【完結】不可解な君に恋して

とっくり

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 ――七年前の春。
 今のカタリナにとって、それは遠い昔のようでありながら、鮮やかに胸に蘇る記憶だった。

 二十歳となった彼女は今、領地の書類に囲まれている。

 時折、窓の外を眺めていると、不意に胸をかすめるのだ。

 自分がまだ十三歳で、初めて「婚約者」として彼と同じ場に立った日のことを。

 周囲の視線、緊張で固くなった自分の肩、そして――隣にいた少年の、太陽のような笑顔。

 忘れられるはずがない。
 それが、彼女の学園生活の始まりであった。




 エルディア王立学園。
 貴族子女が集まり、政治・学問・礼儀作法など、国を支える人材を育てる学び舎。

 ――入学初日。
 広々とした講堂にはざわめきが満ち、貴族の子女たちが席を探していた。

 カタリナは背筋をすっと伸ばした。
 黒髪を乱れなく結い上げ、視線を正面に固定する姿は、まさに伯爵家の令嬢らしい端然さを備えていた。

「ねぇ、見てみて! あの方……なんて素敵なの」
「お名前は何て言うのかしら!?」

 令嬢達の視線の先にいたのは、カタリナの隣に座る少年――リュミエール。

 切りそろえられた金髪が光をはね返し、さらりと指先で前髪を払う仕草だけで、教室の空気が和らぐようだった。

「カタリナとこうして隣に座るのは初めてだね」
 飄々とした声。まるで旧知の友人にでも話しかけるような気安さだった。

「……ええ。これから、よろしくお願いいたしますわ」

「そんなに堅くならなくてもいいんじゃないかな。婚約者なんだから」

 軽やかに笑うリュミエールに、カタリナはわずかに眉をひそめた。

「婚約者だからこそ、礼を欠くわけにはまいりません」

 一瞬だけ目を細めた彼は、すぐに太陽のような笑みを浮かべた。

「ははは、君らしいね」

 そのやり取りに、周囲の令嬢たちの視線が嫉妬と憧れを入り混ぜて突き刺さったが、カタリナは気づかぬふりをした。

 入学式が終わり、それぞれのクラスに生徒たちが三々五々集まっていた。

 教室内に佇むリュミエールの姿は否応なく目を引いた。

「あの方がシュタイン子爵令息……」
「まあ、なんて綺麗な方……まるで絵画から抜け出したみたい」

 令嬢たちが頬を染める一方で、令息たちの一部は冷笑を含ませた声を交わした。

「ふん、子爵家といっても新興だろう?」
「二代前まで平民だったらしいじゃないか。金で爵位を買った卑しい血筋さ」

 その言葉が耳に入った瞬間、カタリナは思わず立ち上がった。
伯爵家の令嬢として、婚約者を貶められて黙っているわけにはいかない。

「そこのあなた方。王立学園の生徒として、そのような陰口を叩くのは恥ずかしくないのですか」

「な、なんだと……?」
「お前――」

「お前、ではありません」
 毅然とした声が響く。

「私は、エベルハルト伯爵家のカタリナと申します」

 ざわめきが一層広がった。

「まあ、エベルハルト伯爵家の……!」
「建国以来の由緒正しい家柄だ」
「王家の信頼も厚いと聞く」

 陰口を言っていた令息たちは一瞬たじろいだが、すぐに苛立ちを隠さず叫んだ。

「女のくせに生意気だ!だから平民上がりとしか婚約できないんだ!」

「!!」

 カタリナの瞳が大きく見開かれる。感情を乱すことの少ない彼女であっても、その言葉は看過できなかった。言い返そうとした、その瞬間――。

 リュミエールが静かに前へ出た。

「確かに、シュタイン家は新興です」
 その声は落ち着いていたが、よく通る。

「けれど、違法に爵位を得たわけでは、ありません。正統な手続きを踏み、王家にも認められました。商才によって財を成し、国庫に破格の税を納めてきた。名ばかりの家ではなく、国を支える家です」

 彼は微笑を浮かべたまま、相手に視線を向けた。

「ところで……君たちのお名前は? 
確か、領地経営で赤字を抱えているご一族の……」

「なっ……!」
 令息の顔が青ざめる。まさしくその弱点を突かれたのだ。

「ふんっ、平民上がりのくせに!」
 捨て台詞を吐き、彼らは教室を飛び出していった。

 残された静けさの中で、リュミエールはふとカタリナに目を向けた。

「カタリナ、すまなかったね」

「いいえ……むしろ私こそ、出過ぎた真似をしましたわ」

「君が感情的になるのは珍しい」

「……そうですわね。自分でも驚いております」

 二人は席へ戻り、何事もなかったかのように腰を下ろした。

 その横顔を見ながら、カタリナの胸には不思議な余韻が残っていた。

 自分の感情がここまで揺さぶられたのは、これまでなかったことだ。

 隣の少年――リュミエールは、ただ微笑んでいる。

だが、その裏にどれほどの思いを抱えているのか、カタリナにはまだ分からなかった。

「やあ、ここだったのか」

 突然、快活な声が教室に響いた。
 振り向くと、栗色の髪を持つ少年が扉口に立っていた。

 長身で姿勢正しく、整った顔立ちに朗らかな笑みをたたえるその姿は、場の空気を穏やかに変えていった。

「アイザック!」
 数人の令息たちが声を上げる。

「君もこのクラスか!」
「これから同じクラスだな!」

 令息達とにこやかに会話を交わしたアイザックは、カタリナとリュミエールの方へ歩み寄った。

「おや? 先ほどの騒ぎは何だったんだい?」
 悪びれもなくそう言い、机に片手を置いて二人を見下ろす。

 カタリナは立ち上がり、礼を示した。
「カタリナ・エベルハルトと申します。……先ほどは少々、耳を疑うような言葉が飛び交っていたのです」

 その説明に、アイザックは「なるほど」
と頷き、ちらりとリュミエールに視線を移す。

「噂のシュタイン子爵令息、君だね。初めまして。僕はアイザック・シトラール。伯爵家の生まれだ」

 リュミエールは軽やかに笑みを返した。
「初めまして。君の名はよく耳にしていたよ。武に秀で、学業も優秀だとか」

「やめてくれ、噂はいつも大げさだからね」
 アイザックは大きな手を振り、にっと笑う。

「でも正直、君の登場には驚かされたよ。教室の空気が一瞬で変わった。……それに、君の弁舌、なかなか痛快だったな」

 先ほどの令息たちへの反論を思い出したのだろう。

 リュミエールは肩をすくめ、飄々とした調子で答える。

「ただ事実を述べただけだよ。彼らもいずれ、数字の前では虚勢を張れなくなる」

 その冷静さに、アイザックは一瞬だけ目を見張り――やがて興味深げに笑った。


 ――これが、後に彼ら三人を巡る数奇な運命の始まりであることを、この時のカタリナはまだ知らなかった。
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