14 / 40
14
しおりを挟む
扉の前に立ち尽くすリュミエールの耳に、大人たちの会話はまだ続いていた。
しかし、その声はもう意味を成さなかった。
胸の奥に冷たい鉛が沈み込み、心臓をぎゅっと締め付ける。
(お父様は……父ではない?お母様も……本当は伯母……?兄さんは従兄……?)
何度頭の中で繰り返しても、現実とは思えなかった。
これまでの日常――家族で食卓を囲んだ温もり、庭園を駆け回った笑い声。
それらが次々と揺らぎ、色を失い、夢の中の出来事のように遠のいていく。
足元が定まらず、ふらふらと廊下を歩く。床が傾いているように感じ、今にも倒れそうだった。
「……リュミエール様?」
声を掛けてきたのは、偶然通りかかった侍女だった。彼ははっとして顔を上げる。
――今、動揺を悟られてはいけない。
瞬時に、口元に微笑を作る。
「……少し疲れただけだよ。心配ない」
侍女は不思議そうに首を傾げたが、深く追及せず、そのまま立ち去った。
取り残されたリュミエールは、胸の奥で自分に言い聞かせる。
(誰にも……知られてはいけない。父や母にまで、気を遣わせるわけにはいかないんだ)
確かに血は繋がっている。
けれど――
彼らにとって自分は「子」であり「弟」であると同時に、本当は「甥」であり「従兄」だった。
(僕は、みんなと同じじゃない。本当は違う立場の人間なんだ……)
家族に愛されていると分かっているのに、心の奥で劣等感がじわじわと広がっていく。
自分の居場所がぐらつき、幸福の基盤が脆いものに思えてならなかった。
その日を境に、彼は“仮面”をかぶるようになった。
明るく、朗らかに、聞き分けが良く、いつも笑みを絶やさない。周囲に気を配る子供。
それは周囲を安心させるためであり、自分自身を守る唯一の方法でもあった。
仮面の下で孤独と劣等感が渦巻いていても――決して誰にも悟られてはならない。
*
夜、自室に戻ると、リュミエールは机の引き出しを静かに開いた。
そこには、小さな布に包まれた鉱石が収められている。
淡い光を宿すその石を手に取ると、自然とサラの声が甦った。
「これはね、あなたのことが大好きだった叔母さんからの贈り物なのよ。大事にしてね」
その時はただ「美しい石」だと思っていた。
母・サラが微笑んで渡してくれたのだから、リュミエールにとっては温かな愛情の証に他ならなかった。
けれど――。
時が経つにつれ、どうしてケリーはこの石を遺したのか、気になるようになっていた。
鉱石に刻まれた独特の文様や、光にかざすと浮かぶ深い蒼色は、幼いながらも「ただの飾り石ではない」と感じさせたのだ。
リュミエールは、夜になると決まって机の引き出しから小さな布包みを取り出した。
布を解くと、中から淡い蒼色を宿す鉱石が顔を出す。
叔母――ケリーが大事にしていた石。
サラからは「あなたを愛していた証よ」と言われていたけれど、それ以上のことは誰も語らなかった。
それがかえって、リュミエールの胸に小さな棘のように残り続けていた。
(どうして、これを遺したんだろう……)
彼は答えを求めるように、シュタイン家の図書室に通い詰めるようになった。
背伸びをして分厚い地誌や鉱物学の本を引き寄せ、ページをめくる。
「この色合い……普通の鉱石とは違う」
蝋燭の明かりに照らされた石を本の挿絵と照らし合わせ、眉をひそめた。
ある日、家庭教師のマクシミリアンに思い切って尋ねてみた。
「先生、この石、何の鉱石かわかりますか?」
老眼鏡をかけた家庭教師は、石を手に取り、光にかざした。
「ふむ……この深い蒼と縞模様……珍しいな。普通の王都の市場では見かけん。
おそらく、これはハバナールの山脈でしか採れぬ石だ」
「ハバナール……?」
リュミエールの心臓が跳ねる。
