員で寮の食堂へと向かう。ここは寮のセキュリティカードがなければ、食事を摂ることができない。行長が皆に手渡したのは特待生寮のキーカードだった。

 武と夕麿が手にしたのは忘れるはずもない。最上階特別室のカードだった。

「特別室?」

「はい。中は生徒会室と同じく、リフォームや家具等の入れ替えをしてあります。セキュリティを考えても学院都市の宿泊施設よりも安全と考えました」

 行長の説明に武は夕麿を見上げた。

「良いのではありませんか?雫さんたちもその方が安心でしょうし、武はイヤな理由でもあるのですか?」

 薫たちがいた痕跡が残っているのであれば、夕麿も特別室に滞在するのは考えた。だが通例として前居住者が使用していた物は、取り替えるのが特別室の慣習であった。実際に武が卒業後にも全面入れ替えが行われている。似た様なものが揃えられたりすることが多く、元の住人が訪れてもわからない場合が多い。

 ただ、武の居室だった時には御園生 有人が家具を自費で入れた経緯があり、それまで住人不在だった特別室の仕様の基本になったのは、彼らが知らない事実であった。

「ピアノは調律してあります」

 薫の時に部屋にあったピアノは元々は御園生家の物で、夕麿が薫のために運ばせたものであった。現在の御園生邸には夕麿所有の六本脚のベヒシュタインが二台ある。

「別にないけどさ」

 武の言葉に全員の頭に疑問符が浮かび上がった。だがその意味にいち早く気付いたのは、清方と義勝だった。

「ん?昔を思い出したな?」

 すかさず義勝がからかう。すると武は頬を染めて横を向く。

「義勝、武をからかうのはやめてください」

「申し訳ございません」

 夕麿の言葉に謝罪を口にしたのは雅久だった。

「何でお前があやまる」

「パートナーの過ちは私の過ちでもありますから」

 彼は義勝を横目で軽く睨んでから、涼しげに言った。

 食堂でテーブルに着いてキョロキョロと武が見回した。

「本当に特待生は一年生だけで、白鳳会はいないんだな」

 場所は懐かしいのに、いるはずの人々の姿がない。階下のテーブルも疎らだ。

「外部編入を増やそうと考えております」

 行長が言う。

「もっとも武さまの様に許可が出る成績の者がどれくらいいるのか......ですが」

 確かに武の編入試験の成績は全教科満点ではあった。だが、元より編入は既に決定していただろう、皇家の貴種であることを理由にして。事実としてわかってはいても、口にしないのが礼儀だ。何よりも武が傷付く。

「まさか、満点の生徒しか編入させないつもりか?」

 周が苦笑しながら言う。行長とは共に武の卒業まで補佐をした縁がある。ゆえに彼の性格はよく知っている。

「まさか!そんな天才がゴロゴロしていたら、我が国はノーベル賞受賞者で溢れてますよ」

「いや待て、下河辺。俺にはノーベル賞は取れんぞ?」

「武さまに斯様かような期待はしておりません」

「お前な~」

 同席している特待生たちは目を白黒させて、彼らの軽口をみつめている。彼らにとって武は雲の上の存在だ。それなのに彼を取り巻く人々は彼をからかう。本人を含めた誰もそれを止めない。

「うまいこと集まったらええけど......」

 雅久の言葉に全員が頷く。

「案ずるより産むが易し、じゃないの?」

 月耶がさりげなく言うと武が笑った。

「お前、滅茶苦茶ポジティブだな」

「え~普通だと思うけど?武さまが逃げるだけ......痛てッ」

 横から行長のゲンコツが頭に落ちる。

「何すんだよ、先生」

「何するじゃない。いくら武さまがタメ口で良いって言われたからと言って、ものには限度というものがあるでしょう、月耶」

「申し訳ございません、弟の教育が行き届きませんことを謝罪いたします」

 三日月が頭を下げる。

「三日月兄さん、何で俺の味方してくれないの!」

「あなたが悪いからです」

 周の横でお茶を飲みながら朔耶が言う。

「酷ぇ!朔耶兄さんまで!武さま~みんなが俺をイジめる!」

「月耶、それを俺に言ってどうする?」

 武が呆れた声をあげ、全員が噴き出した。

 薫と葵の暴走が一番に傷を深く附けたのは月耶だっただろう。薫と月耶は同じ年齢の乳兄弟だ。主従関係にあっても親友だと信じていた。

「ここにいるといいことも悪いことも思い出しちゃうな......」

 月耶が遠い目で呟いた。

「良い思い出だけを拾っておけばいい」

 武が答えた。

 辛い思い出、悲しい思い出なら山ほどある。だがここは生涯の伴侶と家族、友や仲間に出会えた場所だ。

「少なくとも俺の原点だと思ってる」

「それはわかるけど......割り切れないよ」

「割り切れないさ。そんなの当たり前だろ?」

「だから拾う?」

「そうだ。そこにあるのは仕方がない。だがいちいち拾ってたら自分の中が一杯になる。そんな重いものを持ち続けるのは無理だって気付いた」

 辛い想いや悲しい想いは存在の『重さ』だけでも相当だ。すべてを抱えて生きるのは難しい。決して捨てる訳では無い。『そこ』にあるのを受け入れてとりあえずは眺めるだけにしておけばいい。時には拾わなければならないこともある。どうしても置いておけないものもある。だがすべてを抱える必要はない。

 捨てることはできないもの。捨ててはいけないもの。

 記憶を失う......というのがどのようなものであるのか。武は雅久を見て来た。なくなれば楽になると普段は考える者が多いのではないだろうか。しかし都合よく『嫌な記憶』だけ忘れるわけではない。確かに雅久はある現実から逃避するように、記憶を自らの奥深くに強く封じ込めて消してしまった。同時に愛する人との生活や想いも、友や仲間との交わりも消えてしまった。

 彼の唯一の救いが生活のためのものと舞楽や和楽器、特に龍笛への技術や心が『記憶』ではなく、『本能』『本質』として失ってはいなかった事実だった。皮肉なことだった。彼の異母兄たちやその母親が、嫉妬をもって忌み嫌った雅久の優れた部分は、何一つ失われることがなかったからだ。むしろ記憶を失うことで邪心が消えてより研ぎ澄まされたとも言える。

 元より『伽具耶比売かぐやひめ』『天人あまびと』と呼ばれる性別を超えた美貌は、三十路を迎えた現在でも艶を増しても衰えることはない。

「そうですね。私もそのように思います」

 武の横で夕麿が穏やかに微笑んで言った。彼にしても消せない、消えることのない記憶がある。けれど今の幸福はすべてを満たし、充たしている。だからこれで良いのだと思える様になった、やっと。

「だからこそここの『負の遺産』は解消されなければなりません」

 雫の言葉に彼らは頷いた。ただ今の生徒会執行部は『負の遺産』のすべてを知らない。学院都市ここに閉じ込められること等しか知らないはずだ。

 今はそれでも良かった。できれば彼らに危害が及ばない限り、知らないままでここを旅立って欲しいの願っている。

 当然ながら静麿はある程度のことは知っている。月耶が怪我を負った時に転校を打診され、高等部で何が起こったのかも説明されている。心底恐ろしいことだとも思った。

 執行部の皆にどう話そうかと考えていると、目の片隅に武の行動が映った。

 武と夕麿の食事はそれぞれの専属秘書が運んで来たのだが、白飯と汁物はそれぞれなのだがおかずは様々な種類を乗せた皿で二人共通だった。これは食が細い武が少しでも多くの種類を食べられるように、という学生時代からの夕麿の配慮だった。

 そのおかずの皿のあちこちを武がつついて、自分の取り皿により分けている。側にいる者たちは何をしてるのかを理解しているのだろう、苦笑していたり微笑んでいる。御園生邸では見たことがない光景だった。

 何だろう?と思った静麿は階下にお代わりを取りに行くついでに、チラリと武の皿の上を見た。そこには様々な料理に入っている人参が取り分けられていた。

 武の好物が人参だとは聞いたことも見たこともない。思わず首を傾げるが視線を感じて振り向いた。義勝が笑っている。さらに疑問が増して夕麿を見ると赤くなって横を向く。意味がわからずに立ち竦んでしまう。

「あれ?もしかして夕麿さまって人参苦手?」

 月耶がいつもの調子で声を上げる。これに武がギョッとし、夕麿が俯いた。

「まったく、あなたは......」

 朔耶が溜息混じりに呟いた。すると平然とした顔で月耶が言った。

「朔耶兄さんだってピーマンとセロリダメじゃんか」

「月耶」

 低く鋭く名前を呼んだのは三日月だった。

 実は朔耶も自分の好き嫌いに関しては在校中は隠していた。それができたのは兄の嫌いなものをこっそり、取り除いていた三日月がいたからだった。ゆえに武がせっせと人参を取り除いているのには気付いたが、知らないふりをしていたのだ。

「好き嫌いなんて誰にでもあるじゃん。何で隠すのさ?」

 当たり前の顔をして問い返す月耶に、ある意味で羨ましいと感じたのは一人や二人ではなかっただろう。

「夕麿さまってさ、『完全完璧』な人ってイメージあるけど、俺は人参嫌いな夕麿さまの方が良いと思う。何か凄く身近な人じゃん」

 何か含むものもなく月耶は直球で真実を口にする。以前は武に似ていると言われたが、こうして見れば人見知りな部分がないだけに否定できるだろう。

「誰にでも得手不得手はあるもんだし、好き嫌いもあるもんじゃないか。隠す必要もないと俺は思うし、あったからと言ってその人の何かが変わるわけじゃない。もしもそんなんで離れる奴がいるなら、そういう相手だったって思えばいいよ」

 恐らくはこれは彼が薫のことで、自分の気持ちに区切りを付けた方法なのだろう。『主』で『乳兄弟』で『親友』だった薫が、まるで知らない誰かに変貌してしまった。月耶たち兄弟までも『裏切り者』と呼んだ葵を、彼は止めることも諌めることもしなかった。

「どっちが裏切ったんだ」

 病院で朔耶を葵が『裏切り者』と呼んだ話を聞いて、月耶の口から飛び出した言葉だった。

「正論は正論だな。それで生きれるのは凄いと俺は思うぞ?」

 武が笑いながら言う。身分や立場から言いたいことの半分も言えない時がある。だから羨ましく感じる。

「ま、武さまが夕麿さまのために人参取り分けるのは、ラブラブだからいいんじゃないの?よく見てるとさ、周先生も朔耶兄さんのピーマンとセロリとってるしさ」

 他山の石と笑っていた周が、飲もうとしていたカップを慌ててテーブルに置いて目を白黒させる。

 だがよく見ているとわかったはずだが、武の周囲の者たちは多かれ少なかれ、自分のパートナーのダメなものを取り除いていたりする。

 武の影響でもあるが、長く共に寄り添って生きて来た彼らの愛のかたちの一つであるのも確かだ。

 行長は思い出す。夕麿たちの卒業後、ストレスで武の食事の量が減って行ったのを。周や敦紀と相談して懸命に、武が好むものを模索した。周の料理の腕と夕麿のアドバイスで、ある程度は回復したが、夕麿が戻って来た時の武への配慮には脱帽するしかなかった。

 愛情に勝るスパイスや薬はない。

 この事実は今も変わってはいない。二人は穏やかに微笑ましく仲睦まじい。その内側に共に在らなければ生命はいらない......という激しさを包み隠していても。

 武を巡る現実は周囲に侍る者たちにも多大な影響を与えている。だが今の様に穏やかに過ごす二人を、このまま永遠であれと願うのも彼らだった。

 そして、静麿も二人をジッと見つめていた。いや、二人だけではない。彼らの周囲にいる先輩たちも見つめていた。

 彼らが一番に心を砕くのは、武が武らしくいられる空間をつくること。それぞれの習慣に従って、武の呼び方が違うという事実。

 もちろん、長期休みの半分前後を御園生邸で過ごして来た静麿には、見慣れた光景ではある。今更......なのはわかってはいる。

 だが、『紫霄』という場所にいる彼らは『何か』が違う気がするのだ。武と異母兄の睦まじさも普段よりも格段に増している。

 彼らがここを大切にする理由が見えた気がして、何としてもここを守らなければと身が引き締まる心地がする。

 執行部の生徒たちも最初は緊張していたが、月耶がいつもの調子で話を振り、いつの間にか武たちとも普通に会話するほどになった。何よりも行長が武をやり込める姿を、周囲が当たり前に受け入れている状態に彼らは驚いていた。

