10 / 55
10
しおりを挟む
ーー午後・王立中央こども図書館
午後三時。
陽の傾き始めた空から、柔らかな木漏れ日が、図書館の大きなアーチ窓をすり抜けて差し込んでいた。
天井の高いホールには、静かなページをめくる音と、たまにくしゃみをする司書の気配しかない。
奥まった一角──“おはなしスペース”と呼ばれるその場所には、色とりどりのクッションが並べられ、小さな木製の椅子が半円を描いて並べられていた。
壁には、子どもたちが描いた虹色の絵や、図書館イベントのポスター。棚には絵本がずらりと並び、「ようこそ!よみきかせ会へ♪」と書かれた手作りの旗がゆらゆら揺れている。
──本来、そこは「癒し」と「知性」が交差する穏やかな空間であるはずだった。
だが、このあとその場は、ちいさな戦場へと化すのである。
「わぁ、可愛いお姉ちゃん来た~!」
「おひめさまだ~!」
そんな期待と好奇心に満ちた子どもたちの歓声が、アナベルの背筋をいやでも伸ばす。
(し、失敗はできないわ……ここで成果を出さなきゃ、明日から、屋根修理とか洗濯屋の紹介が待っている…!)
心の中で何度も深呼吸をしながら、アナベルは読み聞かせスペースに立った。スカートの裾を整え、小さな絵本を手に、にこやかに言う。
「こんにちは、みなさん。今日は『まほうのジャムパン』を読んであげますね」
「うわー!パン!ジャムの味は!?なにジャム!?」
「魔法使いって強いの?パンに乗るの?」
「火、出る?火ー!」
(……まだ、1ページも進まない!!)
子どもたちはエネルギーの塊だった。3歳から6歳の男女混合編成、約10名。自由奔放、戦闘民族スタイル。
アナベルは意を決して、ページをめくった。
「むかしむかし、あるところに──」
「むかし!?どのくらい!?10年前!?おばあちゃんくらい!?」
「アナベルおねーちゃん、おはなしじゃなくて、おひめさまごっこしよ!」
「ぼく、パン屋さんやるー!」
(も、もう話きいてない……!)
読み進めるたびに、子どもたちはどんどん本筋から脱線していく。
しかも中には──
「おねーちゃん、なんでそんなにキラキラしてるの?」
「さとうとバターでできてるからじゃない?」
(誰よ、所長の変な例え、子どもに伝染してるじゃない!)
中盤、アナベルは自ら「魔法使いのおばあさん」役を演じる羽目になり、子どもたちからジャムパンを奪う鬼の役にされ、最終的には「きらきら怪物くん」として退治される。
数分後──
「やだー!まだ遊びたーい!」
「つぎは“パンが火を吹く話”がいい!」
「パン爆発してー!」
図書館スタッフがそっとアナベルにタオルを差し出した。
「……ご苦労さまでした。よければ、ちょっと……お話を」
*
陽が落ち始めた午後の終わり。
図書館の奥にある、木目調の落ち着いたスタッフルームには、空気清浄機の低い稼働音だけが静かに響いていた。
そこに、疲労と微妙な気まずさをまとった二人が向かい合って座っていた。
「率直に申し上げますと……非常にエネルギッシュな現場でした」
図書館員──ベテランらしき、メガネの奥に優しげな目を持つ中年女性は、丁寧な言葉を選びながらも、どこか遠くを見つめていた。
その手には、途中で落下したジャムパンの模型らしきものが握られている。
「……はい……申し訳ありません……」
アナベルはしゅんと肩を落とし、膝の上で両手を握りしめていた。声には明らかな敗北感と、ちょっとだけパンくずの気配があった。
「いえ、ご本人のご努力は、ひしひしと感じました。ただ……その、読み聞かせというより……即興演劇、もしくは壮大な冒険譚……?」
「すみません……気がついたら、魔法のジャムパンに乗って空を飛んでました……あと、うっかり“悪のスプーン軍団”を召喚してしまって……」
苦笑いするアナベル。
途中からテンションが上がりすぎて、絵本のページよりも自分のアドリブが暴走していたことは、本人も自覚していた。
「…………」
一瞬、部屋の中に静寂が流れる。
図書館員はそっとジャムパンの模型を机に置き、また微笑んだ。
「今回は……すみませんが、継続はちょっと……難しいかと……絵本が、飛びましたし……子どもたちも、興奮しすぎて途中でイスを持って走り出したので……」
「……はい……承知いたしました。ご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした……」
アナベルの声は豆粒のように小さく、椅子にめり込みそうなほど縮こまっていた。
──かくして、アナベルの「図書館デビュー戦」は、華やかに、子どもたちの笑い声とパンの香りに包まれて──
爆発四散というかたちで、派手に終焉を迎えたのだった。
午後三時。
陽の傾き始めた空から、柔らかな木漏れ日が、図書館の大きなアーチ窓をすり抜けて差し込んでいた。
天井の高いホールには、静かなページをめくる音と、たまにくしゃみをする司書の気配しかない。
奥まった一角──“おはなしスペース”と呼ばれるその場所には、色とりどりのクッションが並べられ、小さな木製の椅子が半円を描いて並べられていた。
壁には、子どもたちが描いた虹色の絵や、図書館イベントのポスター。棚には絵本がずらりと並び、「ようこそ!よみきかせ会へ♪」と書かれた手作りの旗がゆらゆら揺れている。
──本来、そこは「癒し」と「知性」が交差する穏やかな空間であるはずだった。
だが、このあとその場は、ちいさな戦場へと化すのである。
「わぁ、可愛いお姉ちゃん来た~!」
「おひめさまだ~!」
そんな期待と好奇心に満ちた子どもたちの歓声が、アナベルの背筋をいやでも伸ばす。
(し、失敗はできないわ……ここで成果を出さなきゃ、明日から、屋根修理とか洗濯屋の紹介が待っている…!)