「そうだ。隣国の南方に広がる山脈だな。あちらは鉱物資源が豊富で、このような装飾用の希少石も多い。王侯貴族が好んで持つと聞く」
「……じゃあ、これは特別なものなんですね」
「特別、かもしれんが……石そのものに価値があるというより、贈る相手や背景によって重みが変わる。これはそういう種類のものだ」
家庭教師は大した意味もなく言ったのだろう。
けれどリュミエールには、その言葉が胸に深く突き刺さった。
(贈る相手や背景によって、重みが変わる……)
ケリーは、どうしてこの石を大事にしていたのか。
誰から贈られたものなのか。
掌に載せた鉱石は、ひんやりとした冷たさと同時に、心臓の鼓動に呼応するような不思議な温もりを放っていた。
リュミエールは、鉱石を布に包み直し、そっと胸元に抱いた。
(……この石は、ただの記念品じゃない。きっと何かを語っている)
その日から、彼にとって鉱石は「愛情の証」であると同時に、「答えを隠した鍵」になっていった。
***
ある日の午後。
両親に呼ばれ、応接間へ向かうと、いつになく真剣な空気が漂っていた。
「リュミエール、あなたに大事な話があるの」
母の声は穏やかだが、硬さを含んでいる。
テーブルの上には紅茶のカップと共に、一通の文書が置かれていた。
「エベルハルト伯爵家より、縁談のお話をいただいたの」
「……縁談?」
リュミエールは目を瞬かせる。
「あなたと、エベルハルト家の一人娘カタリナ嬢との婚約です」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。
エベルハルト伯爵家――建国以来続く名門。王国の中枢に根を張る伝統の象徴。
そこに、自分のような“商家上がりの家”の者が婿入りするなど……。
思わず胸元の鉱石を思い出す。
“本当の父すら知らぬ自分が、由緒正しい伯爵家に迎え入れられていいのか?”
不安と劣等感が胸を締め付けた。
けれど同時に、どこか抗えぬ運命のようにも感じていた。
しかし、その声はもう意味を成さなかった。
胸の奥に冷たい鉛が沈み込み、心臓をぎゅっと締め付ける。
(お父様は……父ではない?お母様も……本当は伯母……?兄さんは従兄……?)
何度頭の中で繰り返しても、現実とは思えなかった。
これまでの日常――家族で食卓を囲んだ温もり、庭園を駆け回った笑い声。
それらが次々と揺らぎ、色を失い、夢の中の出来事のように遠のいていく。
足元が定まらず、ふらふらと廊下を歩く。床が傾いているように感じ、今にも倒れそうだった。
「……リュミエール様?」
声を掛けてきたのは、偶然通りかかった侍女だった。彼ははっとして顔を上げる。
――今、動揺を悟られてはいけない。
瞬時に、口元に微笑を作る。
「……少し疲れただけだよ。心配ない」
侍女は不思議そうに首を傾げたが、深く追及せず、そのまま立ち去った。
取り残されたリュミエールは、胸の奥で自分に言い聞かせる。
(誰にも……知られてはいけない。父や母にまで、気を遣わせるわけにはいかないんだ)
確かに血は繋がっている。
けれど――
彼らにとって自分は「子」であり「弟」であると同時に、本当は「甥」であり「従兄」だった。
(僕は、みんなと同じじゃない。本当は違う立場の人間なんだ……)
家族に愛されていると分かっているのに、心の奥で劣等感がじわじわと広がっていく。
自分の居場所がぐらつき、幸福の基盤が脆いものに思えてならなかった。
その日を境に、彼は“仮面”をかぶるようになった。
明るく、朗らかに、聞き分けが良く、いつも笑みを絶やさない。周囲に気を配る子供。
それは周囲を安心させるためであり、自分自身を守る唯一の方法でもあった。
仮面の下で孤独と劣等感が渦巻いていても――決して誰にも悟られてはならない。
*
夜、自室に戻ると、リュミエールは机の引き出しを静かに開いた。
そこには、小さな布に包まれた鉱石が収められている。
淡い光を宿すその石を手に取ると、自然とサラの声が甦った。
「これはね、あなたのことが大好きだった叔母さんからの贈り物なのよ。大事にしてね」
その時はただ「美しい石」だと思っていた。
母・サラが微笑んで渡してくれたのだから、リュミエールにとっては温かな愛情の証に他ならなかった。
けれど――。
時が経つにつれ、どうしてケリーはこの石を遺したのか、気になるようになっていた。
鉱石に刻まれた独特の文様や、光にかざすと浮かぶ深い蒼色は、幼いながらも「ただの飾り石ではない」と感じさせたのだ。
リュミエールは、夜になると決まって机の引き出しから小さな布包みを取り出した。
布を解くと、中から淡い蒼色を宿す鉱石が顔を出す。
叔母――ケリーが大事にしていた石。
サラからは「あなたを愛していた証よ」と言われていたけれど、それ以上のことは誰も語らなかった。
それがかえって、リュミエールの胸に小さな棘のように残り続けていた。
(どうして、これを遺したんだろう……)
彼は答えを求めるように、シュタイン家の図書室に通い詰めるようになった。
背伸びをして分厚い地誌や鉱物学の本を引き寄せ、ページをめくる。
「この色合い……普通の鉱石とは違う」
蝋燭の明かりに照らされた石を本の挿絵と照らし合わせ、眉をひそめた。
ある日、家庭教師のマクシミリアンに思い切って尋ねてみた。
「先生、この石、何の鉱石かわかりますか?」
老眼鏡をかけた家庭教師は、石を手に取り、光にかざした。
「ふむ……この深い蒼と縞模様……珍しいな。普通の王都の市場では見かけん。
おそらく、これはハバナールの山脈でしか採れぬ石だ」
「ハバナール……?」
リュミエールの心臓が跳ねる。
「そうだ。隣国の南方に広がる山脈だな。あちらは鉱物資源が豊富で、このような装飾用の希少石も多い。王侯貴族が好んで持つと聞く」
「……じゃあ、これは特別なものなんですね」
「特別、かもしれんが……石そのものに価値があるというより、贈る相手や背景によって重みが変わる。これはそういう種類のものだ」
家庭教師は大した意味もなく言ったのだろう。
けれどリュミエールには、その言葉が胸に深く突き刺さった。
(贈る相手や背景によって、重みが変わる……)
ケリーは、どうしてこの石を大事にしていたのか。
誰から贈られたものなのか。
掌に載せた鉱石は、ひんやりとした冷たさと同時に、心臓の鼓動に呼応するような不思議な温もりを放っていた。
リュミエールは、鉱石を布に包み直し、そっと胸元に抱いた。
(……この石は、ただの記念品じゃない。きっと何かを語っている)
その日から、彼にとって鉱石は「愛情の証」であると同時に、「答えを隠した鍵」になっていった。
***
ある日の午後。
両親に呼ばれ、応接間へ向かうと、いつになく真剣な空気が漂っていた。
「リュミエール、あなたに大事な話があるの」
母の声は穏やかだが、硬さを含んでいる。
テーブルの上には紅茶のカップと共に、一通の文書が置かれていた。
「エベルハルト伯爵家より、縁談のお話をいただいたの」
「……縁談?」
リュミエールは目を瞬かせる。
「あなたと、エベルハルト家の一人娘カタリナ嬢との婚約です」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。
エベルハルト伯爵家――建国以来続く名門。王国の中枢に根を張る伝統の象徴。
そこに、自分のような“商家上がりの家”の者が婿入りするなど……。
思わず胸元の鉱石を思い出す。
“本当の父すら知らぬ自分が、由緒正しい伯爵家に迎え入れられていいのか?”
不安と劣等感が胸を締め付けた。
けれど同時に、どこか抗えぬ運命のようにも感じていた。
102
あなたにおすすめの小説
【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない
とっくり
恋愛
美しく素直なだけの“可愛い妹”として愛されてきたアナベル。
だが、姉の婚約者に告白されたことで、家族の歯車は狂い始める。
両親の死、姉からの追放。何も知らないまま飛び出した世界で、
アナベルは初めて「生きること」の意味を知っていく。
初めての仕事、初めての孤独。
そして出会った一人の青年・エリオット。
彼との出会いが、アナベルを“綺麗なだけの私”から変えていく、
恋と成長の物語。
私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜
日室千種・ちぐ
恋愛
ランドリック・ゼンゲンは将来を約束された上級騎士であり、麗しの貴公子だ。かつて流した浮名は数知れず、だが真の恋の相手は従姉妹で、その結婚を邪魔しようとしたと噂されている。成人前からゼンゲン侯爵家預かりとなっている子爵家の娘ジョゼットは、とある事情でランドリックと親しんでおり、その噂が嘘だと知っている。彼は人の心に鈍感であることに悩みつつも向き合う、真の努力家であり、それでもなお自分に自信が持てないことも、知っていて、密かに心惹かれていた。だが、そのランドリックとの結婚の話を持ちかけられたジョゼットは、彼が自分を女性として見ていないことに、いずれ耐えられなくなるはずと、断る決断をしたのだが――。
(なろう版ではなく、やや大人向け版です)
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
政略結婚だからって愛を育めないとは限りません
稲葉鈴
恋愛
外務大臣であるエドヴァルド・アハマニエミの三女ビルギッタに、国王陛下から結婚の命が下った。
お相手は王太子殿下の側近の一人であるダーヴィド。フィルップラ侯爵子息。
明日(!)からフィルップラ侯爵邸にて住み込みでお見合いを行い、一週間後にお披露目式を執り行う。
これは、その一週間のお話。
小説家になろう、カクヨムでも公開しています。
私の孤独と愛と未来
緑谷めい
恋愛
15歳の私は今、王都に向かう寄合い馬車に乗っている。同じく15歳のカイと一緒に……。
私はリーゼ。15年前、産まれたての赤子だった私は地方都市にある孤児院の前に捨てられた。底冷えのする真冬の早朝だったそうだ。孤児院の院長が泣き声に気付くのが、あと少し遅ければ私は凍死していた。
15歳になり成人した私は孤児院を出て自立しなくてはならない。私は思い切って王都に行って仕事を探すことにした。そして「兵士になる」と言う同い年のカイも王都に行くことになった。喧嘩っ早くてぶっきらぼうなカイは、皆に敬遠されて孤児院の中で浮いた存在だった。私も、いつも仏頂面であまり喋らないカイが苦手だった。
【完結】あなたの瞳に映るのは
今川みらい
恋愛
命を救える筈の友を、俺は無慈悲に見捨てた。
全てはあなたを手に入れるために。
長年の片想いが、ティアラの婚約破棄をきっかけに動き出す。
★完結保証★
全19話執筆済み。4万字程度です。
前半がティアラside、後半がアイラスsideになります。
表紙画像は作中で登場するサンブリテニアです。
次期王妃な悪女はひたむかない
三屋城衣智子
恋愛
公爵家の娘であるウルム=シュテールは、幼い時に見初められ王太子の婚約者となる。
王妃による厳しすぎる妃教育、育もうとした王太子との関係性は最初こそ良かったものの、月日と共に狂いだす。
色々なことが積み重なってもなお、彼女はなんとかしようと努力を続けていた。
しかし、学校入学と共に王太子に忍び寄る女の子の影が。
約束だけは違えまいと思いながら過ごす中、学校の図書室である男子生徒と出会い、仲良くなる。
束の間の安息。
けれど、数多の悪意に襲われついにウルムは心が折れてしまい――。
想いはねじれながらすれ違い、交錯する。
異世界四角恋愛ストーリー。
なろうにも投稿しています。
私は彼を愛しておりますので
月山 歩
恋愛
婚約者と行った夜会で、かつての幼馴染と再会する。彼は私を好きだと言うけれど、私は、婚約者と好き合っているつもりだ。でも、そんな二人の間に隙間が生まれてきて…。私達は愛を貫けるだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる