【完結】不可解な君に恋して

とっくり

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 扉の前に立ち尽くすリュミエールの耳に、大人たちの会話はまだ続いていた。

 しかし、その声はもう意味を成さなかった。

 胸の奥に冷たい鉛が沈み込み、心臓をぎゅっと締め付ける。

(お父様は……父ではない?お母様も……本当は伯母……?兄さんは従兄……?)

 何度頭の中で繰り返しても、現実とは思えなかった。

 これまでの日常――家族で食卓を囲んだ温もり、庭園を駆け回った笑い声。
それらが次々と揺らぎ、色を失い、夢の中の出来事のように遠のいていく。

 足元が定まらず、ふらふらと廊下を歩く。床が傾いているように感じ、今にも倒れそうだった。

「……リュミエール様?」
 声を掛けてきたのは、偶然通りかかった侍女だった。彼ははっとして顔を上げる。

――今、動揺を悟られてはいけない。

 瞬時に、口元に微笑を作る。
「……少し疲れただけだよ。心配ない」

 侍女は不思議そうに首を傾げたが、深く追及せず、そのまま立ち去った。

 取り残されたリュミエールは、胸の奥で自分に言い聞かせる。

(誰にも……知られてはいけない。父や母にまで、気を遣わせるわけにはいかないんだ)

 確かに血は繋がっている。
 けれど――
 彼らにとって自分は「子」であり「弟」であると同時に、本当は「」であり「」だった。

(僕は、みんなと同じじゃない。本当は違う立場の人間なんだ……)

 家族に愛されていると分かっているのに、心の奥で劣等感がじわじわと広がっていく。

 自分の居場所がぐらつき、幸福の基盤が脆いものに思えてならなかった。

 その日を境に、彼は“仮面”をかぶるようになった。

 明るく、朗らかに、聞き分けが良く、いつも笑みを絶やさない。周囲に気を配る子供。

 それは周囲を安心させるためであり、自分自身を守る唯一の方法でもあった。

 仮面の下で孤独と劣等感が渦巻いていても――決して誰にも悟られてはならない。




 
 夜、自室に戻ると、リュミエールは机の引き出しを静かに開いた。
 そこには、小さな布に包まれた鉱石が収められている。

 淡い光を宿すその石を手に取ると、自然とサラの声が甦った。

「これはね、あなたのことが大好きだった叔母さんからの贈り物なのよ。大事にしてね」

 その時はただ「美しい石」だと思っていた。
 母・サラが微笑んで渡してくれたのだから、リュミエールにとっては温かな愛情の証に他ならなかった。

 けれど――。

 時が経つにつれ、どうしてケリーはこの石を遺したのか、気になるようになっていた。

 鉱石に刻まれた独特の文様や、光にかざすと浮かぶ深い蒼色は、幼いながらも「ただの飾り石ではない」と感じさせたのだ。

 リュミエールは、夜になると決まって机の引き出しから小さな布包みを取り出した。
 布を解くと、中から淡い蒼色を宿す鉱石が顔を出す。

 叔母――ケリーが大事にしていた石。

 サラからは「あなたを愛していた証よ」と言われていたけれど、それ以上のことは誰も語らなかった。

 それがかえって、リュミエールの胸に小さな棘のように残り続けていた。

(どうして、これを遺したんだろう……)

 彼は答えを求めるように、シュタイン家の図書室に通い詰めるようになった。
 背伸びをして分厚い地誌や鉱物学の本を引き寄せ、ページをめくる。

「この色合い……普通の鉱石とは違う」
 蝋燭の明かりに照らされた石を本の挿絵と照らし合わせ、眉をひそめた。

 ある日、家庭教師のマクシミリアンに思い切って尋ねてみた。

「先生、この石、何の鉱石かわかりますか?」

 老眼鏡をかけた家庭教師は、石を手に取り、光にかざした。
「ふむ……この深い蒼と縞模様……珍しいな。普通の王都の市場では見かけん。
おそらく、これはハバナールの山脈でしか採れぬ石だ」

「ハバナール……?」
 リュミエールの心臓が跳ねる。

「そうだ。隣国の南方に広がる山脈だな。あちらは鉱物資源が豊富で、このような装飾用の希少石も多い。王侯貴族が好んで持つと聞く」

「……じゃあ、これは特別なものなんですね」

「特別、かもしれんが……石そのものに価値があるというより、贈る相手や背景によって重みが変わる。これはそういう種類のものだ」

 家庭教師は大した意味もなく言ったのだろう。

 けれどリュミエールには、その言葉が胸に深く突き刺さった。

(贈る相手や背景によって、重みが変わる……)

 ケリーは、どうしてこの石を大事にしていたのか。

 誰から贈られたものなのか。

 掌に載せた鉱石は、ひんやりとした冷たさと同時に、心臓の鼓動に呼応するような不思議な温もりを放っていた。

 リュミエールは、鉱石を布に包み直し、そっと胸元に抱いた。

(……この石は、ただの記念品じゃない。きっと何かを語っている)

 その日から、彼にとって鉱石は「愛情の証」であると同時に、「答えを隠した鍵」になっていった。


***


 ある日の午後。
 両親に呼ばれ、応接間へ向かうと、いつになく真剣な空気が漂っていた。

「リュミエール、あなたに大事な話があるの」
 母の声は穏やかだが、硬さを含んでいる。

 テーブルの上には紅茶のカップと共に、一通の文書が置かれていた。

「エベルハルト伯爵家より、縁談のお話をいただいたの」

「……縁談?」
 リュミエールは目を瞬かせる。

「あなたと、エベルハルト家の一人娘カタリナ嬢との婚約です」

 その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。

 エベルハルト伯爵家――建国以来続く名門。王国の中枢に根を張る伝統の象徴。

 そこに、自分のような“商家上がりの家”の者が婿入りするなど……。

 思わず胸元の鉱石を思い出す。
 “本当の父すら知らぬ自分が、由緒正しい伯爵家に迎え入れられていいのか?”

 不安と劣等感が胸を締め付けた。
 けれど同時に、どこか抗えぬ運命のようにも感じていた。


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