心の中で何度も深呼吸をしながら、アナベルは読み聞かせスペースに立った。スカートの裾を整え、小さな絵本を手に、にこやかに言う。
「こんにちは、みなさん。今日は『まほうのジャムパン』を読んであげますね」
「うわー!パン!ジャムの味は!?なにジャム!?」
「魔法使いって強いの?パンに乗るの?」
「火、出る?火ー!」
(……まだ、1ページも進まない!!)
子どもたちはエネルギーの塊だった。3歳から6歳の男女混合編成、約10名。自由奔放、戦闘民族スタイル。
アナベルは意を決して、ページをめくった。
「むかしむかし、あるところに──」
「むかし!?どのくらい!?10年前!?おばあちゃんくらい!?」
「アナベルおねーちゃん、おはなしじゃなくて、おひめさまごっこしよ!」
「ぼく、パン屋さんやるー!」
(も、もう話きいてない……!)
読み進めるたびに、子どもたちはどんどん本筋から脱線していく。
しかも中には──
「おねーちゃん、なんでそんなにキラキラしてるの?」
「さとうとバターでできてるからじゃない?」
(誰よ、所長の変な例え、子どもに伝染してるじゃない!)
中盤、アナベルは自ら「魔法使いのおばあさん」役を演じる羽目になり、子どもたちからジャムパンを奪う鬼の役にされ、最終的には「きらきら怪物くん」として退治される。
数分後──
「やだー!まだ遊びたーい!」
「つぎは“パンが火を吹く話”がいい!」
「パン爆発してー!」
図書館スタッフがそっとアナベルにタオルを差し出した。
「……ご苦労さまでした。よければ、ちょっと……お話を」
*
陽が落ち始めた午後の終わり。
図書館の奥にある、木目調の落ち着いたスタッフルームには、空気清浄機の低い稼働音だけが静かに響いていた。
そこに、疲労と微妙な気まずさをまとった二人が向かい合って座っていた。
「率直に申し上げますと……非常にエネルギッシュな現場でした」
図書館員──ベテランらしき、メガネの奥に優しげな目を持つ中年女性は、丁寧な言葉を選びながらも、どこか遠くを見つめていた。
その手には、途中で落下したジャムパンの模型らしきものが握られている。
「……はい……申し訳ありません……」
アナベルはしゅんと肩を落とし、膝の上で両手を握りしめていた。声には明らかな敗北感と、ちょっとだけパンくずの気配があった。
「いえ、ご本人のご努力は、ひしひしと感じました。ただ……その、読み聞かせというより……即興演劇、もしくは壮大な冒険譚……?」
「すみません……気がついたら、魔法のジャムパンに乗って空を飛んでました……あと、うっかり“悪のスプーン軍団”を召喚してしまって……」
苦笑いするアナベル。
途中からテンションが上がりすぎて、絵本のページよりも自分のアドリブが暴走していたことは、本人も自覚していた。
「…………」
一瞬、部屋の中に静寂が流れる。
図書館員はそっとジャムパンの模型を机に置き、また微笑んだ。
「今回は……すみませんが、継続はちょっと……難しいかと……絵本が、飛びましたし……子どもたちも、興奮しすぎて途中でイスを持って走り出したので……」
「……はい……承知いたしました。ご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした……」
アナベルの声は豆粒のように小さく、椅子にめり込みそうなほど縮こまっていた。
──かくして、アナベルの「図書館デビュー戦」は、華やかに、子どもたちの笑い声とパンの香りに包まれて──
爆発四散というかたちで、派手に終焉を迎えたのだった。
21
あなたにおすすめの小説
私たちの離婚幸福論
桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
いきなり結婚しろと言われても、相手は7才の王子だなんて冗談はよしてください
シンさん
恋愛
金貸しから追われる、靴職人のドロシー。
ある日突然、7才のアイザック王子にプロポーズされたんだけど、本当は20才の王太子様…。
こんな事になったのは、王家に伝わる魔術の7つ道具の1つ『子供に戻る靴』を履いてしまったから。
…何でそんな靴を履いたのか、本人でさえわからない。けど王太子が靴を履いた事には理由があった。
子供になってしまった20才の王太子と、靴職人ドロシーの恋愛ストーリー
ストーリーは完結していますので、毎日更新です。
表紙はぷりりん様に描いていただきました(゜▽゜*)
【完結】あなたの瞳に映るのは
今川みらい
恋愛
命を救える筈の友を、俺は無慈悲に見捨てた。
全てはあなたを手に入れるために。
長年の片想いが、ティアラの婚約破棄をきっかけに動き出す。
★完結保証★
全19話執筆済み。4万字程度です。
前半がティアラside、後半がアイラスsideになります。
表紙画像は作中で登場するサンブリテニアです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~
marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」
「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」
私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。
暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。
彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。
それなのに……。
やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。
※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。
※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
【完結】大好きなあなたのために…?
月樹《つき》
恋愛
私には子供の頃から仲の良い大好きな幼馴染がいた。
2人でよく読んだ冒険のお話の中では、最後に魔物を倒し立派な騎士となった男の子と、それを支えてきた聖女の女の子が結ばれる。
『俺もこの物語の主人公みたいに立派な騎士になるから』と言って、真っ赤な顔で花畑で摘んだ花束をくれた彼。あの時から彼を信じて支えてきたのに…
いつの間にか彼の隣には、お姫様のように可憐な女の子がいた…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる