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入学から数日が経ったころ。
エルディア王立学園の図書室は、昼下がりの柔らかな光に包まれていた。
カタリナは分厚い経済学の書を手に取り、静かな空間で頁をめくっていた。
その隣の机から、ころころと鈴のような笑い声が聞こえてくる。
「まぁ、本当にその通りなの。私も同じ考えよ」
「ふふ、やっぱりね。あなたとは気が合うと思っていたわ」
声の方をちらりと見ると、ひとりは淡い金髪をゆるやかにまとめた上品な少女。侯爵家の令嬢、クラリッサ・ベルナー。
もう一人は、明るい茶髪を軽やかに揺らす活発そうな少女。伯爵家の令嬢、セザンヌ・リデル。
二人は既に旧知のように親しく会話を交わしており、その和やかな雰囲気に、カタリナはほんの少し羨ましさを覚えた。
すると、不意にセザンヌがカタリナの本に気づき、にっこり笑みを向けてきた。
「まぁ、それは経済学の本?難しくない?」
声をかけられ、カタリナは少しだけ緊張しつつも、本を閉じて答える。
「ええ、少しは難しいですけれど……領地経営を担う身としては、避けては通れませんもの」
その答えにクラリッサが目を細め、頷いた。
「やはりエベルハルト伯爵家のご令嬢ね。真面目でいらっしゃると噂を聞いていたけれど、その通りだわ」
セザンヌは机から身を乗り出すようにして、屈託なく笑った。
「ねぇ、一緒に読まない?私も経済学は苦手で……教えてもらえると助かるの」
「わたくしも賛成だわ。どうせなら三人で勉強した方が楽しいもの」
クラリッサもにっこりと微笑みかける。
思いがけない誘いに、カタリナは一瞬ためらった。
令嬢同士の関係は、嫉妬や競争心に満ちていることが多い。
特に自分には婚約者リュミエールがいるため、詮索や冷やかしは避けられないのでは――そんな思いが頭をよぎった。
しかし次の瞬間、セザンヌがあっけらかんと言い出した。
「それにしても、あなたの婚約者、すごい人気ね。入学式で一番、注目を浴びていたんじゃなくて?」
「そうそう、あの見目では仕方ないわね」
クラリッサもしきりに頷き、言葉を継ぐ。
「私でしたら、あのような方と婚約したら、心臓が持たないわ」
「わかる! もう、入学式で倒れそうになったもの!」
セザンヌは手を合わせ、まるで祈るように大げさに言う。
「心臓に悪い……?」
思わずカタリナは聞き返してしまう。
「だって、あのお顔よ? 毎日見てたらドキドキしすぎて寿命が縮むわ」
「本当よ。しまいには倒れて保健室通いになると思うの」
セザンヌとクラリッサは妙に真剣に語り合う。
「だから、カタリナさんの心臓が強いって二人で感心していたの」
「そういう強い方と、ぜひ仲良くなりたいと思って」
どうやら二人は打算ではなく、純粋に「カタリナの心臓の強さ」を尊敬しているらしい。
カタリナは目を瞬き――やがて小さく微笑んだ。
「……では、ぜひ。わたくしでよければ」
クラリッサは優雅に微笑み、セザンヌは嬉しそうに手を叩いた。
こうして三人は同じ机を囲み、本を開いた。
時には真剣に数字を追い、時には「この数字、眠りの呪文みたい」とセザンヌがぼやき、クラリッサが肩を揺らして笑う。
その輪に、カタリナもつられて口元が緩んだ。気づけば時間はあっという間に過ぎていた。
*
ある日の放課後。
学園の庭園に面した小さなサロンで、三人はお茶を囲んでいた。
「ねぇ、この焼き菓子、すごく美味しいわ!」
クラリッサがぱくりと一口食べ、目を丸くする。セザンヌは微笑みながら、残っている焼き菓子を差し出す。
「リデル伯爵家の菓子職人が新しく作ったものなの。よければ持ち帰って」
「まぁ、ありがたいわ。母がきっと喜ぶわ」
クラリッサは柔らかに笑む。
そして、ちらりとカタリナに視線を向けた。
「あなたは、いつも堅実に振る舞っていらっしゃるけれど……笑うと、とても可愛らしいのよね」
「わ、わたくしが……?」
思わず言葉に詰まるカタリナに、セザンヌが力強く頷いた。
「そうよ! 授業のときなんて、先生より真剣な顔をしてるんだもの。私は舟を漕いでるのに」
その言葉に、カタリナは頬を染め、少しだけ笑みをこぼした後、呟くように話し始めた。
「祖父母から、あまり人前で笑わないようにと言われているの。そのせいで近寄りがたいイメージになったのかしら?」
「まぁ、どうして、笑ってはいけないの?」
セザンヌがふわりと首を傾げて問いかける。
「……貴族社会では、どこで足元を掬われるかわからないから。いつも気を張っていなさい、笑う感情は気の緩みを招く――そう、教え込まれてきたの」
「まるで戦場の心得のようですわね……」
クラリッサは感心したように目を細めながら、言葉を続ける。
「エベルハルト伯爵家は、由緒正しいが故の厳しさなのでしょうね」
一方、セザンヌは片目を閉じて大げさに肩を竦める。
「でも、笑う感情は大切よ!私なんて“笑ってはいけない場面”で、逆に笑ってしまうの」
「笑ってはいけない場面?」
カタリナが首を傾げると、セザンヌは身を乗り出して語りだした。
「マナー講師のお勉強の時よ! あの方、教え方は厳格なのに、妙に動きが面白くて……。
“カップはこう持ちなさい”って言いながら、自分で持ったカップをガタガタ震わせるのよ。しかも『優雅に!』って怒鳴るの。もう笑わずにいる方が無理でしょう?」
クラリッサは口元に手を当て、堪えきれず笑みをこぼす。
「ふふ……わたくしも一度、セザンヌのマナー講師にお会いしたことがあるのだけれど……確かに個性的で……」
「でしょう?この面白さは、会ってみないとわからないのよ」
セザンヌは胸を張るようにして言うと、ぱっとカタリナを見つめた。
「カタリナ、今度ぜひ我が家にいらして? その講師の授業を一緒に受ければ、あなたも絶対に笑うわ!」
笑いを堪える二人の姿を見ていると、カタリナの胸の奥にもじわじわと楽しさが広がっていった。
いつの間にか、リデル伯爵家に遊びに行きたいと、本気で思い始めていた。
「……ええ、ぜひ伺いたいわ」
そう答えた瞬間、三人は顔を見合わせ、ふっと微笑みあった。
小さな午後のサロンは、その笑顔で宝石のようにきらめいた。
エルディア王立学園の図書室は、昼下がりの柔らかな光に包まれていた。
カタリナは分厚い経済学の書を手に取り、静かな空間で頁をめくっていた。
その隣の机から、ころころと鈴のような笑い声が聞こえてくる。
「まぁ、本当にその通りなの。私も同じ考えよ」
「ふふ、やっぱりね。あなたとは気が合うと思っていたわ」
声の方をちらりと見ると、ひとりは淡い金髪をゆるやかにまとめた上品な少女。侯爵家の令嬢、クラリッサ・ベルナー。
もう一人は、明るい茶髪を軽やかに揺らす活発そうな少女。伯爵家の令嬢、セザンヌ・リデル。
二人は既に旧知のように親しく会話を交わしており、その和やかな雰囲気に、カタリナはほんの少し羨ましさを覚えた。
すると、不意にセザンヌがカタリナの本に気づき、にっこり笑みを向けてきた。
「まぁ、それは経済学の本?難しくない?」
声をかけられ、カタリナは少しだけ緊張しつつも、本を閉じて答える。
「ええ、少しは難しいですけれど……領地経営を担う身としては、避けては通れませんもの」
その答えにクラリッサが目を細め、頷いた。
「やはりエベルハルト伯爵家のご令嬢ね。真面目でいらっしゃると噂を聞いていたけれど、その通りだわ」
セザンヌは机から身を乗り出すようにして、屈託なく笑った。
「ねぇ、一緒に読まない?私も経済学は苦手で……教えてもらえると助かるの」
「わたくしも賛成だわ。どうせなら三人で勉強した方が楽しいもの」
クラリッサもにっこりと微笑みかける。
思いがけない誘いに、カタリナは一瞬ためらった。
令嬢同士の関係は、嫉妬や競争心に満ちていることが多い。
特に自分には婚約者リュミエールがいるため、詮索や冷やかしは避けられないのでは――そんな思いが頭をよぎった。
しかし次の瞬間、セザンヌがあっけらかんと言い出した。
「それにしても、あなたの婚約者、すごい人気ね。入学式で一番、注目を浴びていたんじゃなくて?」
「そうそう、あの見目では仕方ないわね」
クラリッサもしきりに頷き、言葉を継ぐ。
「私でしたら、あのような方と婚約したら、心臓が持たないわ」
「わかる! もう、入学式で倒れそうになったもの!」
セザンヌは手を合わせ、まるで祈るように大げさに言う。
「心臓に悪い……?」
思わずカタリナは聞き返してしまう。
「だって、あのお顔よ? 毎日見てたらドキドキしすぎて寿命が縮むわ」
「本当よ。しまいには倒れて保健室通いになると思うの」
セザンヌとクラリッサは妙に真剣に語り合う。
「だから、カタリナさんの心臓が強いって二人で感心していたの」
「そういう強い方と、ぜひ仲良くなりたいと思って」
どうやら二人は打算ではなく、純粋に「カタリナの心臓の強さ」を尊敬しているらしい。
カタリナは目を瞬き――やがて小さく微笑んだ。
「……では、ぜひ。わたくしでよければ」
クラリッサは優雅に微笑み、セザンヌは嬉しそうに手を叩いた。
こうして三人は同じ机を囲み、本を開いた。
時には真剣に数字を追い、時には「この数字、眠りの呪文みたい」とセザンヌがぼやき、クラリッサが肩を揺らして笑う。
その輪に、カタリナもつられて口元が緩んだ。気づけば時間はあっという間に過ぎていた。
*
ある日の放課後。
学園の庭園に面した小さなサロンで、三人はお茶を囲んでいた。
「ねぇ、この焼き菓子、すごく美味しいわ!」
クラリッサがぱくりと一口食べ、目を丸くする。セザンヌは微笑みながら、残っている焼き菓子を差し出す。
「リデル伯爵家の菓子職人が新しく作ったものなの。よければ持ち帰って」
「まぁ、ありがたいわ。母がきっと喜ぶわ」
クラリッサは柔らかに笑む。
そして、ちらりとカタリナに視線を向けた。
「あなたは、いつも堅実に振る舞っていらっしゃるけれど……笑うと、とても可愛らしいのよね」
「わ、わたくしが……?」
思わず言葉に詰まるカタリナに、セザンヌが力強く頷いた。
「そうよ! 授業のときなんて、先生より真剣な顔をしてるんだもの。私は舟を漕いでるのに」
その言葉に、カタリナは頬を染め、少しだけ笑みをこぼした後、呟くように話し始めた。
「祖父母から、あまり人前で笑わないようにと言われているの。そのせいで近寄りがたいイメージになったのかしら?」
「まぁ、どうして、笑ってはいけないの?」
セザンヌがふわりと首を傾げて問いかける。
「……貴族社会では、どこで足元を掬われるかわからないから。いつも気を張っていなさい、笑う感情は気の緩みを招く――そう、教え込まれてきたの」
「まるで戦場の心得のようですわね……」
クラリッサは感心したように目を細めながら、言葉を続ける。
「エベルハルト伯爵家は、由緒正しいが故の厳しさなのでしょうね」
一方、セザンヌは片目を閉じて大げさに肩を竦める。
「でも、笑う感情は大切よ!私なんて“笑ってはいけない場面”で、逆に笑ってしまうの」
「笑ってはいけない場面?」
カタリナが首を傾げると、セザンヌは身を乗り出して語りだした。
「マナー講師のお勉強の時よ! あの方、教え方は厳格なのに、妙に動きが面白くて……。
“カップはこう持ちなさい”って言いながら、自分で持ったカップをガタガタ震わせるのよ。しかも『優雅に!』って怒鳴るの。もう笑わずにいる方が無理でしょう?」
クラリッサは口元に手を当て、堪えきれず笑みをこぼす。
「ふふ……わたくしも一度、セザンヌのマナー講師にお会いしたことがあるのだけれど……確かに個性的で……」
「でしょう?この面白さは、会ってみないとわからないのよ」
セザンヌは胸を張るようにして言うと、ぱっとカタリナを見つめた。
「カタリナ、今度ぜひ我が家にいらして? その講師の授業を一緒に受ければ、あなたも絶対に笑うわ!」
笑いを堪える二人の姿を見ていると、カタリナの胸の奥にもじわじわと楽しさが広がっていった。
いつの間にか、リデル伯爵家に遊びに行きたいと、本気で思い始めていた。
「……ええ、ぜひ伺いたいわ」
そう答えた瞬間、三人は顔を見合わせ、ふっと微笑みあった。
小さな午後のサロンは、その笑顔で宝石のようにきらめいた。
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