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一章:アマリリス・バルチェの死
逃げは罪か
「何ですかその理論……馬鹿みたいだ」
コルツフットが目を手で覆い、空を見上げる。桜色の瞳が光に照らされ、きらりと光った。
「バルチェ子爵家はこれ以上もたないでしょう」
ぽつり、とコルツフットの口から言葉が漏れた。十五歳の少女に伝えるものではない。けれど一度漏れたものはもう仕舞えない。コルツフットはそのまま続けた。
「きっと、この国も終焉を迎えます」
太陽光が一気に降り注ぎ、コルツフットの顔が見えなくなった。コルツフットは抑揚のない声のまま言葉を飲み込むと、再び口を開いた。
「アマリリス様は純粋な方です。人間は皆、自分以外の誰かを下に見なければ、蔑まなければ生きていけない。どんなに悪質な噂が出回っても異議申立てをしない彼女が攻撃されるのは時間の問題でした。運が悪かった、そうとしか言いようがないんです」
アイビーは何も言わなかった。コルツフットの独り言とも言える独白に耳を傾けていた。
「フリージア様に聖女の務めを押し付けていたなんて、事実無根の嘘です。王妃教育としてバルチェ邸を出る前から神殿に通い、祝福の祈りを捧げていたのですから。国費を使い潰すなんてことも、彼女には出来たことではないのです。彼女はあくまでウィリアム王太子殿下の補佐として国費の管理をしていたんです。国費を私用するなんてこと、できるはずがない」
コルツフットの頬に何本もの雫が伝う。
「誰も信じなかった。誰も庇わなかった。彼女を近くで見ていたはずの僕は真実を知っていたのに声を上げなかった」
言葉を区切り、コルツフットは項垂れたように顔を横に傾けた。アイビーにはその仕草が今まで以上に窶れて見えた。
「アマリリス様が聖女の仕事を行わなければ、どうなるかわかりますか」
「他の聖女の仕事の割合が増える、とか……?」
いきなり話題を振られたアイビーが物怖じしながらも答える。
「聖女は祈りによって聖杯を神殿の神聖力で満たし、それぞれの領に一つずつ設置されている聖杯に力を送ります。そうすることで豊穣の恵みが各地にもたらされる。アマリリス様は次期王妃というだけで高いハードルを課されました。一日で他の聖女何人分もの祈りを捧げなければならなかったのです」
「何人分もの仕事をしていたお姉様が消えることで均衡が保たれなくなる、ということ?」
「一度崩れたものは治らない。神聖力を行使するということは多大なる精神力を使うことに等しい。アマリリス様がいたことでさほど仕事をしなくてもよかった聖女は十分な働きをしなくなる」
甘い蜜を吸った者はもう戻れない。それが当たり前だと思い込んでしまうから。コルツフットの言っていることには今の国民たちにも当てはまるものがあった。
「バルチェ子爵家には他の領から借り入れた多額の負債があります。子爵夫人の浪費癖も加えて身の丈に合っていない生活を送っているのだから、膨れ上がるばかりですね。今は不快な文章をばら撒いていることで収入を得ていますが国民たちが興味をなくすもの時間の問題ですし、強引に領民を駆り出して印刷業に勤しんでいるのですから、不満が高まるばかりです。アマリリス様がいたことで得られた収入も無くなったことですし印刷業が立ちいかなくなった時、本当の終わりは始まるでしょう」
コルツフットはアイビーが自分の発言を聞いて憤慨するものだとばかり思っていた。自分の両親を侮辱しているともとれる言い方で話したのだ。けれど、彼女の反応は彼の思うものとは違った。
「……私は何も知らなかったのね」
ごめんなさい。誰に向けたのかもわからないアイビーの言葉は宙を舞った。
十五歳の少女にしては落ち着きすぎている。そのことにコルツフットは今更ながらに気づいた。夫人の娘として甘やかされた彼女が乱暴な娘にならなかったのは、夫人を近くで見ていたからだということを。
(親と子は違うものなんだな)
よかった。
ふと、コルツフットはそう思った。彼にとってそれは救いに思えた。
「アイビー様、一緒に逃げませんか」
次の瞬間、コルツフットの口からとんでもない言葉が漏れた。だが、もう隠すつもりはない。
逃げるしかないのだ。滅びるこの国から、毎夜夢に出てきては首を絞める家族から。
どれだけ愚かでも構わない。アマリリスが死んだ時点でふたりがここに留まる理由はどこにもないのだ。
「──、よろこんで」
アイビーは少し驚いた顔をしてから細い指を伸ばしてコルツフットの手を取った。
コルツフットが目を手で覆い、空を見上げる。桜色の瞳が光に照らされ、きらりと光った。
「バルチェ子爵家はこれ以上もたないでしょう」
ぽつり、とコルツフットの口から言葉が漏れた。十五歳の少女に伝えるものではない。けれど一度漏れたものはもう仕舞えない。コルツフットはそのまま続けた。
「きっと、この国も終焉を迎えます」
太陽光が一気に降り注ぎ、コルツフットの顔が見えなくなった。コルツフットは抑揚のない声のまま言葉を飲み込むと、再び口を開いた。
「アマリリス様は純粋な方です。人間は皆、自分以外の誰かを下に見なければ、蔑まなければ生きていけない。どんなに悪質な噂が出回っても異議申立てをしない彼女が攻撃されるのは時間の問題でした。運が悪かった、そうとしか言いようがないんです」
アイビーは何も言わなかった。コルツフットの独り言とも言える独白に耳を傾けていた。
「フリージア様に聖女の務めを押し付けていたなんて、事実無根の嘘です。王妃教育としてバルチェ邸を出る前から神殿に通い、祝福の祈りを捧げていたのですから。国費を使い潰すなんてことも、彼女には出来たことではないのです。彼女はあくまでウィリアム王太子殿下の補佐として国費の管理をしていたんです。国費を私用するなんてこと、できるはずがない」
コルツフットの頬に何本もの雫が伝う。
「誰も信じなかった。誰も庇わなかった。彼女を近くで見ていたはずの僕は真実を知っていたのに声を上げなかった」
言葉を区切り、コルツフットは項垂れたように顔を横に傾けた。アイビーにはその仕草が今まで以上に窶れて見えた。
「アマリリス様が聖女の仕事を行わなければ、どうなるかわかりますか」
「他の聖女の仕事の割合が増える、とか……?」
いきなり話題を振られたアイビーが物怖じしながらも答える。
「聖女は祈りによって聖杯を神殿の神聖力で満たし、それぞれの領に一つずつ設置されている聖杯に力を送ります。そうすることで豊穣の恵みが各地にもたらされる。アマリリス様は次期王妃というだけで高いハードルを課されました。一日で他の聖女何人分もの祈りを捧げなければならなかったのです」
「何人分もの仕事をしていたお姉様が消えることで均衡が保たれなくなる、ということ?」
「一度崩れたものは治らない。神聖力を行使するということは多大なる精神力を使うことに等しい。アマリリス様がいたことでさほど仕事をしなくてもよかった聖女は十分な働きをしなくなる」
甘い蜜を吸った者はもう戻れない。それが当たり前だと思い込んでしまうから。コルツフットの言っていることには今の国民たちにも当てはまるものがあった。
「バルチェ子爵家には他の領から借り入れた多額の負債があります。子爵夫人の浪費癖も加えて身の丈に合っていない生活を送っているのだから、膨れ上がるばかりですね。今は不快な文章をばら撒いていることで収入を得ていますが国民たちが興味をなくすもの時間の問題ですし、強引に領民を駆り出して印刷業に勤しんでいるのですから、不満が高まるばかりです。アマリリス様がいたことで得られた収入も無くなったことですし印刷業が立ちいかなくなった時、本当の終わりは始まるでしょう」
コルツフットはアイビーが自分の発言を聞いて憤慨するものだとばかり思っていた。自分の両親を侮辱しているともとれる言い方で話したのだ。けれど、彼女の反応は彼の思うものとは違った。
「……私は何も知らなかったのね」
ごめんなさい。誰に向けたのかもわからないアイビーの言葉は宙を舞った。
十五歳の少女にしては落ち着きすぎている。そのことにコルツフットは今更ながらに気づいた。夫人の娘として甘やかされた彼女が乱暴な娘にならなかったのは、夫人を近くで見ていたからだということを。
(親と子は違うものなんだな)
よかった。
ふと、コルツフットはそう思った。彼にとってそれは救いに思えた。
「アイビー様、一緒に逃げませんか」
次の瞬間、コルツフットの口からとんでもない言葉が漏れた。だが、もう隠すつもりはない。
逃げるしかないのだ。滅びるこの国から、毎夜夢に出てきては首を絞める家族から。
どれだけ愚かでも構わない。アマリリスが死んだ時点でふたりがここに留まる理由はどこにもないのだ。
「──、よろこんで」
アイビーは少し驚いた顔をしてから細い指を伸ばしてコルツフットの手を取った。
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