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1. ニューヨーク Jul
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「……天使?」
エドがぼんやりと目蓋をあげるとそこには天使がいた。ふわふわした金色の髪、吸い込まれそうな青い瞳。
「やぁ。おはよう。気分はどう? 残念ながらここは天国じゃなくてクソったれな地獄のままさ」
「……俺は死んだのか」
声にならない、かさかさの音が漏れた。
「このくたばり損ないのクソ野郎。目ぇ醒めたんなら……×××」
体は泥のように重く、喉の渇きを感じたがそれ以上意識を保つことはできなかった。夢と現を行き来する。
神の目となったように客観的に周囲が見える。
「ーー……契約……ーーもし、……半年ーー」
「ああ。約束……ーー」
たくさんの音があったが、何ひとつ意味はわからなかった。
※※※※
目覚めると見覚えのない白い天井があった。
「ーーここは……。俺はーー」
エドは普通に声を出したつもりだったが、それはかすれた小さなものにしかならなかった。
しかし、近くにいた人物には届いた。
「私がわかりますかボス」
声帯が痛んで返事はできなかったが、問いかけた人物はエドの目が焦点を結んでいるのを確認して言葉を続ける。
「イースト・ニューヨークの病院です。貴方は下町でアルコールを引っかけたあと大量の喘息の薬をコーヒーでカクテルしながら飲み干した。テオフィリンとカフェイン中毒です」
感情のこもらない淡々とした口調はこの男の常だ。
頭が割れるように痛い。喉はひりついて乾いている。なんとか起き上がろうとしてエドは腕と脚が拘束されていることに気がついた。
「これは? 水を……」
掠れた音となったが、男はエドの意図を察し、水差しを持って飲水の介助をした。喉を冷たい水がとおると、やっと生きた心地がする。
「痙攣とせん妄で暴れて危ないので拘束の許可を私が出しました。貴方が目覚めたことを医師に伝えてきますね」
エドが十分に水を飲んだのを確認して、男はベッドサイドから立ち去った。
ベッドに縛られたまま辺りを窺うと、消毒の匂い、カーテンで申し訳程度に区切られたプライバシースペース、幾分薄汚れているが白を基調にした全てがここを病院であると示していた。
カーテンの隙間から少年が滑り込んできた。
「やぁ。そっちのアルファ様はついにお目覚めかい? 縛りプレイはお気に召した?」
「君は」
肩に届くくらいの明るい金髪、青い瞳は強い意志を感じさせる。年は少年から青年に変わろうとしているくらいか。綺麗な顔をしかめてエドをのぞき込んでいる。
「同室のユーリだよ。三日三晩、あんたの呻きと、ゲロとクソを垂れ流してんのをお隣のベッドで聞かされたんだ。詫びがわりに、なんであんたみたいなVIPが自殺なんてしようとしたか教えてくれよ」
少年ユーリの首には、番のないオメガであることを示す首輪があった。華奢な首に不釣り合いにみえる黒い無粋な革製のそれが金具で止められている。
自然と口が動いた。
ーーオメガ。
「……番が死んだんだ」
「それで、あんたも後を追おうと?」
「ああ。生きている意味がない」
「ふぅん。じゃあ、その拘束が外されて退院できたら、あんたまた死ぬの?」
「……そうだな」
ユーリは何かを考えるように視線を空に彷徨わせた。
「それならさ、あんたの人生の最期の半年を俺にちょーだい。その間に次の死に方考えなよ。今回と同じ方法は使えないだろ?」
「は?」
告げられた意味が分からなくて思わず目を見開く。
「俺、あと半年で死ぬんだ。金持ちと貧乏人が病院で同室。余命は半年。あんたの名前はエドワード。ついでにあんたの秘書の名前はトマス。これってさ、映画"最高の人生の見つけ方"と同じ状況じゃん」
「ちょ、何を言っているんだ? 何故、私の名前を?」
「ベッドに名前が貼ってあるぜ。映画みてない? 名俳優二人の」
「残念だが、見ていない」
エドは冷たく言い捨てるが、ユーリは意に介さなかった。
「そっかー。まぁ、簡単に言うとな、癌の末期で余命半年のじーちゃん二人が出会って、死ぬまでにやりたいことリストを作って、どんどん叶えていくんだ。スカイダイビングしたり、ピラミッド行ったり」
「それと私が何の関係があるのだ」
頭痛が酷くなった気がする。ズキズキするこめかみを抑えたいがエドの腕は拘束されたままだ。
「俺、棺桶リスト作ったからさ。あんた叶えてよ。あんたみたいな金持ちそうなヤツ初めて出会った。俺の最期の大勝負。一発逆転のジャックポット」
「何故私が。だいたい君はなんで余命半年なんだ。君は末期癌の爺さんじゃないだろう」
「同じようなものさ。実は俺には借金があって、半年後にクソったれな変態ジジィに売られることが決まってる。そいつは若いコを痛めつけて生き血を啜るのが性癖なんだ。俺は生きたまま血を抜かれて、臓器を売っ払われることが決まっている。だから余命半年ってワケ」
「馬鹿馬鹿しい。マフィア映画か。人身売買なんて、この時代に」
「信じない? 最下層のオメガの扱いなんてこんなもんだよ」
「ふん。詐欺師め。借金はいくらあるんだ?」
一度軽く首を傾げた後に少年は、かがみ込んでエドの耳元で小さく囁いた。さらりと金髪が波打つ。
「は?! 私のプライベートジェット売って、全財産を処分して足りるかどうかって額じゃないか」
「あんた、プライベートジェット持ってるの?! 俺、イタリアに行ってみたいんだ! ローマの休日。いちばん好きな映画! 棺桶リストにも書いたんだ」
少年は、無理やりエドにノートの切れ端に汚い字で書かれたリストを見せつけた。
「バカバカし……」
「良いんじゃないですか。イタリア」
「トマス?!」
割り込むように降ってきた声に驚く。いつのまにか秘書が戻ってきていた。
「医者が言っていました。食事ができるようになったら退院です。あとはご自身でリハビリに励むこと。美少年とイタリア旅行でもしたら貴方の死にたい気持ちもなくなるかもしれませんし」
「”ベニスに死す”ってか。おっさんは死じまうぜ! まぁ、俺が行きたいのはローマだから大丈夫だろ」
慇懃無礼な態度をとる秘書ーートマスがユーリに向き合う。
「うちのボスが隣のベッドでお世話になりました。あと二、三日辛抱してください」
「ああ。こいつがクソ垂れ流した時は代わりにナースコール押してやったぜ」
「それはそれは。大きな恩がありますね。ボス、この子をイタリア旅行くらいには連れていかないと。ところで君は何故入院しているのですか?」
「ん? 派手なSMプレイしちまって全身傷だらけ。ちょいと身体を休めるためにココに置いてもらってるんだ。だから隣がゲロとクソ垂れ流し野郎でも文句言えなかったワケ」
二人が身勝手に続ける会話に目眩がする。
「トマス、聞け。私はイタリアには行かないし、これ以上生きるつもりもない。経営上の権利は、ほぼお前に引き継いだだろう!」
「ええ、ほぼね。私は全てをいただきたいのです。そのためには貴方のサインがまだ必要です。それから貴方が生きているだけで入る収益がある」
淡々と告げる声からトマスがエドをおいそれと死なす気がないことを悟る。こうなった秘書はいくら言いつのろうとも聞く耳は持たないだろう。
エドは現実逃避するように眼前に示されたままだったリストに目をやった。
「だいたい、なんだこのリストは! “ローマの休日”に“南極に行く”だと? それに……“運命に出会う”?」
「うん。世界中を旅したらさ、運命の番に出会えるかもしれないじゃん? そうしたら俺も最期に最高の人生ってヤツを見れるかもなって」
ユーリが照れたように、へへっと笑った。天使のような綺麗な顔が崩れて年相応かそれよりも幼い素顔がのぞく。
エドの胸に大切な番の幻影が過った。
「……行くのはイタリアだけだ。南極まで付き合えるか」
「やったぁ! 準備しなきゃ!」
「……ん? この“世界一の相手に抱かれる”ってなんだ」
「ああ!世界一の×××って気持ち良さそうじゃね? 一度お相手いただきた……」
「ーーこのクソビッチオメガ!!」
△△△△△△△△△△△△△△
棺桶リスト
• ローマの休日
• 南極へ行く
• 運命に出会う
• おいしいコーヒーを飲む
• スシをお腹いっぱい食べる
• カジノで大金を使う
• 世界一の相手に抱かれる