 月耶が武の代の副会長だったのだと説明すると、いつもの武と行長の掛け合いが始まり、夕麿が苦笑するのを見て親しみを感じたようだった。

「生徒会執行部で一番大切なのは、互いを信頼することです。そうでなければ連携はとれません」

 数多ある歴代生徒会長で、夕麿は伝説中の伝説と呼ばれる。本人は困り顔をするが、武との婚姻も含めて彼の在校中も卒業後も、生徒たちに強い影響を残したのはまぎれもない事実だった。

 その彼が言うのだ。そこにいる在校執行部の者たちはしっかりと頷いた。

「弟は......静麿も頑張ってくれてはいますが、一人でできることには限界があります。私も周囲に助けられて一年間を務めて、ここにいらっしゃる武さまにバトンタッチいたしました」

 そっと武と視線を絡ませてから、夕麿は再び口を開いた。

「私の在任中は幾つかの大きな問題があり、無事に解決には至ったものの学院都市の改革を考えなければならない状態でした」

「改革はここのところ少し停滞してるか、後退はしてはいる。だが再び進めると約束する」

『暁の会』はそもそも武が立ち上げたものだ。現在は運営そのものを護院家に委託しているが。

 武の言葉に夕麿は穏やかで優しい笑みを浮かべて頷き、再び口を開いた。

「皆さんを含めて一年生が生徒会を運営するという前例のないことをする訳です。ですがやらなければならないこと、やっておきたいことは同じです。

 静麿の兄としてだけではなく、元生徒会長としてどうか、高等部をお願いします」

 そう言うと全員が現執行部に向かって深々と頭を下げた。

 何か打ち合わせがあった訳ではない。彼らは純粋に現状のここの有様を嘆き、これを何とかしていかなければならない現執行部の静麿たちに、外部から協力しかできないのを申し訳なく感じていた。

「どうか、皆さま......お顔をお上げください」

 慌てた様に口を開いたのは、静麿から副会長だと紹介された、宇治原  一志うじはら かずしという生徒だ。

 夕麿とほぼ同じ身長の静麿よりやや低いが、それでも十分に長身の生徒で、雰囲気としては天羽 榊に近い。

「宇治原君でしたね?あなたの補佐があってこそ会長として弟は動けます。苦労をかけますがお願いしますね」

「と、とんでもごさいません!私などお役にたっているかどうか......」

 夕麿に直接に声をかけられて一志は慌てふためいた。

「副会長は大事だぞ~」

 月耶が笑いながら言う。武と行長の関係を知ってるからこその言葉だ。

「大切ですね、武さまの引っ込み思案はすぐに、現場から逃げ出そうとする形で現れましたから」

「実際には逃げてないだろ!?」

 武の即答に全員が噴き出す。

「何で俺ばっかり......周さんだって影暁兄さんに丸投げしてたじゃないか」

 いきなり矛先を向けられて周が目を白黒させる。

「武さま、丸投げしておりません。それなりにしておりました」

「美味しい部分だけな」

「影暁!」

 言い訳をする周の言葉を影暁がひっくり返し、真っ赤になった周にまた全員が笑う。

「でも夕麿さまだって義勝がいたから『完全完璧』を貫けたよね?」

 あきらがニヤニヤして言う。

「夕麿は妙なところが天然だからな~」

 武が麗の言葉を肯定する。

「義勝兄さんだけじゃなく執行部全体でカバーしてたよな。

 それは俺も同じだ。俺なんか高等部からの編入だから、右も左もわからないままだったぞ?」

 如何に『伝説』と言われようとも、すべてを一人で行えるわけではない。一人の人間ができること、見えることには限界がある。

「それは当然のことです。自分一人で何もかもができると思う者がいたとしたら、傲慢以外のなにものでもありません」

 夕麿は幾分苦笑交じりでこう答えた。

「逆に私は周囲に助けられてばかりでした」

 朔耶が穏やかに微笑んで言った。

「兄さんは心臓が悪かったのですから、あれは当たり前のことでしょう」

 三日月が即答する。

「ですがもう少しは何かできたのではないかとも思うのです」

 朔耶が心臓に病を抱えていたことと葵があのようになってしまっとことは、関係性はまるでないのは重々承知ではある。薫のことにしてもどうにもならなかったのは理解はしてはいる。けれども納得はできてはいない。

 三日月も月耶も兄の気持ちがわかるだけに何を答えていいのかわからない。二人が黙っていると武が小さく笑った。

「朔耶って、以前に夕麿に似てるって言われてたけどさ、どっちかと言うと御厨に似てるよ。下河辺、通宗、そうは思わないか?」

 武の言葉にいち早く反応したのは通宗だった。彼は敦紀に中等部から側にいた。高等部の生徒会長に就任した時、通宗の一番の悩みは自身の身分の低さだった。似たような身分の者しか残らなかった道宗の代は、数少ない特待生であることと人柄で選ばれたといっても過言ではなかった。時として一般生徒たちに甘く見られがちになる彼を、敦紀は前年度生徒会長としてだけでなく、共に武を『主』とする仲間としても卒業して渡米するまで支えた。

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「確かに最初にお会いおめもじした時にはそのような印象をお受けいたしました」

 道宗の第一印象は確かに近かった気がする。

「おいおい、御厨ほど朔耶はきつくないぞ?」

 横合いから口をはさんだのはやはりというか、目を見開いて驚いている朔耶の隣にいる周だった。

「言っておくが紫霄に小等部からいる者は多かれ少なかれ似たようなものだぞ?少なくとも僕は基本的な部分では、清方さんも夕麿も御厨も似通っていると感じる。そしてその条件には朔耶もあてはまる。似ていても不思議ではない。それがこの学院の教育なんだ」

 周から見れば身分の低ささえなかったら、通宗も同じように育っていただろうと予想できた。

「確かに。葵さまも以前は似ておられました。それが紫霄学院の小等部からの教育であるのでしょう」

 その学年の最も身分貴き生徒に相応しい、いわば『帝王学』とも言えるような教育をする……と考えるならば、確かにそれぞれが似た部分お持っているのは納得ができる。

 行長の言葉は高等部ここで働く教師であるからこそ見えているものであるかもしれない。同時に周は葵以外の『似ている』とされる者と深く関わって来た人間だ。この二人の言葉は誰よりも真実を見ているのかもしれない。

「周も根の部分では同じですよ。ただ、あなたは別の方面から『忠義』を尽くすことが刷り込まれてしまっていますが」

 清方が静かに言った。

「別の方面?」

 不思議そうにする周に清方は穏やかに微笑んで、それ以上は言葉を紡がなかった。ここで夕麿の乳母 絹子とその母(翠子の乳母)からの影響を口にするのは、あまりよいことではないと判断したからだ。

 清方は思う。幼き日々に周が塀を乗り越えてまで夕麿を助けたのは、心のどこかに彼女たちに刷り込まれた忠義心によるものが大きかったのではないかと。

 こう考えると少し周がかわいそうにもなる。彼の母 浅子は六条家の人間ではあるが、格下である久我家に嫁いだゆえに一段身分が低くなった。それでなくてもまだ未婚の時に近衛家から清方を乳母として預かったのだ。浅子の気持ちも複雑であっただろう。そこから生じる歪みのようなものが、周を苦しめていたとも言える。

 その周が葵が起こした騒動で、一番の忠義心を横に置いても恋人と共にと願ったのだ。彼は自分自身の想いで動こうとしていた。結局は朔耶が薫の状態を良しとせず、武の側に残る選択をした。だから周は変わらずここにいる。最終的な判断は朔耶がしなければならなかったとはいえ周は、主と定めた武への忠義を捨てても恋人の選択に従おうことを決めていた。

 もちろん、周は自分の覚悟ともしもの時の不忠を武に前以て謝罪していた。武にしても彼の気持ちは理解できた。できたからこそ帝都から逃げる道も示したのだった。

 いつも自分の後を追って来た周が本当に愛する人を得て自らの足で立とうとするのを、清方は心から喜んでいたのだ。

 紫霄は身分の違いを明確に区別する。同時に結ばれた絆は強固だ。生徒会執行部だけではなく、一般生徒との間にも存在しているのは、アメリカ留学中に確認できたくらいに。

「なるほど。清方先生のお言葉を鑑みるに、確かに思い当たる節があります」

 しっかりと答えたのは行長だった。

「朔耶さまもそうですが、三日月君もそうです」

「え?先生、俺は?」

 三日月は長期の休みにも帰宅できない兄と薫のために、小等部の時より帰宅しないことが多々あったという。

「お前は薫さまがいただろうが」

「そりゃそうだけどさ......」

 月耶はいつも兄二人と自分が別にされるのが不満らしい。当の本人たちは弟がそのままでいて欲しいと望んでいる。

「何だ?月耶は兄貴たちみたいなのが理想か?」

 そう言ったのは義勝だった。

「いや、そう言うのじゃないけどさ......何か、俺だけダメみたいに聞こえるじゃん」

「そうか?俺も小等部組で常に夕麿と一緒だったが、こんなだぞ?」

 義勝のあり方はある程度はわざとそうなった部分があった。一つにはその人並外れた長身ゆえに、向き合う相手が萎縮してしまうのを防ぐ、義勝なりの智恵でもあった。また、身分が低い彼が学院トップ(武が編入するまでは)の身分である夕麿の傍らにいて、周囲に不満を持たせない狙いもあった。如何に夕麿自身が親しくしていても反感を持つ者はいる。これは武と夕麿が恋人同士になっても、結婚が知らされても同じだったのからでもわかる。

 武の場合は皆で庇う暗黙の了解が存在した。だが義勝の場合はそうはいかなかった。何しろ小等部からの進学者は少数だったからだ。

 状況は違うとはいえ慈恩院 司じおんいん つかさ星合 清治ほしあい せいじのような主従関係になるより、夕麿本人が求めていたのは対等な友人関係であるのがわかっていた。だからこその今だった。

 そして......千種 康孝ちぐさ やすたか逸見 拓真いつみ たくまが軽く視線を絡ませて頷きあった。夕麿と雫、清方は気が付いたがあえて口にしなかった。

「皆さま、お済みですか?」

 清方が全員を見回して問い掛けた。

 紫霞宮の後楯に護院家が決定し、建設中の御在所に武たちが移転次第、宮大夫みやのたいふに清方の弟が就任する。

 ゆえに最近は清方が場の取り仕切りをするようになっていた。むろん、現大夫の雅久が蔑ろにされているわけではない。ただ、時と場所が暗黙の了解で分けられているだけだった。

 雅久にしても如何に武のために動いていても、身分の低さゆえに神経を削る気持ちになる場合がある。その点、清方の身分は高いのが有効に働くのだ。


食事を終えて武たちは最上階の特別室へ入った。

「本日はお疲れになられましたでしょう」

 清方がにこやかに言う。その間に朔耶と周がお茶を淹れ、雅久が浴室の用意をする。

 雫は警護の確認という名目で、康孝と拓真を連れて隣室へ。久留島 成美くるしま なるみが警護として残った。


「それで何に気付いた?」

 今日、雫と清方が宿泊する部屋に入っておもむろに問い掛けた。

 二人は顔を見合わせて頷き合ってから、康孝が真っ直ぐに雫を見て口を開いた。

「できればここだけの話にしていただきたいのですが」

「いいだろう」

 ここにいない清方に話すのは二人もわかっている。

「御影 月耶さまですが……」

「月耶?彼が何か?」

康孝が言いよどんだのでうながす。すると拓真が口を開いた。

「彼は以前、武さまに似ている…たいう話がありました」

「ああ、あったな」

「ですが、今日の様子を見ていますと別の人物を思い出すんです」

 二人にしても記憶の彼方に封じ込めて忘れてしまいたい人物。武を最も傷付けた『彼』を。

「別の人物?」

 拓真の言葉に雫は一瞬考え込み、ハッと顔を上げて絶句した。雫自身はロスでのわずかな接触しかないため、『彼』の性格を把握しているたは言えなかった。

「僕たちは武さまの次くらいには仲がよかったので」

 こう言って康孝は唇を噛み締めた。

「おそらくは……武さまが月耶さまのタメ口などをゆるされるのは、自覚はされておられぬご様子ですが、板倉 正巳いたくら まさみのことがおありになられるかもしれません」

 本来ならば彼らと共に部下として正巳がここに並んでいたかもしれない。そう考えると雫は複雑な気持ちになった。

「わかった。ここだけの話にしよう」

 答えながらも二人の様子に気付いていた夕麿には、事実をつたえなければならない。

 紫霄に戻ったことで様々な記憶が自分たちを取り囲み、深く強く包み始めたのを感じていた。



 








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