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
エドがぼんやりと目蓋をあげるとそこには天使がいた。ふわふわした金色の髪、吸い込まれそうな青い瞳。
「やぁ。おはよう。気分はどう? 残念ながらここは天国じゃなくてクソったれな地獄のままさ」
「……俺は死んだのか」
声にならない、かさかさの音が漏れた。
「このくたばり損ないのクソ野郎。目ぇ醒めたんなら……×××」
体は泥のように重く、喉の渇きを感じたがそれ以上意識を保つことはできなかった。夢と現を行き来する。
神の目となったように客観的に周囲が見える。
「ーー……契約……ーーもし、……半年ーー」
「ああ。約束……ーー」
たくさんの音があったが、何ひとつ意味はわからなかった。
※※※※
目覚めると見覚えのない白い天井があった。
「ーーここは……。俺はーー」
エドは普通に声を出したつもりだったが、それはかすれた小さなものにしかならなかった。
しかし、近くにいた人物には届いた。
「私がわかりますかボス」
声帯が痛んで返事はできなかったが、問いかけた人物はエドの目が焦点を結んでいるのを確認して言葉を続ける。
「イースト・ニューヨークの病院です。貴方は下町でアルコールを引っかけたあと大量の喘息の薬をコーヒーでカクテルしながら飲み干した。テオフィリンとカフェイン中毒です」
感情のこもらない淡々とした口調はこの男の常だ。
頭が割れるように痛い。喉はひりついて乾いている。なんとか起き上がろうとしてエドは腕と脚が拘束されていることに気がついた。
「これは? 水を……」
掠れた音となったが、男はエドの意図を察し、水差しを持って飲水の介助をした。喉を冷たい水がとおると、やっと生きた心地がする。
「痙攣とせん妄で暴れて危ないので拘束の許可を私が出しました。貴方が目覚めたことを医師に伝えてきますね」
エドが十分に水を飲んだのを確認して、男はベッドサイドから立ち去った。
ベッドに縛られたまま辺りを窺うと、消毒の匂い、カーテンで申し訳程度に区切られたプライバシースペース、幾分薄汚れているが白を基調にした全てがここを病院であると示していた。
カーテンの隙間から少年が滑り込んできた。
「やぁ。そっちのアルファ様はついにお目覚めかい? 縛りプレイはお気に召した?」
「君は」
肩に届くくらいの明るい金髪、青い瞳は強い意志を感じさせる。年は少年から青年に変わろうとしているくらいか。綺麗な顔をしかめてエドをのぞき込んでいる。
「同室のユーリだよ。三日三晩、あんたの呻きと、ゲロとクソを垂れ流してんのをお隣のベッドで聞かされたんだ。詫びがわりに、なんであんたみたいなVIPが自殺なんてしようとしたか教えてくれよ」
少年ユーリの首には、番のないオメガであることを示す首輪があった。華奢な首に不釣り合いにみえる黒い無粋な革製のそれが金具で止められている。
自然と口が動いた。
ーーオメガ。
「……番が死んだんだ」
「それで、あんたも後を追おうと?」
「ああ。生きている意味がない」
「ふぅん。じゃあ、その拘束が外されて退院できたら、あんたまた死ぬの?」
「……そうだな」
ユーリは何かを考えるように視線を空に彷徨わせた。
「それならさ、あんたの人生の最期の半年を俺にちょーだい。その間に次の死に方考えなよ。今回と同じ方法は使えないだろ?」
「は?」
告げられた意味が分からなくて思わず目を見開く。
「俺、あと半年で死ぬんだ。金持ちと貧乏人が病院で同室。余命は半年。あんたの名前はエドワード。ついでにあんたの秘書の名前はトマス。これってさ、映画"最高の人生の見つけ方"と同じ状況じゃん」
「ちょ、何を言っているんだ? 何故、私の名前を?」
「ベッドに名前が貼ってあるぜ。映画みてない? 名俳優二人の」
「残念だが、見ていない」
エドは冷たく言い捨てるが、ユーリは意に介さなかった。
「そっかー。まぁ、簡単に言うとな、癌の末期で余命半年のじーちゃん二人が出会って、死ぬまでにやりたいことリストを作って、どんどん叶えていくんだ。スカイダイビングしたり、ピラミッド行ったり」
「それと私が何の関係があるのだ」
頭痛が酷くなった気がする。ズキズキするこめかみを抑えたいがエドの腕は拘束されたままだ。
「俺、棺桶リスト作ったからさ。あんた叶えてよ。あんたみたいな金持ちそうなヤツ初めて出会った。俺の最期の大勝負。一発逆転のジャックポット」
「何故私が。だいたい君はなんで余命半年なんだ。君は末期癌の爺さんじゃないだろう」
「同じようなものさ。実は俺には借金があって、半年後にクソったれな変態ジジィに売られることが決まってる。そいつは若いコを痛めつけて生き血を啜るのが性癖なんだ。俺は生きたまま血を抜かれて、臓器を売っ払われることが決まっている。だから余命半年ってワケ」
「馬鹿馬鹿しい。マフィア映画か。人身売買なんて、この時代に」
「信じない? 最下層のオメガの扱いなんてこんなもんだよ」
「ふん。詐欺師め。借金はいくらあるんだ?」
一度軽く首を傾げた後に少年は、かがみ込んでエドの耳元で小さく囁いた。さらりと金髪が波打つ。
「は?! 私のプライベートジェット売って、全財産を処分して足りるかどうかって額じゃないか」
「あんた、プライベートジェット持ってるの?! 俺、イタリアに行ってみたいんだ! ローマの休日。いちばん好きな映画! 棺桶リストにも書いたんだ」
少年は、無理やりエドにノートの切れ端に汚い字で書かれたリストを見せつけた。
「バカバカし……」
「良いんじゃないですか。イタリア」
「トマス?!」
割り込むように降ってきた声に驚く。いつのまにか秘書が戻ってきていた。
「医者が言っていました。食事ができるようになったら退院です。あとはご自身でリハビリに励むこと。美少年とイタリア旅行でもしたら貴方の死にたい気持ちもなくなるかもしれませんし」
「”ベニスに死す”ってか。おっさんは死じまうぜ! まぁ、俺が行きたいのはローマだから大丈夫だろ」
慇懃無礼な態度をとる秘書ーートマスがユーリに向き合う。
「うちのボスが隣のベッドでお世話になりました。あと二、三日辛抱してください」
「ああ。こいつがクソ垂れ流した時は代わりにナースコール押してやったぜ」
「それはそれは。大きな恩がありますね。ボス、この子をイタリア旅行くらいには連れていかないと。ところで君は何故入院しているのですか?」
「ん? 派手なSMプレイしちまって全身傷だらけ。ちょいと身体を休めるためにココに置いてもらってるんだ。だから隣がゲロとクソ垂れ流し野郎でも文句言えなかったワケ」
二人が身勝手に続ける会話に目眩がする。
「トマス、聞け。私はイタリアには行かないし、これ以上生きるつもりもない。経営上の権利は、ほぼお前に引き継いだだろう!」
「ええ、ほぼね。私は全てをいただきたいのです。そのためには貴方のサインがまだ必要です。それから貴方が生きているだけで入る収益がある」
淡々と告げる声からトマスがエドをおいそれと死なす気がないことを悟る。こうなった秘書はいくら言いつのろうとも聞く耳は持たないだろう。
エドは現実逃避するように眼前に示されたままだったリストに目をやった。
「だいたい、なんだこのリストは! “ローマの休日”に“南極に行く”だと? それに……“運命に出会う”?」
「うん。世界中を旅したらさ、運命の番に出会えるかもしれないじゃん? そうしたら俺も最期に最高の人生ってヤツを見れるかもなって」
ユーリが照れたように、へへっと笑った。天使のような綺麗な顔が崩れて年相応かそれよりも幼い素顔がのぞく。
エドの胸に大切な番の幻影が過った。
「……行くのはイタリアだけだ。南極まで付き合えるか」
「やったぁ! 準備しなきゃ!」
「……ん? この“世界一の相手に抱かれる”ってなんだ」
「ああ!世界一の×××って気持ち良さそうじゃね? 一度お相手いただきた……」
「ーーこのクソビッチオメガ!!」
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棺桶リスト
• ローマの休日
• 南極へ行く
• 運命に出会う
• おいしいコーヒーを飲む
• スシをお腹いっぱい食べる
• カジノで大金を使う
• 世界一の相手に抱かれる
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